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企み③

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「森本君は、珈琲かしら?それとも、頂き物のフルーツの紅茶があるの……

どっちにする?」


リビングのソファに行儀よい姿勢で腰掛ける森本の視線を背中に感じながら、私は落ち着かない気分でキッチンの棚から来客用のソーサーとカップを出し、彼に尋ねた。

剛も高校一年にしては大人びているが、森本も中学の頃から目立っていた。

すらりと伸びた手足に、堀りの深い優美な顔立ちはハーフかクオーターのようにも見える。



(今の子供って、発育がいいと言うかなんと言うか……

綺麗な男の子多いような気がする……

剛さんも綺麗な顔だし……

それとも、ただ、そういう子達に目が行ってしまうだけの事なのかしら……)


ちらり、と彼を盗み見ると、バッチリ目が合ってしまい、私は


「ひっ」


と変な声を上げてしまった。


森本がお腹を押さえて笑い出す。


「はは……どうしたんです?

可愛い声出して」


「かっ……!」


思いもかけない言葉が綺麗な彼の口から飛び出し、ボン、と頬が熱くなってしまった。






「本当に、菊野さん可愛いなあ」


「……いやいやいや……こんなおばさん捕まえて何を言うのっ……」


ドキドキする、と言うより、何だか分からないが怖かった。

彼の表情や、仕草や声色はとにかく優しくたおやかで、どちらかと言えば女性的にも見える。

けれど、彼がこちらを見て唇の端を微かに上げて瞳を煌めかせた時、言い様のない不安を感じた。

剛は、あとどのくらいで戻ってくるだろうか?

清崎と一緒だから、剛もちゃんと傷を診てもらって来るだろう……

そう考えると同時に胸の中に痛みが走る。

今頃、剛は、あんなに愛らしい彼女と肩を並べて歩いている。

街中を二人で行く様は、何ら不自然ではなく、ごく当たり前の学生カップルにしか見えないだろう。

先程、声を掛けてきた見知らぬ男性に思わず剛のことを

「息子」と言ってしまったが、あの時、ほかにどうしたら良かったのだろうか?

剛の、怒りと悲しみに曇った瞳が思い起こされて、不意に目の奥が熱くなってしまった。





(――剛さん……早く……帰ってきて……

私の元へ……帰ってきて……)



彼が彼女と連れ立って歩いていく後ろ姿を見て、それだけで嫉妬とやるせなさに叫びだしてしまいそうだったのだ。

森本が居たから平然を装っては居たが、もしも今独りで家に居たら、ソファに泣き崩れていたかも知れない。



(怪我をさせたのは私なのに……私が悪いのに)


