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新天の志
商社マンの心眼
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午前10時になると、会場内の準備はほとんど整い、企業の担当者と思しき面々が続々と登場した。
首に名札を下げた泉が、綿貫千春そして風月七緒のところにやってきて、そっと腕章を渡してくる。
「すみませんが、不審者でないことの証なので」
千春は初めて彼女の声をちゃんと聞いたが、とても聞き取りやすく、大学時代は上京していただけあって、話す時は標準語に限りなく近かった。
ちなみに、ふたりと行動を共にする山城優一は、聞き取れないほどではないが、多少イントネーションに訛りがある。けれどそれが彼の人懐こさや親しみやすさの所以でもあるのだろう。見た目の印象が都会的なだけに、ちょっとしたユニークさがありつつ、穏やかで、ついつい話しかけたくなる雰囲気を持っている。
泉はと言えば、確かに無表情で言葉少なではあるものの、思えば最初の時から不思議と『感じが悪い』という印象はない。かといって愛想が良いわけでもないのだが、少なくとも悪い人ではないと千春は思う。
「あれ、泉。俺のはないの?」
にやにやと笑いながら、山城が訊ねる。
「ありません」
「なんで?」
「課長には県庁職員の名札があります」
「ああ、これね。こんなの毎日職場でもつけてるんだから、たまにはちょっとかっこいいやつ──」
「私はこれで」
直属の上司である山城には目もくれず、律儀に一礼して去っていく泉の後ろ姿を、笑いかけた表情のままで彼は見送る。
「まぁなんというか、私にはああいう感じですが、お年寄りには優しいですし、幼い子供たちにも人気なんですよ。今日みたいに他の課の手伝いもやってくれますし、困っている人にとても親切でしてね」
「あぁ、だから受付なんですね」
「……はは、わかりますか」
山城は恥ずかしそうに頭を掻いた。
七緒に図星をつかれたらしい。
千春が案の定首を傾げていると、七緒が言う。
「泉さんは優秀で親切──つまり、頭の回転が早くて、臨機応変に対応できる。老若男女に好かれて、困っている人に親切だとしたら、こういう場の受付には相応しいですよね。それに彼女の声は聞き取りやすく、訛りもほとんどありませんから、どこから来たどの世代の人にも、対応しやすい。受付はこの会場に来た人が一番最初に関わる立場ですから、安心して任せられる人にしたいですよね」
「……ええ。さすが風月さん。何でもお見通しで──。新卒採用の彼女の配属は私のいる観光課で、今年で3年目になりますが、いかんせん彼女の良さが発揮される機会が少ないんです。恥ずかしながら、私は彼女自身がこの配属をどう考えているかも未だに図りかねています。ですから、こういうイベントごとの時には、なるべく色んな経験をさせて、『自分が何をしたいか』考える機会を増やしていければと」
「……でも、地元を好きだと思う、って──」
「あくまで私の印象では、ですよ? 県庁の仕事は大体どれをとっても県の仕事ですから、地元密着です。たとえ自分が地元を愛していても、それを他所からくる他の人にも伝えたいかどうか、というのはまた別の話だと思うんです。彼女の場合は特に、地元を自嘲しているきらいがありますから」
「じちょう?」
「確かに、山城さんのお話を伺う限りでは、愛より『貶し』のほうが強く感じますね」
「ええ。彼女は若いですし──いえ、決してセクハラではありませんが──、『地元を愛してるなんて恥ずかしい』という、素直になれない気持ちのほうがおそらく前面に出てしまうんでしょう」
3人それぞれに泉の心情を推し量るように、一瞬その場を沈黙が支配した。
しかし、気を取り直した山城の号令で、3人は一度外に出る。
そろそろ参加者たちの入場が始まるので、会場の外で待つ人たちの様子を撮っておこうという算段である。
もちろんSNSに載せるには許可が必要だが、ネタはいくらあっても困らないので、できることはやっておこうと七緒とも話し合って決めた。
「私も事前に名簿を確認しましたが、大体午前と午後合わせて参加希望は100人前後でしょうか」
「そんなに!?」
千春が驚くと、山城は苦笑した。
「名簿だけはね、毎回それなりの数にはなるんです。でも料金が発生しているわけでもありませんから、実際には来ない人も多くて。それ自体も現状課題の一つではあるんですが、ことこの就職説明会にあっては、今は供給──就職先の企業の数が圧倒的に上回っている状態なんです」
