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至近距離の最大幸福
叱咤激励の荘厳
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綿貫千春と山城優一が、来た道を戻って十数分。
はっと先に気がついたのは、前を歩く山城だった。
背後の千春をそっと手招きし、見通しの良い道に佇むなけなしの隠れ場──もとい電柱に身を隠した。
とはいえ、大の男ふたりが完全に姿を消すことはできない。
「…………あの、山城さん?」
「なに?」
「…………や、余計目立ってませんかね……?」
「あぁ、いいんだよ。姿を消すことが目的じゃないから」
千春は首を傾げる。
「いやぁ、いい天気ですねぇ!」
近所に響き渡る大声で(しかも訛りの強い言葉で)急に山城が叫んだので、千春はぎょっとする。
地元の人間のふりをして、大胆かつスマートに近づこうという作戦らしかった。
声をかけたのは、前方に見えた千春の両親に対してだが、後ろには尾行している誰かの存在もあるはずなのに、あまりにも不用意だ──と思ったのも束の間、どんっと背中を叩かれた。
にこにこと人懐こい笑みを崩さない山城から無言の圧を感じる。
どうやら千春に同意──というより発言を求めているらしかった。
千春は慌てて首を振る。
家族相手にそれらしい台詞も思い浮かばないが、そもそもY県の訛りを再現することができない。
実はこっそり口の中で真似してみたことがあるのだが、イントネーションというのは頭の中でわかっていても声で発すると思いの外似ても似つかないものになる。
生粋の関西人がエセ関西弁をすぐに見破るのも、納得である。
もう一度、背中を今度は優しく押し出される。
山城の柔和で穏やかな瞳が、一瞬だけこちらを向いた。
そういえば、と思い出す。
彼は以前こんなことを言っていた、気がする。
──世代によっても訛りの度合いが違う。
泉も仕事モード(?)の際は標準語を使っているのだし、千春くらいの年代になれば、地元にいながらにして標準語を話してもおかしくないのではないか。
「なっ……」
声が裏返ってしまった。
家族の前だというのに、いや、だからこそかもしれないが、柄にもなく緊張しているらしい。
ひとつ咳払いをして千春は続ける。
「何かお困りですか? その、道に迷ったとか」
「ええええ、そうなんですよ。この辺りには不案内で、もう暑くて暑くて。考えもまとまらなくなっちゃってねぇ……」
母の春美がちらりと背後に視線を投げかけ、こくりと山城がそれとは悟られない程度の動作で頷く。
その直後、ピロリンと着信音が鳴った。
喫茶店では変わらず風月七緒と、千春の妹・綿貫慈美が情報を集めていた。
「あの、七緒さん……何してるんですか?」
「うん。誰かキンモクセイの君と直接話せるような人がいないかと思ってね」
「そんな……SNSで探すなんて無謀なんじゃ──」
「そうでもないよ。現に、キンモクセイの君のアカウントは結構簡単に見つけられたじゃない」
「そうですけど……」
慈美としては、ただ運が良かっただけにも思える。
件のキンモクセイの君のアカウントを、なんと七緒は『千の選択編集部』のフォロワーの中から見つけ出したのだ。
しかもご丁寧にアカウントのプロフィール写真はキンモクセイの花だった。
一か八かそのアカウントを覗いてみると、表向きには更新された形跡がここ3ヶ月ほど一切ない。
「……フォロワー数も多いし、結構有名な人なんですね」
「どうだろうね。確かにフォロワー数だけ見たら芸能人並みだけど、イコール有名かどうかはわからないよ」
「えっ、でも……」
「目には見えないけれど、このフォロワーの中の一体どれくらいが日常的に彼の投稿を気にしていたか……フォローだけしておいて流れてくる投稿は飛ばして読むって人もわりと多いと思うよ。彼はライターとしていろんな仕事を手掛けていたから、それぞれの分野からフォロワーには恵まれた。でも、そのフォロワーたちの目的は、どちらかというと彼自身の投稿というより、彼が手掛けた仕事に関する情報だったんじゃないかな。たぶん、重大な情報解禁という面では、彼の投稿はかなり早いほうで、いち早く情報を入手したいユーザーにとっては注目すべきポイントだろうからね」
