上 下
36 / 51
第三章

失われていくもの

しおりを挟む
 
 現時点でわかっている全てのことを、栗丘は正直に打ち明けた。

 絢永の追っているあやかしが大晦日の夜に現れること。
 そのあやかしの憑代が栗丘の父親であること。
 十年前に絢永の家族を殺したのも、父親である栗丘瑛太であること。

 話し終えるまでの間、絢永は栗丘の顔から片時も視線を外さなかった。

「そんな大事なこと、どうして話してくれなかったんですか」

 言い訳する余地はなかった。
 絢永の疑問は最もである。

「知ってて今まで黙っていたんですか?」

 失望するようなその声に、栗丘は顔を上げることすらできない。
 本来なら誰よりも先に、絢永にこのことを伝えるべきだったのに。

「あなたさっき、人間とあやかしが一緒に生きることはできないのかと言ってましたよね。あれはつまり……あなたの父親の罪を、僕に見逃してほしいと、そういう意味で言ったんですか?」

 聞かれて、背筋が凍りつく。

 許してほしいと思ったわけじゃない。
 けれど、被害者である絢永からすればそう取られてもおかしくはない失言を、栗丘は口にしてしまったのだ。

「ち、違う! お前が俺の父親のことを許せないのはわかってる! ただ俺はっ……」

 慌てて顔を上げた栗丘は、そこに見えた光景に思わず言葉を失った。

「僕の悲しみが少しでも晴れるのなら復讐するべきだと、そう言っていましたよね。あれも嘘だったんですか?」

 氷のように冷たい声で言った絢永の手には、黒光りする拳銃が握られていた。
 対あやかし用ではない、警察官の大半が所持しているものだ。
 その銃口はまっすぐに栗丘を狙っている。

「あなたなら信用できると思ったのに……。残念です」

 わずかに声を震わせながら、絢永はその美しい瞳から一筋の涙を流す。

 そのとき初めて、栗丘は気づいた。
 絢永の体から、つい先ほど倒したはずの、蛇のあやかしの気配が漂っていることに。

「絢永、お前……あやかしに憑かれていたのか!?」

「さようなら、栗丘センパイ」

 栗丘が避ける暇もなく、絢永は引き金を引いた。
 実弾を発射する火薬の轟音が、建物全体に響き渡る。

 撃たれた、と思った。

 しかし衝撃はない。

 代わりに弾丸を受け止めたのは、寸でのところで部屋の入口から飛び込んできた、大きな影だった。
 それは撃たれた反動で、栗丘の小さな体へ覆い被さるようにして倒れてくる。

「うわ、わっ」

 目の前の巨体を受け止めきれず、栗丘も後ろ向きに倒れる。
 頭と背中をしたたかに打ち付け、その鈍い痛みに耐えながら、改めて状況を確認する。

 栗丘の胸に顔を埋めるようにして倒れていたのは、和装の男性だった。
 その顔には見慣れた狐の面が付いている。

「……御影、さん?」

 どうやら背中を撃たれたらしい。
 着物の背面にはじわじわと赤い色が広がり、だらりと投げ出された四肢はぴくりとも動かない。

「そんな……、どうして。なんであなたが、俺を庇って」

 混乱する栗丘の正面で、絢永もまた、銃を構えたまま驚愕の表情を浮かべている。

「御影さん……? どうして……」

 再び生まれたその隙を、栗丘は見逃さなかった。
 絢永が御影に気を取られている内に、栗丘は懐から取り出した未使用の銃を構える。
 半ば放心したままの絢永の背後には、舌舐めずりをする蛇の本体が顔を覗かせていた。

