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第五章
第一話
しおりを挟む仰ぐ主君の居城を奪われてまで何故戦い続けるのかと、不思議がる奴らがいるかもな。
そんなの、あたりめぇだろ。
主君だとか思ってねぇ……思えねぇからだよ。
神君・家康公の生まれ代わりだか知らねぇが、勝てる戦を始めようって時に味方の兵を置いてトンズラこく“二心殿豚一”を、俺と、新撰組の主君にして堪るか。
じゃあ何の為に戦うのか?
いちいち掲げてられねぇよ、理屈なんか。
気に入らねぇだけだ。
“官軍”だとか吹き回って天子様の影から欲のままに政治を操り、日本をそっくりいただいちまおうっつう薩長の汚ねぇ遣り方が。
ドス黒ぇ魂胆が丸見えなんだよ。
政権を還そうが恭順しようが徳川を根刮ぎ薙ぎ倒そうとする、怨恨塗れで戦好き・武力第一のお前らが創る“新しい世”なんざ、ちっとも良くなるとは思えねぇぜ。
江戸城は、一滴の血も流さないまま新政府に奪われた。
勝安房守が謀略の限りを尽くし、
「口では勤王だとか声高に唱えやがるが、私利私欲で日本をぶっ壊し、国である大衆を苦しませているだけじゃねぇか。イモの食い過ぎで頭沸いてんのか」
とか嚇し混じりの書状を送り付ける他、暗殺される危険も十分あるだろうに三月十三日、十四日と二度直談判し、
「徳川は戦をする気が無ぇんだから」
などとうまく言いくるめ、耳障りな鼓笛隊付きの軍を進めてきた西郷吉之助を口説き落として、江戸城が落ちた。
西郷は当初、江戸総攻撃中止の条件を
一,慶喜公は備前藩お預け
一,江戸城明け渡し
一,幕府軍の武器、軍艦の没収
一,関係者の厳重処罰
と掲げていたが、そこまでは英国公使パークスの
「万国公法に違反する」
との忠告もあり、勝が提示した次の条件で渋々に留まった。
一,慶喜公は隠居し、水戸で謹慎
……土方からすれば、ひたすら恭順姿勢を取るばかりでとっくに隠居してるみてぇなもんじゃねぇか、との評価が聞こえてきそうだが。
一,江戸城を明け渡し、田安家に預ける
一,軍艦・鉄砲は纏めておき、引き渡す時は徳川家にも相当の数を残す
一,家臣は城外で謹慎
そして、最後がこれだ。
一,慶喜公の“暴挙”を助けた者達は寛大に処置し、命に関わることがないようにする
勝安房テメェ……かっちゃんにすべて背負わせて殺す気かよ。
何も知らされていない土方は苦く吐き出した。
近藤勇……片腕を失った武士は、自らを嘆きはしなかった。
ただ敵にも味方にも、隊士達、そして土方にまで、剣を遣えなければもう終わりだと思われるのが辛かった。
百姓が、貧乏道場の跡取りが直参まで取り立てられたのに、片腕が動かない“だけ”で萎びて見えた。
どれだけ地位を重ねても、所詮は剣客でしかない自分が悲しかったのだ。
なのに怨恨を残らずひっ被って死んじまうのかよ。
それすら、本望だと。
二百五十年の歴史が、まるで飴細工が如くに脆い。
だが、江戸の民衆を巻き込まなかったのは正しいとも思う。
死ぬのは、武士だけでいい。
いや、真の武士から先に死んじまうんだ。
江戸があわや火の海にという逼迫の最中、天皇政府は誓文を公表した。
天皇陛下が……というかどうせ土佐とか長州が草案から編集までしたのだろうが。
一,広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ
一,上下心ヲ一ニシテ、盛ニ経倫ヲ行フベシ