「……じゃあ、この人の声は誰も聞いてなかった、ってことですか?」
「……誰もってことはないと思うけれど、結局のところ投稿の面白さっていうのは自分じゃなく他人が決めるもので、SNSで自己肯定感を高められる人って意外に少ないと僕は思うよ。でも、一度生まれた好意的な反応は手放し難くて、同時に芽生えたあるいは元からあった承認欲求だけは際限がなくて、あるとき、自分でも気がつかないうちに一線を超えちゃうんだ」
「一線……?」
「そう。例えば、自分の他の投稿と比べてある一つの投稿がバズったとするよね? 世間的にじゃなくて、あくまで自分の中でね。こういう投稿でもらった反応っていうのはたぶんタイミングとかその時のSNS上の雰囲気とか、そういう肉眼では確認しづらい部分に理由があって、どうしてバズったのかはよくわからないって場合が多い。でも、その『バズった』という快感だけは覚えていて、また欲しい、もう一度欲しいと考えてしまう。そして、ああでもないこうでもないと、投稿し続けるうちに、『注目してもらえるならもういっそ何でもいいや』という気になる。自己顕示欲の具現化みたいにね」
慈美は頷くことも忘れ、七緒の手元でスクロールされていく画面に見入っていた。
彼の言う通り、キンモクセイの君の投稿は日を追うごとに迷走していく印象を受ける。
七緒の主張によると、彼の投稿は『情報』が重宝されていただけで、確かに彼自身の投稿自体にはそれほど反応が多くないことにも気がついた。
そのギャップを冷静に分析できないほど、彼はSNSに蝕まれていたというのだろうか。
「──SNSなんて、なければいいのに」
慈美は思わず呟いていた。放火犯と疑われた兄を庇ったことによって受けた仕打ちを思い出す。
そう、あの頃は本気でそう思っていた。
七緒がほんの数瞬驚いたようにこちらを見て、けれどすぐにいつもの優しい色を讃えた瞳に戻す。
「…………そうだね。SNSに出会わなかったら、傷つかない人もたくさんいたかもしれない」
「七緒さんは、SNSはあったほうがいいと思いますか?」
──あんなことを言ったのに?
と、言外に滲ませてしまった。
自己肯定感を高められる人は意外に少ない、彼はさっきそう言った。
「…………どうだろう。逃げるような言い方になっちゃうけれど、それは──人それぞれなんじゃないかな」
「七緒さん自身は、どうですか?」
「……僕は、そういう世界ができてしまったのなら、もうそういう世界を消滅させることはできない、と思ってる」
慈美は唐突に何を言い出すのかと首を傾げる。
「だから、そういう世界の中で、何ができるかを考える──それが僕のSNSとの向き合い方だよ」
「…………そう、ですね」
「慈美ちゃんもそうでしょ? SNSをなくすことができないなら、SNS上で復讐してやる──僕個人としては手放しで賛成はできないけれど──と思ったんじゃない? 千春くんと、それから君の大事な世界を守る為に」
「……その為に、『世界なんて滅んでしまえ』と思ったとしたら、七緒さんは私を軽蔑しますか?」
「──思うことは自由だから、そんなことはないよ。でも、それで君も傷つくんだとしたら、やっぱり賛成はできないかな」
眉を下げた少し悲しそうな瞳で、七緒が慈美を見つめる。
「…………七緒さんは、本当に優しいですね」
「その優しさが仇になることも多いけれどね」
「七緒さん、生きづらそうですもんね」
「…………そうだね」
終始穏やかな七緒の横顔に、さっと影がさした──ような気がした。
慈美が余計なことを言ったと思って、笑顔の途中で慌てて口を紡いだその時、普段と変わらぬ調子で七緒が声を上げた。
「慈美ちゃん、見つかったよ」
「えっ?」
「ほら、見て」
3ヶ月も前の彼の最後の投稿、そこにたった今、コメントがついたのだった。
全員が自分か自分かとスマートフォンを取り出す。
千春のものではない、山城も違う。
鳴っているのは音の方向から、母の春美のものらしかった。
その相手を確認したようで、彼女は後ろを振り向いた。
そこにはもはや身を隠そうという意思も素振りもなさそうな、キンモクセイの君がいた。
「……間に合って良かった」
ぼそりと呟いた山城には、この後の展開がわかっているらしい。
これまでずっと黙ってそばで見守っていた父の千慈が、春美の手からそっとスマートフォンを取り、後ろの青年に向かって無言で歩いて行った。