「どこも不景気なのに、ですか?」
「車の中でも話したけど、この説明会の主たる目的は『知名度を上げること』なんだよ。説明会そのものの『知名度』もそうだし、県の取り組みとしての『知名度』に、企業側からすれば自分の会社の『知名度向上』の活動にしている部分もあると思うよ。でも、何にしてもまずはここに来てくれなければ何も始まらないからね」
「来ていただけたからと言ってご満足いただける保証ももちろんありません。でも、機会さえ与えられないという意味では、需要と供給双方にとって勿体無い時間だと思うんです」
はっ、と山城が、千春と七緒の背後に目を向ける。
そこには、この会場には珍しく若い男性がいた。
千春は彼の姿が比較的人の多い場所へ重なった瞬間でシャッターを切った。
この写真だけを見たら、「こんなに人がいるんだ!」と勘違いさせるかもしれないが、何のことはないスタッフや企業側の担当者たちも中には混じっている。
つまり、都合のいいように切り取っただけだ。
千春としてはこれもある種『写真』の有用な使い道だと考えていて、景色の美しさや素晴らしさとはまた別に、現実的な側面での『写真』の在り方と捉えている。
とはいえ、おそらくSNSに載せる写真として、事実と異なっている部分もある。仮に七緒が千春と同じように割り切って考えるタイプだったとしても、この写真は選ばないだろうなと思った。
参加者と見られる若い男は迷わず会場内に入って行って、受付の泉の前に立った。
あらかた外の様子は撮り終わっていたので、良いタイミングと3人も会場内に戻る。
「……あーちゃん? やっぱり! あーちゃんだよね、久しぶり!」
完全な標準語で、彼はあーちゃんあーちゃんとしきりに泉に声をかけている。随分と興奮した様子で、手まで握りそうな勢いである。
「俺のこと覚えてない? 大学で同じゼミだったじゃん! ねえ、あーちゃ……」
「こんにちは。お名前、書いていただけますか?」
千春は遠目からだったが、彼女が笑うところを初めて見た。とはいっても、どう見ても引き攣っていたし、むしろ目の前の彼を快く思っていないからこその態度とも取れた。
促されるまま名前を記入し、まだ話しかけたそうな彼に半ば無理やり参加者専用の名札を押し付け、「次の方どうぞ~」と声をかけている。
彼は名残惜しそうにしつつも、会場内に入って、そこからは他の参加者と同様に各企業のブースを思い思いに回っていた。
千春たち3人も邪魔にならないようにしながら、取材の旨を伝えて、様子を撮影させてもらった。
午前の部もそろそろ終わろうかという頃、七緒の提案で帰りがけの彼にインタビューを申し込むことにした。
「あの、すみません。もしよろしければ、インタビューにご協力いただけませんか?」
にこやかに彼を引き留めたのはもちろん山城だった。県の職員として、彼が声をかけるのが最も警戒されなくて済むだろうという、小狡い計画だった。
「インタビュー?」
「ええ。いかがですか?」
かくかくしかじかと簡単に説明した山城に彼は頷く。
「まあ、いいですけど」
「ありがとうございます」
そう言って七緒にバトンタッチした。
さすがに写真は控えたが、先ほど説明を受けているシーンを撮っておいたので、反応が上々ならその使用許可をもらう手筈であった。
「ではまず、どこでこの説明会をお知りになりましたか?」
「ホームページです。県の」
えっ、と山城が千春と七緒の背後で小さく声を漏らす。2人だけでなく、おそらく目の前の彼も気づいただろうが、誰もその件には触れなかった。
「申し込んだ経緯とか、理由とか、差し支えなければ教えていただけますか?」
「──あー、こんなこと言うと、この説明会の趣旨には反しているのかもしれませんが……」
「構いませんよ」
言い淀む彼に愛想よく七緒が答える。
「僕、実は東京の商社で働いているんです。就職目当てじゃなくて申し訳ないんですが、正直なところを言うと、取引先の候補をできるだけたくさん見つけたくて参加しました。取引先の拡大は会社としても、僕としても大きな課題でして。途方に暮れていたんですが、折よく地方の取引先を増やそうという取り組みが始まって、どこでも好きなところに会社の経費で行っていいってことになって。だったら、Y県にしようって」
「……どうしてうちに?」
山城が興味深げに訊ねる。
「……あーちゃ、ああいや、泉さんがいるからです」
「えっ!?」
またしても山城が驚きの声をあげ、千春と七緒も声こそ出さなかったが、彼と山城を思わず交互に眺めてしまう。
