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心配の真髄
最弱の最強〜前哨戦〜
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綿貫千春はようやく落ち着いた客足にほっと一息吐いて、スタッフと共に撮った写真を確認していた。
予め、先に到着した団体客をグループA、次の団体客をグループBと呼ぶこととし、その他の個人客には1番から順に番号を振ってある。
写真を渡す時に間違えない為という名目で、それぞれに簡素ながら番号札を配布したのだ。
札といってもただの厚紙で、「写真を受け取った後は捨てるなり持ち帰るなり好きにしていいので、ここを出るまでは見えやすいようにしておいてください」ともスタッフが伝えてくれた。
『返さなきゃいけないもの』となると、鞄の中やポケットの中にしまいがちだが、後腐れのないものならば良くも悪くも適当に扱ってくれるかもしれないと見越してのことだ。
千春は写真を見て、誰がどの番号か確認できるが、肝心の風月七緒にそれが伝わらなければ犯人──と決まったわけではないが──を見つけることができない。
見学中もできるだけ七緒が認識できるように、目に見えるところに番号札を身につけておいて欲しいのだ。
かくいう七緒はグループAの後、個人客の中では一番最初に入場している。つまり1番を割り振られていて、他に女性1~3人の少数グループが3組、男性の一人客が七緒の他にふたり、男性の少数グループが2組、そして恋人や夫婦と思われる組み合わせが2組と、祝日の重ならない普通の土日よりも盛況だというから驚きである。
「どうして今日に限ってそんなに?」
千春が写真を整理しながら訊ねると、入場案内スタッフの女性がこう答えた。
「記念日だから、じゃないかしらね。と言っても、今年の今日に限ったことなんだけど」
「…………はい?」
「んーまぁ、ここだけの話──というか、別に世間一般にもこの通り知られてることだから言うけどね」
そう前置きした上で彼女が語ったところによると、初っ端から『幻の遺作』というなんとも創作感の否めない文言が出てきて、千春は眉を顰めた。
「『遺作』って一体誰の──?」
「だから、フィクションの中の登場人物よ」
「………………はあ」
色々と突っ込みどころがありすぎて、千春は一度全てを飲み込んで受け入れることにした。そうでもしないと話が進まない気がする。
「あのね」
それまで座ってPC操作をしていた千春の、斜め後ろに立っていた彼女が身を乗り出すように隣の椅子に座って捲し立て始めた。
何でも、とある有名な推理作家が書いたミステリ小説に、この映画村が登場すると言うのだ。
「具体的に『そう』とは書かれていないのよ? でも、大多数の人がわかる程度にははっきりと書いてあるのね。それで、その小説の登場人物──探偵の助手っていう設定なんだけど──は彼自身がモデルになっていてね、作品の中でこの映画村を訪れたその日に、亡くなってしまうの」
「──ここで?」
「そう!」
「…………というか、探偵の助手って語り手ってことですよね? 亡くなってしまったら、物語自体が破綻しませんか?」
「そうなの! だから、『幻の遺作』なのよ!!」
千春の頭の中は混乱していた。
要約すると、実在する推理作家の作品に登場する彼をモデルにした探偵助手が、作品の中のこの映画村で謎の死を遂げるというなんとも奇妙な物語で、その続きが永遠に書かれることがないという意味で『幻の遺作』というタイトルなのだそうだ。
「それってつまり、完結しないってことですよね?」
「その作品としてはね」
「──その作品としては?」
「彼──推理作家のほうね──は、『読者への挑戦』と銘打って、読者自身が探偵となって解決するべし! と『幻の遺作』の最後にそう記したの」
「解決するべし、って──」
「その探偵助手が作品中で亡くなる日付は、その物語が書かれた時点では未来の出来事──それこそが今年の今日というわけよ」
「それって、今日ここで実際に事件が起きるって意味じゃ、ないですよね?」