止めようとした千春だったが、それをさらに止めたのは山城で、彼は千春の代わりに千慈と並んで青年の前に立った。
「出るんだ」
「は?」
これまで敵と見做してきた男にいきなりそう言われ、面食らったというより訝しげにキンモクセイの君は返した。
しかし、突然現れた部外者の山城がそばに立ったことで、いくらか、いや十分過ぎるほど牽制になったらしい。
ほんの少し後退りながら、千慈の鋭い視線に射抜かれて、おそるおそる電話を取った。
「…………もしもし」
「うそ、ほんとに……?」
「──その声、もしかして」
「うん。久しぶり、元気にしてる?」
「………………はは、体調の心配か。体より気分が最悪だよ。ちょうど、『世界が滅亡すればいい』と思ってた」
「相変わらずだね」
「どういう、意味だよ」
「ううん。あのね、私も相変わらずなんだけど」
「………………」
「いつも、遅くなっちゃうんだ。本当に大事なことを言うのが」
「………………」
「頑張らなくて、いいんだよ。誰も、あなたのことなんて見てないんだから」
「はっ、何だよそれ。この期に及んで、俺にトドメ刺す気かよ」
「うっ、ち、違うの! いつも注目されると緊張してたから……SNSでもそうだったんじゃないかなって。それで思ってること思ってないこと全部ごっちゃにして投稿して、反応がないって空回りして、そういうの、見てて辛かった。もっと、自由に、もっとあなたらしく、そう、キンモクセイみたいな投稿を、ずっと待ってたの」
「…………キンモクセイ、みたいな?」
「あったかくて、いい香りがして、どんなに綺麗事でもありえない作り事でも、あなたの生きる世界を全部包み込むような、そういうの、私はずっと好きだから」
「…………もう、忘れたよ」
「そんなことない。私はずっと見てる。夢ばっかり語って、現実なんて、私なんて見てないって思ったこともあったけど」
「…………あったのかよ」
「でも、それはあなたがあなたじゃなかったから、だと思う」
「………………俺、やり直せるかな」
「もちろん」
「お前とも?」
「ごめん、それは無理」
「…………」
「あっ、あ、いや、そういう意味じゃなくて! 私は一度、あなたを捨てた。負い目ができちゃったから、元鞘っていうのは難しいかなって。でも、これはネガティブな別れじゃないから! ポジティブな別れ! きっと、お互いにもっといい人と出会えると思う。結婚じゃなくても、愛してるじゃなくても、素敵な出会いが必ずあるよ」
「気休めはやめろ」
「それはお互い様なの、私だってフリーになっちゃったんだから」
「………………ありがとう」
はっと先に気がついたのは、前を歩く山城だった。
背後の千春をそっと手招きし、見通しの良い道に佇むなけなしの隠れ場──もとい電柱に身を隠した。
とはいえ、大の男ふたりが完全に姿を消すことはできない。
「…………あの、山城さん?」
「なに?」
「…………や、余計目立ってませんかね……?」
「あぁ、いいんだよ。姿を消すことが目的じゃないから」
千春は首を傾げる。
「いやぁ、いい天気ですねぇ!」
近所に響き渡る大声で(しかも訛りの強い言葉で)急に山城が叫んだので、千春はぎょっとする。
地元の人間のふりをして、大胆かつスマートに近づこうという作戦らしかった。
声をかけたのは、前方に見えた千春の両親に対してだが、後ろには尾行している誰かの存在もあるはずなのに、あまりにも不用意だ──と思ったのも束の間、どんっと背中を叩かれた。
にこにこと人懐こい笑みを崩さない山城から無言の圧を感じる。
どうやら千春に同意──というより発言を求めているらしかった。
千春は慌てて首を振る。
家族相手にそれらしい台詞も思い浮かばないが、そもそもY県の訛りを再現することができない。
実はこっそり口の中で真似してみたことがあるのだが、イントネーションというのは頭の中でわかっていても声で発すると思いの外似ても似つかないものになる。
生粋の関西人がエセ関西弁をすぐに見破るのも、納得である。
もう一度、背中を今度は優しく押し出される。
山城の柔和で穏やかな瞳が、一瞬だけこちらを向いた。
そういえば、と思い出す。
彼は以前こんなことを言っていた、気がする。
──世代によっても訛りの度合いが違う。
泉も仕事モード(?)の際は標準語を使っているのだし、千春くらいの年代になれば、地元にいながらにして標準語を話してもおかしくないのではないか。