「泉さんは大学時代の同級生で。同じゼミに所属していました。少なくとも他の子たちよりは仲が良かったと思います。たくさん笑ったり、楽しげな会話をする子ではないんですけど、でも、地元──Y県の話をする時だけはなんだか、他の子たちより大人びていた彼女が年相応の、いやそれよりもっと幼く見えた感じがして。彼女、地元を自慢したい時、言い方に少し棘はあるんですけど、僕が褒めるような返事をすると、はにかんだりするんです。あぁ、この子、本当に地元が好きなんだなって──。この子をこんなに幸せそうな顔にさせるところなら、いつか僕も行ってみたいって思うようになったんです」
「それで、この機会に──?」
七緒の声に彼は頷く。
隣で聞いていた山城は言葉にならないのか、声を詰まらせる。それでもこの感動を伝えたいのか、彼の肩をとんとんと両手で叩いた。
まるで『よくやった!』とでも言いたげだ。
「…………あの、インタビューに答えた代わりと言ってはなんですが」
「なんでしょう?」
「泉さんは、どういうお仕事をされてるんですか?」
ごほんと咳払いを一つして、山城が任せろとばかりに口を開く。
「あ、ちょっと待ってください」
息を吸ったところで、彼に制止され、山城はそのままの姿勢で固まる。
彼の首に下げられた名札を凝視して、彼は少し自分より背が高い山城を睨むように見上げた。
「もしかして、あーちゃんの上司の方ですか?」
「……えっ、ええ、いかにも」
戸惑いつつ返事をする山城に、彼は鋭い視線を向ける。
「なんでこんな仕事をさせてるんですか! 彼女は、あーちゃんは、『Y県のいいところ、もっとみんなに知って欲しい』、『もっと来て、見て、楽しんで欲しい』、『ど田舎で何にもないように見えるけど、綺麗で、美味しくて、実は有名なものだってたくさんあって、きっとまた来たくなる、恋しくなるところなんだから!』って言ってたのに! あなたが、こういう仕事ばっかりさせるから、あーちゃんあんなふうに──!」
山城の胸ぐらを掴み、揺さぶるような勢いで、彼は大きな声を張り上げる。
周りにいる人が振り向くくらいには目立っているし、簡単に声が届く距離ではないながらもすぐ背後にある受付にも筒抜けであろう。
そしてそこには当然、『あーちゃん』がいて──。
「もうやめてよ! 恥ずかしい!!」
というようなことを、とうとう彼女は強い地元の訛りで叫んだのだった。
早口な上にネイティブすぎて、千春には全く聞き取れなかったが、仕草と表情からそれらしい台詞であることは間違いない。
現場の空気が凍りついたまま、山城がそっと胸ぐらの彼の手を解く。
首に名札を下げた泉が、綿貫千春そして風月七緒のところにやってきて、そっと腕章を渡してくる。
「すみませんが、不審者でないことの証なので」
千春は初めて彼女の声をちゃんと聞いたが、とても聞き取りやすく、大学時代は上京していただけあって、話す時は標準語に限りなく近かった。
ちなみに、ふたりと行動を共にする山城優一は、聞き取れないほどではないが、多少イントネーションに訛りがある。けれどそれが彼の人懐こさや親しみやすさの所以でもあるのだろう。見た目の印象が都会的なだけに、ちょっとしたユニークさがありつつ、穏やかで、ついつい話しかけたくなる雰囲気を持っている。
泉はと言えば、確かに無表情で言葉少なではあるものの、思えば最初の時から不思議と『感じが悪い』という印象はない。かといって愛想が良いわけでもないのだが、少なくとも悪い人ではないと千春は思う。
「あれ、泉。俺のはないの?」
にやにやと笑いながら、山城が訊ねる。
「ありません」
「なんで?」
「課長には県庁職員の名札があります」
「ああ、これね。こんなの毎日職場でもつけてるんだから、たまにはちょっとかっこいいやつ──」
「私はこれで」
直属の上司である山城には目もくれず、律儀に一礼して去っていく泉の後ろ姿を、笑いかけた表情のままで彼は見送る。
「まぁなんというか、私にはああいう感じですが、お年寄りには優しいですし、幼い子供たちにも人気なんですよ。今日みたいに他の課の手伝いもやってくれますし、困っている人にとても親切でしてね」
「あぁ、だから受付なんですね」
「……はは、わかりますか」
山城は恥ずかしそうに頭を掻いた。
七緒に図星をつかれたらしい。
千春が案の定首を傾げていると、七緒が言う。
「泉さんは優秀で親切──つまり、頭の回転が早くて、臨機応変に対応できる。老若男女に好かれて、困っている人に親切だとしたら、こういう場の受付には相応しいですよね。それに彼女の声は聞き取りやすく、訛りもほとんどありませんから、どこから来たどの世代の人にも、対応しやすい。受付はこの会場に来た人が一番最初に関わる立場ですから、安心して任せられる人にしたいですよね」
