転生悪役令嬢は悪魔王子をスルーしてカフェオーナーになりたい

プロローグ

3 人間万事塞翁が馬

　私が侯爵家の領地で栽培されているコーヒーを発見したのは、前世の記憶が戻ってすぐ七歳の頃でした。偏頭痛持ちのお母様の為に領地から取り寄せた薬草の中にその薫り高い黒い粉末を発見した時には、小躍りして喜びました。（今考えると痛すぎる七歳）偏頭痛の薬としてお湯に溶き上澄みを飲むもので、見ると品質が均一でないので深煎りで、煮出すと苦くなるので効率よく成分を抽出する為に細かく挽いてありました。コーヒーの実から種を取り出し乾燥させてから焙煎という基本的な工程は既に確立されており、という事はマキアッテ（モカエキスプレス）さえあればすぐにエスプレッソを飲むことができるではないですか！

　それを分けてもらいドリップしてみるとロブスタ種特有の渋みがあったので、侯爵家の領地の山は標高千メートル並みなのでしょう。すぐ父様に頼み込んでノート兄様と領地を訪れた時にはアラビカ種は発見できませんでした。標高千～二千メートル地域で自生するアラビカ種特有の華やかな香りやミルクと酸味のハーモニーを楽しむには時間がかかりそうです。


　この世界は、転生物にありがちな剣と魔法の世界です。中世ヨーロッパのように小国が点在し、各地の王族の金利政策に沿って貨幣価値の上げ下げや質量原器の更新が頻繁に行われる世界でもあります。


　そんな状況なのでマキアッテを作る段階で一番苦労したのは、加圧抽出するための水の量。一杯分一オンス（約三十ミリリットル）を加圧抽出するための大きさを決めなければなりません。というのもエスプレッソの一人分のカフェインはポットに入った紅茶より同量か少な目でなければ、女性に安心して提供できないから。また量が決まらないとラテ・カプチーノにおいてエスプレッソに対して一対三という黄金比があるフォームミルクの量も決められません。で、無いものはないので自分で適量を探すしかありません。

　また、お菓子を美味しく作るにはまず、材料を正しく計量する。これができないという事がカフェ開業の最初の壁でした。私を転生させた居るか居ないか解らない神様、ひどいよ。日本人ですから八百万の神に感謝してはいますが、この世界の神様にはあんまり感謝できませんね。
　仕方なくエスプレッソを作っては飲みを繰り返し、やっと納得のいくジガーカップを作るのに三ケ月かかりました。


　そしてラテ・カプチーノに合わせるスイーツ。
　私は、ビターチョコと合わせていただくのが大好きでしたが、前世では自生地域が近いはずのコーヒーとカカオ豆なのですが、残念ながら見つけることが出来ずじまいでした。
　そのかわり”ピーカン（ペカン）ナッツ”を発見しました！　前世では”森のバター”と呼ばれ、クルミに似た濃厚な味とクルミ特有の苦みのない高級菓子に使われるナッツです。クルミより殻が柔らかいので加工しやすく、これをプラリネにしたり、フロランタンにしたり、ナッツタルトにしてラテ・カプチーノに合わせれば、それはもう至高のひととき。この木は前世では、ヒッコリーと呼ばれ、フローリングの床材や柄などに利用される硬い木材です。此方でも同じく林業資源として栽培されていたようで、実を採るのは子供達の仕事なので背の低い時期しか取れず、あまり流通しないそう。


　という事で、明日のプレゼン用にピーカンナッツ入りのビスコッティを作っておきましょう。
　家には厨房が二つあり、通常の食事はメイン厨房を使用し、もう一つのサブ厨房は通常は給湯室として利用してパーティや晩餐会などを開く場合に厨房として使用します。なのでサブ厨房はオーブンやグリドル（鉄板焼き機）まである本格的なもの。マキアッテやカフェメニュー試作に大活躍してくれました。
　まずピーカンナッツパウダーと薄力粉と砂糖を計ります。ピーカンナッツパウダーに対して薄力粉は三倍、砂糖は一．五倍用意してナッツパウダーと薄力粉は篩にかけておきます。
　室温に戻しておいた全卵を砂糖を足しつつ角が立つまで泡立てた後、篩った粉を数回に分けてさっくりと混ぜ、ローストして冷ましたピーカンナッツを入れてかまぼこ状に形を整えてオーブンで焼きます（一回目）。それを親指の爪の長さに切って切り口を上にしてバットに並べもう一度焼く（二回目）。本場のビスコッティはメレンゲは作らないのだけれど、私は柔らかいのが好きなのでオリジナルレシピで作りました。粗熱をとっている間にラテを入れて、一つ頬張るとカリッとふわっとした歯触りとピーカンナッツの風味がラテの香りと絶妙にマッチして心からリラックスできます。

「うーん、幸せ」

　もし婚約者候補になってもヒロインがやってくるのは、八年後。プレゼンが上手くいけば、領地に籠って婚約者候補からわざと脱落する事も可能になる。夢にいくらでもリカバリできる。

　前世ＣＦＯ補佐時代、私は財政面からの新事業の立ち上げの調整役をしていました。そこで学んだことは、人や物を動かすには、周到な計画と大きな資金が必要だという事。会社なり個人なりに資金を出させるという事はとても難しい事でその為に説得力のあるプレゼン資料は重要なアイテムです。

　基本プロジェクトを立ち上げ軌道に乗せるには、５W１Hを明確にする必要があります。「What（何を＝実施内容）」「How（どのように＝実施のための手段）」「Who（誰が＝事業主体）」と、それらの具体化に必要な「When（いつ＝実施日時）」「Where（どこで＝実施場所）」「How much（いくらで＝予算）」が含まれています。そして、これらを父様（出資先）を納得させることができれば、プロジェクトは確実に動き出すこができます。

　父様にはあらかじめ、新しい事業を始めたいという説明とプレゼン資料、十年間の予測B/Sとキャッシュフロー計算書は作って渡してあるので今日は実際のカプチーノとピーカンナッツ入りのビスコッティを味見してもらい、具体的な説明をしていく予定です。

　よし、頑張ろう。


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よく聞くけどよくわからないビジネス用語

　B/S（バランス・シート）；貸借対照表。会社の財政状況を集計した表で、会社の預金、商品を販売して代金を貰っていない物、土地、機械・机・PCなどの備品を法律に則り金額を出したものを資産。借金や商品を購入しまだ代金を支払っていない物の金額を負債、社長・株主から出資された金額、年間取引から得た利益を資本として分けてあるもの。これを読み解くことによって会社の健全性を見ることができる。

ちなみに政治のニュースで言われる「内部留保」は現預金でなく、これから入金する予定の売り上げと会社が買った機械と売った株式の金額を指すので、これに課税したいとか言ってる人達は経理を知らないで尤もらしい事を言う恥ずかしい人達である。

　キャッシュフロー計算書；一定期間の会社のお金（預金・現金）の動きを記したもの。商品を販売して代金を貰っていない金額を明確にしてP/L（損益計算書）に乗らない利益や負債を掴むことができる