「うーん、それはないわね」
「どうして言い切れるんですか?」
「その推理作家ね、そこそこ売れていたし、顔もかっこよくて才能もあったのに、その『幻の遺作』を発表した直後に失踪してしまったの」
「失踪?」
「そう。もっと正確に言うと、解決編を発表しないまま表舞台には姿を見せなくなった。何の音沙汰もなく、本当の本当に解決しない、『幻の遺作』となってしまったというわけ。亡くなったかどうかは誰も知らないみたいだから、あくまで推理作家としての最期という意味でだけどね」
「それってどのくらい前の話なんですか?」
「7年前ね」
「7年?」
「そう。ネットに書いてあったけど、7年って失踪した人が戸籍上死亡したものとして扱われる区切りの年らしいわね。皮肉なものだけど、それでもここに集まっている人たちは彼が生きていると思ってここに来てるのよ。かくいう私もだけどね。さっきは失踪したから現れるわけないみたいなこと言って、矛盾してるようだけど。でも、彼の挑戦に勝てれば──ううん、自分たちが解けなくても、もしかしたら彼が戻ってきて自ら種明かしをしてくれるかもしれない。フィクションの中の探偵助手の命日は、推理作家である彼の復活の日。いつしかそういう噂が広まっていてね。何か自分たちがアクションを起こせば彼が答えてくれるかもっていう淡い期待があるのよね。せめて生きていることがわかればいい、ってそういう想いでね」
「…………その、ここだけの話って言ってましたけど。有名な話なんですよね? どうして『ここだけ』なんですか?」
「うーん。それがね、『幻の遺作』って実は本当に読んだことがある人はいないの」
「はあ?」
全てが予想外すぎて、千春は三度変な声を上げてしまう。
「作者の失踪によって、出版されることは叶わなかったかららしいわ。でも、それがなんと今年になって映画化するって噂がまことしやかに囁かれたの。誰の手によるものかわからないけれど、全部インターネット上のミステリマニアの間で広がる都市伝説みたいなものなんだけれどね」
もう何を言っているのかわからない。開いた口が塞がらない千春に、スタッフの彼女は困ったように笑う。
「そんな都市伝説を本気で追い求めるなんておかしいと思うでしょ?」
「いや、その前に……推理作家の存在すら怪しいと俺は思ってますけど」
「ああ、確かにそうよね。でも、彼の作品は少ないけれどちゃんと発表されているわ。とはいえ、今はもう絶版になっているものも多いそうだけど。一時期は超人気だったんだけど、ねえ?」
同意を求めるように呼びかけられても、あいにく千春は何も知らない。7年前はまだ中学に上がった頃である。
写真を眺め、ふと千春は疑問に思った。
「その作家さんって、どの世代に人気だったんですか?」
入場の時にも感じたが、思いの外、若い人たちも多かった。年齢にすれば、七緒と同年代くらいだろうか。中には山城優一や、それ以上の明らかに年配のご夫婦もいる。
「年代に関係なく、幅広く人気だったと思うわよ。さっきも言ったけど、若くてかっこいい人だったからね。まぁ若さは関係ないかもしれないけれど、論理的で筋道だった構成も評価が高くてね」
──ならばさして不自然でもないか。
千春はそう考えて、そもそも爆弾犯を探していたことを思い出した。
「……じゃあ、もしかして映画じゃなくて、その小説に出てくるんじゃ」
思わずそう呟くと、隣の女性が笑いながら手を振る。
「爆弾騒ぎのこと? 出てこないわよ」
「いやでも、本当に読んだことのある人はいないって──」
そうしたら中に何が書いてあるかも、誰も実際には知らないわけで。
ふるふると彼女は首を横に振って、ムキになって訂正する。
「だって、彼の作風からそれは明らかだもの。映画村で探偵助手が謎の死を遂げる。彼が得意とするのはハウダニット──どのように被害者は殺されたか、どのように犯人は殺害を成し遂げたか──よ。凶器が爆弾なんて、解明する『どのように』という謎がなくなっちゃうじゃない。警察小説や科学捜査ドラマじゃないんだから」
