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eyes to me~私を見て⑤

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「――?」



美名は、何かを感じて振り返るが、諦めた様な笑みを浮かべて鏡の中の自分に向き直る。



「お姉ちゃん、急に動かないで?」



桃子が頬を膨らませ、背中のボタンを外していく。



「ごめ~ん……
なんか、空耳かな……」



一つ一つ、ボタンが外れる度に身体の緊張が解れて、思わず息を吐いてしまう。



「あ――本当に脱ぐの勿体ない……
こんなに似合うのに……」


桃子は惜しそうに、背中の一番上のホックを外す。



「毎日こういうの、着ればいいのに――」



「無理言わないでよ……」


美名は苦笑した。



桃子は、美名のバッグの着替えを見てあっ、と声を上げる。



「お姉ちゃん、TシャツとGパンしか持ってきてないの?」



「うん」



「あああっ――!何かもうちょい可愛い服、持ってきておけば良かった――!」



桃子は悔しがる。



「いいじゃない……それで。一番動きやすいし」



「え――っでも」




「だったら、アレ着て出ようかな」



口を尖らせる桃子に、美名は部屋の壁に掛けてある、ピンクはまじろうスーツを指差してみせた。


「なななっ何馬鹿言ってんのよ――!」



美名は、桃子の手を握り優しく笑った。



「今日はありがとう……桃子。桃子がここに来てくれて……凄く心強かったよ?」


「お姉ちゃん……」



桃子は、目を潤ませた。


「……後は、自分でやるから……悪いけど、外で待っててくれる?」



美名の迷いの無い澄みきった表情に、桃子は何かを感じ取り、黙って頷いて出て行った。



桃子は、ドアを閉め、控え室から少し離れた壁に凭れて涙を拭った。



六年前、美名が上京する、と家族に話をした時、桃子は反対したのだ。


お人好しでそそっかしい美名が、大都会で独りで何のツテも無く歌手を目指すなんて、誰かに騙されて傷付いてしまうのでは無いかと心配だったし、何よりも桃子は寂しかったのだ。



だが美名の決心は固くて、ガンとして譲らなかった。



桃子は拗ねて、美名が出発するその日まで口を聞かずに居たのだが、プラットホームで美名が新幹線に乗り込んで、桃子の手を握り締めてきた瞬間に、我慢の糸が切れて号泣してしまったのだ。


あまりにも大きな声で泣いたので注目を浴びてしまい、後で母から叱られたものだ。




(寂しかったけど……でも、あの時の決心が今に繋がったんだよね……あんなに沢山の人達がプリキーを応援してくれて…)



「あ――っ!嬉しい――!良かったよ~!」



桃子は感きわまり、叫びながら伸びをする。



足音が聞こえ、桃子が顔を上げると、先程の若いスタッフが目の前に立っていた。



(えっと……高幡、て人だっけ……な―――んか陰気で好きな感じじゃないなあ……)


桃子は内心そんな事を思うが、愛想笑いを向けた。



「……美名さんは?」


高幡は、低い声で聞いた。



「あ……今、準備をしてます」



「……」



桃子を通り過ぎて控え室に向かおうとする高幡を、桃子は呼び止める。



「あ……待って、今着替えてますから……」



桃子が走り寄ると、高幡は急に振り向いて、桃子の鳩尾に拳を放った。




「な……んで……?」



桃子は、痛みに顔を歪めながら崩れ落ち、そのまま意識を手放した。



(お姉……ちゃん)



差し出された右手は、力を失い床に投げ出された。



高幡は冷えた眼差しで桃子を一瞥すると、控え室を振り返り、ニヤリと笑った。





美名はドレスをするり、と脱いで、シャツとGパン姿になる。


纏め上げられた髪をほどいていき指で鋤くと、美しい波状の栗色が腰まで落ちる。


『随分と長い髪だな……』


初めて抱かれたあの日、綾波はこの髪を優しい目で見つめ、指で触れていた。



美名は、髪を撫でるあのしなやかな長い指を想い、胸の内を震わせる。



(剛さん……
私……頑張ったよ?
剛さんが居なくても……
今日こうして……
ちょっと泣いたりしちゃったけれど……

剛さんのキスが無くても……
ここまで、頑張れたよ?)


