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4.朔
第24夜 優柔と不断(上)
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4月18日。本番を翌週に控えた日曜の夜だというのに、理科室は沢山の部員で賑わっていた。班で実験テーブルに別れ、それぞれタブレットやラップトップで黙々と最終調整を進めている。
今日は、これまでの約1ヶ月の努力が試される試練の日である。最新の月面基地の状況が再現されたシミュレーターを使い、本番さながらのリハーサルを行うのだ。昼間にやってもよさそうなものだが、アヤの一声で、本番と同じ日曜の夜に行うことになったのだった。
流れ込む春の夜風。窓の外を見ると、上弦の月がぽつんと白く輝いていた。
1週間後のこの時間には、もうローバーを定位置にスタンバイさせ、プログラムを月に送信していないといけない。時間がない。
気がつけば私は3年生になっていた。今日は理科室に、いつもは居ない先輩が現れ、話しかけたくて仕方がない。パーカー姿のラフな出で立ちの彼。大学の話も聞きたいし、宙ぶらりんのままの天文部再建の相談もしたい。しかし受信班の2年生たちと談笑しているので、どうも近寄り難い。いまは小学生のように目をキラキラさせ、新たに導入した遠隔システムのことを熱く語っているみたいだ。
計画は完璧に見える。あとは台本のようにこれに従って本番で演じきるだけだ。それなのに、私は何か足りない気がして考えを巡らせていた。
(うーん、ほんとにこれで良いのかな?)
計画全体はレネさんが研究者の厳しい目で隅々までチェックしてくれている。大学のスパコンを借り、肝となるユキくんのプログラムのバグ出しもしてくれた。先輩の望遠鏡さばきや、数学教師である得居先生の検算も、もちろん信頼できる。そして何よりも、手も口もよく動くショーコさんの存在が皆の心の支えになっていた。
一番自信を持てないのは、月面ローバーだった。
もちろん、操縦やAIには自信がある。私が育てた優柔不断AIと、ユキくんの即断即決AIのハイブリッド。状況に応じて2つから選んで最終判断を下すという、レネさんの組み込みプログラムもばっちり。予想外の事態にも、かなり柔軟に対応できるはずだ。
自信を持てずにいるのは、ローバーの使われ方だった。余った予備のピースみたいに地下洞窟で待機なんて――。別に、大役を任されなかったことへの不満とか、大活躍する量子コンピューターへの嫉妬じゃない。けれど、あまりにも手持ち無沙汰なのだ。
(ぜったい何か変!)
上手く言葉にできず、私はひたすら優柔不断を燻ぶらせた。すぐそこにいるユキくんにさえ相談できず、これからリハーサルだというのに、ポニーテールの毛先で遊び始めてしまった。
「みなさん」
コホンと咳払いするアヤに、部屋の全員の視線が集まった。
「リハーサル前に、ひとつだけ連絡です」
彼女はもう夜モードの顔。堂々と教壇に立ち、昼間の気弱さなんて微塵も感じられない。
「データの削除時刻が判明しました。量子計算機センターからのメールによると、日本時間の4月26日午前0時に削除プログラムが実行されるようです」
アヤは覚悟を確かめるように部員全員に1人ずつ目配せをしていった。私は思わず後ろにいるユキくんに声をかけた。
「ユキくん。どうしよう……」
「大丈夫だよ。皆既始めは23時39分。20分もあればデータの転送はできる」
「間に合うかな……」
「大丈夫。それに、ほら。何かあったら、キョウカさんのローバーも居るし」
彼の手が肩にそっと置かれると、私の自信は逆に揺らいだ。カサネに『水城くんのこと、好きになっちゃった?』なんて指摘された時以来の、変な胸騒ぎがした。
そんなことはお構いなしに、リハーサルが始まった。
アヤはロケット打ち上げ前の管制棟よろしく、各班に最終確認していく。
「計算機班」
「GOです。霜連さん」
「追跡班」
「GOです!」
「受信班」
「GOだよ。アーちゃん」
「ローバー班」
「うん。GOだよ。アヤちゃん」
