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第2章
説得
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「雲雀ちゃーんっ、お見舞いに来たよー! ……ってあれ?」
飛鳥が勢いよく病室の仕切りカーテンを開けると、ベッドはもぬけの殻だった。
「ああ、お嬢ちゃん。今日も来たのねぇ。あの子なら昼過ぎくらいに部屋を出てってそれきりよ」
「ええっ! そ、そうでしたか……。どうもご丁寧に」
すっかり顔馴染みとなった隣のベッドの御老人に頭を下げ、そそくさと部屋を退散する。
去り際に、廊下まで響く声で「今日はコケないようにねー!」と激励され、なんだか情けない気持ちになった。
ああ、普段からドジを踏むばかりでなく、今日はさらに間の悪さまで発揮している。
せっかくお見舞いに来たというのに、肝心の当人が見当たらないなんて。
とりあえず、彼女が訪れていそうな場所――烏丸のいる三〇七号室を覗く。
しかし、
「羽丘なら見てないよ」
窓際のベッドで横になっていた烏丸は、飛鳥の顔を見るなり尋ねられるまでもなく答えた。
「お察しの良いことで助かります……はぁ」
「毎日お見舞いに来て、律儀だよね。羽丘とはあれから話せたの?」
「それは……、うぅ。もう取り付く島もないと言いますか。いくら話しかけても、視線すら合わせてくれなくて」
「うん。なんか、そんな感じかなって思った」
「あうぅ……」
返す言葉もございません、とばかりに飛鳥は肩を落とした。
いくら足掻いたところで何も好転しない現状に、ほとほと嫌気が差す。
それもこれも、自分の要領が悪いせいに他ならない。
こうして毎日のように見舞いに来たところで、結局はいつも空回りするだけに終わってしまう。
むしろ、自分がしつこく見舞いに来るせいで余計に羽丘の機嫌を損ねているかもしれないのだ。
「本当に、自分が不甲斐ないです。手術のことも……私がもっと機転の利く人間だったら、雲雀ちゃんをうまく説得できたかもしれないのに」
「説得……か」
呟くように言った烏丸の声は、やけに弱々しかった。
おや、と思って飛鳥が改めて見ると、窓の外をぼんやりと眺める烏丸の目はどこか虚ろで、いつにも増して覇気がない。
「烏丸さん、何かあったんですか?」
尋ねると、烏丸は一瞬だけ我に返ったような顔でこちらを見たが、すぐにまた窓の外に視線を戻して、
「好きな人にフラれたんだ」
と、どこか自嘲するように微笑んで言った。
「え……。ふ、フラ、れ?」
予想外の返事を受けて、飛鳥は動揺した。
「ご……ごごご、ごめんなさい。私、なんて質問を」
間の悪さはここでも健在だった。
まさか人様が失恋したタイミングで部屋を覘いてしまうなんて。
「いいよ、気にしなくて」
「で、でも……」
「いいんだ。フラれたことはもう、自分でも納得してる。もともと俺には釣り合わない相手だってわかってたし。その人とどうこうなりたいって思ってたわけじゃない。ただ、残念だったのは……俺がその人のことを、何も知らなかったってこと」
言いながら、烏丸の表情からは笑みが消えていった。
フラれた当時のことを思い出しているのだろうか。
ぼんやりと窓の外を眺める瞳は、どこか遠い景色を映しているように見える。
彼は一呼吸置いた後、再びこちらを振り向いて言った。
「ねえ、飛鳥。俺たちのやろうとしてることってさ、結局はただの押しつけ……みたいなものだよね」
「え?」
「羽丘のこと。あいつは嫌がってるのに、その気持ちを無視して、手術を受けろだなんてさ」
「烏丸さん?」
いきなり何を言い出すのか。
「ど、どうしたんですか。なんで、急にそんなこと……。手術をしないと、雲雀ちゃんは死んじゃうんですよ?」
「もちろん、わかってるよ。でもさ、手術を受けろ受けろって、こっちの意見ばかり言ってたら、それこそ羽丘と話なんてできないんじゃないかと思って。あいつと話がしたいなら、まずはあいつの言葉とか、気持ちを、もっとちゃんと受け止めてやらないといけない気がして」
「……それはつまり、諦めるということですか?」
羽丘の思いを受け止めるということはすなわち、彼女の死を受け入れるということだ。
「雲雀ちゃんの意見を肯定して、手術を拒否したら、もう助からないんですよ。それでもいいってことですか!?」
思わず、語気を強めてしまう。
対する烏丸も負けじと身を乗り出すと、普段よりもやや強い口調で言った。
「違うよ。俺は今でも、あいつに手術を受けてほしいと思ってる。それは変わらない。ただ、俺は……あいつと、もう一度ちゃんと話がしたいんだ。手遅れになる前に」
そう言ってこちらを見上げてくる彼の目には、不安と焦りの他に、何か別の、強い意志のようなものが揺らめいているように見えた。
「烏丸さん……?」
いつもの、どこか覇気のない彼とは何かが違う。
「俺はまだ、あいつの気持ちをちゃんと理解してない……と思う。だから俺は、あいつのことをもっと知りたいんだ」
言い終えるなり、彼は壁に立て掛けていた松葉杖を手に取ってベッドを降りた。
「羽丘を捜すの、俺も手伝うよ。手分けして捜そう」
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