一,官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ、人心ヲシテウマザラシメンコトヲ要ス
一,旧来ノ陋習ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クベシ
一,智識ヲ世界ニ求メ、大ニ皇基ヲ振起スベシ
我国未曾有ノ変革ヲ為ントシ、朕身ヲ以テ衆ニ先ンジ、天地神明ニ誓ヒ大ニコノ国是ヲ定メ、万民保全ノ道ヲ立ントス、衆亦此旨趣ニ基キ、協力努力セヨ
……よくわかんねぇ。
つまり平たく言やぁ、御輿の上のお飾り人形が、今度からは君主として政治を執るぜっつう宣言だろ。
突っ込み所満載だぜ。
悪ぃが、天皇陛下でさえ、俺の主君に据えたくはねぇ。
攘夷も勤王も、佐幕も知るか。
これが、俺の本性……ただの喧嘩屋だ。
宇都宮でのこの戦、必ず勝つ。
新撰組副長付き小姓市村鉄之助の初陣である。
長旅だったが、疲れたなどと言っていられないし、不思議とそうは感じなかった。
先輩小姓の田村はというと、伝習隊隊長の率いる後軍に配属されていた。新撰組に入隊を許されてから、初めて離れ離れになった。
小姓の仕事を一人でするのも初めてなので緊張はするし、粗相なくできるか心配だったが、土方率いる前軍との別れ際までずっと
「先生の隊に入りたい」
と残念がって、市村を羨ましがっていた彼を思うと、銀ちゃんの分もしっかりしなきゃと身が引き締まった。
土方はというと、近藤が薩長軍に行ってしまってから、ずっと元気がない。
以前の市村は、土方の側に居ると口も満足に利けない程に萎縮していた。今のように土方を慕えるようになったのは、つい先日、稽古の注意をされ、笑って声を掛けられてから。
なので近藤がいた頃の土方をよく知っているわけではないし、今でも土方をわかってるなんてとても言う気はないが、やはり、全然違う気がする。
近藤が馬上、隊を去る時は、いつまでもその後ろ姿を見詰めていた。
背中から
「代わりに行ければいいのに」
という気持ちが聞こえてきそうだった。
だから絶対に、負けられない。
何回勝てば、新撰組は悪くないって認められるのかな。
だから戦に勝って、早く局長に帰って来てほしい。
しかし宇都宮城に向かう旅路の最後の宿で、土方は告げた。
宇都宮の戦には出るなと。
「え……? どうしてですか?」
「わざわざ理由言わなきゃわかんねぇのかよ」
わかりませんよ。
どうして、急に僕を置いて行こうとするんですか?
「イ、イヤです! やっとここまで来たんです! 僕も皆さんと一緒に……副長と一緒に戦いたいんです!」
ムキになって首を振った。
「厭だと? 俺の命令に背くってのか」
怖い……。
睨まれた市村が黙ると、もっと冷たく視線を逸らして続けた。
「理由はな。真剣と銃・大砲のオトナの戦に、お前じゃ役に立たねぇからだ。小姓は黙って茶ぁ出してろ」
小姓って……何の為にいるんですか?
僕と銀ちゃんは、先生の一番近くにお仕えして、いざという時には盾にもなると心に決めているのに。
その問いは声に出せなくても、土方は答える。
「小姓ってのはな、“見習い隊士”の役回りなんだよ。半人前に出て来られても迷惑だ。足を引っ張んな」
なんでそんな急に、突き放すんですか。
「そ、それじゃあ僕、ここにいる意味がありません」
兄さんを捨てて捨てられて、ここに残った意味がない。
先生の近くにいられる、意味が全くない。
やっと口を開いた市村をまた、睨んだ。
「お前、その吃音症、治んねぇのか」
き、きつおん……?