千春は彼女の勢いに圧倒されつつ、そういえばと思い返す。
確か七緒も『今日は記念日だから』と言っていた。つまり彼もこの盛況ぶりが『映画』ではなく、『小説』に端を発するものだと知っていた。
千春は七緒にメッセージを送る。
「七緒さんは小説のこと知ってたんですよね?」
しばらくして短い返信がある。
「うん」
前置きのない質問にも答えられるくらいだから、本当のことだろう。そして、隣の彼女と同じく、小説の内容もある程度知っているに違いない。
「でも、爆弾犯──」
と打ちかけて、千春はとっさに付け加えた。
「爆弾犯かもしれない人は、映画に詳しいって」
「だから、探し出せると思ってるんだよ」
今度の七緒の返信は早かった。
千春は納得する。
映画にもそこそこ詳しく、小説のことも知っている七緒なら、見学客たちがどちらを話題にして、どちらを目的にしているかを見極められる。
そこから『映画』に的を絞って探せばいいというわけである。
「千春くん。たぶん、団体のお客さんたちは違うと思うよ。聞いている限り、話題は『小説』のほう。念の為、『大学生くらいの若い女性』に該当する人は、教えて」
七緒からのメッセージを読み、千春は任務を遂行することに集中した。
まずグループA──大学生くらいというと、ほとんどいない。いても泉や七緒くらいの年代である。
グループBはAよりも年齢層は若めだが、本を持って写真に写っている人も多い。『幻の遺作』は出版されていないということだから、おそらく同じ作者の別の作品だろう。
記念日というには、千春にはいささか不謹慎な感じもするが、現実的に考えればあくまで都市伝説並みの、フィクションの出来事だからかもしれない。
それにもしも7年間行方不明だった人物が、劇的な復活を遂げる場面に居合わせられたら、感極まるどころの話ではないだろう。
写真に写る彼らの表情が一様に楽しげで、期待を胸にしている理由がわかった気がした。
個人客の写真に移ると、該当する人が4人ほどいる。そのうち2人は女性同士の組み合わせで、もう一人はカップルの女性のほう、そして最後は連れのいない一人きりでの入場である。
千春が番号と共に七緒に伝える。
七緒からは「わかった」と短い返信があった。
千春としては最後の一人で訪れた女性が最も近いと思う。グループA・Bと個人客の多くがわくわくした素振りと表情を見せる中、彼女は硬く強張った笑顔だったからである。
最初は写真そのものを断られるかと思ったが、逡巡の末、「お願いします」と小さく呟いたことを思い出す。
「七緒さん、気をつけて」
「ありがとう」
返事など要らなかったが、律儀に七緒は返してくれた。
あとは祈るしかない。
その時、山城優一からの連絡が入った。
「とあるセットの中に、見慣れないものがあるとスタッフから報告がありました」
どきりと心臓が跳ねた。
「白い封筒です。特に立体的なものが入っている様子はありません。これから開けてみます」
「気をつけて! それが爆発物かも!」
慌てた様子で七緒のメッセージが続く。
しんと静まった。
山城からの返答はない。
千春が我慢できずに、山城に電話する。呼び出し音が焦ったく3コール鳴った。
出るまで鳴らし続ける覚悟でいた千春だったが、3コール目が終わるか終わらないかのタイミングで、雑音が耳に入ってきた。
「山城さん!?」
「あぁ、千春くん」
「封筒、開けたんですか……」
「うん。爆発物じゃなかったよ」
「そう、ですか」
「聞かないんだね?」
「何をですか?」
「封筒の中身」
「…………何となくわかりますから」
「そう? 俺には予想外だったけどね」
そうか、山城は小説のことを知らない──。
千春が説明しようとしたその時、山城が言った。
「そっちに戻るよ。爆弾探しは、終わりにする」
ぷつりと切れた通話の直後、今度は七緒から連絡があった。
「見つけたよ」
「封筒の中身は爆弾じゃなかったそうです。予告の犯人を見つけたってことですか?」
「うん。それと」
七緒のメッセージはそこで途切れている。
「それと?」
千春が急かすように打つと、しばらくして返信があった。
