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第3章

思い出の女の子

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 昼休みになり、俺はひとりオニギリを持って屋上へと向かった。

 誰もいない階段室の端を陣取り、寂しい昼食を取りながら、片手間にスマホでネットを漁る。
 検索ワードは『白雪姫症候群スノーホワイト・シンドローム』。

(女性特有の病気じゃなかったのかよ……)

 誰に言うでもなく、心の内でひとりごちた。

 ネット上に転がっていた不確かな情報。
 そこには『女性特有の病である』とはっきり記されている。

 勝手なものだ。
 一体どこの誰が書き込んだのか。

 ……いや、そんな信憑性のない情報を鵜呑みにした俺の方がどうかしていたのだ。
 そもそも病の存在自体が都市伝説的なものなのに。

「雲水が白雪姫、か……」

 雨の降り続ける暗い空を見上げ、溜息を吐いた。

 思えば、雲水は普段から午後の授業を欠席することが多かった。
 もともと生活態度が悪く遅刻も多かったため、あまり気にしたことはなかったけれど。
 しかし今になって考えてみれば、あれは病のせいもあったのかもしれない。
 異性とキスをしなければ、彼は熱を出してしまうから。

 なら、日和は。

 雲水とキスをしていたのは、彼の体調を回復させるために仕方がなかったのかもしれない。
 たとえお互いに恋愛感情はなくても、二人はキスをする必要があったのだろう。

 さながら、俺と月花との関係のように。

 



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 授業を終えて帰宅すると、真っ先に親の寝室へと向かい、棚を漁った。
 目当ての物を見つけて、それをすぐに床へ広げる。

 十年くらい前からあるアルバムだ。
 そこには俺がまだ幼稚園や小学校に通っていた頃の写真が収められている。

 運動会やら遠足やら、懐かしい風景がそこに並んでいた。

 日和の姿が登場するのは、やはり小学二年生以降だった。

 そこからさらに過去へと遡り、何か気になるものはないかと探す。

 日和の言っていたことが事実なら、俺は日和と出会う前に仲良くしていた女の子がいたはずだ。

 パラパラとページをめくっていると、ふと目に留まったものがあった。

「これは……」

 神社の写真だった。
 赤い鳥居を背景に、二人の子どもがポーズを取っている。

 少年と、少女。
 共に幼稚園児くらいで、片方は俺であることがわかる。

 形の悪いピースサインを作っている俺の肩を、少女は両手で抱き寄せていた。
 背は彼女の方が高い。
 元気いっぱいに満面の笑みを浮かべた口元からは、小さな八重歯が覗いている。

(この子は……)

 誰だか思い出せなかった。
 けれど、どこか見覚えがあるような気もする。

 だぼっとしたオーバーオールに、長いポニーテール。
 子どもらしいくりくりの目は、ほんのりと猫っぽく吊り上がっていて――。

「……まさか」

 その目の形に、心当たりがあった。
 ついでに言えば八重歯も。

「うそだろ。なんで」

 思い当たる人物は一人だけいる。

 けれど、そんなはずはない。

 彼女と出会ったのはつい最近のことだ。
 幼い頃に一緒にいた記憶なんて、思い出のどこを探しても見つからない。

 けれど確かに、写真は残っている。
 それは、その時間が確かに存在した証だ。

 どこかでたまたま会ったのか?
 けれどそれにしては、あまりにも遠慮のない間柄のようにも見える。

 改めて、写真の中の幼い少女を凝視した。

 ほんのりと吊り上がった猫目に、口元から覗く八重歯。
 やはり面影がある。

「星蘭さん……?」

 そこにある女の子の顔は、幼い頃の星蘭さんにしか見えなかった。





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 翌朝。

 起床してすぐにスマホを確認すると、またしても月花からメッセージが届いていた。
 今日も体調が優れないので休むという旨だった。

「月花……もしかして」

 仮病じゃないか、と思った。
 俺と顔を合わせるのが気まずいから、わざと休んでいるのではないかと。

 考えすぎかもしれないが、しかし、普段から変なところで気を遣う彼女のことである。
 絶対にない、とは言い切れない。

 迷った末、俺は電話をかけることにした。

 数回のコール音の後、『……はい』と、躊躇いがちな小さな声が電話口から聞こえた。

「あ、月花? ごめんな、こんな朝っぱらから。……まだ体調は戻らないのか?」

 俺が聞くと、彼女は少しの間を置いてから、

『……は、はい……』

 と、自信のない声で言った。

 明らかに嘘くさい。

「あのさ、月花。お前が遠慮することなんて何もないからな。だからその……元気になったら、ちゃんと学校に来いよ」

 俺は簡単にそれだけを伝えた。

 少し言葉足らずだったかもしれない。
 けれど、具体的なことを掘り返して気まずい空気を作るよりかはいくらかマシだろう。

『……ありがとうございます、旭さん。明日は、きっと行きますから』

「うん。でも無理はするなよ」

 そう言って、俺は電話を切った。

 月花の声が聞こえなくなった途端、窓の外で降り続いている雨の音が、やけに耳についた。

 今日も昼飯はオニギリだけだな――と憂鬱になりながら、身支度を終えた俺はコンビニへと向かった。





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 昼休みになると、早々に昼食を終えた俺は上級生の棟に向かった。
 二年生の教室が並ぶ棟だ。

