月夜の理科部

嶌田あき

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第2夜 地球と月(下)

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「きれい――だけど、ピクニックにはちょっと寂しいとこだな……」

 日光がさんと降り注ぐ月面で私はつぶやいた。雪山にも見えるライトグレーの砂丘の向こうに青空はない。漆黒の空に青い半月状の地球――半地球が浮かんでいた。

「水城くん? そっちは、どう?」

 私は振り返らずに、隣にいるはずの彼に声をかけた。

「どうって? 證大寺さんのローバー、ちゃんと見えてるよ」

 私たちはVRゴーグルをつけ、放課後の理科室にいた。

「2人ともうまくログインできたみたいね。じゃあ早速始めましょ」

 レネさんはそう言って手元のラップトップを操作した。
 手元のコントローラーで月面にいるローバーを遠隔操縦するしくみになっているらしかった。ちょっとしたゲームみたいな感じ。

「右奥に大きな丘が見えるでしょ? まずはあそこに登って」

 レネさんの指示に従って、ローバーを動かしてみる。

「右、右、えーと」

 ローバーからの景色をゴーグル越しに見ながらの操縦。私が首をふると、やや遅れてローバーのカメラも左右に動いた。足元には下半分が砂に埋まった前輪が見えた。
 コントローラのレバーを倒す。手元が見えないので少しまごつく。ローバーはやや間があってから急発進した。月の砂丘を滑るように進み、波乗りしている気分になった。

「アハハ~。ゆかいゆかい」
「あー、ちょっと待って。もう少しゆっくり楽しもうよ……」

 振り返ると、水城くんのローバーは砂丘の波3個分ほど後方で米粒のようになっていた。彼は左右にカメラを振って景色を見ながら、のんびりハイキングなんぞ楽しんでいるみたい。
 丘を登りきると、すりばち状のなだらかな斜面に出た。無数に並ぶアンテナ群が梅園のよう。でも、花の香りを運ぶ風も、小鳥のさえずりもない。色のない、無表情の月面。
 私はあっという間に地球が恋しくなってしまった。

「ここは、月面望遠鏡よ」

 レネさんが言う。

「望遠鏡?」

 私が首を傾げると、連動してローバーがカメラを傾けた。
 目の前にあるのはただのクレーターで、想像しているような「ザ・望遠鏡」は見当たらない。グレーのデザート皿みたいなクレーターの真ん中に、和栗のモンブランみたいな建屋が見えた。

「クレーター全体が望遠鏡。ネットからアクセスもできるのよ」

 レネさんがフフと笑った。

「すごい! これが月面望遠鏡? ちゃんと完成してたんだ……」

 遅れて到着した水城くんは思わず立ち上がってしまったらしく、ガタガタ音を立ててイスを手探りしていた。おちつけ、理系男子。

「一番底にあるのが管理棟。あそこに光学望遠鏡もある。右の道から、ゆっくり下りて」

 レネさんの言葉に従って操作を続ける。モンブランは見た目と異なり、管理棟なんていうなんとも素っ気ない名前だった。そこへ至る道も単に何台かのローバーの轍でできた、けもの道である。

「2人とも、ローバー用玄関に行って。緑マーカーのところ」

 建物の壁の少し手前に蛍光グリーンのマークが表示されている。

「はい。なんとかがんばります」

 私は手に汗を握っていた。漏れ聞こえる声から、水城くんも緊張しているっぽかった。レネさんが見計らったようなタイミングで嫌なことを言う。

「2人とも慎重にね。ローバー破損したら10億円、いやもっとするかな――」
「えっ? えええーっ!?」

 算出根拠なんて考える間もなく、とにかく、ぶつけたらヤバいと本能的に理解した。
 けれど、そんな心配をよそに私のローバーは吸い込まれるように壁に激突してしまった。

「きゃああああっ」

 見落としていた衝突警報が、画面の隅でむなしく点滅している。

「ぅあぅ」

 私は声にもならない低いうめき声を上げた。

「おかしいな……ちゃんと標識で停めたはずなんですけど……」
「ああ、言い忘れてたけど、ローバーのカメラ映像にはタイムラグがあるわよ」
「えーと……?」
「映像が地球に届くのに2秒、キョウカちゃんの操縦の信号が月に届くのにも2秒かかるの。だから、見た目ピッタリで操縦しちゃうと4秒分、行き過ぎちゃうんだけど」
「え? え? ええええぇぇ。先に言ってくださいよ!」

 慌てる私。すぐ隣で、得居先生がのんきな声をだす。

「なるほど。月と地球は38万キロも離れてますからね」

 修理費をどんな定理から導いてくるつもりなのか。

「あらぁ、ごめんなさい。言ってなかったっけ?」

 ぜんぜん聞いてないよ。心のなかで悪態をつきながら、レネさんが大事なことほど言い忘れるタチだったのをいまさら思い出した。
 オーバーランした私のローバーは、管理棟モンブランの壁面をクリームのようにこそぎ落とし、停止した。

 ◯

 ――全てはシミュレータ上の出来事だった。
 でもレネさんが「本物の月面ローバーに繋がってる」なんて嘘をついていたものだから、私と水城くんは信じきっていたのだった。

「本物は通信に時間がかかるから、間にAIが入って調節するしかけになってるの。フフフ」

 レネさんは悪びれる様子もなく、むしろ楽しそうに説明を始めた。

「大まかな命令だけ受け取ったら、あとはローバーが自分で判断して行動するってわけ」
「なるほど。タイムラグのせいで操縦しにくいですもんね」

 と水城くん。

「そう。それで、このAIに、操縦を教えてあげるのが今回のバイト」
「ちょっと面白そう……あ、でも私、別にゲーマーとかじゃないですよ?」
「大丈夫よ。月面ローバーのAIは5歳児ぐらいの知能だと思って、あなた達がいろいろこの世界のことを教えてあげて」

 レネさんが身振り手振りで説明する様子を見て、私は5歳下の弟の小さい頃を思い出した。広い公園を駆け回り、よく転んで、迷子になって、そして、よく笑っていた。ブランコも鉄棒も、あやとりだって私が手取り足取り教えたのだ――。

「未知の状況に対応できるAIを作るには、あなた達が手取り足取り教えるのが有効なの。専門用語では〈教示きょうじ〉っていうのよ」

 レネさんは真剣な顔をして、つけ加えた。

「それでね、地下の量子コンピューターから、とあるデータを持って返ってきてほしいの」

 おおおう。またしても突拍子もないリクエスト。どういうことだろう?

「よく分かんないけど、楽しそうなんでやってみます!」

 水城くんは2つ返事でOK。まあそれは、彼が言うところの「自明」な反応ではある。

「キョウカちゃんはどうする?」
「……か、考えさせてください」
「――そう、分かった。ま、皆既月食まではまだ時間あるし、きまったら、教えてね」

 レネさんは少し意味深なセリフを残し部屋を去った。
 はやく優柔不断を治さないと、いろいろ問題になりそうだ。私は少し焦った。
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