「謎が、解けたよ」
謎が謎を呼ぶ展開に、千春は首を傾げることしかできず、七緒と山城の帰還をやきもきと待つことになるのだった。
予め、先に到着した団体客をグループA、次の団体客をグループBと呼ぶこととし、その他の個人客には1番から順に番号を振ってある。
写真を渡す時に間違えない為という名目で、それぞれに簡素ながら番号札を配布したのだ。
札といってもただの厚紙で、「写真を受け取った後は捨てるなり持ち帰るなり好きにしていいので、ここを出るまでは見えやすいようにしておいてください」ともスタッフが伝えてくれた。
『返さなきゃいけないもの』となると、鞄の中やポケットの中にしまいがちだが、後腐れのないものならば良くも悪くも適当に扱ってくれるかもしれないと見越してのことだ。
千春は写真を見て、誰がどの番号か確認できるが、肝心の風月七緒にそれが伝わらなければ犯人──と決まったわけではないが──を見つけることができない。
見学中もできるだけ七緒が認識できるように、目に見えるところに番号札を身につけておいて欲しいのだ。
かくいう七緒はグループAの後、個人客の中では一番最初に入場している。つまり1番を割り振られていて、他に女性1~3人の少数グループが3組、男性の一人客が七緒の他にふたり、男性の少数グループが2組、そして恋人や夫婦と思われる組み合わせが2組と、祝日の重ならない普通の土日よりも盛況だというから驚きである。
「どうして今日に限ってそんなに?」
千春が写真を整理しながら訊ねると、入場案内スタッフの女性がこう答えた。
「記念日だから、じゃないかしらね。と言っても、今年の今日に限ったことなんだけど」
「…………はい?」
「んーまぁ、ここだけの話──というか、別に世間一般にもこの通り知られてることだから言うけどね」
そう前置きした上で彼女が語ったところによると、初っ端から『幻の遺作』というなんとも創作感の否めない文言が出てきて、千春は眉を顰めた。
「『遺作』って一体誰の──?」
「だから、フィクションの中の登場人物よ」
「………………はあ」
色々と突っ込みどころがありすぎて、千春は一度全てを飲み込んで受け入れることにした。そうでもしないと話が進まない気がする。
「あのね」
それまで座ってPC操作をしていた千春の、斜め後ろに立っていた彼女が身を乗り出すように隣の椅子に座って捲し立て始めた。
何でも、とある有名な推理作家が書いたミステリ小説に、この映画村が登場すると言うのだ。
「具体的に『そう』とは書かれていないのよ? でも、大多数の人がわかる程度にははっきりと書いてあるのね。それで、その小説の登場人物──探偵の助手っていう設定なんだけど──は彼自身がモデルになっていてね、作品の中でこの映画村を訪れたその日に、亡くなってしまうの」
「──ここで?」
「そう!」
「…………というか、探偵の助手って語り手ってことですよね? 亡くなってしまったら、物語自体が破綻しませんか?」
「そうなの! だから、『幻の遺作』なのよ!!」
千春の頭の中は混乱していた。
要約すると、実在する推理作家の作品に登場する彼をモデルにした探偵助手が、作品の中のこの映画村で謎の死を遂げるというなんとも奇妙な物語で、その続きが永遠に書かれることがないという意味で『幻の遺作』というタイトルなのだそうだ。
「それってつまり、完結しないってことですよね?」
「その作品としてはね」
「──その作品としては?」
「彼──推理作家のほうね──は、『読者への挑戦』と銘打って、読者自身が探偵となって解決するべし! と『幻の遺作』の最後にそう記したの」
「解決するべし、って──」
「その探偵助手が作品中で亡くなる日付は、その物語が書かれた時点では未来の出来事──それこそが今年の今日というわけよ」
「それって、今日ここで実際に事件が起きるって意味じゃ、ないですよね?」
「うーん、それはないわね」
「どうして言い切れるんですか?」
「その推理作家ね、そこそこ売れていたし、顔もかっこよくて才能もあったのに、その『幻の遺作』を発表した直後に失踪してしまったの」