「……褒めてくれるかな?」


美名は、鏡の中で笑うが、涙でまた目が盛り上がる。



「剛さ……私……もう……待てない……っ」



キツく瞼を閉じると、熱い涙がはらり、と堕ちた。



歌手を夢見て、夏も春も秋も冬も、外で歌い続けて居た自分。

誰にも見付けられずに、沢山の人々の中に埋もれそうになっていた自分。


綾波にあの日会わなかったら、どうなっていたのだろう。



この出会いがなければ、あの強引な、けれどとてつもなく優しい愛を知らないままだった。


けれど、こんなに身を斬られる程の寂しさも知らずに居られた。



(もう……剛さんと出会う前の自分には戻れない……)



美名は、嗚咽が込み上げて、鏡に凭れて肩を震わせた。




「…………ル」



何か、聞こえた様な気がして美名は振り返る。



耳に手を翳し、目を閉じて見ると、ザワザワとした人々のざわめきに、手を叩く音に……



「……ヒーメ……コール……
ヒーメー!……ル……
ヒーメー!アンコール!」


美名は、全身が総毛立った。



(こんなに離れた所まで、呼ぶ声が届いて……)



美名は、鏡の前に真っ直ぐと立ち、息を吐いて、胸の前で両手を組み、祈る様に、呪文の様に胸の中で繰り返す。




(来る……
来ない……
来る……来ない……)




『美名――
お前は、俺だけの歌姫だ』



綾波の笑顔が、鏡の中に見えた気がした。



美名も、笑顔で頷く。



「剛さん……
私……行って来るね」



ギターを手に持ち、深呼吸をし、ドアに手を掛けようとしたその時、がチャリとノブが回され、美名は吃驚して後ずさった。



入って来たのは、先程のスタッフだった。


高幡は、無言でこちらを見ているが、その目に潜む凶暴を、美名は見付ける事が出来ず、胸を撫で下ろして思わず笑った。



「ああ……ビックリしちゃった……今、準備が出来ましたから……」



高幡は、下を向き突然笑い出した。



「くくく……ハハハハ」



「――?」



美名はキョトンとするが、顔を上げた高幡の顔が、能面の様に白いのを見て凍り付く。



思わず後退るが、高幡もジリジリと近付いて来る。



「本当にビックリなのは……こちらですよ……あんたみたいなアバズレが這い上がって……未菜様があんな事に……っ」



高幡は、目を大きく見開き、抑揚の無い声で美名に語りかける。



美名は、本能的に危険を感じ、



「誰か――誰か、来て――!……も、桃子――!」


と叫ぶが、高幡に抱きつかれ、掌で口を塞がれる。



「ぐ……んん」



「妹は……そこでのびてるよ……
それに、誰も来やしないよ……ざーんねんでした」


高幡は嘲笑う。





アンコールコールを聞きながら、上着を翻し綾波は走っていた。



「――ったく……どんだけ長い通路なんだ!」


すると、床にか細い白い女の手が見えて、綾波は速度を緩めた。



近付くと、それが桃子だと分かり、綾波は舌打ちする。




「桃子……桃子、大丈夫か!」




ぐったりした桃子を起こし、呼び掛けてみるが完全に気を失っている。



バタバタという足音と共に、堺とペコ、佐藤がやって来て、桃子を見て皆が青ざめた。



「……桃子ちゃん!大変っ」


ペコは、綾波から桃子を受け取り、手を握り締めた。



「医者を……」



堺が呟くが、綾波は首を振る。



「警察も呼べ!
……桃子を頼む!
美名が危ない……っ」



「え……?」


佐藤はオロオロしながら、言われた通りに電話を掛けている。




綾波は駆け出して、控え室を見付けると、息を殺しながらドアに近付いた。



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