「いちいち吃る話し方だ」
兄にも言われたことがある。
なかなか治らないなぁ、小さい子どもみたいだなぁ、と。
「ええと、クセなんです。ごめんなさい……」
あ、すぐに謝るのもやめろと、先生に言われていたんだった。
吃音か謝る癖か、どちらかなのかどちらともなのか、原因ははっきり見えないが、土方はとても辛そうな表情に変わる。
見ていると、市村は自分が怒られている方がまだいいと思い話をぶり返す。
「先生は周りに誤解されようとすることが多いから、僕、小姓の仕事は先生の本当の心を感じて動くことだと思っています。先生は局長をお助けしたい。だから戦にも絶対勝ちたい。それがわかるから、僕は一発の弾丸から先生をお守りする為だけにでも戦に出たいです」
吃音せずに打ち明けたが土方はスッと立ち上り、もう話はお仕舞いだと部屋の襖を開けた。
「お前みてぇなちっこいのに守られなくても、俺には元々薩長の鈍いタマなんか当たんねぇんだよ」
廊下では、島田と中島が挨拶をしている声がした。
「ヒドイ! 僕は真面目なのに! コドモ扱いで遊びみたいにおっしゃるなんてヒドイです!」
どうせ無視されると知っているのに堪らず駄々を捏ねるように言うと、市村がビックリするくらい意外に立ち止まった。
かなりの騒がしさだった島田と中島も一瞬だけシンとなる。
「ぅわあ副長、マジっすか」
「コマシっぷり健在ですか」
「こんな幼気な少年にまでその毒牙をっ」
「さすが、生涯現役ですね」
二人交互に、市村には全く意味のわからないことを言う間、段々ものすごい形相で振り返る土方に怯えてそれどころじゃなかった。
「鉄! 人聞き悪いこと言うんじゃねぇ! つかどこで覚えてくるそんな台詞!」
「いやん副長マジメに答えてあげてっ!」
「イケズ! 漢力絶倫!」
状況が全然わからない市村だったが、二人のおかげで、わなわな震えながらも土方は言った。
「わかったよ、付いて来い。その代わり、危ねぇ時はすぐ引っ込ませるからな」
なんだ、やっぱり、僕を心配してくれていたんだ。
先生が冷たいことを言うのは、いつもそういう時だ。
これから先、またどんな冷たい言葉で僕を追い出そうとしても、お見通しなんですから。
慶応四年四月十九日、土方は宇都宮城攻略の戦場に立っていた。
使者として板橋に送った相馬主計が戻って来ず、その消息すら不明のまま島田魁、中島登、畠山芳次郎、沢忠助、
松沢乙造は、丸ノ内の酒井邸で、近藤が帰ってくるのを今かと待ち侘びていた。
たった七人だけになった新撰組が、ひたすらに息を殺して潜んでいた。
しかし江戸城明け渡し後も留まっているわけにはいかず、今戸から永代寺、そして鴻之台へと移った。
何と言われようが諦めるなど土方は到底できず、元試衛館門人で幕臣の福田平馬に、勝の元へ行って再度局長の助命を願い出てくれと頼んだ。
次第に薄まる希望にでも、縋るしかなかった。
新撰組副長……近藤の下に就いてから、自らの意図のまま鬼と呼ばれた。
いっそ本当に鬼になれたら楽だったと、京にいた頃から幾度と思っていた。
なりきれない癖に、鬼になれと言い聞かせなければ……情けない末っ子の甘ったれのままではやってこられなかった。
冷酷な鬼ならば、次の戦に専念できるのだろうか。
出陣の前夜、ドヤドヤと軍議に集まってきた一団から暢気そうに裏返った声が聞こえたので、そうすると切れ長の土方の眼は睨んでいる“ように見える”と承知で横目だけで視線を返した。
「……って、あの新撰組の!」
声がデカイ、とかあたふたする集団の中心にいた男が、ペコッと軽々しく頭を下げてから近寄ってきた。どうやらこの男が、さっきのひっくり返り声の主らしい。
「し、失礼を致しました。名高い鬼副長殿が味方にと聞き、少々浮かれてしまいました」
