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花柳 都子

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新天の志

心音の所在2

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 風月七緒かづきななお綿貫千春わたぬきちはると別れ、アポを取っていたイベント主催の市職員のもとへ取材に向かった。
 今頃、千春は美味しいものを食べつつ楽しんでいるだろうかと、取材を終えたその足でステージ付近へ移動しようとした時、数メートル先に落とし物を発見した。
 拾ってみると蛇腹折りの観光案内で、かろうじて踏みつけられてはいないようだったが、折り目はいろんなところについているし、小さな細かい字でメモも添えてある。端のほうは紙の繊維が見えるくらいボロボロになっていた。
 きょろきょろと辺りを見回してみるが、さすがに落とし主らしき人物がいるほど、世の中甘くはないらしい。
 ともあれ、捨てるのは忍びないものの、落とし物として届け出るほどでもないそれを、七緒は持ったまま会場内を歩いてみることにした。
 落とし主にばったりあった時に、当人が自分のものだと気がつくかもしれないという淡い期待を込めて、七緒はステージより先に入り口付近へ向かった。
 蛇腹折りを全部広げてよくよく中身を見ると、中からはY県の全体図が出てきた。どこにどういう観光地があるのか一目瞭然で、その一つ一つの観光地についてフォーカスを当てた案内が、その裏面に蛇腹折りに合わせた形で載っている。
 感心しつつ、七緒は丁寧にたたみ直す。メモをする時の筆圧なのか、どこを触ってもでこぼこしていて、よっぽど使い倒されているように見受けられた。
 歩きスマホならぬ歩き地図にならないように、七緒はできるだけ目立たせる持ち方を選んで、会場内を一周してみることにした。
 中には落とし物よりも人探しをしている雰囲気の人間が多く、すぐそこにも焦ったような不安そうな顔で通り過ぎていく男性の姿があった。
 眼鏡に、学校の先生ふうの風貌で、思わず七緒は彼の背中を視線で追った。
 どこか見覚えがある。彼は、確か──。
 七緒が去り行く彼を振り返った時、今度は七緒の背中に何かがぶつかった。
「すみません」
 突然の衝撃に、無意識に声が出る。
 名残惜しいと考える余裕もなく、男性から目を逸らし、七緒は衝撃の源を探るように後ろを向いた。
 そこには七緒にぶつかった衝撃で鞄の中身をばら撒いてしまった女性の姿があって──。