心ここにあらずなまま台に乗り、上の棚から紅茶を出そうとするが、グラリと足元が揺れた。


「――!!」


足が浮く感覚に寒気を覚え、目を瞑ったその時、腰を力強い何かが受け止めた。


大きな安堵の溜め息と共に後ろを振り返ると、支えてくれている森本の長い睫毛に覆われた瞳が至近距離にある。


「ごっ……ごめんなさい……」


彼から早く離れなければ危険な気がして、私は身を捩った。







だが、森本の手は私の腰を離すどころか、そのまま背中へと滑らせ、そして両の腕で羽交い締めにした。



「……森本っ……」


「いい香りだ……髪も、肌も……

ゾクゾクしますね……」


うっとりとしたような彼の声が耳を擽って、全身が震える。

突然の彼の行動が理解出来ず、私は茫然とするが、大きな掌が胸元に伸びてブラウスのボタンを外そうとしているのに気付き、咄嗟に彼を肘で突き飛ばした。


「うわっ……」


派手な音を立てて、彼が床に転がった。


「……だ、大丈夫?」


彼が頭を両手で押さえているのを見て思わず駆け寄ったが、彼の唇が歪んだと思うと、腕を掴まれ、あっという間に組み敷かれてしまった。





「――!や……な、にを……っ」


何故こんな事になったのか、どうしても分からない。

彼は剛の友達で、中学生の頃から家に遊びに来たり、学校の参観や行事で会ったりすると気さくに挨拶をしてくれる子供だった。

子供――でも、彼と同じ年齢の剛と、私は身体を合わせたのだ――

つまり、今私を押さえ付けてぎらつく瞳で捉えている彼は、そういう意味では子供ではない。

私を今から抱こうとする、欲に支配された男だ。

ゾッとした。

さっき街中で庇ってくれた紳士のような眼差しとはまるで別人だった。

わたしの身体を舐める様に眺め、多分その頭の中は淫らな映像で一杯に違いない。

剛が私を想って夜な夜な自分を慰めていた事を知った時には嫌悪など感じなかったが、森本に性的な視線を浴びせられただけでおぞましくて仕方がない。

私は脚をばたつかせ、腕を振り上げて彼を叩いたり、身を捩ったり、思い付く限りの抵抗をした。





彼は、残酷な程に綺麗に見える笑みを浮かべ、囁いた。


「けっこう、頑張りますね……

力じゃ、敵いませんよ?」


「森……本く……ふざけるのはやめてっ……」


「ふざけてる様に見えます?割と、いや、かなり本気なんですけど」


彼の指が唇に触れてなぞった瞬間、涙が溢れた。



(嫌……嫌……嫌よ……触らないで……!

剛さん……助けて……っ)


剛を思っても、彼は此処には居ない。

彼は今頃清崎と何をしているのだろうか?

私の態度に嫌気が差して、彼女と本気で付き合う事を決めたのかも知れない。

ひょっとしたら、彼と彼女は今頃――



絶望的な気持ちになり、嗚咽を漏らすと、森本がくつくつ笑った。


「剛に、助けて……て思ったでしょう」


「――!」


「ばればれですよ……菊野さんも、あいつも……ふふ」


森本が、悪魔のように見えて私は息を呑んだ。





「ど……どういう……意味なのかしら」


私には演技は出来ない。

真歩にも言われたが、いい大人なのにポーカーフェイスのひとつも覚えられない自分が情けなくも思う。

涙が頬を伝い、唇がわななき、彼のシャツを掴む指が震える。

彼は目尻を下げて、唇を触れていた指を首筋に落とし、なぞった。



「そんな泣いちゃって……本当に可愛いなあ」


「お願い……っ……もうすぐ、剛さんが戻って来るわ……

離して……っ」


森本は、首を傾げる。


「どうかなあ。

清崎が、剛との仲を深めたがっているからね……

俺、彼女の相談役なんすよ。

剛と仲いいから。

どうしたら、剛が振り向いてくれるのかって。

はは。そんなの、迫ってみれば簡単じゃん、てアドバイスしておきました」


「――」


「今頃何処かであいつら……」


「……やめて……やめて!

