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喪われた記憶と④
しおりを挟む違う角度からの責めに悶え、私は声にならない叫びをあげ続ける。
悟志は荒い息を吐きながら、今までとは比べ物にならない巧みで烈しい動きをする。
彼の掌が揺れる乳房を後ろから捕まえて揉みしだき、指は巧みに突起を摘まむ。
「菊野……菊野……っ……愛してるんだ……っ」
「あ……ああっ……悟志さ……私も……」
言いかけて、その先を言おうとすると喉が詰まったように声が出なくなる。
悟志は押し黙った私を更に打ち付け、泣き出しそうな声で問う。
「――っ……何故……言ってくれない……
僕を……愛してないのか……っ?」
「ちが……違う……の……っ……あああっ……」
その時、脳裏に浮かぶのは、誰よりも恋しい人の姿だった。
剛さん……
剛さん……
剛さん――!
悟志さんの事は好きだ。
優しくて、結婚してからずっと大切にしてくれて――
祐樹の事をとても可愛がってくれる優しいパパで……
父と母とも仲良くしてくれているから、私も遠慮なく実家へ泊まりにも行ける。
私の友達の真歩にも優しくて……
私の友達付き合いにも口出ししないし……自由にさせてくれて感謝してる……
剛さんの事も、養子に迎える事を許してくれて……
本当に……本当に感謝しかなくて……
だから……私は、そんな悟志さんを、愛さなくては……
そう思うのに……
「菊野……菊野っ……!」
「ああ……ああああ!」
「言ってくれ……僕を愛してると……言ってくれ……!」
「あ……ああ……私は……っ」
私の中で、一層悟志の猛りが大きく熱く膨張した時、目の前が完全に白く染まる。
瞼を閉じても、その眩い光は消えなかった。
悟志が低く、地を這う様な呻き声をあげながら深く深く突き上げた瞬間に、私の中へと精が流れ出す。
私も同時に果て精を受け止めながら、シーツを握り締める。
剛と烈しく交わった後の、気だるく甘い時間を思い出して、無性に切なくなって目の奥が熱くなった。
――こんな時、剛さんなら……
あの涼やかで低い声で、耳元で囁いて……
『すいません……烈しくし過ぎました……
でも……菊野さんが悪いんです……
俺がこんな風になるまで誘惑した貴女が悪い……』
私が真っ赤になって彼を睨めば、彼は苦笑いして私を抱き締めて……
『やっぱり……菊野さんは悪くありません。全部、俺のせいです……
俺がどうしようもなく、菊野さんに夢中だから……悪いんです』
この身体に残った彼との甘い交わりや、鼓膜に貼り付いた彼の恋の言葉を、記憶の中で反芻してみても、あの時間に戻れる訳もない。
月日が経つうちに、この記憶も、身体に残る感覚も消えていってしまうのだろうか。
「……っ……」
悟志のまだ収まらない烈しい息遣いを背中に聞きながら、堪えきれずに嗚咽してしまう。
「菊……の……っ」
悟志は、俯せになっている私を後ろから羽交い締めにして仰向けにし、再び被さって来る。
首筋に吸い付きながら乳房を揉まれ、抵抗も出来ずに思うままにされる。
彼自身はつい今しがた果てたばかりだというのに、欲望に張りつめ、硬くなり上を向いていた。
私の中へと再び沈むと、律動しながら頬に手を添え、見詰めながら叫ぶ。
「どうしたらいい……どうしたら……君に愛されるんだ……っ」
簡易ベッドは弾まず、彼から与えられる衝撃は全て私が受け止める。
壊されてしまうのではないか、と恐ろしさが頭を掠めるが、凄まじい快感にその恐れは消し飛んでしまう。
――いっそのこと、今ここで、悟志さんにバラバラにされてもいい……
剛さんと愛し合う事も叶わないなら……もう……こんな身体……どうなってもいい……
「……して……」
「なんだい……?僕の、可愛い菊野……っ」
悟志は、瞳を潤ませて小さく聞いた。
「……私……を……許し……っ」
「何を言ってるんだい……菊野……」
「私は……私は……っ」
何処までも優しくて、私を愛してくれる悟志は、私が何を言っても許してしまうのではないか――と思える程に、海の様に深い眼差しを向けている。
でも……そんな事はあり得ない。
どんなに優しい悟志だって、私の罪を許さないだろう……
いや……許してくれなくていい……
私を憎んで……責めて、殺したっていい。
悲しみを堪えながら許される方が、余程辛い……
でも、自分の罪悪感を軽くしたいがために悟志に打ち明けるのは、私のエゴでしかない。
優しい悟志を、また悲しませて何になる?
剛の事を、全て忘れてしまう程に悲しんだ筈の彼を、また悲しみに突き落とすの?