 ドン! と重い音を上げ、銃口からトドメの一発を放つ。
 弾は寸分の狂いもなく、蛇の頭を撃ち抜いて粉砕した。

 途端に気を失った絢永が膝から崩れ、その場に俯せに倒れる。

「やったか!?」

 すかさず立ち上がった栗丘は彼の元へ駆け寄り、今度こそ蛇の気配がなくなったかどうかを確かめる。

「……大丈夫。そのあやかしは……もう死んでいるよ」

 か細い声で、御影が言った。
 それを耳にした栗丘は弾かれたように彼の元へ戻り、そっと肩を抱きかかえる。

「御影さん! 無事だったんですか!?」

 まだ息はある。
 しかし出血の量からすると、けして安心できる状況ではない。

「今のあやかしは、おそらく双頭の蛇……。急所となる頭の部分が二つあったから、絢永くんは仕留め損ねたんだね……」

「もう喋らないでください。今すぐ誰か呼んで来ますから」

 そう言って駆け出そうとする栗丘の腕を、御影は力なく掴む。

「栗丘くん」

 狐の面の奥から、確かな視線が栗丘を引き留める。

「悪かったね……予定が狂ったんだ」

「なに言ってるんですか。ていうか、どうして俺なんかを庇ったりしたんですか。あなたは、目的のためならどんな手段だって使う人なのに」

「君は……私の大事な、相棒の息子だからね。ここで死なせるわけにはいかないよ」

「相棒の、息子?」

 予想外の言葉に、栗丘は胸の早鐘を聞く。

「それって、つまり……俺の父親と、御影さんが相棒だったってことですか?」

 問いかけに答えようとした御影の口から、咳とともに鮮血が溢れる。
 面の外にまで流れ出たその赤を目にして、栗丘は息を呑んだ。

「……これでも、けっこう良いコンビだったんだよ。君は、ちゃんとあの人の面影があるね」

 こちらに伸ばされた御影の右手が、震えながら栗丘の頬に触れる。
 ぬるりとしたその感触で、栗丘は自分の頬が血に塗れていることを知った。

「懐かしいなぁ……。……栗丘……先輩……」

 そこでふつりと糸が切れたように、御影の腕が力なく床に落ちた。

「御影さん? 御影さん!!」

 何度呼びかけても、反応はない。

 そのうち廊下の方が騒がしくなり、複数の足音がこちらへ向かってくる。

「銃声が聞こえたぞ!」

「こっちの方だ。小会議室に誰かいるぞ!」

 他の警察官たちが集まってくる。

 部屋には絢永を含め、あやかしに襲われて気を失った男性が三人。
 そして銃弾に倒れた御影と、血塗れの自分。

「うあ……あ……」

 血が止まらない。

 この状況を、誰に何と言って説明すればいいのかもわからない。

 栗丘の周りには今、頼れる人間は誰一人としていなかった。
 
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

あばらやカフェの魔法使い

紫音@キャラ文芸大賞参加中!
キャラ文芸
ある雨の日、幼馴染とケンカをした女子高生・絵馬(えま)は、ひとり泣いていたところを美しい青年に助けられる。暗い森の奥でボロボロのカフェを営んでいるという彼の正体は、実は魔法使いだった。彼の魔法と優しさに助けられ、少しずつ元気を取り戻していく絵馬。しかし、魔法の力を使うには代償が必要で……?ほんのり切ない現代ファンタジー。

僕《わたし》は誰でしょう

紫音@キャラ文芸大賞参加中!
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。 「自分はもともと男ではなかったか?」  事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。  見知らぬ思い出をめぐる青春SF。 ※表紙イラスト=ミカスケ様

神楽囃子の夜

紫音@キャラ文芸大賞参加中!
ライト文芸
※第6回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  地元の夏祭りを訪れていた少年・狭野笙悟(さのしょうご)は、そこで見かけた幽霊の少女に一目惚れしてしまう。彼女が現れるのは年に一度、祭りの夜だけであり、その姿を見ることができるのは狭野ただ一人だけだった。  年を重ねるごとに想いを募らせていく狭野は、やがて彼女に秘められた意外な真実にたどり着く……。  四人の男女の半生を描く、時を越えた現代ファンタジー。  

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

日本語しか話せないけどオーストラリアへ留学します!

紫音@キャラ文芸大賞参加中!
ライト文芸
「留学とか一度はしてみたいよねー」なんて冗談で言ったのが運の尽き。あれよあれよと言う間に本当に留学することになってしまった女子大生・美咲(みさき)は、英語が大の苦手。不本意のままオーストラリアへ行くことになってしまった彼女は、言葉の通じないイケメン外国人に絡まれて……? 恋も言語も勉強あるのみ!異文化交流ラブコメディ。

大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~

菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。 だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。 蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。 実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。

雇われ側妃は邪魔者のいなくなった後宮で高らかに笑う

ちゃっぷ
キャラ文芸
多少嫁ぎ遅れてはいるものの、宰相をしている父親のもとで平和に暮らしていた女性。 煌(ファン)国の皇帝は大変な女好きで、政治は宰相と皇弟に丸投げして後宮に入り浸り、お気に入りの側妃/上級妃たちに囲まれて過ごしていたが……彼女には関係ないこと。 そう思っていたのに父親から「皇帝に上級妃を排除したいと相談された。お前に後宮に入って邪魔者を排除してもらいたい」と頼まれる。 彼女は『上級妃を排除した後の後宮を自分にくれること』を条件に、雇われ側妃として後宮に入る。 そして、皇帝から自分を楽しませる女/遊姫(ヨウチェン)という名を与えられる。 しかし突然上級妃として後宮に入る遊姫のことを上級妃たちが良く思うはずもなく、彼女に幼稚な嫌がらせをしてきた。 自分を害する人間が大嫌いで、やられたらやり返す主義の遊姫は……必ず邪魔者を惨めに、後宮から追放することを決意する。

処理中です...