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4.朔
第30夜 月夜と理科部(下)
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スキップでもするように、ローバーをエレベーターに滑り込ませた。
真っ暗な縦孔エレベーターを抜け、飛び出した先は銀色の太陽が照らす月面。
ライトグレーの砂丘の奥に、雲一つない黒い空。白と黒のコントラストに、シャープな境界線が美しい。モノクロームの世界で見る唯一の色は、三日月形の地球の青。
丘の上に向かう道を登り始めたところで、ローバーの接近警報が鳴る。後方5時の方向。見慣れない識別番号。新型機――ユキくん?
「おまたせ」
こうして月で会おうって、約束していたのだ。
「エヘヘ。いま来たとこ。そっちは、どう?」
「こっち? 夜中の2時過ぎ。さすがに眠いよ。ふぁ」
とユキくん。
いつ聞いても優しい声。好きだよ。顔が見たいよ――。そんなふうに思いながら、私は努めて明るく振る舞った。
彼の居るロサンゼルスと日本との時差は17時間。生活時間は違うけれど同じ地球に乗っている。2人の会えない時間は電話とメールとチャットが埋めてくれていた。
「久しぶりに聞いた。キョウカさんの楽しそうな声!」
「太陽望遠鏡ゲットした。いいでしょ? 昼休みに活動する天文部なの。アハハ」
「ハハッ。昼の天文部に、夜の理科部? 上手いこと考えたね」
彼は新型ローバーのロボットアームをぎこちなく動かすと、私のローバーの金属タイヤにぽんっとタッチした。
彼のローバーを振り返った。愛くるしささえ感じる新型ローバーの双眼カメラが向けられている。私はその奥のユキくんを想った。
「夜は夜でも、月夜だけ――月夜の理科部なの」
「えっ!? どういうこと?」
彼は定番のフレーズを叫んだ。
月とのレーザー通信は、月が見えていることが絶対条件である。そのため、夜隊の活動は専ら月夜なのだ。最近ではアヤもカサネも「月が出るとそわそわする」なんて言い出す始末。
「どっちも本気。浮気じゃないよ」
私がスパッと言い切ると、遠くでカサネの笑う声が聞こえた。2人の会話はVRゴーグル越しだから、理科室の皆に筒抜けだ。先輩が気を利かせ、皆を屋上に連れ出してくれたみたい。
「……今日はね、特別な月夜なの」
じつは、8千キロ離れた私たちが同時に月夜を迎えられる時間は限られている。
今日の月は十三夜月。これは地球上どこで見ても同じ形だけれど、見える方角が違う。私が見た月は東の空に上ったばかりでも、ユキくんはあと1、2時間もすれば西の空に月を見送ることになる。だから、2人が月夜を共有する時間はとても貴重なのだ。
カメラを左右に動かし、ユキくんの白い機体をまじまじと眺めた。
「新型ローバー。かっこいいね」
ジェット推進研究所の新型ローバーだという。2ヶ月ほど前に投入されたばかり。研究所と大学の共同研究の一貫で使わせてもらえることになったそうだ。
「まだ練習中。AIが上手く訓練できなくてさ。大学の課題も難しくて……ハハハ」
「よーし、手伝うよ! じつはこっちもさ、レネさんの新課題がなかなかハードで、行き詰まってるんだよね……」
「OK。じゃあ交渉成立! とりあえずお互いのを転移学習してみようか?」
新しいオモチャを買い与えられた子供のような彼の声が、たまらなく懐かしい。
「あ、そうだ!」
ユキくんはわざとらしく何か思いついた様子で私に声をかけた。
「キョウカさん。これあげる!」
ロボットアームの銀色の指から2センチほどのガラス玉が手渡される。大きさといい繊細さといい、ロボットハンドで受け取るのは一苦労だ。
私はそれをカメラに近づけ、じぃっとピントを合わせて眺めた。
――とんぼ玉だ!