鬼副長……総司以外の奴に面と向かって言い放たれるのは初めてだぜ。
案の定、後ろの若い兵達は悪気の無さそうな暴言に一層眼を白黒させているが、男は気付かず
「いやぁ、心強いです!」
と続けている。
隊長格らしいな……もしや……。
「あ、自己紹介が遅れました。僕は幕府陸軍伝習隊の、大鳥圭介と申します」
常識のある大人なら、お噂はかねがね、とか恭しく言わなければならないくらいその名は知っている。相手の方もそれを当然と思い、多くは語らないのだろう。
フランス陸軍士官に訓練を受けたが、かつてはお家芸の医学を学び、東京大学の前身である開成所で蘭学を教え、西洋兵法書の翻訳までしたという男だ。
学者肌の振りした生粋の武士・山南とも、穏和な知性派の皮を被った切れ者・伊東甲子太郎とも違う、本当の学者である。
赤茶の洋式上着を着て、如何にも育ち良さげなポヤンとした雰囲気を漂わせながら、眩しそうに眼を細めるのが癖のようだが、微笑んでいるというよりどうやら近眼らしい。
「僕も新撰組に遅れをとらないよう頑張りますよ! よろしくお願いします!」
虫も殺さねぇようなツラしやがって……調練と戦場の区別もつかねぇようなお坊ちゃんかよ。
俺とは正反対の男だ、という印象が土方には強く、持ち前の無愛想さに拍車が掛かる。
「こちらこそ」
取って付けたように返して、一応の辞儀をした。
遠ざかる土方の背では、まだ浮き浮きしたような声がしていた。ただ声がデカイだけで、嫌味ではないだろうが。
「怖いなぁ……ははっ、お侍さんだなぁ!」
“おサムライさん”だぁ? ぶった斬るぞモヤシッコ。
今までそう思った人物とは全く違う理由で“いけ好かねぇ”男だった。
まさか、結構長い付き合いになるとは思わない。尤も、気に食わないのはずっと変わらなかった。
突然に、来てしまった……慶応四年五月三十日の夕刻、報せを聞いた松本と弓継は植木屋平五郎宅離れに入った。
「月野さん! 大丈夫ですか?」
はらはらと、傘を差す程でもない細かい雨が、いつのまにかゆっくりと、音も無く肩を濡らす。
見習いとはいえ医者だというのに、弓継は思わず、一番に月野に声を掛けた。
薄情だと言われてもいい。
見たことないようなポカンとした横顔の表情で座っていたからだ。眠たげにも映るとろりと虚ろな眼は、魂が抜けてしまったようだ。
でも弓継がその顔を覗き込んで視界に入ると、今やっと目覚めたような声を漏らした。
「弓継くん……良順先生……」
松本は沖田の傍でがっくりと、震える肩を落としていた。
見せはしないが、泣いている。医者として救えなかったのが悔しい……だけでは収まらない気持ちなのだろう。
「月野さん、大丈夫ですか?」
その様子をまたぼんやり眺める月野に、もう一度訊ねた。
きっと応えるだけでも辛かったろうに……と弓継は、悔しいくらいにガキだったと後になって気付く。
でもいくら喉奥で諫めても何か声を掛けなきゃと気負いながら、他に言葉を知らなかったのだ。
ううん、自分が安心したいだけだ。このひとが哀しんでいるのに何もできないなんて、歯痒過ぎるから。
「……大丈夫です」
泣かないでとは言ったことも前にあるけれど、今は泣いてくれる方が、余程マシだ。我慢されるのは、もっと辛い。
頬には乾き切った涙の筋、外からの僅かな明かりでも浮かび上がる。
俺の前でなんか、このひとは絶対泣かないんだ。
「……約束したのに、わたし、守れない」
弓継に向けてではない、天に向かって吸い込まれて、消え入りそうな微かな声だった。
「約束……?」
「わたしやっぱり……ここから動きたくなんてない……!」
真っ直ぐ前を見据えたまま、それでも膝の上に置いた手は震えていた。
この手を、取ることさえできない。
沖田さん……あなたはズルい。
違いますか?
