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第1章

君の屍が変わる

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          ◯


 果たして、その予感は的中した。

 帰りに寄ったカフェの、窓際の席。
 無機質な壁と向かい合うようにして、あの女の子が座っていた。

(まさか、本当にいるとはね)

 まあ、二度あることは三度あるっていうし。
 それに同じ大学に通っている者同士、寄り道する場所は限られているから、こうやってばったり会うのもそう珍しいことではないのかもしれない。

 彼女は一人でテーブルに着き、熱心にスマホを弄っていた。

 僕は後ろからそっと近づき、彼女の綺麗な黒髪越しに見えるスマホの画面を覗く。

 案の定というべきか。
 画面にはネットの検索サイトが表示されており、検索窓には『自殺 方法 種類』と、見るからに自殺志願者らしいワードが並んでいた。

 画面に新たな自殺方法が表示される度に、僕の視界では彼女の身体の様子が変わっていく。
 血まみれになったり、青白くなったり、黒くなったり、透明人間になったり。

 それはつまり、彼女がまだ自殺方法に迷っているということだ。

「自殺の方法って、そんな簡単に決めていいものなの?」

 僕が声を掛けると、彼女は小動物のようにびくん! と身体を跳ねさせて、素早い動きでこちらを振り返った。

「あっ、あなた」

 よほど驚いたのか、彼女は小さな口元をパクパクとさせていた。
 まだ自殺方法は決めかねているらしく、今は五体満足で健康的な身体が僕の目に映っている。

「今日はよく会うね」

「あ、あなた……どうしてここにいるんですか。まさか私を尾行して……?」

「ううん。たまたまここに入ったら、君を見かけたから」

「ほ、本当ですか?」

 彼女は疑わしげな目を向けてくる。

 無理もない。
 もしも僕が逆の立場なら、きっと同じような顔をしていたと思う。

「これが欲しいんですか?」

 彼女は警戒心を剥き出しにしたまま、例のキーホルダーを手に取った。
 シドニーのオペラハウスが描かれた、いかにも土産物っぽいキーホルダーだ。

「これが欲しいのなら、あげます。私にはもう必要ありませんから」

「いらないよ」

「え?」

 僕が拒否すると、彼女は面食らったような顔をした。

「僕はいらない。これを大事にしていたのは、僕の母さんなんだ。母さんは、もういなくなったから。今年の夏に、病気で」

「あ……」

 彼女は一瞬だけ真顔になったかと思うと、

「……すみません」

 と、小さな声で言った。

「どうして謝るの?」

「だって、失礼なことを聞いてしまったから……」

「僕が勝手に言ったのに?」

「それは……」

 僕はただ思ったことを口にしただけだったけれど、彼女はどんどん居心地が悪そうに肩を竦ませていった。

 たぶん、僕の発言が悪いのだろう。
 それはわかっているのだけれど、どこがどう悪いのか、具体的には把握していない。
 これだから僕は友達ができないのだと思う。

「私も、父親を亡くしたんです。今年の夏に」

 やがて、俯きがちだった彼女は絞り出すようにして、そんなことを言った。

「君も?」

 妙な偶然に、僕はある種の興味を持った。

 もしかすると、こうして似たような境遇にあったから、僕の『予感』は働いたのかもしれない。
 類は友を呼ぶ、とは少し違うかもしれないけれど。

「お父さんのこと、好きだったの?」

「え? ええ、はい」

 その返答で、僕はまた新たな予感を察知した。

「まさか、それで自殺しようと思った、なんて言わないよね?」

 そう聞いた瞬間、彼女のぱっちりとした美しい瞳は、何か強い衝撃を受けたように硬直した。
 そうしてみるみるうちに歪な形を作り、黒目がちな表面は涙の膜に覆われていく。

「もしかして、図星?」

 僕はさらに追い打ちをかける。

 すると、

「あっ……あなたには関係ないでしょう!」

 突然声を張り上げて、彼女は立ち上がった。
 たぶん、彼女の中で触れられてほしくないモノに、僕は触れてしまったのだろう。

 彼女はキーホルダーの付いた鞄をその場に放置したまま、いきなり駆け出したかと思うと、その足で店を出ていった。

 しん、と水を打ったように店内は静寂に包まれる。

 辺りを見渡さなくても、周囲の視線が僕に集まっていることは明白だった。
 さすがにこの状況でこれ以上店に留まることはできない。

 早くこの場を去ろう、と一歩踏み出したとき、その場に放置されたままの彼女の鞄のことが気にかかった。

(鞄、どうしよう)

 今からでも、彼女を追いかけることはできる。
 これを持って、彼女に会いに行くことが。

(でも)

 会いに行ったところで、一体僕に何が出来るというのだろう。
 また、今みたいに彼女を傷つけてしまうかもしれない。
 何の意味もなく、ただ邪魔をしてしまうだけかもしれない。

 ――関わりを持つのなら、最後まで。

 脳裏で、生前の母の言葉が蘇った。

 ――それが出来ないのなら、最初から関わるべきじゃないわ。

 わかってるよ。

 中途半端に、関わってはいけない。

 僕は、彼女にとっては何の意味もない存在なのかもしれない。
 だから、最初から関わるべきではなかった。

 でも。

 こうして一度関わりを持ってしまった以上、最後まで責任を持つべきだ。

(……行こう!)

 僕は彼女の鞄を手に取り、駆け出した。
 
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