「……ええ。さすが風月さん。何でもお見通しで──。新卒採用の彼女の配属は私のいる観光課で、今年で3年目になりますが、いかんせん彼女の良さが発揮される機会が少ないんです。恥ずかしながら、私は彼女自身がこの配属をどう考えているかも未だに図りかねています。ですから、こういうイベントごとの時には、なるべく色んな経験をさせて、『自分が何をしたいか』考える機会を増やしていければと」
「……でも、地元を好きだと思う、って──」
「あくまで私の印象では、ですよ? 県庁の仕事は大体どれをとっても県の仕事ですから、地元密着です。たとえ自分が地元を愛していても、それを他所からくる他の人にも伝えたいかどうか、というのはまた別の話だと思うんです。彼女の場合は特に、地元を自嘲しているきらいがありますから」
「じちょう?」
「確かに、山城さんのお話を伺う限りでは、愛より『貶し』のほうが強く感じますね」
「ええ。彼女は若いですし──いえ、決してセクハラではありませんが──、『地元を愛してるなんて恥ずかしい』という、素直になれない気持ちのほうがおそらく前面に出てしまうんでしょう」
3人それぞれに泉の心情を推し量るように、一瞬その場を沈黙が支配した。
しかし、気を取り直した山城の号令で、3人は一度外に出る。
そろそろ参加者たちの入場が始まるので、会場の外で待つ人たちの様子を撮っておこうという算段である。
もちろんSNSに載せるには許可が必要だが、ネタはいくらあっても困らないので、できることはやっておこうと七緒とも話し合って決めた。
「私も事前に名簿を確認しましたが、大体午前と午後合わせて参加希望は100人前後でしょうか」
「そんなに!?」
千春が驚くと、山城は苦笑した。
「名簿だけはね、毎回それなりの数にはなるんです。でも料金が発生しているわけでもありませんから、実際には来ない人も多くて。それ自体も現状課題の一つではあるんですが、ことこの就職説明会にあっては、今は供給──就職先の企業の数が圧倒的に上回っている状態なんです」
「どこも不景気なのに、ですか?」
「車の中でも話したけど、この説明会の主たる目的は『知名度を上げること』なんだよ。説明会そのものの『知名度』もそうだし、県の取り組みとしての『知名度』に、企業側からすれば自分の会社の『知名度向上』の活動にしている部分もあると思うよ。でも、何にしてもまずはここに来てくれなければ何も始まらないからね」
「来ていただけたからと言ってご満足いただける保証ももちろんありません。でも、機会さえ与えられないという意味では、需要と供給双方にとって勿体無い時間だと思うんです」
はっ、と山城が、千春と七緒の背後に目を向ける。
そこには、この会場には珍しく若い男性がいた。
千春は彼の姿が比較的人の多い場所へ重なった瞬間でシャッターを切った。
この写真だけを見たら、「こんなに人がいるんだ!」と勘違いさせるかもしれないが、何のことはないスタッフや企業側の担当者たちも中には混じっている。
つまり、都合のいいように切り取っただけだ。
千春としてはこれもある種『写真』の有用な使い道だと考えていて、景色の美しさや素晴らしさとはまた別に、現実的な側面での『写真』の在り方と捉えている。
とはいえ、おそらくSNSに載せる写真として、事実と異なっている部分もある。仮に七緒が千春と同じように割り切って考えるタイプだったとしても、この写真は選ばないだろうなと思った。
参加者と見られる若い男は迷わず会場内に入って行って、受付の泉の前に立った。
あらかた外の様子は撮り終わっていたので、良いタイミングと3人も会場内に戻る。
「……あーちゃん? やっぱり! あーちゃんだよね、久しぶり!」
完全な標準語で、彼はあーちゃんあーちゃんとしきりに泉に声をかけている。随分と興奮した様子で、手まで握りそうな勢いである。
「俺のこと覚えてない? 大学で同じゼミだったじゃん! ねえ、あーちゃ……」
「こんにちは。お名前、書いていただけますか?」
千春は遠目からだったが、彼女が笑うところを初めて見た。とはいっても、どう見ても引き攣っていたし、むしろ目の前の彼を快く思っていないからこその態度とも取れた。
促されるまま名前を記入し、まだ話しかけたそうな彼に半ば無理やり参加者専用の名札を押し付け、「次の方どうぞ~」と声をかけている。
彼は名残惜しそうにしつつも、会場内に入って、そこからは他の参加者と同様に各企業のブースを思い思いに回っていた。
千春たち3人も邪魔にならないようにしながら、取材の旨を伝えて、様子を撮影させてもらった。