何も聞いていなくたって、つい月野さんを見てしまう俺にはわかる。
最期まで頑なに拒み続けたくせに、手に入れて離さないまま、永遠に閉じ込めた。
永遠に、独り占めにした。
俺は決して、このひとに恋をしない。
だから困るのは俺じゃなくて、新撰組の土方さんだ。
月野さんが京にいた頃、島原の天神だった頃によく通っていたらしいけれど。
死んでしまった人に、生きている人間は絶対に勝てないよ。
ここで手を拱いていたってよ……。
「勝てなきゃ意味ねぇだろ」
慶応四年四月十八日、土方は宇都宮の戦で後々最も抵抗が激しかったといわれる城南東梁瀬橋の先、下河原門を今にも攻めようと睨んだ。
順調に進軍してきたというのに、臆病な……もとい慎重な指揮官に足止めを食らったのだ。
「へ? なんですか?」
巨漢の島田魁がむっくりと首を向け、すっ呆けて返事をしないでいると次は中島登がボソリと呟いた。
「敵も……中々やるそうですね。守備兵がかなり強いとか」
って、他人事にほざいてる場合かよ。
「討って出るぞ!」
とか刀を抜いて飛び出したいところだがそうするわけにもいかず、近藤が隊長ならと嘆くわけにもいかない。
正午頃にもなったか。漸く門の中に入った。
下妻藩と下館藩はすでに降伏した、などと伝習第一大隊隊長・秋月登之助が前置きを付けて開門させたはいいが、途端に四方からこちらに揃って口を向けた銃が火を吹いた。
これぐらいの大歓迎、予測していない筈もないので、味方側もほぼ同じ状態だった。
ただこちらには、日本一強い抜刀隊がいる。
「新撰組、桑名藩兵は俺に続け!」
乾いた空気の中、後ろも見ずに声を上げ、目の前に散る敵兵二・三人を斬り伏せた。
「副長に後れるな!」
一番に島田が吠えた。
彼は未だに土方を“ 新撰組副長”と呼ぶ。
第一次隊士募集の頃に入ってきた最古参である彼の真似をして、今では新撰組隊士以外でも呼ぶ者が出てくるわでまるで徒名だ。
土方としては見抜かれていて癪だが、そう呼ばれるのを最も気に入っていると知っているのだ。何せ、次々と毎夜のように味方が脱走していく中で、しぶとくしがみ付いて残ってきた猛者達である。
集中して飛び交う弾丸を潜り抜け、あちこちで血飛沫が上がり、火花が舞った。興奮か恐怖かで震える銃まで諸共に斬り掛かる所為で刃毀れがひどい。
しかし近藤勇の持論“脇差しは長いのがいい”を引き継がせた兵達は皆、大刀の代わりにもなる程の脇差しまで駆使して、それでも間に合わなければ敵兵の腰のお飾りのような刀を奪って斬り捲った。
「しっ新撰組!」
こう怯えられるのは心底気分が晴れる。
「あれはっ鬼の土方じゃないか!」
その通りだ……お前等に武士の戦い方を教えてやるよ。
全ての賛辞を末尾まで言い切らせないまま白刃を振り続けた。
だが敵に与えた恐怖心はまさに窮鼠猫を噛むの如く裏目にも出て、剣技で敵わないと知るや刀を佩いていることすら忘れてしまったように、さらに激しい銃撃を浴びせてくる。
何人も倒れていき、双方からけたたましい断末魔が響いた。
その時だった。
「うわああああ!」
土方の横を、一人の従兵が逆走しかけた。
「くそったれ!」
喧騒の中、味方の背中を斬り裂く音は耳から責める。
「逃げる奴ぁ俺が叩っ斬る! 命懸けで戦うか確実に俺に斬り殺されるか、どっちがマシか、どっちが生き残れるかわかったら進め!」
横顔を、一太刀で倒れた鮮血が濡らすのをそのままに。
「まさか!」
「恐ろしい……」
「鬼だ!」
敵兵が驚嘆と侮蔑の形相でお決まりに口を揃える中、新撰組は当然、桑名藩兵も無理矢理活気を取り戻し、血刀提げて駆けていく。
恐ろしい?
