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雪の侯、故郷に向かうバス 1
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「お母さん、悲しい?」
颯也が神妙な表情で澄んだまん丸の瞳を向けた。クラスでもサッカーチームでもそう大きい方ではないのだが、私はもう少しで追い越されそうだ。
「そうね。悲しいわね」
うなずいて、降りしきる雪を顔中に浴びながら誰に言うでもなく呟いた。
「高校を卒業して遠くに住んで、結婚したらもっと遠くに住んで。もしもの時に臨終に立ち会えないかもしれない、って考えたことはあるけど火葬にも立ち会えなかったなんて……こんなことってあるのね」
曽祖母の葬儀がこちらで参列した最後の葬儀だったのですっかり忘れていたのだが、通夜の前に火葬をするのが土地の風習だ。
一昨日、自宅で倒れた祖母は今朝荼毘に付されるという事だったが、その連絡をもらった時、夫の豊は出張中で長男の颯也と二男の悠也の学校や仕事のシフトなど「とるものもとりあえず」という訳にもなかなかいかず、それには間に合わなかった。
ーー18年も一緒に暮らしてて、家を出てからもずっと心配されていたのに。最後に顔も見られなかったし、何もしてあげられなかった。
凍ってしまいそうな目の奥に熱いものを感じて天を仰いだ。
「元気だせよ」
一生懸命言葉を考えていた颯也が、素っ頓狂な嗄れ声で言った。変声期で時々こうなるらしい。
深刻になりきれずつい笑ってしまったはずみにボロリと一粒、こらえていたものが零れた。
「でもね、こうも思うの。お祖母ちゃん、若い頃には苦労したけど大きな病気もせずに長生きできたし、曾孫にも会えた。いよいよ体が衰えた頃に独りでもなく苦しむこともなく家で亡くなって、周りはびっくりしたけど本人はこれで満足してるのかも」
「ふうん……」
「だから、颯也も心を込めて送ってあげて。そしてずっと覚えていてあげて」
「わかった」
大まじめな顔で頷いた颯也が急に頼もしく見えた。
優しい子に育ってくれた。
この純粋さと真っ直ぐさをどこまでも持ち続けていてほしい。
足元をチェーンで武装したバスが、ディーゼルの排気で蕎麦の香りをかき消しながら湯気を噴き上げて乗り場に着いたーーこのバスに乗って海沿いの故郷に向かう。
列の最後尾についたため、二人掛けの席を探すのに一苦労だったが、後ろから二番目の席がかろうじて二つ空いていた。
みっこ伯母と長内さんはそれぞれ離れた席の通路側に座っていた。
車内は暖房がきいていて窓が曇っていた。窓際の座席に陣取った颯也はさっそく落書きを始めた。
自分の荷物や二人分のアウターを網棚に押し込んでやっと席に落ち着くと、運転手の「発車します」とのアナウンスとともにバスが大きく揺れた。
颯也が神妙な表情で澄んだまん丸の瞳を向けた。クラスでもサッカーチームでもそう大きい方ではないのだが、私はもう少しで追い越されそうだ。
「そうね。悲しいわね」
うなずいて、降りしきる雪を顔中に浴びながら誰に言うでもなく呟いた。
「高校を卒業して遠くに住んで、結婚したらもっと遠くに住んで。もしもの時に臨終に立ち会えないかもしれない、って考えたことはあるけど火葬にも立ち会えなかったなんて……こんなことってあるのね」
曽祖母の葬儀がこちらで参列した最後の葬儀だったのですっかり忘れていたのだが、通夜の前に火葬をするのが土地の風習だ。
一昨日、自宅で倒れた祖母は今朝荼毘に付されるという事だったが、その連絡をもらった時、夫の豊は出張中で長男の颯也と二男の悠也の学校や仕事のシフトなど「とるものもとりあえず」という訳にもなかなかいかず、それには間に合わなかった。
ーー18年も一緒に暮らしてて、家を出てからもずっと心配されていたのに。最後に顔も見られなかったし、何もしてあげられなかった。
凍ってしまいそうな目の奥に熱いものを感じて天を仰いだ。
「元気だせよ」
一生懸命言葉を考えていた颯也が、素っ頓狂な嗄れ声で言った。変声期で時々こうなるらしい。
深刻になりきれずつい笑ってしまったはずみにボロリと一粒、こらえていたものが零れた。
「でもね、こうも思うの。お祖母ちゃん、若い頃には苦労したけど大きな病気もせずに長生きできたし、曾孫にも会えた。いよいよ体が衰えた頃に独りでもなく苦しむこともなく家で亡くなって、周りはびっくりしたけど本人はこれで満足してるのかも」
「ふうん……」
「だから、颯也も心を込めて送ってあげて。そしてずっと覚えていてあげて」
「わかった」
大まじめな顔で頷いた颯也が急に頼もしく見えた。
優しい子に育ってくれた。
この純粋さと真っ直ぐさをどこまでも持ち続けていてほしい。
足元をチェーンで武装したバスが、ディーゼルの排気で蕎麦の香りをかき消しながら湯気を噴き上げて乗り場に着いたーーこのバスに乗って海沿いの故郷に向かう。
列の最後尾についたため、二人掛けの席を探すのに一苦労だったが、後ろから二番目の席がかろうじて二つ空いていた。
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車内は暖房がきいていて窓が曇っていた。窓際の座席に陣取った颯也はさっそく落書きを始めた。
自分の荷物や二人分のアウターを網棚に押し込んでやっと席に落ち着くと、運転手の「発車します」とのアナウンスとともにバスが大きく揺れた。
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