さぁいよいよだ。ステージライトが輝き、カーテンが開く。私たち全員の目に、実際には見えないはずの月面基地が鮮明に映った。
アヤの合図でユキくんがラップトップのエンターキーを叩く。すぐに、月面基地に転送してあったプログラムが実行された。
モニターには、量子コンピューターの初期化完了と、データファイルへのアクセス開始が通知された。進捗バーがゆっくりと伸びてくる。
5%……10%……15%……。プログラム実行エラー。
「――あれっ?」
計算機班の男子3人は揃って「おっかしいなぁ」と頭をかいた。
「――データが見当たらないみたい」
ラップトップのモニターを1行1行指でなぞっていたユキくんが叫んだ。
「何かあったらローバー班」が口癖になっていたアヤは、青ざめた顔で私を見た。しかし、私だって、さすがにここ
で躓くことはないと高を括っていたのであたふたした。
「えっと……。データは9番コンテナにあるはず。さっきインデックスも確認したけどな……」
「え!? どういうこと?」
背中越しにおなじみの疑問を投げかけたのはユキくんだ。
「割り当てノード。1番コンテナなんだけど――あ、そうか、それならエラーは自明か……」
話しながら、彼の中で合点がいったらしい。私にも、状況はなんとなく理解できた。
ユキくんが獲得した量子コンピューターの計算ノードは1番コンテナにあった。望遠鏡の観測データの処理用に申請したので、新しい観測データが収められる1番コンテナが割り当てられるのは、当然といえば当然だ。
一方、レネさんの量子データは9番コンテナの中だ。コンテナを跨いだ量子データのアクセスはできないので、エラーが出たわけだ。
「ど、どうしよう……」
思わず立ち上がった私に、理科室の全員の視線が集まった。どう考えてもローバーの出番。やるべきことはなんとなく分かった。けれど、あまりにも荷が重い。
「どうする? キョウカちゃん?」
「キョウカさん?」
アヤとユキくんの声が理科室に響いた。
今日は、これまでの約1ヶ月の努力が試される試練の日である。最新の月面基地の状況が再現されたシミュレーターを使い、本番さながらのリハーサルを行うのだ。昼間にやってもよさそうなものだが、アヤの一声で、本番と同じ日曜の夜に行うことになったのだった。
流れ込む春の夜風。窓の外を見ると、上弦の月がぽつんと白く輝いていた。
1週間後のこの時間には、もうローバーを定位置にスタンバイさせ、プログラムを月に送信していないといけない。時間がない。
気がつけば私は3年生になっていた。今日は理科室に、いつもは居ない先輩が現れ、話しかけたくて仕方がない。パーカー姿のラフな出で立ちの彼。大学の話も聞きたいし、宙ぶらりんのままの天文部再建の相談もしたい。しかし受信班の2年生たちと談笑しているので、どうも近寄り難い。いまは小学生のように目をキラキラさせ、新たに導入した遠隔システムのことを熱く語っているみたいだ。
計画は完璧に見える。あとは台本のようにこれに従って本番で演じきるだけだ。それなのに、私は何か足りない気がして考えを巡らせていた。
(うーん、ほんとにこれで良いのかな?)
計画全体はレネさんが研究者の厳しい目で隅々までチェックしてくれている。大学のスパコンを借り、肝となるユキくんのプログラムのバグ出しもしてくれた。先輩の望遠鏡さばきや、数学教師である得居先生の検算も、もちろん信頼できる。そして何よりも、手も口もよく動くショーコさんの存在が皆の心の支えになっていた。
一番自信を持てないのは、月面ローバーだった。
もちろん、操縦やAIには自信がある。私が育てた優柔不断AIと、ユキくんの即断即決AIのハイブリッド。状況に応じて2つから選んで最終判断を下すという、レネさんの組み込みプログラムもばっちり。予想外の事態にも、かなり柔軟に対応できるはずだ。
自信を持てずにいるのは、ローバーの使われ方だった。余った予備のピースみたいに地下洞窟で待機なんて――。別に、大役を任されなかったことへの不満とか、大活躍する量子コンピューターへの嫉妬じゃない。けれど、あまりにも手持ち無沙汰なのだ。
(ぜったい何か変!)