そんなの、聞きたくないっ」



私は、顔を掌で覆って首を振り叫んでしまう。





コロコロと笑いながら、森本は私の髪を一掴みしてキスをする。


「素直な反応だなあ~

てか、もう剛との事を認めたと同じですね」


「……っ」


思わず彼を睨み付けるが、彼は全く動じない。

狼狽える私を嘲笑うような表情で見詰める。


「ここまで簡単だと、拍子抜けですね……

まあ、話が早くて幸いですけど」


「な……一体、何を言いたいの」


「取り引きしましょう……」


彼の声のトーンが、僅かに上がる。

息も、荒くなってきたようだった。



「――あっ……いやっ」


大きな指が、ブラウスの布の上から乳房に触れてまさぐってきた。





「すっげ……大きい……」



森本は、目を輝かせて更に息を荒くして、指先で触れるのではなく、両の掌で揉みしだいた。

彼の手の中で乳房が形を変えるのを絶望的な気持ちで見て、私は懸命に彼の腕を掴んで阻止しようとする。

だが、彼の言う通り、力で敵うはずがない。

思う様、好きに弄ばれて、布の上から突起を探し当てられて摘ままれ、思わず声をあげてしまう。


「可愛いのに、やっぱりそういう声は色っぽいなあ……

たまんねえな……菊野さん……俺、我慢出来ないかも知れない……」


上擦る彼の声にゾッとして、力を振り絞り脚を振り上げると、彼の股間に当たったらしい。


「うあ――……っ」


低い呻き声と共に、彼は私から離れた。





股間を両手で押さえ転がる彼からなるべく遠くへ逃げようとするが、恐怖に腰が抜けて這うことしか出来ない。

力の入らない腕を交互に動かして、リビングの中央まで動き、ソファに掴まり、身体を起こそうと足に意識を集中するが、へなへなと崩れてしまい、

ソファの背を抱き締める体勢でどうにか座る格好でいるので精一杯だった。

彼は、フワフワの前髪の中から鋭い瞳を向け、踞ったままで呟いた。



「……大人しそうで……強引にすれば……押しに負けてすぐにヤらせてくれるかと思ったのになあ……」


「なっ……!」


彼の言い様にカッと怒りがこみ上げる。


彼は悪びれる様子もなく、痛みに顔をしかめたまま微かに笑った。


「だってさ……剛にはヤらせてるんだろ?」


「――!」




森本は、下卑た眼差しで私を見ながら、股間を押さえたままで上半身を起こす。

彼が起き出した事に恐怖を感じて、首を振りながら私は後ずさった。



「剛とそんな関係だって知れたら、ちょっとした騒ぎになりますね……」



彼は、まだ痛む様に顔を歪めているが、両手を床に突いてゆっくりと起き上がった。



「や……来ないで……」


私は彼から背を向け、リビングのドアまで這って、開けて外へ逃げようと試みるが、後ろから彼に抱きすくめられ、ソファに倒された。



「剛が帰ってくる前に……軽く楽しみましょうか」


森本はネクタイを緩め、ニヤリと笑った。




「若い男が好きなんでしょう……?

だから剛を誘惑して……」


「そ……そんな……ちがうわ」


「ふふ……可愛い顔して、剛にどんな体位でやられたんです?

……ああ、色んな体勢を試し放題ですね……」


「……っ……や、やめて」


「こんなに大きなおっぱいなら……これでしごいてイかせたりとか?ふふ……本当に堪らないですね」


「――!」



森本の、女の子と見紛う程に綺麗なピンクの唇からイメージにそぐわない耳を覆いたくなる卑猥な言葉が次から次へと出てきて、私は呆然とする。

彼から逃げようにも、その長い脚で身体をしっかりと挟まれ、腕を強く掴まれてしまっている。

ひとつに纏められた手首に痛みが走り、私は口を歪めるが、彼はそんな様子を楽しむ様に眺めていた。



「可愛いなあ……そう言う顔も」






森本は、ピンクの唇を舌でペロリと舐め、自由な方の手をゆっくりとスカートの中へと侵入させた。

情けない事に、私は震えて涙を流すしか出来ない。


「森本くっ……馬鹿な事は止めて……」


「馬鹿な事じゃ無いですよ……

気持ちよくて、楽しい事ですよ……」


「あっ……!」


指が、脹ら脛をゆっくりと撫で、太股へ辿り着くと、悩ましい動きではい回る。


彼は私の反応に薄く笑い、更に言葉を続けた。


「旦那様が目を醒まさないのを良いことに……

イケナイ人だなあ……

でも……嫌いじゃ無いですよ……そういうの……

剛とも楽しんでるんでしょう?

俺も仲間に入れて下さいよ……ははは」


かあっと身体中が怒りに燃え、瞬間腕に力がみなぎった。

私は、彼の手を振り払い、頬に平手打ちした。


パアン、という音がリビングに響く。





頬を打たれて顔を横に向けたままの彼の頬に、栗色の髪がはらりと掛かる。

彼の拘束が一瞬緩んだ隙に、私はソファから転がる様にして降り、テーブルの上のスマホを取った。

赤くなった頬を掌で触れてから、こちらにゆっくりと彼が近付いて来るが、私はスマホを手に叫んだ。


「帰って……!

こっちへ来ないで……!

け、警察を呼ぶわよ!」



「じゃあ、俺はこの写真を拡散しちゃおうかなあ」




森本は、ズボンのポケットから自分のスマホを出し、画面を私に見せようとするかの様に突き出した。

私の全身が凍った様に冷たくなり、硬直する。

目が、彼のスマホの画面から離せない。



「よく撮れてるでしょう?

良い場面に出くわした時に写真撮ろうとしても、中々上手くいかないんですけど……

これはベストショットでしたね~」



まるで歌うような調子で言う彼の手の中にあるスマホの画面には、私と剛がホテルの前でキスをしている瞬間がはっきりと写っていた。

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