月夜の理科部

嶌田あき

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2.望

第12夜 好きと嫌い(下)

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 夏休みに入っても「手伝ってほしい」「自分で考えて」の繰り返し。彼との仲はだんだん険悪になっていった。
 そんな中、理科部夜隊の夏合宿のため、長野県は八ヶ岳に向かっていた。得居先生の運転する8人乗りの真っ赤なSUV。北米仕様の逆輸入車らしい。3列シートの車内は広々としていた。サンルーフから入り込む夏の風がなんとも心地よかった。

 八ヶ岳少年少女自然の家。県の保養施設のため格安で泊まれる。望遠鏡のある「天文ハウス」が併設され、天文部御用達の合宿先であった。ここに来たのは、むろん先輩の希望だった。
 白樺の林を抜け、バーベキュー場を通り過ぎると、幾つも赤い屋根が並ぶ一角に出た。
 焦げ茶色の木張りの壁に大きな三角屋根が張り出し、アルプスの山小屋を思わせる質素で直線的な外観。〈本部棟〉と書かれたガラスドアの入り口をはいると、優しい緑色の外光が差し込む大きなエントランスホールが出迎えた。

「わあああっ、きっもちいい~」

 うーんと伸びをしながら、きょろきょろと施設を見て回った。中はしっかりとした鉄筋コンクリート造り。食堂や研修室もあった。
 本部棟に隣接した2階建ての宿泊棟のうち〈星棟〉に入った。廊下を突き当たって左手側の洋室が女子部屋、右に曲がってすぐの和室が男子部屋だ。2段ベッドが2台並んだコテージ風の洋室。決して広くはないが、充分に快適そうだ。
 夜に備えて仮眠をとることにした。窓を開けると風が気持ちいい。2段ベッドの上段でうとうとしていると、そのまま深い眠りについてしまった。
 しばらくして気がつくと、先輩とアヤの会話が耳に飛び込んできた。2人とも部屋に私がいると気づいていない様子だ。

「ねぇアーちゃん。あのさ、アレの返事なんだけど」
「えっ!? 今ここで? 誰かに聞かれたりしてたら困るな……」

 2段ベッドから様子を窺うと、アヤは2つ結びを振ってキョロキョロしていた。

「いろいろ考えたんだけどさ、やっぱり――」

 低い声で話し始める先輩。

「ちょ、チョット待って。まだ、私、心の準備、できてないよ」

 アヤが声を震わせる。マズい流れだ――私は直感した。

「付き合うよ」
「ホント!? よかった。嬉しい。嬉しいな!」

 飛び跳ねるアヤ。

(え、えっと……どういうこと? あっ)

 事態を理解した。アヤは告白していたのだ。そして、こともあろうに、先輩の返事はイエス。こんなに話が進んでいたとは……。

「それで、どうするの? キョウカには内緒に?」
「うん。今、キョウカちゃんに知られるのは、ちょっとね……」

 後ろめたいことがあるのかと、私は落ち込んだ。盗み聞きみたいなことになって申し訳ない気持ちも多少はあった。それでも無性に悔しい。

「夕食だよ~。食堂に集合おお。あ、先輩もここにいたんですね」

 カサネが2人を呼びに来た。

「今日は特製カツカレーだってよー」
「ちょっと重いなぁ」
「打ち上げ前日に験(げん)担ぎで食べる宇宙飛行士がいるんだよ」
「ホントですか? ハハハ」

 なんて3人で笑いながら部屋を出ていくのを、私は息を潜めて見届けた。はぁ。

(もう今日は顔合わせるのも嫌。夕飯なんか食べなくてもいいや)

 ふて寝を決め込もうとしたとき、部屋の戸がノックされた。
 コンコンコン――。

「――キョウカさん? いる? 夕飯たべなあい?」

 声の主はユキくんだった。彼は至って平常運行の、いつもの優しい声。

「食べない」
「ああ、いたんだ。良かった」

 彼は女子部屋のドアを開けようとはしなかった。紳士なのか、単に恥ずかしいだけなのか。
「カレーだよ?」
「いらない!」
「具合でも悪い?」
「ううん」
「大丈夫?」
「――大丈夫じゃない」
「えっ!? どういうこと?」

 ほら出た。得意のフレーズ。私は「分かってないなぁ」なんて思いながら2段ベッドからのろのろと降りた。

「――ねぇ、ユキくん。もう少しだけ、一緒にいてくれない?」

 ゆっくりとドアに背をつける。廊下の彼が動揺しているのが、ドア越しでもよく分かった。

「ちょっと、そこに居てくれるだけでいいから。お願い……」

 気がつくと涙がこぼれていた。手に落ちた涙の粒の暖かさが、座り込んだ床の冷たさを際立たせる。私は体育座りのまま背中をドアにぎゅっと押し付けた。3センチ向こう側が、無限の遠くに感じた。

「ど、どうしたの? キョウカさん? 泣いてるの?」

 そんなこと聞かないで。わかるよね――。声を振り絞る。

「……先輩、アヤちゃんとつき合うことにしたって。知ってた?」

 言葉にしたら、現実が確定してしまうみたいで苦しい。痛い。泣き顔を見られるのは恥ずかしい。

「よくわからないけど、聞き間違え、とかじゃない?」
「ばか!」

 よく知りもせず、確認もせず、そんなこと言わないでよ。なんて怒りを彼にぶつけられるわけもなく、私は静かに唇を噛んだ。
「よく、考えてみたら?」
「ねぇ、こんなときくらい、一緒にいて! お願い! そこで、いいから……」

 声だけは平静を保とうとしていたけれど、それももう限界だった。

「うっく、く、ぐぐぅ……」

 いよいよ大粒の涙が膝にポロポロこぼれ落ちた。ほんとは子供みたいに「わーん」て泣いてしまえばスッキリする。それは知っていた。彼はドアを開けないって分かってるから、静かに泣いた。この気持ちを解決する魔法も科学もない。

「2人は幼馴染。仲良しなのは、今に始まったことじゃない」
「……どうしてユキくんは、いつもそうなの?」
「やっぱ、落ち着いて考えてみたほうがいいよ」
「もう知らないっ!」

 自分のことがよくわからなかった。
 顔を上げ、涙を拭きながら向かいの窓の外を見た。夕焼け色に染まる雲を白樺のシルエットが黒く切り刻んでいた。夜の始まりを告げる、冷たい夜風。山の季節は早い。秋がもう、そこまで来ていた。
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