 星蘭さんに会いたかった。
 彼女に会って、写真のことを尋ねたかった。
 写真を見て、何か思い出せることはないか、と。

(でも多分……こんなことをしても意味はないんだろうな)

 先日、裏山で会ったとき、星蘭さんは俺の顔を見ても何の反応も示さなかった。
 それはつまり、彼女も俺のことなど何も覚えていなかったということだろう。

 それに、たとえ覚えていたところで、「懐かしいね」で終わる話だ。

(俺、何がしたいんだろう……)

 自分自身に、問いかける。

 こんなことをしたところで、過去は何も変わらない。
 日和にフラれた事実だって変わらない。

 けれど、それでも俺は知りたかった。
 消えてしまった過去――忘れてしまった記憶の中に、一体どんな思い出があったのかを。

 そうして廊下を歩いていると、さすがに下級生だとバレているのか、周囲からは多くの視線を感じた。

 そのうち一人の女子生徒とがっつり目が合った。
 露骨に視線を逸らすのも気が引けたので、

「すみません。星蘭さんって人を知りませんか?」

 ちょうどいいと思い、俺はそう尋ねた。

「星蘭? ああ、うちのクラスよ。多分そろそろ戻ってくる頃だけど……あなた、あの子の知り合い?」

「ええ、まあ。そんなところです」
「ふうん、そう。またファンが増えたのかしら。この間の演説から、下級生がよく訪ねてくるようになったのよね」
「そうなんですか?」

 さすがは星蘭さん、というべきか。

 生徒会選挙で壇上に立ったときの彼女の姿は、いかにも高嶺の花という感じだった。
 凛とした姿勢に、美しい顔立ち。
 あのときにハートを射抜かれた男子生徒はどうやら少なくないらしい。

「でも、気を付けた方がいいわよ」
「え?」

 女子生徒は俺の方へ顔を近づけると、声を顰めて言った。

「あの子、時々性格が豹変するのよ。なんか子どもっぽくなるっていうか……いきなり犬みたいに騒いで、辺りを走り回ったりとかね。周りは結構迷惑してるのよ。ちょっと扱いが難しいから……それで選挙も落ちたのよ」
「はあ……」

 ひどい言われようだったが、実際そうなのだから質が悪い。
 俺は苦笑することしかできなかった。

 と、そこへ俺の背後から、

「くんくん、くんくん」

 と、わざとらしく犬の真似をする少女の声が届いた。

「におうよ、におうよー。迷える仔羊のにおいが!」

 聞き覚えのある声だった。
 子どもみたいに無邪気な、明るい声。

 驚いて振り返ると、そこにはポニーテールの長身美人……ではなく、長い髪を両サイドで三つ編みにした巨乳の眼鏡っ子が立っていた。
 顔半分を覆い尽くすほどの大きなレンズの奥には、悪戯っぽい猫目が覗いている。

「星蘭、さん?」

 予想外の風貌に一瞬戸惑ったが、その顔は確かに彼女のものだった。

「いらっしゃーい仔羊ちゃん。あたしを訪ねてここまで来るってことは、オカルト的な相談だね? オカ研部長の名にかけて、この名探偵が何でも力になってあげよう。くんくん!」

 相変わらずのテンションだった。
 大方聞こえていたであろうクラスメイトからの陰口を物ともせず、いっそネタにしてしまう彼女の度胸には舌を巻く。

 陰口を叩いた張本人は気まずくなったのか、そそくさと退散した。

「ささ、ここじゃあ目立つし、そっちの階段の方にでもどうぞどうぞ」
「あ、ありがとうございます。……でも、なんで今日はそんな格好なんですか? 前は眼鏡なんてかけてませんでしたよね?」

