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4.朔
第27夜 日食と月食(下)
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「君が好き!」
ユキくんの目の前に立ち、じっと顔を見つめる私。皆の視線が私たち2人に集まった。
「ふふふ」
彼は落ち着いた様子で、少しだけ頬を赤らめ優しい笑顔を返した。
「でもキョウカさん『月も好き』って言うんでしょ?」
「うん! だって――」
私は走馬灯のように皆の顔を思い出した。これはカサネの言うとおり、どっちも本気でどっちも浮気だ。量子ビットは0か1か決まらず、いろんな影を落とすと得居先生に教わった。アヤは昼と夜でキャラが180度変わり、先輩は大学生なのに子供だ。
(世界はみんな優柔不断で、みんな欲張りなんだ!)
『君』か『月』か選べないなら、どっちも選んでしまえばいい――。量子の世界なら、それが許される。
「私、優柔不断やめない。だって『それでいいよ』って、ユキくん言ってくれたから!」
洗濯したてのバスタオルみたいな、ふわふわの可能性が優しく包み込んでくれる世界に飛び込むんだ。
「ユキくん!」
「ああ。〈重ね合わせ〉でしょ? 自明!」
キーボードの上をユキくんの繊細な指がタタタッと軽快に走る。
[yuki@quantum01 ~]$ qudo chmod -R 777 ./
『僕が好きな月が好きな君』 僕が好きなのは?
qpassword: **************
カタッという甲高いリターンキーの音がコンテナに響く。程なくしてアクセス権の変更完了の通知が画面に現れ、一同はほっと胸をなで下ろした。
プログラムが再実行され、進捗バーも動き出した。
5%…………10%…………15%…………20%…………。
アヤが心配そうにストップウォッチを見た。
「皆既食の終わりまで、あと20分!」
コンテナルームの中の空気が一気に張り詰める。
30%…………40%…………50%…………60%…………70%…………。
固唾を呑んで見守っていた私は堪えきれず、ついにユキくんに声をかけた。
「間に合いそう?」
「たぶん大丈夫。もう戻れない――あと25秒」
80%…………90%…………。
私は顔の前で手を組むと、祈るような気持ちで目を閉じた。あの日みた本館ビルを思い出し、ガラス窓を下から上へと数えた。
――あと、25秒。お願い……。
私が展望台まで数え上げ目を開けると、ついに進捗バーは100%に到達した。
レシピ出力が通知され、間髪入れずユキくんが先輩に声をかける。
「はい。先輩!」
「お、サンキュ」
2人の理系男子の画面の中でメロンソーダをパスするみたいなやり取りが行われる。
地球をじっと睨んでいた月面望遠鏡から、いよいよレシピデータを載せたレーザーが発射される。赤外線のため人の目には見えないが、私が念の為にと向かわせてあったローバーのカメラは、その様子を鮮明に捉えていた。
皆既日食で真っ暗になった月面から見上げる満点の星空。逆立ちの北斗七星と瞬かない星々。一筋の白線が天の川に浮かぶ黒い地球を射抜いた。
月面から送られてくる映像に、居ても立ってもいられなくなり、みんな外に飛び出していった。
「ねぇ、私たちも、迎えに行こう?」
ユキくんの袖を引いた。
「レネさんを!」
屋上に出る。そこには見たこともない光景が広がっていた。
望遠鏡から伸びる一筋のレーザーが、赤銅色の月を必死に繋ぎ止めていた。ピンと張ったロープを手繰り寄せるようにして、月からデータが帰ってくる。おかえり――。私はこの気持ちをどうしても誰かと共有したくて、ユキくんに話しかけた。
「アハハ。竹取物語とぜんぜん違うね、私たち」
「えっ!? どういうこと?」
「月面基地のかぐや姫はさ、月から帰ってくるんだもん」
「ハハハ。ホントだ! 逆だね」
コンテナを振り返ると涙でボロボロのレネさんが、アヤと先輩に肩を抱かれ歩いてくる。最後に出てきたショーコさんが手を振りながら、月まで届くくらいの大声で叫んだ。
「受信完了! データに欠損なし! みんな、おつかれ~」
「やったああ!」
「よっしゃああああ!」
「わぁぁあ!」
歓喜の声が上がる中、アヤは私を見つけすぐに駆け寄ってきた。
「キョウカちゃん!」
むぎゅっと抱きついた。
「みんな、頑張ったよね。うまくいって本当に良かった……」
「うんうん。それに、アヤちゃんが部長で本当に感謝だよ!」
すかさずカサネも飛びついてきて背中をバンバンと叩いた。
「わぁああ、キョウカ!! ウチらやったよ……やったんだよね?」
「うん。――カサネが理科部に誘ってくれて良かった!」
3人で互いの泣き顔に大笑いした。
レネさんは長い髪を下ろし、頬に涙を滴らせ空を見上げていた。その絵画のような美しさに恥ずかしそうな月が顔を出し、優しい光で彼女を照らし始めた。
皆既が終わる。
久しぶりの眩い月光。私たちがぽかんと月を眺めていると、レネさんが目を細めながらお決まりの台詞を呟いた。
「あの、ひとつ言い忘れてたけど――」
いつの間にかレネさんを中心に輪になるように集まった一同は、彼女の一言に肝を冷やした。また大事なことを言い忘れたのかな。
私とユキくんだけはもう慣れたもので「やれやれ」と肩をすくめて笑ったのだった。
もう今夜は、彼女のための月で、彼女のための時間だ。
何に使おうか?