「なっ……」
声が裏返ってしまった。
家族の前だというのに、いや、だからこそかもしれないが、柄にもなく緊張しているらしい。
ひとつ咳払いをして千春は続ける。
「何かお困りですか? その、道に迷ったとか」
「ええええ、そうなんですよ。この辺りには不案内で、もう暑くて暑くて。考えもまとまらなくなっちゃってねぇ……」
母の春美がちらりと背後に視線を投げかけ、こくりと山城がそれとは悟られない程度の動作で頷く。
その直後、ピロリンと着信音が鳴った。
喫茶店では変わらず風月七緒と、千春の妹・綿貫慈美が情報を集めていた。
「あの、七緒さん……何してるんですか?」
「うん。誰かキンモクセイの君と直接話せるような人がいないかと思ってね」
「そんな……SNSで探すなんて無謀なんじゃ──」
「そうでもないよ。現に、キンモクセイの君のアカウントは結構簡単に見つけられたじゃない」
「そうですけど……」
慈美としては、ただ運が良かっただけにも思える。
件のキンモクセイの君のアカウントを、なんと七緒は『千の選択編集部』のフォロワーの中から見つけ出したのだ。
しかもご丁寧にアカウントのプロフィール写真はキンモクセイの花だった。
一か八かそのアカウントを覗いてみると、表向きには更新された形跡がここ3ヶ月ほど一切ない。
「……フォロワー数も多いし、結構有名な人なんですね」
「どうだろうね。確かにフォロワー数だけ見たら芸能人並みだけど、イコール有名かどうかはわからないよ」
「えっ、でも……」
「目には見えないけれど、このフォロワーの中の一体どれくらいが日常的に彼の投稿を気にしていたか……フォローだけしておいて流れてくる投稿は飛ばして読むって人もわりと多いと思うよ。彼はライターとしていろんな仕事を手掛けていたから、それぞれの分野からフォロワーには恵まれた。でも、そのフォロワーたちの目的は、どちらかというと彼自身の投稿というより、彼が手掛けた仕事に関する情報だったんじゃないかな。たぶん、重大な情報解禁という面では、彼の投稿はかなり早いほうで、いち早く情報を入手したいユーザーにとっては注目すべきポイントだろうからね」
「……じゃあ、この人の声は誰も聞いてなかった、ってことですか?」
「……誰もってことはないと思うけれど、結局のところ投稿の面白さっていうのは自分じゃなく他人が決めるもので、SNSで自己肯定感を高められる人って意外に少ないと僕は思うよ。でも、一度生まれた好意的な反応は手放し難くて、同時に芽生えたあるいは元からあった承認欲求だけは際限がなくて、あるとき、自分でも気がつかないうちに一線を超えちゃうんだ」
「一線……?」
「そう。例えば、自分の他の投稿と比べてある一つの投稿がバズったとするよね? 世間的にじゃなくて、あくまで自分の中でね。こういう投稿でもらった反応っていうのはたぶんタイミングとかその時のSNS上の雰囲気とか、そういう肉眼では確認しづらい部分に理由があって、どうしてバズったのかはよくわからないって場合が多い。でも、その『バズった』という快感だけは覚えていて、また欲しい、もう一度欲しいと考えてしまう。そして、ああでもないこうでもないと、投稿し続けるうちに、『注目してもらえるならもういっそ何でもいいや』という気になる。自己顕示欲の具現化みたいにね」
慈美は頷くことも忘れ、七緒の手元でスクロールされていく画面に見入っていた。
彼の言う通り、キンモクセイの君の投稿は日を追うごとに迷走していく印象を受ける。
七緒の主張によると、彼の投稿は『情報』が重宝されていただけで、確かに彼自身の投稿自体にはそれほど反応が多くないことにも気がついた。
そのギャップを冷静に分析できないほど、彼はSNSに蝕まれていたというのだろうか。
「──SNSなんて、なければいいのに」
慈美は思わず呟いていた。放火犯と疑われた兄を庇ったことによって受けた仕打ちを思い出す。
そう、あの頃は本気でそう思っていた。
七緒がほんの数瞬驚いたようにこちらを見て、けれどすぐにいつもの優しい色を讃えた瞳に戻す。
「…………そうだね。SNSに出会わなかったら、傷つかない人もたくさんいたかもしれない」
「七緒さんは、SNSはあったほうがいいと思いますか?」
──あんなことを言ったのに?