「菊野……僕に付いてきて……っ」
悟志は私の腰を掴み抱き上げ、立ったままで突き始めた。
私は必死に悟志の背中に足を絡め、首にしがみついて彼の猛る欲を受け止める。
「く……どうだ……っ菊野……っ……気持ちいい……かいっ」
「あ……ああ……やあん……っ!こんなの……初めてで……わかんな……っ」
「ふふ……可愛い……菊野は本当に……っ」
「あああ――!」
腰を烈しく前後に振られ、蕾から蜜が滴り滑りが良くなり、悟志の獣は増大する。
「僕には……こうするしか……くっ……」
「あ……ああっ」
「君に愛される為に……こうするしか……!!」
「――い……もう……いっちゃ……」
「僕も達(い)くよ……っ……菊野……っ!」
肌がぶつかり合う音が部屋に響き、悟志が短く叫ぶと、何度目かも分からない絶頂を同時に迎えた。
「……ふ……うっ」
悟志は、苦し気に息を吐き出しながら、私をゆっくりとベッドへ降ろした。
不自然な態勢で抱かれて、足がガクガクと震え、蕾はまだ痙攣していた。
甘い欲のさざ波が引いていくと同時に、私の喉元にせり上がる言葉があった。
もう、胸の中に押し止めて置くのは無理だと思った。
「……流石に、無茶をしたかな……年甲斐もなく……
でも……堪らなく、君を身体中で愛したくなったんだ……」
彼が、先程までの烈しさが嘘の様な柔らかい抱擁で私を包む。
心地好くて、甘えたくなってしまう。
大好きな、その胸に――
でも違う。
悟志への好きは、男女間の好きとは違う。感謝しているから、愛さなくてはならない、等と考える事は違う。
そんな風に義理の様に発生する愛など、本物だろうか?
悟志に何度も抱かれて腕に包まれていても、胸の中に在るのは剛への熱くて切ない想い。
消さなくてはならないのは分かっている。けれど、今すぐには消えない。
そんな風なのに、このまま以前と変わりなく悟志の妻として生きていく事が、許されるのだろうか?
悟志は、そんな私の胸中を知らずに、優しい笑みを浮かべ、壊れ物を扱う様に頭を撫でる。
「菊野……おかしな事を言ってごめん……」
「……」
「……愛してるだとか、そんな言葉は強要されて言う物じゃあないよね……
菊野の方から言ってもらえる様な旦那様になるから……
僕、頑張るからさ……だから」
悟志は、そこまで言うと絶句して、私をキツく抱き締めた。
「悟志さん……私は……悟志さんが好き……」
「菊野……いいから……」
彼は、力強い腕で私の身体をかき抱きながら、その声をまた震わせている。
言ってはいけない。優しい悟志を、悲しませてはならない――
警報のように、頭の中でもう一人の私が叫んでいた。
だが、勝手に私の口が開き、声を出す。
あまりにも明瞭にはっきりとしたその言葉は、聞き違えようもない。
誰が聞いても、私の言わんとする事が分かってしまうだろう。
――そんな事、言わなくても良いのに。死ぬまでその言葉は自分の中に鍵を掛けてしまっておくべきなのに。
何故、今言う必要があるの?
沢山の人を傷付けてしまうのに、何故――
頭の中に小人が何体も居て、ハンマーで滅茶苦茶に叩かれている様にな凄まじい痛みをおぼえながら、私は悟志の腕に包まれながら彼を見上げた。
「悟志さ……」
悟志の表情が、全くピクリとも動かないのを見て、私の背中が凍り付く。
彼は私を抱いたまま、先程までの優しい笑顔のまま、固まっているかの様に動かなかった。
思わず息をしているのか確かめようと彼の口に手をあてようとした瞬間、断末魔の様な叫びが、彼の口から放たれた。
「悟志さん……っ……!」
悟志は私を突き飛ばし、ベッドからフラフラと飛び降り、床に座り込んだ。
側へ寄ろうとすると、彼は壁に両手を突き、獣の様に叫びながら頭を打ち付け始める。
「悟志さ……悟志さん……やめてっ」
彼は、私の声がまるで聞こえないかの様に、叫びながら頭を打ち付ける。
その額から血が伝い、白い壁が染まっていく。
私は夢中で、ナースコールを掴んだ。
「すいません……誰か……誰かきてくださ……」
「うわあああ!!」
「きゃあっ……」
悟志は私の手からコードをひったくり、力任せに引きちぎってしまった。
そして、コードを掴むと自分の首に巻き付けようとする。
「何を……止めて……悟志さん……っ」
「君に……愛されないなら……っ……もう……いいんだ」
「ダメ……ダメよ――!!」
「どうして……どうしたらいいんだ……菊野……菊野っ」
悟志は、首に巻き付けたコードを両の手で思いきり引いた。
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