飛べない少年と窓辺の歌姫

紫音

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第1章

親子

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 病室に入ると、まず目についたのは白衣の医者と看護師の姿だった。

 ちょうど回診を終えたところらしい。
 席を立ち、こちらと入れ替わるようにして部屋を出ていこうとする二人に、雛沢は軽く会釈した。

「あら? もしかして、つぐみさんじゃないですかぁ?」

 すれ違う際、ねっとりとした声でそう名を呼ばれた。

 雛沢が改めて見ると、看護師――ゆるふわボブの髪に丸眼鏡をかけた若い女性が、興味津々な様子でこちらを眺めていた。

 どこか見覚えのある顔だった。
 けれど名前までは思い出せない。
 おそらくは何度かこの病院で顔を合わせているのだろう。

 とはいえ、ほとんど面識のない相手にいきなり下の名前で呼ばれるのには少し抵抗があった。

「ははぁ、なるほど。烏丸くんが珍しく部屋でおとなしくしてると思ったら、つぐみさんを待ってたわけね~」

 看護師がイタズラっぽく茶化すと、ベッドの方からは不満げな声が上がった。

「ちょっと、勝手に決めつけないでよ。そんなんじゃないから」

 目隠し用のカーテンの隙間から、一人の少年がこちらを睨みつけている。
 不服そうな表情を露わにしていたのは声の主――烏丸翔だった。

 なるほど、下の名前で呼ぶのは彼の影響かと、雛沢は合点がいった。

「も~、そんな照れなくたって……あっ、そうか。今はつぐみさんより羽丘さんに夢中だもんねぇ」
「だから勝手なこと言わないでってば」

 羽丘さん。
 聞き慣れない名前だが、女の子のものだろうか。

 看護師は「冗談だってば~」などと笑って誤魔化しながら、医者とともに部屋を去っていった。

 一人残された雛沢は、わずかに開かれたままのカーテンの方へと歩み寄る。

「久しぶり、翔くん。なんだか賑やかで楽しそうね」
「これが楽しそうに見える? 見ててわかると思うけど、あの看護師、相当ウザいよ」

 雛沢は否定も肯定もせず、うふふ、とやんわりと微笑んでみせた。

「足の具合はどう? 少しは良くなった?」
「うん。問題ないよ。順調に回復してる」
「嘘ばっかり。さっき廊下でお母さんから聞いたけど、翔くんがお医者さんの言うことを全然聞かないから、ケガの治りも遅れてるって話だったわよ」

 雛沢が笑うと、烏丸はバツが悪そうに顔をそっぽへ向けた。

「鳴子さんか……あの人も余計なことを」

 心底面倒くさそうに呟く彼を見て、雛沢は苦笑しながらベッド脇の椅子に腰を下ろした。
 彼の反応を見る限り、やはり新しい『母親』を受け入れるにはまだ抵抗があるらしい。

 烏丸はしばらく逡巡するように黙っていたが、窓の外から鳥の声が聞こえると、思い出したように顔を上げた。

「そういえばさ、最近ツバメが巣を作ってるんだ。ほら、あそこの角を曲がった所」

 言いながら、窓の外に見える外壁を指差す。

 ちょうど示された曲がり角の向こうに、一羽のツバメが巣材を運んでいく姿があった。

「ここ数日ずっと飛び回ってるんだ。そろそろ巣も完成して、卵を産む頃なんじゃないかな」

 こうして鳥の話をしているときの烏丸は、相変わらず表情は乏しいものの、平時に比べればいくらか声に抑揚が出る。
 長年の付き合いでようやく雛沢にも見分けがつくようになった、わずかな機微だった。

「翔くんは、本当に鳥が好きなのね」

 雛沢が指摘すると、烏丸はほんの少しだけ考えてから、そうかな、とまるで他人事のように言った。

「それほど好きってわけでもないけど……。ただ、変な因縁みたいなものはあるよね。ほら、五年前のあのときだって」

 その言葉に、雛沢は当時のことを思い出す。

 
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