午前の部もそろそろ終わろうかという頃、七緒の提案で帰りがけの彼にインタビューを申し込むことにした。
「あの、すみません。もしよろしければ、インタビューにご協力いただけませんか?」
にこやかに彼を引き留めたのはもちろん山城だった。県の職員として、彼が声をかけるのが最も警戒されなくて済むだろうという、小狡い計画だった。
「インタビュー?」
「ええ。いかがですか?」
かくかくしかじかと簡単に説明した山城に彼は頷く。
「まあ、いいですけど」
「ありがとうございます」
そう言って七緒にバトンタッチした。
さすがに写真は控えたが、先ほど説明を受けているシーンを撮っておいたので、反応が上々ならその使用許可をもらう手筈であった。
「ではまず、どこでこの説明会をお知りになりましたか?」
「ホームページです。県の」
えっ、と山城が千春と七緒の背後で小さく声を漏らす。2人だけでなく、おそらく目の前の彼も気づいただろうが、誰もその件には触れなかった。
「申し込んだ経緯とか、理由とか、差し支えなければ教えていただけますか?」
「──あー、こんなこと言うと、この説明会の趣旨には反しているのかもしれませんが……」
「構いませんよ」
言い淀む彼に愛想よく七緒が答える。
「僕、実は東京の商社で働いているんです。就職目当てじゃなくて申し訳ないんですが、正直なところを言うと、取引先の候補をできるだけたくさん見つけたくて参加しました。取引先の拡大は会社としても、僕としても大きな課題でして。途方に暮れていたんですが、折よく地方の取引先を増やそうという取り組みが始まって、どこでも好きなところに会社の経費で行っていいってことになって。だったら、Y県にしようって」
「……どうしてうちに?」
山城が興味深げに訊ねる。
「……あーちゃ、ああいや、泉さんがいるからです」
「えっ!?」
またしても山城が驚きの声をあげ、千春と七緒も声こそ出さなかったが、彼と山城を思わず交互に眺めてしまう。
「泉さんは大学時代の同級生で。同じゼミに所属していました。少なくとも他の子たちよりは仲が良かったと思います。たくさん笑ったり、楽しげな会話をする子ではないんですけど、でも、地元──Y県の話をする時だけはなんだか、他の子たちより大人びていた彼女が年相応の、いやそれよりもっと幼く見えた感じがして。彼女、地元を自慢したい時、言い方に少し棘はあるんですけど、僕が褒めるような返事をすると、はにかんだりするんです。あぁ、この子、本当に地元が好きなんだなって──。この子をこんなに幸せそうな顔にさせるところなら、いつか僕も行ってみたいって思うようになったんです」
「それで、この機会に──?」
七緒の声に彼は頷く。
隣で聞いていた山城は言葉にならないのか、声を詰まらせる。それでもこの感動を伝えたいのか、彼の肩をとんとんと両手で叩いた。
まるで『よくやった!』とでも言いたげだ。
「…………あの、インタビューに答えた代わりと言ってはなんですが」
「なんでしょう?」
「泉さんは、どういうお仕事をされてるんですか?」
ごほんと咳払いを一つして、山城が任せろとばかりに口を開く。
「あ、ちょっと待ってください」
息を吸ったところで、彼に制止され、山城はそのままの姿勢で固まる。
彼の首に下げられた名札を凝視して、彼は少し自分より背が高い山城を睨むように見上げた。
「もしかして、あーちゃんの上司の方ですか?」
「……えっ、ええ、いかにも」
戸惑いつつ返事をする山城に、彼は鋭い視線を向ける。
「なんでこんな仕事をさせてるんですか! 彼女は、あーちゃんは、『Y県のいいところ、もっとみんなに知って欲しい』、『もっと来て、見て、楽しんで欲しい』、『ど田舎で何にもないように見えるけど、綺麗で、美味しくて、実は有名なものだってたくさんあって、きっとまた来たくなる、恋しくなるところなんだから!』って言ってたのに! あなたが、こういう仕事ばっかりさせるから、あーちゃんあんなふうに──!」
山城の胸ぐらを掴み、揺さぶるような勢いで、彼は大きな声を張り上げる。
周りにいる人が振り向くくらいには目立っているし、簡単に声が届く距離ではないながらもすぐ背後にある受付にも筒抜けであろう。
そしてそこには当然、『あーちゃん』がいて──。
「もうやめてよ! 恥ずかしい!!」
というようなことを、とうとう彼女は強い地元の訛りで叫んだのだった。
早口な上にネイティブすぎて、千春には全く聞き取れなかったが、仕草と表情からそれらしい台詞であることは間違いない。
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