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静まらぬ嵐、吹き荒ぶ恋①
しおりを挟む『菊野さんは、帰しません』
剛が電話で悟志に言い放った言葉が私の頭の中でリフレインされていた。
当の剛は、何事も無かった様に窓のカーテンを閉めて、リモコンでテレビのチャンネルを切り換えてはニュースを見ていた。
平然としたその様子は、まるで以前と同じ――西本の家で、普通に家族として一緒に暮らしていた頃と変わらなく見える。
私は固まったようにソファから動けずに、彼が涼やかな雰囲気のある瞳をテレビに向けて、形のよい唇が何かを呟くのを呆けたように見ていた。
「……ですね」
彼がこちらを振り返って言って、私は仰天してしまった。
「え……えええ?な、なにっ?」
変な声で叫ぶ私を彼は目を丸くして見る。
「……雨が」
リモコンを持ったまま、剛はテレビと私を交互に見る。
「ああ……ああ‼雨ね‼」
先程至近距離で見詰めあった事を思い出してしまい急に恥ずかしくなり、それを隠すかの様に必要以上に大きな声を出す私を見て、剛はクスクス笑った。
まるで、なにもかも見透かされている様で悔しかったが私は彼には敵わないのだ。
熱くなる頬を掌で押さえて彼を見詰めるしかない。
「……雨も風もやみそうに無いですね。収まるまで外に出ない方がいいです」
剛は静かにそう言って、私に近付いてきた。
思わず身構えて瞼を瞑ると、彼の気配が通りすぎ、キッチンの方から食器を出す音が聞こえてきて、私は瞼を開けた。
剛はケトルに水を入れて火をかけて棚から紅茶の茶葉を出した。
「……炊飯器に美味しそうなご飯が出来てますね。スープも鍋の中にあるし……菊野さんが作ってくれたんでしょう?」
私は、華奢なデザインのテイーカップとソーサーを並べる彼の優雅な手の動きに見惚れながら、ドキドキして声も出せずにブンブン頷く。
剛はそんな私が可笑しいのか、またクスクス笑いながら言う。
「――わざわざこんな手の込んだ物を、有難うございます……折角ですし、一緒に食べましょう」
私は、目の奥からじわりと涙が浮かんできて、慌てて指で拭う。
剛が笑っているのが嬉しくて堪らなかった。
彼の笑顔を四年ぶりに見れた。もう二度と私には笑顔を見せてくれないかも知れない、と思っていたのに――
「……紅茶でいいですか?それとも……折角ですし」
剛は悪戯に瞳を輝かせて、棚の奥からワインのボトルを出してカウンターに置いた。
目を丸くする私に、淀みない口調で言った。
「貴文さんと花野さんからお祝いにいただきました……酒を飲めないよりは、幾分か覚えた方がいいだろうって」
「――ななな……何をしてんのかしらっお父さんもお母さんも――剛さんはまだ未成年」
「――俺はもう大人です……忘れてます?俺の年齢。もう今日で二十歳ですよ」
「あっ……そ、そうだったわ」
あたふたする私を剛は笑いながら見て、ワイングラスを出して琥珀色の液体を注ぐ。
剛にグラスを差し出されて、私はおずおずと受け取る。
彼の持つグラスと私の手元のグラスがぶつかってチン、と涼しい音がリビングに響いた。
「――乾杯……ですね」
彼がとんでもなく大人の男性に見えてきて、私は飲まないうちから体温が急上昇していく。
無言で何度もカクカクと頷く私を見る彼の瞳が一瞬妖しげに光る。
「……菊野さんと……俺の再会に……」
「う……うん……そうねっ‼私……まさか剛さんとこうしてお酒を飲める日が来るなんて思わなかった……」
彼は無邪気な笑みを浮かべ、その表情と先程の色気のある瞳とのギャップにドキドキしてしまう。
「……うん……まろやかですね」
ワインを一口含み、彼の喉仏が上下するのをじっと見てしまい、彼が無自覚に放つ色気に目眩を起こしそうになってしまう。
私は恥ずかしさもあって、一気にグラスを空けてしまった。
剛が驚いた様に見ているが、私はグラスを傾けて二杯目をねだる。
彼よりも少しは大人の所を見せてやらなければ、とおかしな意地がもたげてきたのだ。
剛は小さく笑いながら、首を振った。
「そんなにペースをあげて大丈夫ですか?」
「らいろーふらもん」
「ほら、もう呂律が怪しいじゃあ無いですか」
「よっれらいもん」
「酔っぱらいが必ず言うことですね……いけませんよ、飲みすぎは」
「む――らいろうふらもん……つ……剛しゃんこそ……よっれないの?」
ムキになりキッチンのカウンターを掌でバシバシ叩く私を笑いながら、彼は小さく言った。
「俺は平気ですよ……少なくとも菊野さんよりは強いです」
私は、余裕しゃくしゃくの剛を困らせたくなってしまった。
酔いが回り気が大きくなったせいだろうか。
つい先程まで感じていた不安――剛が悟志に言った言葉の事を半分忘れてしまっていた。
彼のあまりにも自然な態度に、あの爆弾発言は無かったのではないか、と思ってしまう。
――そうだわ……あれはきっと私の聞き間違い……
剛さんが、今更私をどうこうしようなんて思うわけがないじゃない――
私は、そんな根拠のない安心感で、全くと言っていい程に警戒心を無くしていた。
彼がパエリアを皿に盛付けている隙に、カウンターのワインのボトルを胸に抱き寄せ、こう宣言する。
「剛しゃんが飲む前に~私がぜーんぶ飲んらうからね~」
「――?」
剛が目を見開きこちらを見たが、その反応に私は大分満足だった。
ボトルを持ってヘラヘラ笑っていたら、彼が溜め息を吐きながら目の前にやって来て自分のグラスを飲み干した。
「――全く……困った人ですね」
「困ってる~?もっともっと困っちゃえ~あはは」
「菊野――」
彼に指で顎を掴まれたと思ったその瞬間、唇が重なってきた。
触れるだけの一瞬のキスだったが、彼の唇からワインの甘い薫りが伝わってきて、一瞬で身体中に酔いが廻る。
唇を離し、頬にそっと触れて笑う彼を呆然と見上げたが、彼はまた何事も無かった様に食事の支度を始めた。
今起こった事が理解できず、私はただワインのボトルのラベルを眺める振りをしながら剛の後ろ姿を時おり盗み見ては頬を熱くする。
――剛さん……何を考えているの?
森本君の言う通り……私に会うために帰ってきたの?
そして……今……私にキスしたのは……何故……?
「さあ、いただきましょう」
「……っ……うん……そ、そうね‼」
剛の表情は穏やかで、別れたあの日の激情を迸らせていた彼とは別人に見える。
私は、キスの事を今更聞けなくなってしまい、曖昧に笑った。
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