 階段の踊り場の方へと誘導されながら、俺は尋ねた。

「んっふっふっふ。よっくぞ聞いてくれましたあ! 今日のラッキーポイントは眼鏡なんだよん。眼鏡といえば、やっぱり三つ編みっしょ!」
「な、なるほど……?」

 にゃはははっと軽快に笑う声は確かに星蘭さんのものだった。

 見た目が少し変わっても、中身はやはりそのままの彼女だ。
 ……といっても、今の彼女は本来の彼女ではないのだろうけれど。

「で、どったの? 何か悩み事?」
「実は……」

 踊り場までやってくると、俺はポケットから例の写真を取り出し、簡単な説明を添えて彼女の反応を窺った。

「……ふうーむ。ここに写ってるのは確かにあたしだよねえ」
「ですよね」

 やはり彼女であることは間違いなさそうだが、その反応を見る限り、彼女も当時のことを覚えてはいないようだった。

「うん。絶対そうだよ。この場所がいかにもそうだもん」
「場所?」

 俺は写真の背景を凝視する。

 赤い鳥居があるところを見ると、そこは神社なのだろう。

「うん。だってあたし、ここに住んでるんだもん」
「へえ、そうなんですか。ここに住んで……――って、え! 住んでる!?」

 軽く流しかけた俺は慌てて聞き返した。

「にゃは、驚いた? あたし巫女さんなんだよん」
「み、みこさん……」

 思わず、巫女姿の星蘭さんを想像した。

 緋色の袴はかまに、手にはホウキ。
 豊満な胸を覆った白衣は丸い弧を描いて……――っと、いかんいかん。

 邪な想像を掻き消すため頭を振った俺の手を、星蘭さんはきゅっと握りしめた。

「よかったら一度うちにおいでよ。なんなら今日の放課後にでも。実際にこの場所に行ってみれば、何か思い出せるかもしれないよ。ちょうど今日は弟もいるはずだから、もしあたしの意識が不安定でもきっとフォローしてくれるし」

「え、いやそんな。いきなりお邪魔してもいいんですか?」

「まあ神社だしね。ってことで決まり! 放課後は現地集合だよっ。星水ほしみ神社っていう所だからね。それじゃ、あたしはそろそろ眠るから、またねん」

「え。眠るって、星蘭さん?」

 彼女は俺の手を握っていた両手の力を緩めると、

「待ってるからね、旭ちゃん」

 そう言い残して、ふっと目を閉じた。

 途端、ふらりと全身を傾かせる。

「! 星蘭さんっ……!」

 俺は慌ててその身体を抱きとめた。

 その拍子に、彼女のやわらかくて大きな胸が、俺の胸板に密着した。
 これは……不可抗力だから仕方がないだろう。

 直後、一度閉じられた彼女の瞳が、ゆるゆると再び開かれていった。
 そうして現れたアーモンド型の目が、至近距離からこちらを見上げた。

 何も知らない無垢な瞳は、まっすぐに俺の顔を見つめてくる。

「星蘭さん……」

 どうやらまた中身が入れ替わったらしい。

 大丈夫ですか、と声をかけようとしたその瞬間。

「……っき……」

 彼女のアーモンド型の目が、突如クルミぐらいまで大きく見開かれたかと思うと、

「きゃあああああ――――っ!!」

 校舎中に聞こえるような大声で彼女は叫び、強烈なビンタを俺に浴びせた。

 誤解です、という俺の声は間に合わなかった。

 



       ◯





 未だじんじんと痛む頬を摩りながら、俺は路面電車に揺られていた。

 放課後。
 星蘭さんとの約束通り、俺は例の神社へと向かっていた。

(俺は一体、何を期待しているんだろう……?)

 自問自答しながらも、俺はその場所を目指す。

 最寄り駅で降車すると、外では小雨が降っていた。

 傘を片手に、そこから十分ほど歩く。

 すると、道の先に赤い鳥居が見えてきた。
 あれこそが写真にあった場所だろう。

 しかしここまで来てもまだ、昔の記憶は蘇らなかった。

(俺、本当にこの場所へ来たことがあるんだろうか……)

 そんなことを考えながら、やっと境内へと足を踏み入れた、そのとき。

「出てけ――――っ!!」

「ッ!?」

 いきなり怒号が飛んできた。

 声は正面に見える拝殿の奥から聞こえた。

 思わずその場で固まっていると、拝殿の扉がバンッ! と唐突に開かれた。

「! 星蘭さん!?」

 奥から現れたのは、巫女装束に着替えた星蘭さんだった。

「にゃはははっ! ここまでおいでーっ」

 彼女はポニーテールと緋色の袴を揺らしながら、軽い足取りでこちらへと駆け寄ってくる。
 昼間の眼鏡はすでに外したようだった。

 そんな彼女の後ろから、もう一人。
 見覚えのある制服を着た男子生徒が全速力で追いかけてくる。

 明るい髪に、耳にはピアス。
 中性的で整ったその顔は、俺の知るクラスメイトで間違いない。

「なっ……雲水!?」

 まぎれもなく、雲水だった。
 普段は余裕の笑みを浮かべているその顔は、今は鬼の形相になっている。

 なんであいつがここに、と俺が思うよりも早く、

「にゃはっ。旭ちゃん、いいところに!」

 星蘭さんは嬉しそうに笑うと、すかさず俺の背後へと回った。

「え? え?」

 状況を理解できない俺は、気付けば星蘭さんの盾となっていた。

 その間にも雲水はこちらへと迫り、怒りで我を忘れた様子で、

「ええい悪霊退散、悪霊退散! 姉さんの身体から出てけっつってんだろ、このクソガキ――――!!」
「ね、姉さん? ガキって……!?」

 謎の言葉を吐きながら、彼は手にした竹ボウキを全力でこちらに投げつけた。

 もう、わけがわからない。

 前方から飛んできた竹ボウキは、混乱した俺の頭へ見事にクリティカルヒットをかます。

 そうして、けらけらと笑う星蘭さんの声を遠くに聞きながら。

 目の前の景色は真っ白になり、俺の意識は闇へと沈んだ。
 
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