「すみませんでした」
「いえいえ、よそ見していたのは僕も同じですから」
 彼女は眉を下げて控えめに微笑む。
 きらりと左手の薬指で指輪が光った。
 七緒はおや?と思う。
 さっきの男性と同じく、彼女にも既視感を感じる気がする。
 失礼とは思いながらよく観察してみると、自然公園とその後の蕎麦屋で七緒たちが一方的に認識していた、あの女性だった。
 どこかあの時と印象が違うのだが、服装や表情の違いでそう見えるだけかもしれない。
 彼女に七緒のことがわかるはずもないので、七緒も知らないふりを続けることにする。
「おひとりで来られたんですか?」
 世間話としてこれくらいの話題は不自然ではなかろう。答えをなんとなく知っている七緒は、穏やかにそう訊ねた。
「……いい、……いや、うーん、はい、かなぁ……」
 明らかに「いいえ」と答えかけた彼女だったが、首を傾げたり、考え込んだりしながら、結局はっきりしない口調で弱々しくそう言った。
 『家庭内別居』そして旅行先での『別行動』を鑑みても、確かに難問ではあるだろうが、あくまで答え方がという意味で、七緒のような通りすがりの他人に、そこまで正直に答える必要もない。
 彼女の言い淀み方は、もっとこう、今この状況に置かれた彼女自身の立場に起因しているような、迷いはありつつも彼女自身の決断によるもののような。七緒はそう感じた。
 なぜなら彼女は、頬をかいて、恥ずかしそうに──はにかむというよりばつが悪そうに──七緒から視線を逸らしている。
 何か後ろめたいことがあるのだろう。
 少なくとも彼女自身は、今の自分の立場をそう考えている──。
「仲違いでもされたんですか?」
 彼女の視点に立てば、今この時点で七緒は彼女が一体誰と旅行に来たのかわからないはずなので、彼女の受け取り方次第では『友達』や『親』などと誤魔化すこともできる。
 七緒のほんの少し冗談っぽい笑いを混ぜた質問に、彼女はそっと自分の指輪に触れた。
 ──あぁそれじゃ、答えを言っているようなものだよ。
「…………そういう、わけじゃないんです」
 そして消え入りそうな声でそう呟いた。
 それは七緒にも、自分自身にさえ届かないような声音で、かろうじて彼女が一度素早く首を振ったことで、七緒はなんとか意訳に成功した。
「Y県にはどうして?」
 明るい調子で話題をがらりと変えると、彼女は少しほっとしたように、それでもやっぱりどこか憂げな表情で、ぽつりぽつりととりとめもなく語った。
 曰く、自分は東京に住んでいるが、夫の通った大学がY県にあるので、彼と一緒に遊びに来た。子どもはいないし、ふたりともフリーランスで仕事をうまく調整すれば休日も自由に取れるので、平日にゆっくり見て回ろうということになった。
 このところ一緒にいる時間も少なかったし、せっかくだから一週間くらい行かないかと夫に誘われ、楽しみにしていたという。
 Y県の観光地は実際に訪れるまで、名前すら知らないところもたくさんあった。けれど、道中に出会う人はみんな穏やかで親切で人懐こくて、どこもゆったりとした時間が流れているようで、Y県の魅力にどんどん引き込まれていったという。
「私、方向音痴で。よく周りの人に道を教えてもらいました」
 そう恥ずかしそうに笑いながら、彼女は地図を取り出した。
 蛇腹折りの、七緒が今持っていると全く同じものだった。彼女といる間は鞄にしまっているが、彼女のそれには訪れた観光地に赤く大きな◯がつけてあって、裏面の地図にも同様に印があった。
 Y市を拠点に県内をほぼ網羅するような形で、彼女は移動しているようだ。
「夫がつけてくれたんです。ここに行くからって」
「ずいぶん、たくさんありますね」
 こくんと頷きながら、彼女はふと遠い目をして言った。
「でも、ほとんど別行動なんですよ。信じられます?」
 ふふふと「信じられない」とばかりに声を漏らす彼女は、どうやら半ば開き直ったらしかった。
「一緒にいる時間が少なかったから、ってご旅行されたんじゃ?」
「ええ。家でふたりで食事したり、同じ時間を共有したりすることが少なくて──全然ないわけじゃ、ないんですよ?──でもよく考えたら、そんな夫婦が旅行でずっと一緒にいて、うまく行くはずなんてなかったんです。というより、『一緒にいることを当たり前』にするなんて、できなかったんです」
 どこに行くにも、お互いに好きなところを好きなだけ見て回るので、結果的にいつも『別行動』になってしまう。
「食事だって、私は食べるのが遅くて……彼は早いんですけど、私に気を遣わせるといけないからって先に店を出るんです」
 ──そんなの気にしなくていいのに、とでも言いたげな表情で、彼女はこう続けた。
「でも、私もそのほうが居心地いい、っていうか」
 ん? と七緒は思う。
 ──もしかして。
「どこかに移動する時、電車に乗っても隣同士に座ったりなんてしないし、一緒に旅行に来ても、本当に隣にいる時間なんてほとんどないんです。──でも、それが私は幸せだと思って
 過去形だった。
 七緒は静かに頷きながら先を促す。