上手く言葉にできず、私はひたすら優柔不断を燻ぶらせた。すぐそこにいるユキくんにさえ相談できず、これからリハーサルだというのに、ポニーテールの毛先で遊び始めてしまった。
「みなさん」
コホンと咳払いするアヤに、部屋の全員の視線が集まった。
「リハーサル前に、ひとつだけ連絡です」
彼女はもう夜モードの顔。堂々と教壇に立ち、昼間の気弱さなんて微塵も感じられない。
「データの削除時刻が判明しました。量子計算機センターからのメールによると、日本時間の4月26日午前0時に削除プログラムが実行されるようです」
アヤは覚悟を確かめるように部員全員に1人ずつ目配せをしていった。私は思わず後ろにいるユキくんに声をかけた。
「ユキくん。どうしよう……」
「大丈夫だよ。皆既始めは23時39分。20分もあればデータの転送はできる」
「間に合うかな……」
「大丈夫。それに、ほら。何かあったら、キョウカさんのローバーも居るし」
彼の手が肩にそっと置かれると、私の自信は逆に揺らいだ。カサネに『水城くんのこと、好きになっちゃった?』なんて指摘された時以来の、変な胸騒ぎがした。
そんなことはお構いなしに、リハーサルが始まった。
アヤはロケット打ち上げ前の管制棟よろしく、各班に最終確認していく。
「計算機班」
「GOです。霜連さん」
「追跡班」
「GOです!」
「受信班」
「GOだよ。アーちゃん」
「ローバー班」
「うん。GOだよ。アヤちゃん」
さぁいよいよだ。ステージライトが輝き、カーテンが開く。私たち全員の目に、実際には見えないはずの月面基地が鮮明に映った。
アヤの合図でユキくんがラップトップのエンターキーを叩く。すぐに、月面基地に転送してあったプログラムが実行された。
モニターには、量子コンピューターの初期化完了と、データファイルへのアクセス開始が通知された。進捗バーがゆっくりと伸びてくる。
5%……10%……15%……。プログラム実行エラー。
「――あれっ?」
計算機班の男子3人は揃って「おっかしいなぁ」と頭をかいた。
「――データが見当たらないみたい」
ラップトップのモニターを1行1行指でなぞっていたユキくんが叫んだ。
「何かあったらローバー班」が口癖になっていたアヤは、青ざめた顔で私を見た。しかし、私だって、さすがにここ
で躓くことはないと高を括っていたのであたふたした。
「えっと……。データは9番コンテナにあるはず。さっきインデックスも確認したけどな……」
「え!? どういうこと?」
背中越しにおなじみの疑問を投げかけたのはユキくんだ。
「割り当てノード。1番コンテナなんだけど――あ、そうか、それならエラーは自明か……」
話しながら、彼の中で合点がいったらしい。私にも、状況はなんとなく理解できた。
ユキくんが獲得した量子コンピューターの計算ノードは1番コンテナにあった。望遠鏡の観測データの処理用に申請したので、新しい観測データが収められる1番コンテナが割り当てられるのは、当然といえば当然だ。
一方、レネさんの量子データは9番コンテナの中だ。コンテナを跨いだ量子データのアクセスはできないので、エラーが出たわけだ。
「ど、どうしよう……」
思わず立ち上がった私に、理科室の全員の視線が集まった。どう考えてもローバーの出番。やるべきことはなんとなく分かった。けれど、あまりにも荷が重い。
「どうする? キョウカちゃん?」
「キョウカさん?」
アヤとユキくんの声が理科室に響いた。
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