「失踪?」
「そう。もっと正確に言うと、解決編を発表しないまま表舞台には姿を見せなくなった。何の音沙汰もなく、本当の本当に解決しない、『幻の遺作』となってしまったというわけ。亡くなったかどうかは誰も知らないみたいだから、あくまで推理作家としての最期という意味でだけどね」
「それってどのくらい前の話なんですか?」
「7年前ね」
「7年?」
「そう。ネットに書いてあったけど、7年って失踪した人が戸籍上死亡したものとして扱われる区切りの年らしいわね。皮肉なものだけど、それでもここに集まっている人たちは彼が生きていると思ってここに来てるのよ。かくいう私もだけどね。さっきは失踪したから現れるわけないみたいなこと言って、矛盾してるようだけど。でも、彼の挑戦に勝てれば──ううん、自分たちが解けなくても、もしかしたら彼が戻ってきて自ら種明かしをしてくれるかもしれない。フィクションの中の探偵助手の命日は、推理作家である彼の復活の日。いつしかそういう噂が広まっていてね。何か自分たちがアクションを起こせば彼が答えてくれるかもっていう淡い期待があるのよね。せめて生きていることがわかればいい、ってそういう想いでね」
「…………その、ここだけの話って言ってましたけど。有名な話なんですよね? どうして『ここだけ』なんですか?」
「うーん。それがね、『幻の遺作』って実は本当に読んだことがある人はいないの」
「はあ?」
全てが予想外すぎて、千春は三度変な声を上げてしまう。
「作者の失踪によって、出版されることは叶わなかったかららしいわ。でも、それがなんと今年になって映画化するって噂がまことしやかに囁かれたの。誰の手によるものかわからないけれど、全部インターネット上のミステリマニアの間で広がる都市伝説みたいなものなんだけれどね」
もう何を言っているのかわからない。開いた口が塞がらない千春に、スタッフの彼女は困ったように笑う。
「そんな都市伝説を本気で追い求めるなんておかしいと思うでしょ?」
「いや、その前に……推理作家の存在すら怪しいと俺は思ってますけど」
「ああ、確かにそうよね。でも、彼の作品は少ないけれどちゃんと発表されているわ。とはいえ、今はもう絶版になっているものも多いそうだけど。一時期は超人気だったんだけど、ねえ?」
同意を求めるように呼びかけられても、あいにく千春は何も知らない。7年前はまだ中学に上がった頃である。
写真を眺め、ふと千春は疑問に思った。
「その作家さんって、どの世代に人気だったんですか?」
入場の時にも感じたが、思いの外、若い人たちも多かった。年齢にすれば、七緒と同年代くらいだろうか。中には山城優一や、それ以上の明らかに年配のご夫婦もいる。
「年代に関係なく、幅広く人気だったと思うわよ。さっきも言ったけど、若くてかっこいい人だったからね。まぁ若さは関係ないかもしれないけれど、論理的で筋道だった構成も評価が高くてね」
──ならばさして不自然でもないか。
千春はそう考えて、そもそも爆弾犯を探していたことを思い出した。
「……じゃあ、もしかして映画じゃなくて、その小説に出てくるんじゃ」
思わずそう呟くと、隣の女性が笑いながら手を振る。
「爆弾騒ぎのこと? 出てこないわよ」
「いやでも、本当に読んだことのある人はいないって──」
そうしたら中に何が書いてあるかも、誰も実際には知らないわけで。
ふるふると彼女は首を横に振って、ムキになって訂正する。
「だって、彼の作風からそれは明らかだもの。映画村で探偵助手が謎の死を遂げる。彼が得意とするのはハウダニット──どのように被害者は殺されたか、どのように犯人は殺害を成し遂げたか──よ。凶器が爆弾なんて、解明する『どのように』という謎がなくなっちゃうじゃない。警察小説や科学捜査ドラマじゃないんだから」
千春は彼女の勢いに圧倒されつつ、そういえばと思い返す。
確か七緒も『今日は記念日だから』と言っていた。つまり彼もこの盛況ぶりが『映画』ではなく、『小説』に端を発するものだと知っていた。
千春は七緒にメッセージを送る。
「七緒さんは小説のこと知ってたんですよね?」
