僕《わたし》は誰でしょう

紫音

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第三章

奇跡

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 奇跡が起きたと思った。
 比良坂すずの中に、別の人間の記憶がある。
 もしやと思った。だって、あれだけ少女然としていた比良坂すずが、自分のことを『僕』だなんて呼ぶのだ。

 彼女が大部屋へ移ったのを見計らって、俺は彼女に会いにいった。看護師や見舞客が他にいないのを確認して、ベッドを囲むカーテンの隙間からそっと中の様子を窺う。
 どんな言葉をかけるべきかも考えず、ただ逸る気持ちのままそうしていた。だから、中にいる彼女と目が合ったときは心底焦った。彼女は少しだけ驚いたように目を丸くして、けれど悲鳴を上げたりはせず、じっとこちらの顔を見つめ返していた。

「……俺のこと、わかる?」

 気づけば、俺はそんな言葉を口にしていた。声が震えて、不自然ではなかっただろうかと不安になる。

「その、ごめんなさい。今は、事故のせいで記憶が」

 比良坂すずはそう言って、申し訳なさそうに黙り込んだ。どうやらまだ彼女自身も混乱しているらしい。
 そりゃそうだ、と思う。彼女は昏睡状態から覚醒したばかりで、自分の置かれている状況を受け止めるのにも戸惑っているだろう。年上の男がいきなり病室を訪ねてきて、怖がらせてしまったかもしれない。
 けれど、もう少しだけ、彼女と話がしたかった。警戒されるかもしれないと思いつつも、俺は彼女の方へ足を踏み出すのを止めることができなかった。静かにカーテンを開け、ベッドの方へ歩み寄る。

「記憶喪失になったって聞いたけど、本当だったんだな」

 白々しくそんなことを言いながら、俺は彼女の前に立った。

「あの。あなたは、僕とどういう関係なんでしょうか」

 彼女に聞かれて、俺は迷った。素性を明かしていいものか。俺は比良坂すずの個人情報を秘密裏に探ってここへ来た。病院側にバレればどんな処分を受けるかわからない。

「俺は……キミの通う学校の教師だよ」

 咄嗟に、そんな嘘を吐いた。クラスの担任ならばこうして見舞いに来てもおかしくはない。
 しかし、実際に本物の担任がここへ現れたときには彼女が混乱してしまう。なんとか辻褄を合わせなければと焦った俺は、

「……今は担任じゃないけど、前に受け持ったことがあったから」

 などと、回りくどい言い方でカモフラージュした。
 怪しまれただろうか——と危惧する俺には構わず、彼女は至極真面目な顔で、俺の言葉を受け止めていた。

「教師……。そっか。それでがあったんだ」

「え……」

 見覚え。
 俺の顔に、彼女は見覚えがあるという。
 比良坂すずとは面識のない俺を、いま目の前にいる『彼女』は知っている。

「何か、思い出したのか?」

「あ、いや。なんとなく見覚えがある気がしただけで。具体的なことは何も思い出せないんですけど」

 どうやらまだはっきりとは思い出せていないらしい。
 けれど俺は、これで確信した。
 この比良坂すずの体には今、愛崎美波の魂が宿っているのだと。

「比良坂さーん。ちょっと失礼しますねー」

 と、今度は別の声がカーテンの外から届いた。サバサバとした女性の声。こちらの返事を待たずに、女性は問答無用でカーテンを開けた。

「あら! ごめんなさい。取り込み中だった?」

 現れた看護師の女性は、しまった、という仕草で口元に手を当てた。

「ああ、いえ。大丈夫です。もう帰るところでしたので」

 あまり顔を見られるのはまずい。俺は精一杯の愛想笑いを浮かべながら、そそくさとベッドを離れる。

「待って。あの。……先生の、名前は?」

 比良坂すずに呼び止められて、俺は思案した。ここでは偽名を使うべきかもしれない。
 でも。
 俺の名前を聞けば、彼女は何かを思い出してくれるんじゃないか——そう思うと、とても偽名なんて使う気にはなれなかった。

「井澤だよ。井澤凪」

「井澤……先生」

 先生、と彼女に呼ばれるのはこれで二度目だったか。一度目に呼ばれたのは、もう十年以上も前のことだ。将来は医者になるかもしれないと言っていた俺のことを、美波は茶目っ気を含んだ笑顔で『井澤先生』と呼んだのだ。
 彼女が俺の前だけで見せていた、イタズラっぽい笑みを思い出す。
 懐かしさで胸が溢れて、視界がぼやけそうになって。
 俺は逃げるようにして、その場から離れた。
 
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