「こんなに気を遣わなくていい相手がいる。自分が自分でいられる。そういう私を受け入れて、それでいいと認めてくれる。私の夫はそんな人だって」
 彼女は早口になって捲し立てるようにそう言った。
「だけど、ホテルの同じ部屋で寝泊まりしているうちに──普段は寝室も別なので──、知らない夫の姿ばかり見たんです。お風呂上がりや寝る前に、彼はこう過ごすんだ。歯磨きは意外と長くて、出かける支度ものんびりしてて、テレビを観てひとりで笑ったりするんだって。それが悪いってことじゃないんです。ただ、私って彼の何も知らなかったんだ──って。その時、ふと思ったんです。あれ、『夫婦』ってなんだっけ? ってなんだっけ? ってなんだっけ? って。なんか、全然、わからなくなっちゃったんです」
 みんなの言う『夫婦』や『幸せ』や『愛』とかけ離れている気がする。でも自分にはとても居心地がいい。自分の感覚がずれているのか。夫はどう思っているのか。私たちは、本当にこのままでいいのか──。何もかもわからなくなった。
 そう言って自嘲気味に笑みをこぼした彼女は、俯いて口を閉じた。
「それで、気分を入れ替えて『別行動』にしたんですか?」
「──えっ?」
「さっき、仲違いしたわけではないと仰っていました。でも、ここにはおひとりで来たと言う。つまり、今まで通り旦那さんとちゃんと示し合わせてここに来たのではなく、あなたはあなた自身の意思だけでここに来た」
「…………というのは語弊があるかもしれません。私は夫の次の行き先がここだと知っていました。ですから、たぶん──」
「あぁ。では、──に賭けたんですね?」
 七緒の悪戯っぽい笑みを見て、彼女は大きく目を見開く。
「どうして、そんなことまで……?」
「いえ、実は失礼ながら──」
 ふたりを以前見かけたことがあると、七緒は正直に話した。
 七緒が披露した『家庭内別居』の推理の件は端折ったが、ふたりの距離感は自然で、お互いがお互いを尊重し合っているように見受けられた、と。
「おふたりにはそれがちょうどいい距離感ということですよね。その距離感を難しく考えずに保てるのが『夫婦』なんだと、僕は思います。独身の僕が偉そうには言えませんが、『愛』の距離感なんて人それぞれです。夫婦や家族じゃなくても、SNSを通じて芸能人にも話しかけられる時代です。に対して、日常的にコメントを残す人もいれば、SNS上の機能でいいねや拡散だけをする人もいる、中にはのSNSにすら関わりたくない、雲上人であって欲しいと思う人だっているでしょう。それと同じです」
「…………同じ、ですかね?」
「『自分の幸せ』という意味で言えば似たり寄ったりだと思いますよ。距離が近ければ近いほど、相手の良いところや素敵なところが見える。けれど逆に、自分の価値観に合わないことや嫌なことも見えてしまうんです。たとえ見たくなくてもね。多少の嫌なことには目を瞑るのが、『夫婦』として生きていく秘訣なら、それを見ないようにするのもまたひとつの『夫婦』としての生き方だと思うんです。その距離感が他人には見えないから、比べたり妬んだり悩んだりしてしまうけれど、他人には見えない=ふたりだけの愛の形、と言い換えることもできる」
 七緒は彼女を真っ直ぐ捉えて、淡く微笑みながら告げる。
「…………ロマンチストなんですね」
「あなたの旦那さんには敵いませんけどね」
 破顔した七緒は、「飲み物を買ってきます」と言ってその場を去った。
 彼女は七緒の言葉の真意を知りたくて、きっと同じ場所で待っているはずだ。
 七緒が屋台でフレッシュジュースをふたつ買っていると、ピンポンパンポーンとお知らせ音が鳴った。
 続いた放送に、七緒は思わず「あははっ」と声を出してしまい、店員と周りの客たちに訝しがられながら、笑いを堪えつつ彼女のところへ戻った。
 七緒がジュースの感想を述べたりして彼女をほどよく焦らしているところに、3人の男女が駆け寄ってきた。
「あやめちゃ……! ……ん?」
 先頭で走ってきた、さっき彼女とぶつかる直前に七緒の目を奪った男性が、彼女の目の前まで来て首を傾げた。
「……七緒さん!?」
「おい、いずみ? 本当にこの人か?」
「はい」
 カメラを抱えた千春が女性というよりも、一緒にいた七緒の姿に驚き、放送をした張本人であるいずみに、成り行きでついてきたと思われる山城優一やまきゆういちが小声で訊ねる。
 自信ありげないずみは、そのまま続けた。
「確かに写真の印象と違いますが、髪を巻いて、メイクを華やかにして、服装も少し変えれば──」
 その先はいずみが手のひらで示した通り、の今の姿になる、というわけだ。
 感心する山城やまきの横で、目を白黒させながら千春が七緒に話しかけるべきか、それとも『夫婦』の行方を見守るべきか、はたまた県職員のふたりの話を聞くべきか、右往左往していた。
「千春くん。どう? 楽しんでる?」
「えっ、ええ? あぁ、はい」
 場違いな七緒の問いかけに、戸惑いながら頷く。
 質問自体は唐突だが、その解答は明白だ。
「あやめちゃん、なんだよね?」
「うん、アキラくん。ごめんね」