と、言外に滲ませてしまった。
自己肯定感を高められる人は意外に少ない、彼はさっきそう言った。
「…………どうだろう。逃げるような言い方になっちゃうけれど、それは──人それぞれなんじゃないかな」
「七緒さん自身は、どうですか?」
「……僕は、そういう世界ができてしまったのなら、もうそういう世界を消滅させることはできない、と思ってる」
慈美は唐突に何を言い出すのかと首を傾げる。
「だから、そういう世界の中で、何ができるかを考える──それが僕のSNSとの向き合い方だよ」
「…………そう、ですね」
「慈美ちゃんもそうでしょ? SNSをなくすことができないなら、SNS上で復讐してやる──僕個人としては手放しで賛成はできないけれど──と思ったんじゃない? 千春くんと、それから君の大事な世界を守る為に」
「……その為に、『世界なんて滅んでしまえ』と思ったとしたら、七緒さんは私を軽蔑しますか?」
「──思うことは自由だから、そんなことはないよ。でも、それで君も傷つくんだとしたら、やっぱり賛成はできないかな」
眉を下げた少し悲しそうな瞳で、七緒が慈美を見つめる。
「…………七緒さんは、本当に優しいですね」
「その優しさが仇になることも多いけれどね」
「七緒さん、生きづらそうですもんね」
「…………そうだね」
終始穏やかな七緒の横顔に、さっと影がさした──ような気がした。
慈美が余計なことを言ったと思って、笑顔の途中で慌てて口を紡いだその時、普段と変わらぬ調子で七緒が声を上げた。
「慈美ちゃん、見つかったよ」
「えっ?」
「ほら、見て」
3ヶ月も前の彼の最後の投稿、そこにたった今、コメントがついたのだった。
全員が自分か自分かとスマートフォンを取り出す。
千春のものではない、山城も違う。
鳴っているのは音の方向から、母の春美のものらしかった。
その相手を確認したようで、彼女は後ろを振り向いた。
そこにはもはや身を隠そうという意思も素振りもなさそうな、キンモクセイの君がいた。
「……間に合って良かった」
ぼそりと呟いた山城には、この後の展開がわかっているらしい。
これまでずっと黙ってそばで見守っていた父の千慈が、春美の手からそっとスマートフォンを取り、後ろの青年に向かって無言で歩いて行った。
止めようとした千春だったが、それをさらに止めたのは山城で、彼は千春の代わりに千慈と並んで青年の前に立った。
「出るんだ」
「は?」
これまで敵と見做してきた男にいきなりそう言われ、面食らったというより訝しげにキンモクセイの君は返した。
しかし、突然現れた部外者の山城がそばに立ったことで、いくらか、いや十分過ぎるほど牽制になったらしい。
ほんの少し後退りながら、千慈の鋭い視線に射抜かれて、おそるおそる電話を取った。
「…………もしもし」
「うそ、ほんとに……?」
「──その声、もしかして」
「うん。久しぶり、元気にしてる?」
「………………はは、体調の心配か。体より気分が最悪だよ。ちょうど、『世界が滅亡すればいい』と思ってた」
「相変わらずだね」
「どういう、意味だよ」
「ううん。あのね、私も相変わらずなんだけど」
「………………」
「いつも、遅くなっちゃうんだ。本当に大事なことを言うのが」
「………………」
「頑張らなくて、いいんだよ。誰も、あなたのことなんて見てないんだから」
「はっ、何だよそれ。この期に及んで、俺にトドメ刺す気かよ」
「うっ、ち、違うの! いつも注目されると緊張してたから……SNSでもそうだったんじゃないかなって。それで思ってること思ってないこと全部ごっちゃにして投稿して、反応がないって空回りして、そういうの、見てて辛かった。もっと、自由に、もっとあなたらしく、そう、キンモクセイみたいな投稿を、ずっと待ってたの」
「…………キンモクセイ、みたいな?」
「あったかくて、いい香りがして、どんなに綺麗事でもありえない作り事でも、あなたの生きる世界を全部包み込むような、そういうの、私はずっと好きだから」
「…………もう、忘れたよ」
「そんなことない。私はずっと見てる。夢ばっかり語って、現実なんて、私なんて見てないって思ったこともあったけど」
「…………あったのかよ」
「でも、それはあなたがあなたじゃなかったから、だと思う」
「………………俺、やり直せるかな」
「もちろん」
「お前とも?」
「ごめん、それは無理」
「…………」
「あっ、あ、いや、そういう意味じゃなくて! 私は一度、あなたを捨てた。負い目ができちゃったから、元鞘っていうのは難しいかなって。でも、これはネガティブな別れじゃないから! ポジティブな別れ! きっと、お互いにもっといい人と出会えると思う。結婚じゃなくても、愛してるじゃなくても、素敵な出会いが必ずあるよ」
「気休めはやめろ」
「それはお互い様なの、私だってフリーになっちゃったんだから」
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