しばらくして短い返信がある。
「うん」
前置きのない質問にも答えられるくらいだから、本当のことだろう。そして、隣の彼女と同じく、小説の内容もある程度知っているに違いない。
「でも、爆弾犯──」
と打ちかけて、千春はとっさに付け加えた。
「爆弾犯かもしれない人は、映画に詳しいって」
「だから、探し出せると思ってるんだよ」
今度の七緒の返信は早かった。
千春は納得する。
映画にもそこそこ詳しく、小説のことも知っている七緒なら、見学客たちがどちらを話題にして、どちらを目的にしているかを見極められる。
そこから『映画』に的を絞って探せばいいというわけである。
「千春くん。たぶん、団体のお客さんたちは違うと思うよ。聞いている限り、話題は『小説』のほう。念の為、『大学生くらいの若い女性』に該当する人は、教えて」
七緒からのメッセージを読み、千春は任務を遂行することに集中した。
まずグループA──大学生くらいというと、ほとんどいない。いても泉や七緒くらいの年代である。
グループBはAよりも年齢層は若めだが、本を持って写真に写っている人も多い。『幻の遺作』は出版されていないということだから、おそらく同じ作者の別の作品だろう。
記念日というには、千春にはいささか不謹慎な感じもするが、現実的に考えればあくまで都市伝説並みの、フィクションの出来事だからかもしれない。
それにもしも7年間行方不明だった人物が、劇的な復活を遂げる場面に居合わせられたら、感極まるどころの話ではないだろう。
写真に写る彼らの表情が一様に楽しげで、期待を胸にしている理由がわかった気がした。
個人客の写真に移ると、該当する人が4人ほどいる。そのうち2人は女性同士の組み合わせで、もう一人はカップルの女性のほう、そして最後は連れのいない一人きりでの入場である。
千春が番号と共に七緒に伝える。
七緒からは「わかった」と短い返信があった。
千春としては最後の一人で訪れた女性が最も近いと思う。グループA・Bと個人客の多くがわくわくした素振りと表情を見せる中、彼女は硬く強張った笑顔だったからである。
最初は写真そのものを断られるかと思ったが、逡巡の末、「お願いします」と小さく呟いたことを思い出す。
「七緒さん、気をつけて」
「ありがとう」
返事など要らなかったが、律儀に七緒は返してくれた。
あとは祈るしかない。
その時、山城優一からの連絡が入った。
「とあるセットの中に、見慣れないものがあるとスタッフから報告がありました」
どきりと心臓が跳ねた。
「白い封筒です。特に立体的なものが入っている様子はありません。これから開けてみます」
「気をつけて! それが爆発物かも!」
慌てた様子で七緒のメッセージが続く。
しんと静まった。
山城からの返答はない。
千春が我慢できずに、山城に電話する。呼び出し音が焦ったく3コール鳴った。
出るまで鳴らし続ける覚悟でいた千春だったが、3コール目が終わるか終わらないかのタイミングで、雑音が耳に入ってきた。
「山城さん!?」
「あぁ、千春くん」
「封筒、開けたんですか……」
「うん。爆発物じゃなかったよ」
「そう、ですか」
「聞かないんだね?」
「何をですか?」
「封筒の中身」
「…………何となくわかりますから」
「そう? 俺には予想外だったけどね」
そうか、山城は小説のことを知らない──。
千春が説明しようとしたその時、山城が言った。
「そっちに戻るよ。爆弾探しは、終わりにする」
ぷつりと切れた通話の直後、今度は七緒から連絡があった。
「見つけたよ」
「封筒の中身は爆弾じゃなかったそうです。予告の犯人を見つけたってことですか?」
「うん。それと」
七緒のメッセージはそこで途切れている。
「それと?」
千春が急かすように打つと、しばらくして返信があった。
「謎が、解けたよ」
謎が謎を呼ぶ展開に、千春は首を傾げることしかできず、七緒と山城の帰還をやきもきと待つことになるのだった。
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