 アキラとあやめから少し離れて、4人は誰ともなしにこの状況の解説を求めた。
 とはいえ、全ての問いに答えられるのは七緒しかいない。
 あやめとばったり出会ったところから一部始終を、彼女のプライバシーに触れない範囲で話す。
「つまり、今回のは今までと同じ合意の上の『別行動』じゃなくて、あやめさんの独断による『別行動』だった、ってことですか?」
「うん」
「でも、それじゃ……アキラさんがここに来ないで、どこか別の場所を探す可能性だってあったんじゃ?」
「だから、賭けたんだよ」
 はっ、といずみが何かに気がついたように顔を上げる。
 そして七緒と同時に、顔を見合わせて言った。
「──に!」
 対して、千春と山城やまきはくすくすと笑い合うふたりを前に顔を見合わせて首を傾げた。

「なんか、まだ信じられないや。あやめちゃんじゃないみたい」
「ふふ。でも、声は私でしょ?」
「そうだけど──」
 アキラは彼女を頭からつま先まで見つめて、ゆっくり手を握ったと思うと、その手を引いて強く抱き寄せた。
 はっと千春と山城やまきが口を抑える。
 七緒といずみは穏やかな表情で見守っている。
「ちょ、ちょっと、アキラくん!?」
「……あぁ、ほんとだ。あやめちゃんだ」
「ちょっと、こんなところで、や、離して……」
 恥ずかしそうに身を捩るあやめを、より強く抱き締めて、アキラは呟く。
「ごめんね。この旅行中、あやめちゃんのそばにこんなに長い時間続けていることなかったから、緊張しちゃって。隣にいるのがなんか、恥ずかしくて。でも、そしたら──」
 ──距離が離れすぎちゃってたみたい。
 アキラは涙ぐみながらそう言って、身体を離して、あやめの手をぎゅっと握った。
 ふるふると首を振って、あやめが答える。
「──私は、今までがんだって思ってた。私、あなたのこと何も知らなくて。でも、ほんとはね、知ってたの。アキラくんが、今でも私のこと、可愛いって思ってくれてるって」
「えっ」
「ふふ。SNS、私が見てないと思ってた?」
「──見てくれてる、って思って書いてたんだよ」
「家では毎日、隣の部屋にいるのにね」
「うん。最初の頃は、よく喧嘩したよね」
「何もかも一緒にしよう、って言ってたからね。自分のペースでいられないことが、お互いに辛かったよね」
「でも、今はもうあやめちゃんとのがわかったから」
「うん。これからは、ちょっと一緒の時間が増えても、大丈夫かもね」
 ──あ、そうだ。
 アキラはゴソゴソと自分の鞄を探った。
「あれ?」
 ポケットの中や、全身を服の上から叩いても、何も出てこない。
「これ、落としましたよ」
 絶妙なタイミングで、七緒が地図を差し出す。
 蛇腹折の、ボロボロになった観光案内。
「あ、はは。ありがとうございます」
 彼はそう言って地図を広げる。
「あやめちゃん。僕たちが回った場所、覚えてる?」
「うん、もちろん」
「じゃあ、行った順に線で繋げてみて」
 頭に疑問符を浮かべながら、あやめはペンを取り出して、言われた通りになぞっていった。
 すると──。
 声にならない声を上げたあやめに、痺れを切らした七緒以外の3人が地図を覗き込む。
 同じく3人も感動の声を上げ、全員がアキラを見つめる。
「これって……」
 Y市を起点として、南に逆さ向きにひとつ、北に大きくひとつ、少し歪なハートの形が浮かび上がった。
「下のは、あやめちゃんに対する僕の気持ち、上のはこれからのふたりの関係に対する僕の、願い、いや、期待、でもなくて──覚悟、かな」
 ぽろり、と雫が頬を伝った。
 あやめはしばらく地図を眺めていたが、やがて自分からアキラに抱きついた。
 それでもやっぱり恥ずかしいのか、すぐに離れて「ありがとう」と満面の笑みを浮かべた。

