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第2章
生贄
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「もお~、びっくりしたのよぉ。いきなり部屋中のナースコールが鳴り出したんだからぁ」
誰もいない空き部屋へ避難するなり、百舌谷はわざとらしい苦笑を交えて言った。
その後ろをトボトボとついて来た烏丸は、入口の扉を閉めながら呆れた声を漏らす。
「あんた仕事中でしょ。こんな所でサボってていいの? 周りはみんな忙しそうにしてるけど」
烏丸の言う通り、他の病室では多くのスタッフたちが仕事に追われていた。
ここに来るまでに廊下ですれ違った看護師たちも、それぞれ忙しそうに行き来していたが、
「いいのいいの~。私は特別枠だから」
「特別って……」
そんなはずはないだろうと思いつつも、しかし言われてみれば確かに、周りで彼女を気にしているスタッフは一人もいなかったように見える。
単に忙しくてそれどころではないという可能性もあるが。
「それはそうと、烏丸くん」
百舌谷はくるりと振り返ると、烏丸の顔を覗き込むように肩を寄せて、
「いくら学校の先生が嫌いだからって、人に手を上げるのは良くないと思うなぁ」
自分のことは棚に上げ、もっともらしいことを言った。
「……あんたには関係ないでしょ」
「いやいやぁ~。一応ここ、病院の中だからねぇ? さすがの私も、仕事中に揉め事を起こされるのは勘弁してほしいっていうかぁ」
「別の場所ならいいってこと?」
「もっちろ~ん。私の目の届かない所でなら、好きなだけ殴り合ってていいわよぉ」
とりあえずケガの手当てぐらいならしてあげるからと、百舌谷はどこまでが本心かわからないような口ぶりで言う。
そういえば以前、鷹取と廊下で揉めたときも最初に駆け付けたのは彼女だったな――と、烏丸はふと思った。
「それにしても、烏丸くんもあんな風に感情を剥き出しにすることってあるのねぇ。ちょっと意外だったからびっくりしちゃったわぁ」
言われて、烏丸は先ほどのやり取りを思い出し、バツの悪い顔をした。
担任教師である鴨志田に嫌味を浴びせられて、ついカッとなってしまった。
あいつの言うことなんか気にするだけ無駄だと、鷹取からも散々聞かされていたのに。
それでも。
「……嫌いなんだ。あいつの言う、『仕方ない』って言葉が」
鴨志田が度々口にする、最初から全てを否定しているかのような言葉。
あの罵声を浴びせられた瞬間、自分の中で何かが弾けた。
「親がいないから仕方ないとか、施設で育ったから仕方ないとか……そうやって、人の生い立ちとか印象だけで何でもかんでも決めつけて、こっちの意見なんか聞きやしない。あいつはいつもそうなんだ。あれじゃ話にならないよ」
「まあ~確かに、そういう言い方をされるのは気分が良くないわねえ……。でも烏丸くんだって、先生の忠告を無視してその脚をケガしたんでしょ? 人の話を聞かないのはお互い様じゃないのぉ?」
「……あいつの忠告なんか、聞く意味がないし。どうせ、あれは俺のためじゃなくて、あいつの保身のために言っているだけなんだから」
段々と言い訳をしているような気がしてきて、烏丸は百舌谷の視線から逃げるように壁の方を向いた。
「保身って、どういうことぉ? あの先生、とっても優しそうな雰囲気なのに」
「雰囲気だけだよ。あいつは事なかれ主義だから、面倒なことは出来る限り避けようとするんだ。だから……いざ何か問題が起こったときは、真っ先に弱者を見捨てて、長い物に巻かれる選択をする。そうやって自分の身を守ることで必死な奴なんだよ」
鴨志田のことを考えれば考えるほど、心の片隅で燻っている炎が再び燃え上がろうとするのを感じる。
その根底にあるものを思い出して、烏丸は怒りを抑えるように目を伏せた。
「前にも何かあったのね、あの先生と」
見透かしたように百舌谷が言う。
烏丸は少しだけ息を吐くと、当時のことを脳裏に浮かべながら再び口を開いた。
「一回や二回のことじゃないよ。あいつは最初から――それこそ入学式の日から、自分の身を守るために俺たちを売ったんだ」
忘れもしない、入学初日。
恒例の自己紹介を終えたところで、問題は勃発した。
児童養護施設の出身というだけで、烏丸と鷹取の二人は一部のクラスメイトたちからまるで見世物のような扱いを受けたのだ。
「難癖をつけられて色々言われてさ、怒った隼人がさっそく手を出しちゃって。結局、後で俺も一緒に謝ることになった。まぁ、そこまではいいんだけど」
問題はその後だった。
相手の保護者への謝罪も終え、ようやくひと段落がついた頃。
鴨志田は、あろうことか烏丸たちにこんなことを言い放ったのだ。
――君たちのおかげで酷い目に遭った。今後は、少しからかわれたぐらいで暴力を振るったりしないように。施設の出身だっていうのは事実なんだから、周りから何を言われたって仕方がないじゃないか。
「……鴨志田は、からかってきた連中には全く非がなかったとPTAでも説明してた。そう言っておいた方が丸く収まるから。全部俺たちの方が悪いんだって」
確かに手を出してしまったという点では、明らかにこちらが悪いのかもしれない。
けれど、先に言葉で攻撃してきた連中のことは無罪放免だなんて。
「俺たちを悪者にしておけば、何かがあったときでも保護者を納得させやすいんだろうね。またあの二人が問題を起こした、とでも言っておけば、怒りの矛先は鴨志田じゃなくて、俺たちの方に集中する。いわば生贄だよ」
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