「えっ!? どうしたの、これ?」
「ロボットハンドの手先の練習。余ってる光ファイバーをバーナーで炙ってさ。ハハハ」
「きれいな色! カワイイ!」
月光を思わせる、青みを少し含んだ白。ほんの少し月の砂を入れるのがポイントだそうだ。偶然が作り出したまだら模様が、私には月の上で遊ぶ2羽のウサギに見えた。
「ありがとう。あ、でも、せっかく貰っても、これじゃあ持って帰ってこられないね……。アメリカじゃなくて、月にあるんだよね。アハハ」
「フフ、自明」
「……あ! じゃあさぁ、ここに埋めない?」
「え?」
「それで、10年後――いや何十年かかってもいいや。理科部の誰かが宇宙飛行士になって、これを地球に持ち帰るの。どう?」
「いいね! 念の為、写真に残そう。どこに埋めたかわからなくなるのは困るからね」
そうして彼はロボットアームで器用に深さ20センチほどの穴を掘った。私は花の種でも埋めるように、そっととんぼ玉を納めた。
2台のローバーを並べ、ロボットアームの恋人繋ぎ。肩を抱き寄せられないのがもどかしい。仕方なく、私たちはカメラ取付マストを精一杯互いの方向に倒した。ユキくんが広角カメラ付きアームを伸ばす。ローバーの自撮りだ。背景には、遠くの白い丘と黒い空。2人の間に浮かぶ地球がなかなかフレームに収まらない。
「キョウカさん。もう少しこっち寄って?」
「えぇっ、もう限界。警報鳴りっぱなしだよ!」
写真なんて月神社で撮って以来だ――。
ユキくんに会いたくて仕方なくなった。
「ユキくん……。私たち、また、会えるよね?」
「もちろん! 俺もキョウカさんも、同じ地球の、同じ宇宙に居るよ?」
「そうだよね。……ありがと」
「じゃあ、いい? 撮るよ? 笑って!」
「アハハ」
いくら笑顔を作ってもローバーが写るだけなのが、私にはたまらくおかしかった。
手をつないだまま振り返り地球を見上げた頃、屋上のアヤから連絡がきた。
〈地球、ちゃんと写ってるよ〉
屋上のみんなは今頃、空を見上げている頃かな。
夏の風に吹かれ、アヤも、先輩も、カサネも、2年生たちも皆、同じ月を眺めている頃だ。
私たちは皆、同じ宇宙に暮らし、同じ未来を共有している。
大人も子供も。先輩も後輩も。そして、理科部も天文部も。
だから、月を見たら思い出して。
いつも誰かと、同じ月を見ているってことを――。
―おしまい―
真っ暗な縦孔エレベーターを抜け、飛び出した先は銀色の太陽が照らす月面。
ライトグレーの砂丘の奥に、雲一つない黒い空。白と黒のコントラストに、シャープな境界線が美しい。モノクロームの世界で見る唯一の色は、三日月形の地球の青。
丘の上に向かう道を登り始めたところで、ローバーの接近警報が鳴る。後方5時の方向。見慣れない識別番号。新型機――ユキくん?
「おまたせ」
こうして月で会おうって、約束していたのだ。
「エヘヘ。いま来たとこ。そっちは、どう?」
「こっち? 夜中の2時過ぎ。さすがに眠いよ。ふぁ」
とユキくん。
いつ聞いても優しい声。好きだよ。顔が見たいよ――。そんなふうに思いながら、私は努めて明るく振る舞った。
彼の居るロサンゼルスと日本との時差は17時間。生活時間は違うけれど同じ地球に乗っている。2人の会えない時間は電話とメールとチャットが埋めてくれていた。
「久しぶりに聞いた。キョウカさんの楽しそうな声!」
「太陽望遠鏡ゲットした。いいでしょ? 昼休みに活動する天文部なの。アハハ」
「ハハッ。昼の天文部に、夜の理科部? 上手いこと考えたね」
彼は新型ローバーのロボットアームをぎこちなく動かすと、私のローバーの金属タイヤにぽんっとタッチした。
彼のローバーを振り返った。愛くるしささえ感じる新型ローバーの双眼カメラが向けられている。私はその奥のユキくんを想った。
「夜は夜でも、月夜だけ――月夜の理科部なの」
「えっ!? どういうこと?」
彼は定番のフレーズを叫んだ。
月とのレーザー通信は、月が見えていることが絶対条件である。そのため、夜隊の活動は専ら月夜なのだ。最近ではアヤもカサネも「月が出るとそわそわする」なんて言い出す始末。
「どっちも本気。浮気じゃないよ」