ふざけんな。
戦場で俺なんかより恐ぇのは、臆病風だ。
たった一人でも臆病に取り憑かれれば、忽ち伝染する。
どんなに勝てる戦でも、簡単に負ける。
それは鳥羽・伏見の戦で厭という程に味わったんだ……なぁ? 将軍様。
夕方まで激闘が続いたが、宇都宮藩兵が二ノ丸に火を放ち漸く退却した。しかし火の海にされては折角奪った甲斐無く入ることもできず、城外で宿を取った。
俺は、味方をこの手で……総司と同じ年頃の、若い兵を。
力尽くに拳を握る。
俺の下に就かなければ、もっと長く生きられただろうに。
追悼する、話したことも無い内に殺してしまった男の顔を思い出そうとすると、全く似てなかっただろうに沖田の面影がちらつく。
笑顔ではない。
池田屋で血を喀いて倒れた癖に、直後の禁門の戦にも絶対出るとごねて聞かない沖田に、足手纏いだと告げた時の……今でも眼を覆いたくなるような打ち拉がれた表情を、真っ先に浮かべてしまう。
アイツが出てくるのは、いっつもこの顔からだ。
それからやっと、ガキの頃からちっとも成長しねぇヘラッとした“ように見せる”笑い顔になる。
「副長? 飲まないのですか? 総員待ちくたびれてますよ」
のんびり大鳥隊はまだ着いてないというのに勝手に祝いの酒宴を始める輩を代表し、部屋に入ってきたのは中島登だ。
「落ち着いたら、日光の千人同心・土方勇太郎を呼び寄せてくれ」
意味がわからないという動作で首を傾ぐのを置いて、宴という気分にはなれないのに部屋を出た。
今日も、生きているのが不思議。
晴れの眩しい太陽が見えて子どもの笑い声が聞こえて、日の沈む頃にはちゃんとお腹が空くのが不思議。
今日も良順先生と弓継くんのお手伝いをして、元気に働いていられる。
あのひとがいなくなってしまったら一日だって平気でいられないと思っていたのに、毎日変わらず暮らそうとしているわたしは、冷たくて卑怯な、情の足りない人間なのかもしれない。
こんなに無神経だったなんて、知らなかった。
「やっぱり……気になるなぁ」
俯せに寝っ転がって、それでも熱心そうに蘭学の本を読んでいた弓継がカシカシと、もう見慣れた散切りの頭を掻いた。松本は出かけているというのに、最近はよく留守番をしているのだ。
月野はというとあまり外に行く気になれなくて、診察票の片付けをしているところだった。聞き返すより早く弓継はヒョイと起き上がり、正面に正座をした。
「約束って、なんですか?」
「……え?」
急に訊かれて訳がわからないというのに、イライラ気味に続ける。
「だから、沖田さんとのお約束ですっ! 気になって勉強が手に付きませんよっ」
「……なんで……」
何故知っているのかと呆然とする、その答えは日毎夜毎に心を巡り離れない、最期の約束。
「……月野さんが言ってたんですよ」
全然、憶えていなかった。約束は忘れるはずが無いけれど、それを人に話していたなんて。
「月野さん、守れないって、言ってましたけど」
そんなことまで……わたしって本当にバカ。
「……京のね、光縁寺に行くようにっていう約束をしたの」
「お寺? そこに何があるんですか?」
あっさり首を振った。
わからない。
訊ねる余裕なんて、もらえなかった。
「いいの、行かないから。だって、良順先生がお忙しいのに医学所を空けられないし。それに、京までとても遠いし。あちこち治安が悪くって危ないらしいし……」
何でもないことのように明るい声を作って嘘の言い訳をするが、弓継に睨まれて止めた。厭きれ気味に溜め息まで付けられる。
「月野さんらしくないなぁ」
わたしらしいって、なに?
わたしは潔くも素直でも、正直でもない。
「ッやめて! なんにも知らないくせに!」
言ってしまってから口を塞いでも、遅過ぎる。
こんなイイコに八つ当りしてしまうなんて、最低。
謝っても、遅過ぎる。
「じゃあ、教えてよ」
“イイコ”では、役不足だ。弟みたいに思ってきた、ずっと。
「あなたは何も話してくれない。わからないよ。全部知りたいのに」
しかし傍から見れば兄のようだ。
「……こわい……。ここを、江戸を離れてしまったらあのひとを……忘れてしまうみたいで、忘れようとしてるみたいで、怖い」
お別れを言うのは、耐えられない。
心のなか、ずっとそばにいたい。
こうしている内もひたすら想い続けたくて、癖を真似るように、手の平に片方の視線を落とす。
震えているのは、ただ距離がよくわからないから。
「……忘れたりしませんよ。掠り傷じゃあるまいし、そんなに簡単じゃないはずだ。沖田さんのお願いなんだから、叶えないのは可哀相です」
合わせて掴まれると、両手の震えは感じなくなった。
「行きますよ! あなたひとりくらい、俺が守る」
言葉を返そうとすると、問おうとしたことはほとんど答えられてしまった。
「先生なら、きっと行けって言いますよ。俺の仕事のことだって、あなたを一人で旅させる方が絶対怒る。あのムッキムキの腕でぶん殴られちゃいますよ」
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