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花柳 都子

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新天の志

白に染めて

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 綿貫千春わたぬきちはる風月七緒かづきななおがホテルに帰ってきた時には、もう21時近かった。
 山城優一やまきゆういちは、明日の午前中の予定は取材が入っているので動かせないと、申し訳なさそうに頭を下げながらも、「9時に迎えにきます」とはっきり言って去っていった。
「そういえば、幽霊問題が解決してなかったね」
 部屋に戻る道すがら、七緒があまりにもさりげなく千春に声をかけた。
 その言葉に当の千春は、はたと立ち止まる。
 そうだった。
「幽霊、なんですか……やっぱり」
「まぁいないとは言い切れないからねぇ」
 そう言いつつ、七緒は自分の部屋の鍵を開けた。
 引き止めるわけにもいかず、千春は名残惜しそうに七緒の手元を見つめる。
「さて。お風呂に入りに行こうかな。千春くんも一緒に行く?」
 わざとらしい七緒の言葉に感謝しながら、千春はこくこくと激しく頷く。
「じゃあ、準備しておいで。部屋のドア開けておくから」
 千春は隣の自分の部屋のキーロックを開けて、支度を済ませると、七緒の部屋の前に戻った。
「千春くん、これが僕の答えだよ」
「…………へ?」
 七緒がくすくすと笑いながら、ドアを不必要にそっと閉める。
 意図が掴めない千春は疑問符を浮かべつつ、七緒と共に大浴場へ向かう。
 その道中に通りかかった、幽霊を見た廊下──。
 左側を恐る恐る確認するが、人はいなかった。
 千春がほっと七緒のいるほうを振り向くと、七緒の奥からひとりの女性が歩いてくる。
 ──ん?
 彼女は白い服を着て、白い服を抱えていた。
 なんでもないふうに十字路にいるふたりの前を横切って、幽霊が消えた廊下へ進んでいく。
 両手いっぱいの衣服は顔を隠していて、キーロックを外す時に抱えていた服がはらりと宙を舞った。
「あっ」
 思わず千春は走り寄って、落ちた衣服を拾い上げる。
「すみません」
「いえ」
 結局、顔は見せないまま、彼女はなんとか開錠したドアを体全体で押し開けながら、千春から服を受け取って部屋の中へ消えていった。
 十字路で待つ七緒の元へ戻ると、にこにこと彼が笑っていて、千春は首を傾げながら目で訊ねる。
「たぶん、彼女がの正体じゃないかな?」
「えっ?」
 歩きながら話そうと言うので、大浴場に向かいながら、七緒の推理を聞く。
「千春くんがを目撃した深夜、きっと彼女は同じようにランドリーを利用した」
 確かにあれはどう見てもランドリーの帰りだった。
 彼女の部屋はランドリーのある廊下を真っ直ぐ進んだところ。文字通り直線距離でせいぜい十数メートル程度だろう。
「ポイントは、千春くんが目撃したのは夜中であったこと、連日洗濯していた事実から鑑みて彼女はおそらく綺麗好きであること、そして洗濯物を落としてしまったこと──」
 全くわからない。
 七緒は微笑んだ。
「たぶん、彼女は夜中にランドリーに行った時、ドアを開けたままだったんだと思うよ」
「開けたまま?」
「そう。オートロックだから、鍵を持って出ないわけにはいかない。でも鍵を持って出たら、当然、戻ってきた時には鍵をもう一度開けなきゃいけない。両手いっぱいの洗濯物を抱えて」
「籠や袋に入れればいいのに……」
「いや、まぁ正論だけどね。持ってくるのを忘れちゃうことだってあるんじゃないのかな。部屋にランドリー袋みたいなものもなかったしね」
「つまり、俺が見たのは洗濯物をいっぱい抱えた彼女で、開いたままの部屋に戻ったから、鍵を開ける音も、ドアを開ける音も聞こえなかった……?」
「そう。千春くんも十字路から消えたほうを見ただけで、ドアの前まで行ったわけじゃないんでしょ?」
「まあ、それはそうですけど……」
 なんせ怖かったから──。
 千春はばつが悪そうに視線を逸らす。
 けれど、ドアが開いていれば気がつくだろう。光が漏れるだろうし、ドアを閉める音だって聞こえなかった。
 そう反論したそうな千春を見て、七緒は先回りして答えた。
「静かに閉めるんだよ、音が立たないように。さっき見たでしょ? 僕が自分の部屋のドアを閉めるところ」
 確かに、それほど音がしなかったように思う。
 カチャリくらいは聞こえたかもしれないが、よほど意識しなければ気がつかないだろう。
「…………でも、女性ひとりがドアを開けっぱなしで部屋を出ますかね?」
「ひとりとは限らないけど、たぶんこの辺は全部シングルの部屋だろうしね。たとえそう仮定しても、夜中だし、部屋を出る時もそっと開けて出れば、そもそも部屋を出入りしていることにも気づかれないんじゃない?」
 まぁそう言われればそうかもしれない、と千春もだんだん思ってきた。でも、そんなことに思い至るなんてやはり彼の推理力の賜物か──?
「……七緒さんは、知ってたんですか? 彼女の存在を」
 これくらいしかこの解答に辿り着ける余地がない気がする。
「ううん全然」
「………………」
「でもね、僕もよくやるから」
「え?」