「なるほどね、全部意味があったんだ」
 地図をぼけっと眺めていた千春の後ろで、七緒が呟く。
「七緒さん?」
 こっちおいでと手招きする七緒に、千春はついていった。
 一方、山城やまきいずみに袖を引かれ、ひと足先にその場を後にした。
「──そういえば、よく千春くんの写真を使おうなんて思ったな」
「あれは……課長の茶々がうるさかったからです」
「は?」
 答えになっていないいずみの不服そうな顔に、山城やまきは聞き返す。
「課長が散々、風月かづきさんのここがすごいだの、千春くんの写真は素晴らしいだの言ってきたんじゃないですか。ふたりとも視野が広くて、物事を客観視できる。だからお前も仲良くできるはずだ、って」
「あぁ、聞いてたんだなちゃんと」
「知ってたくせによく言いますよ。言っておきますけど、余計なお世話ですから」
「相変わらずクールだねぇ。別に俺は心配なんかしてないよ。ただ事実を淡々と述べたまでで」
 言い返したいことは山ほどあったいずみだが、これだけは言っておかねばと気がつく。
 立ち止まって背の高い山城やまきを見上げ、まるで宣戦布告のように言い放った。
「…………私だって、課長に心配されてるとは思ってませんから!!」
 ずんずんと山城やまきを置いて進む、いずみの小柄な背中を見て、彼は満足そうに笑うのだった。

「七緒さん? なるほどってなんですか?」
「うん。あのハート、他にも意味があったんだよ」
「意味?」
「彼女の名前は、あやめさんだよね。僕たちがふたりを見かけた自然公園は、今あやめが咲き誇ってる」
 無言で頷く千春を確認して、続ける。
「あやめの花言葉は──」
「……どういう意味ですか?」
「今回の場合は、彼があやめさんの幸せを願ってる、ってことじゃないかな。きっと、それだけじゃないけどね」
「……はあ」
「それから、自然公園の位置って、ハートの中心より少し左側に位置するんだよ。ハートって心臓のことも指すでしょ? 心臓=心音=ドキドキする。ね?」
「…………はあ」
 千春は頭にさっきの図を思い描いてみるが、そうとも言えるかな、くらいにしか思えず、曖昧に頷いた。
「それから、一週間最後の今日、ここに来た理由はY県特産の果物の果物言葉を伝えたかったからじゃないかな」
「果物言葉?」
「……おっと、これはだね。僕も使わせてもらおうかな?」
「……ちょっと無理やり、じゃないですか……?」
「僕が使うのが?」
「違いますよ。に例えるのが、です」
「じゃあもっと無理やりなこと言ってみる? ほら、ハートの数を増やせば、桜の花びらにも似てる。 桜の花言葉は──気になるなら自分で調べてみて。彼らにとって、これが『美しい愛の形』なのかもしれないね。ハートにしても桜にしても、ちょっと歪で、ずいぶん遠回しだけれど、それが相手の心に真っ直ぐ届くなら、もしかしたらなんて関係ないのかもしれないよね──」

 アキラとあやめはお礼を言いながら、東京に帰るためにY市内へと向かった。
 この旅の、そしてハートを描き終わる、終着点。
 いや、ここからが彼らの本当のスタートなのかもしれない。
 ふたりの笑顔こそ撮れなかったが、千春がこのイベントで収めた写真はどれも輝いていて、七緒も満足そうに頷いた。
「そういえば、その腕章どうしたの?」
「あぁ、七緒さんと入り口で別れた後、山城やまきさんが──」
「そう、じゃあきっと、山城やまきさんが気を遣ってくれたんだろうね」
「え?」
「女の子の焼きそばじゃなくても、あの場所にあのタイミングでいられたら、それで良かったんだと思うよ。きっと、僕と別れて一人になった千春くんを待ってたんじゃないかな」
「どうして、そんなこと……?」
「今日は休日だし、千春くんにとってこれは仕事じゃない。でも、それじゃ思う存分撮れないでしょ? それが、仕事の采配をしてる僕のせいだと思わせないため、それから千春くんに心置きなく楽しんでもらうため、山城やまきさんの素敵な心遣いだね」

 その夜、七緒は自分で描いたY県の地図上ハートをSNS用にアップした。

『あなたに心をげる』
 
 コメントはたったそれだけ──。
 きっと、七緒のに対する意思表示なのだろう。
 そう、の形は
 ──いくつあってもいいのだから。


 







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