僕《わたし》は誰でしょう

紫音

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第二章

氷張川

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          ◯


 再び公園まで戻って車に乗り込むと、ぼくらは目的の場所へと向かった。
 井澤さんの言っていた通り、車で五分とかからなかった。最初にこの町へ来た時の山道とは逆の方向にある、麓へ下りるためのS字状の坂。そこを下りてしばらく進むと、やがて川が見えてくる。

「見えたぞ。氷張川ひばりがわだ」

 井澤さんが言った。
 この土地と同じ名前を持つ、穏やかな川。あの写真の背景に見えていた山は、先ほどの町を支えている山だったのだ。
 川の脇には竹林があり、その陰に車を停める。ドアを開けて外に出ると、サラサラと風に揺れる葉の音が耳をくすぐった。
 竹林の途中には川へ続く細い道があり、竹のトンネルのようになっているそこを抜けると、目が覚めるようなアブラゼミの声とともに、川の景色が視界いっぱいに広がった。

「おおー! 絶景じゃん!」

 沙耶が言って、桃ちゃんも同じように「うおおお」とテンションを上げる。
 雑草が生え放題の河川敷に挟まれた川。そこにコンクリート製の細い橋が渡されている。橋の幅は軽自動車がギリギリ通れるかどうかといったところで、手すりなどは見当たらない。高さもなく、川が少しでも増水すればたちまち沈んでしまいそうに見えた。

「この橋は『しずばし』って呼ばれててな。雨が降って水位が高くなると、すぐに川の中へ沈んでしまうんだ。『沈下橋ちんかばし』とか、『潜水橋せんすいばし』ともいうらしい」

 そんな井澤さんの説明に、桃ちゃんはビデオカメラを構えたまま不可解そうに眉を顰める。

「川の中に沈んじまったら、橋の意味がなくなるんじゃないのか?」

「この橋が作られたのは、かなり昔のことみたいだからな。当時は川の流れを妨げないようにとか、洪水で流木が流れてきても橋が壊れないようにとか、色々考えがあってこの形にしたんだろう。今じゃメインの橋は別にあるから、わざわざこっちを通る必要もないしな」

 言いながら、井澤さんは川の下流の方を指で示す。視線の先にはもっと高い場所に丈夫そうな橋があり、その上を自動車が行き交っていた。

「それじゃあこの場所は、子どもの遊び場にはもってこいだね」

 ぼくは橋の縁にしゃがんで、すぐ下に見える川面を眺める。水深はそれほどないようで、おそらくは底に足を着けても膝丈ぐらいしかなさそうだった。
 少しだけ、川に入ってみようかな、なんて思う。
 灼熱の太陽はどんどん高さを増し、今はほぼ頭の真上にある。一日で一番暑い時間帯。ここで足を川に浸せば、どれだけ気持ちが良いだろうか。

「すず。気をつけてね。あんまり下を覗き込んでたら落っこちちゃうよ?」

 後ろから沙耶の心配そうな声が届く。普段の比良坂すずなら、実際に落っこちてしまいそうになるのもわかる。と、何気なく聞き流そうとした彼女のセリフに、ふと既視感デジャヴのようなものを感じた。

 ——気をつけろよ。あんまり覗き込むと落っこちるぞ。

 誰かの声が、記憶のどこかで蘇った。まだ幼さの残る、男の子っぽい声だった。

「うっ……」

 途端にひどい頭痛がして、ぼくは片手で額を押さえる。

「すず。大丈夫か!?」

 すかさず背後から桃ちゃんが駆け寄って、こちらの両肩に手を置く。痛みはすぐに治まったので、「ごめん。大丈夫」と笑ってみせる。
 けれど、心臓は未だバクバクと早鐘を打っていた。

(今のは、一体……)

 一瞬だけ脳裏を過った男の子の声。あれは一体、誰のものだったのだろう?
 
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