「……みんな、大好き! ほんとうに、ありがとう!」
こうして、理科部の実験は幕を閉じた。
ユキくんの目の前に立ち、じっと顔を見つめる私。皆の視線が私たち2人に集まった。
「ふふふ」
彼は落ち着いた様子で、少しだけ頬を赤らめ優しい笑顔を返した。
「でもキョウカさん『月も好き』って言うんでしょ?」
「うん! だって――」
私は走馬灯のように皆の顔を思い出した。これはカサネの言うとおり、どっちも本気でどっちも浮気だ。量子ビットは0か1か決まらず、いろんな影を落とすと得居先生に教わった。アヤは昼と夜でキャラが180度変わり、先輩は大学生なのに子供だ。
(世界はみんな優柔不断で、みんな欲張りなんだ!)
『君』か『月』か選べないなら、どっちも選んでしまえばいい――。量子の世界なら、それが許される。
「私、優柔不断やめない。だって『それでいいよ』って、ユキくん言ってくれたから!」
洗濯したてのバスタオルみたいな、ふわふわの可能性が優しく包み込んでくれる世界に飛び込むんだ。
「ユキくん!」
「ああ。〈重ね合わせ〉でしょ? 自明!」
キーボードの上をユキくんの繊細な指がタタタッと軽快に走る。
[yuki@quantum01 ~]$ qudo chmod -R 777 ./
『僕が好きな月が好きな君』 僕が好きなのは?
qpassword: **************
カタッという甲高いリターンキーの音がコンテナに響く。程なくしてアクセス権の変更完了の通知が画面に現れ、一同はほっと胸をなで下ろした。
プログラムが再実行され、進捗バーも動き出した。
5%…………10%…………15%…………20%…………。
アヤが心配そうにストップウォッチを見た。
「皆既食の終わりまで、あと20分!」
コンテナルームの中の空気が一気に張り詰める。
30%…………40%…………50%…………60%…………70%…………。
固唾を呑んで見守っていた私は堪えきれず、ついにユキくんに声をかけた。
「間に合いそう?」
「たぶん大丈夫。もう戻れない――あと25秒」
80%…………90%…………。
私は顔の前で手を組むと、祈るような気持ちで目を閉じた。あの日みた本館ビルを思い出し、ガラス窓を下から上へと数えた。
――あと、25秒。お願い……。
私が展望台まで数え上げ目を開けると、ついに進捗バーは100%に到達した。
レシピ出力が通知され、間髪入れずユキくんが先輩に声をかける。
「はい。先輩!」
「お、サンキュ」
2人の理系男子の画面の中でメロンソーダをパスするみたいなやり取りが行われる。
地球をじっと睨んでいた月面望遠鏡から、いよいよレシピデータを載せたレーザーが発射される。赤外線のため人の目には見えないが、私が念の為にと向かわせてあったローバーのカメラは、その様子を鮮明に捉えていた。
皆既日食で真っ暗になった月面から見上げる満点の星空。逆立ちの北斗七星と瞬かない星々。一筋の白線が天の川に浮かぶ黒い地球を射抜いた。
月面から送られてくる映像に、居ても立ってもいられなくなり、みんな外に飛び出していった。
「ねぇ、私たちも、迎えに行こう?」
ユキくんの袖を引いた。
「レネさんを!」
屋上に出る。そこには見たこともない光景が広がっていた。
望遠鏡から伸びる一筋のレーザーが、赤銅色の月を必死に繋ぎ止めていた。ピンと張ったロープを手繰り寄せるようにして、月からデータが帰ってくる。おかえり――。私はこの気持ちをどうしても誰かと共有したくて、ユキくんに話しかけた。
「アハハ。竹取物語とぜんぜん違うね、私たち」
「えっ!? どういうこと?」
「月面基地のかぐや姫はさ、月から帰ってくるんだもん」
「ハハハ。ホントだ! 逆だね」
コンテナを振り返ると涙でボロボロのレネさんが、アヤと先輩に肩を抱かれ歩いてくる。最後に出てきたショーコさんが手を振りながら、月まで届くくらいの大声で叫んだ。
「受信完了! データに欠損なし! みんな、おつかれ~」
「やったああ!」
「よっしゃああああ!」
「わぁぁあ!」
歓喜の声が上がる中、アヤは私を見つけすぐに駆け寄ってきた。
「キョウカちゃん!」
むぎゅっと抱きついた。
「みんな、頑張ったよね。うまくいって本当に良かった……」
「うんうん。それに、アヤちゃんが部長で本当に感謝だよ!」
すかさずカサネも飛びついてきて背中をバンバンと叩いた。
「わぁああ、キョウカ!! ウチらやったよ……やったんだよね?」
「うん。――カサネが理科部に誘ってくれて良かった!」
3人で互いの泣き顔に大笑いした。
レネさんは長い髪を下ろし、頬に涙を滴らせ空を見上げていた。その絵画のような美しさに恥ずかしそうな月が顔を出し、優しい光で彼女を照らし始めた。
皆既が終わる。
久しぶりの眩い月光。私たちがぽかんと月を眺めていると、レネさんが目を細めながらお決まりの台詞を呟いた。
「あの、ひとつ言い忘れてたけど――」
いつの間にかレネさんを中心に輪になるように集まった一同は、彼女の一言に肝を冷やした。また大事なことを言い忘れたのかな。
私とユキくんだけはもう慣れたもので「やれやれ」と肩をすくめて笑ったのだった。
もう今夜は、彼女のための月で、彼女のための時間だ。
何に使おうか?
「……みんな、大好き! ほんとうに、ありがとう!」
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