「今朝、君を起こしに行った時も、今、君の支度を待ってる時も、開けっぱなしにしてたでしょ。コインランドリーが近くにあって、利用するのが夜中だったら僕もそうするかなって」
「……はあ」
 なんのことはない。
 彼自身の体験談だったのだ。
 確かに彼は、千春の『白い服の女の人みたい』という形容を『白い服の女の人なんじゃない?』と言っていたし、今朝の出来事はともかく、戻ってきてからの彼の行動は全て千春にヒントをくれていたのだ。
「で、でも、推測だから教えられないっていうのは……?」
 今ここで彼女がランドリーを使うことを、七緒が予測できたはずはない。つまり、推測を裏付ける証拠を手にする機会を偶然に頼ったということなのか?
「まぁここに滞在する数日の間にそういう機会があればいいかなと思って。まさかこんなに早く現れてくれるとは思わなかったけど」
「……ちなみにあの人が綺麗好きというのは?」
「だって、月曜日の夜中にわざわざ洗濯なんかするかなって。大概、滞在から数日経ってそこそこ洗濯物が溜まってから洗濯する。それに、普通、休日はビジネスホテルには泊まらないし、たとえばイベントや何かで休日に泊まったとしても、終われば帰るんだから、家に帰ってから洗濯すればいい」
「…………それしか服を持ってきてないとか」
「だとしたら、余計に綺麗好きじゃない。一日二日同じ服を着たって、よっぽど汗をかいたとか、汚れてしまったとかじゃなければ、わかりっこないよ。それをちゃんと洗濯するんだから、彼女はきっと綺麗好きだよね」
 ぐぬぬ。
 言い返すことがなくなった千春は、『幽霊でなくて良かった』と思う反面、『そんな簡単なこと?』という思いにとらわれた。
「それって、単なる当てずっぽうじゃ……」
「あはは、そうだよ。千春くんは、僕を買い被ってるふしがあるけど、僕だって人並み以上にズボラなところがあるし、適当に相槌打ってるだけの時もあるし、全く論理的じゃない考え方をすることだってある。今のだって、想像でしかないけど、特別否定する材料もないでしょ?」
「……はい」
「幽霊と同じだよ。いるかもしれないけれど、僕には見えないから証明できない。彼女が幽霊の正体であるかもしれないけれど、そうでないかもしれない。幽霊の正体が彼女だったとしても、今説明したことが当たっているとは限らない」
「…………はい?」
 だんだんよくわからなくなってきた。
 戸惑う千春を見て、七緒は言う。
「千春くんはさ、『白』ってどういうことだと思う?」
「は?」
「だから、『白い』ってどういう色?」
「『白い』は『白い』じゃないんですか?」
「じゃあ、質問の仕方を変えよう。『白』は無色?」
「…………『無色』は『透明』ですよね」
「じゃあ、『透明』だったら『無色』?」
「えっ……」
「『透明』だったら、『透けて見える』んだから、僕たちの目にはその『透けてる色』が見えてるわけで、『無色』じゃないでしょ?」
「…………そんな屁理屈みたいな…………」
「そうだよ、屁理屈だよ? じゃあ『白』はどう?」
 ──それこそ『真っ白になる』とか『清廉潔白』とか言うけど……。
「……す、……」
「す?」
「…………全ての、原点……とか?」
 自分で言っていて恥ずかしくなった。
 千春はもごもごと言い訳するように、言葉にならない声を発する。
「お、いい考えだね。確かに、『何色にも染まる』って言うよね」
 笑うこともなく、穏やかに肯定してくれる七緒に、千春はこくりと頷く。
「じゃあさ、『白』には染まらないのかな?」
「…………『白』を上塗りするってことですか?」
 そう聞くとなんだか印象が悪い気がする。
 修正テープや修正液もそうだが、『白が原点』という考え方に沿うのであれば、『なかったことにする』とも取れる。
「上塗りって言うと嫌な感じがするけど、横断歩道や路面表示も黒い道路の上に白く書かれてるし、運動会でよく目印に使う石灰も白だよね」
 同意を求められて思わず頷くと、七緒が「じゃあ」と話を続ける。
「──『道標』や『目標』っていう言い方もできると思わない?」
 はっ、と千春は七緒を見る。
「人生、失敗することもあるし、大事なものを失うことだってある。『お先真っ暗』なんて思うかもしれない。でも、僕はね。たとえ最初の『真っ白』に戻ることができなくても、『白』は『透明』じゃないから染めることもできるし、染まることもできると思うんだよ。『白』と他の色が程よく綺麗に混じり合うこともあるってね。たとえ、『黒』が相手でも『白』なら埋まることがない。どっちが色として強いかっていう議論じゃなくて、もっと単純に、どんなに暗くて黒いところがあっても、『白』なら明るくて見つけやすくて、染めることができるよねって」
「……そう、ですね」
 すう、と七緒が大きく息を吸う。
「──僕は千春くんの写真を見て、そう感じたんだよ」
「え?」
「君のお父さんが見せてくれた。とても素敵な写真だったよ。こういうのが僕は見たかったんだって」
「…………それって、」
「君には暗くて黒い過去かもしれない」
「………………」
「でも、それを今から『白』に染めることも、明るく眩しい未来に変えることも、僕はできると思ってるよ」





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