私がスパッと言い切ると、遠くでカサネの笑う声が聞こえた。2人の会話はVRゴーグル越しだから、理科室の皆に筒抜けだ。先輩が気を利かせ、皆を屋上に連れ出してくれたみたい。
「……今日はね、特別な月夜なの」
じつは、8千キロ離れた私たちが同時に月夜を迎えられる時間は限られている。
今日の月は十三夜月。これは地球上どこで見ても同じ形だけれど、見える方角が違う。私が見た月は東の空に上ったばかりでも、ユキくんはあと1、2時間もすれば西の空に月を見送ることになる。だから、2人が月夜を共有する時間はとても貴重なのだ。
カメラを左右に動かし、ユキくんの白い機体をまじまじと眺めた。
「新型ローバー。かっこいいね」
ジェット推進研究所の新型ローバーだという。2ヶ月ほど前に投入されたばかり。研究所と大学の共同研究の一貫で使わせてもらえることになったそうだ。
「まだ練習中。AIが上手く訓練できなくてさ。大学の課題も難しくて……ハハハ」
「よーし、手伝うよ! じつはこっちもさ、レネさんの新課題がなかなかハードで、行き詰まってるんだよね……」
「OK。じゃあ交渉成立! とりあえずお互いのを転移学習してみようか?」
新しいオモチャを買い与えられた子供のような彼の声が、たまらなく懐かしい。
「あ、そうだ!」
ユキくんはわざとらしく何か思いついた様子で私に声をかけた。
「キョウカさん。これあげる!」
ロボットアームの銀色の指から2センチほどのガラス玉が手渡される。大きさといい繊細さといい、ロボットハンドで受け取るのは一苦労だ。
私はそれをカメラに近づけ、じぃっとピントを合わせて眺めた。
――とんぼ玉だ!
「えっ!? どうしたの、これ?」
「ロボットハンドの手先の練習。余ってる光ファイバーをバーナーで炙ってさ。ハハハ」
「きれいな色! カワイイ!」
月光を思わせる、青みを少し含んだ白。ほんの少し月の砂を入れるのがポイントだそうだ。偶然が作り出したまだら模様が、私には月の上で遊ぶ2羽のウサギに見えた。
「ありがとう。あ、でも、せっかく貰っても、これじゃあ持って帰ってこられないね……。アメリカじゃなくて、月にあるんだよね。アハハ」
「フフ、自明」
「……あ! じゃあさぁ、ここに埋めない?」
「え?」
「それで、10年後――いや何十年かかってもいいや。理科部の誰かが宇宙飛行士になって、これを地球に持ち帰るの。どう?」
「いいね! 念の為、写真に残そう。どこに埋めたかわからなくなるのは困るからね」
そうして彼はロボットアームで器用に深さ20センチほどの穴を掘った。私は花の種でも埋めるように、そっととんぼ玉を納めた。
2台のローバーを並べ、ロボットアームの恋人繋ぎ。肩を抱き寄せられないのがもどかしい。仕方なく、私たちはカメラ取付マストを精一杯互いの方向に倒した。ユキくんが広角カメラ付きアームを伸ばす。ローバーの自撮りだ。背景には、遠くの白い丘と黒い空。2人の間に浮かぶ地球がなかなかフレームに収まらない。
「キョウカさん。もう少しこっち寄って?」
「えぇっ、もう限界。警報鳴りっぱなしだよ!」
写真なんて月神社で撮って以来だ――。
ユキくんに会いたくて仕方なくなった。
「ユキくん……。私たち、また、会えるよね?」
「もちろん! 俺もキョウカさんも、同じ地球の、同じ宇宙に居るよ?」
「そうだよね。……ありがと」
「じゃあ、いい? 撮るよ? 笑って!」
「アハハ」
いくら笑顔を作ってもローバーが写るだけなのが、私にはたまらくおかしかった。
手をつないだまま振り返り地球を見上げた頃、屋上のアヤから連絡がきた。
〈地球、ちゃんと写ってるよ〉
屋上のみんなは今頃、空を見上げている頃かな。
夏の風に吹かれ、アヤも、先輩も、カサネも、2年生たちも皆、同じ月を眺めている頃だ。
私たちは皆、同じ宇宙に暮らし、同じ未来を共有している。
大人も子供も。先輩も後輩も。そして、理科部も天文部も。
だから、月を見たら思い出して。
いつも誰かと、同じ月を見ているってことを――。
―おしまい―
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