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第4章「春」

10.きり雲グラデュエーション(5)

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 結ちゃんは卒業式のあと2年生を引き連れて港に向かってくれていた。釣り同好会の力を借り、仲の良い漁師さんに船を出してもらえるよう交渉してくれたらしい。さすが結ちゃん、頼りになる。

 風船は想定では高度30キロで破裂する。落下予想地点は例の神社の北、沖合20キロほどの海上だった。ジェット気流に乗った気球の移動は速い。私たちは先生の車で港へと急いだ。

「先生、気球が予想より北に流されています」

 タブレットに表示された気球の位置を追いかけながら、運転席の羽合先生に状況を伝えた。
 高度10キロあたりでジェット気流に乗った気球は、一気に東へと流されるはずだった。しかし今日のジェット気流は予想より穏やか。むしろ春一番の風に押され、気球は北へと運ばれているようだった。

 高速道路を飛ばすこと1時間半。私たちが港に着くと、すでに結ちゃんたちが待っていた。

「お願い、無事に宇宙の渚に着いてますように……」

 港に着いた私は、真っ先に空を見上げた。もちろん肉眼では気球が見えるはずもない。今頃、気球は高度30キロの成層圏を飛んでいるはず。気温マイナス60度の極寒の中、カメラは青い地球を捉えているだろうか。

「お姉ちゃん……見てる? 私、やったよ」

 そろそろ気球が割れて、パラシュートで落下し始めている時間のはず。でも無線から送られる位置情報だけでは、気球が本当に割れたのか、パラシュートがちゃんと開いたのかまでは分からない。
 船を出してくれる漁師さんたちに挨拶まわりをしていると、大地が慌てた様子で駆け寄ってきた。

「大変だ、澪!」

 大地の顔から血の気が引いている。

「無線、ロストしたぞ……」

 大地はがっくりと肩を落とし、地面を思い切り踏みつけた。
 気球が割れた時の衝撃で無線機が壊れたのだろうか。それとも極寒の気温で電池がダメになったのか。はたまた強風にあおられ、カプセルがバラバラに分解してしまったのか……考えたくもない惨事の数々が、頭をよぎった。

「どうする、澪……?」
「霜連先輩…」

 大地と結ちゃんが心配そうに私を見つめた。

「今は信じるしかないよ。カプセルもパラシュートも、絶対無事のはず」

 私はここぞとばかり諦めの悪さを披露した。
 落下中、気球はもう一度強烈なジェット気流にさらされるはず。パラシュートが開いていれば、風に流され予想地点より北へ、開いていなければ南にずれる。どこに落ちるのか、正確に予測するのは至難の業だ。

「ねえ、ここからだと、気球って見えないのかな?」
「うーん、どうだろう。上空なら見えるんじゃない? 一緒に探してみよっか」と陽菜。

 羽合先生が計算すると、気球の高度がたった100メートルほどもあれば、この港からでも水平線の上に見えると判明した。結ちゃんと釣り同好会のメンバーたちは待ちきれす、2隻の漁船で先に港を出発していった。

 大地はラジオ部の仲間とともに、無線の電波を探し続けてくれていた。私は陽菜といっしょに双眼鏡を片時も離さず、必死に空を見つめ続けた。けれど、待てど暮らせど気球からの電波は受信できない。時間だけが過ぎ、気球が落下してくるはずの時間になっても、澄み渡る青空に気球の姿は見当たらなかった。

(どうしよう……このままじゃ……)

 焦りと不安で、手のひらが汗ばんできた。

 最大の問題は、着水地点が予想から大きくずれてしまうことだった。そうなれば、広大な海を隈なく探すしかない。たった3隻の漁船で探せる範囲なんて、たかが知れていた。おまけにもし電源系統の故障なら、ビーコンが作動するかどうかも分からない。GPSもビーコンもなしで、大海原に一つぽつんと浮かぶカプセルを、目視だけで見つけ出すなんてできるはずがない。

 こうなると、宇宙の渚に到達できたか、撮影できているかなんてどうでもよくなる。カプセルの改修がすべてだ。そうでないと、これまでの苦労が全て水の泡になってしまう。宇宙の渚まで行けたのかどうかわからないだけでなく、何が原因で失敗したのか、次にどう改善すればいいのか――。何一つ分からないまま終わるなんて、とても耐えられない。

 ふと我に返ると、ポケットの中でスマホが震えていた。知らない番号……こんな時に一体誰だろう。眉をひそめながら電話に出た。受話器の向こうから聞こえてきたのは、意外にも月城さんの声だった。

『澪ちゃん? 良かった、繋がって! 気球、行方不明になったんだって? 羽合先輩から聞いたよ』
「はい……。正直、もうどうすればいいのか……」

 思わず涙声になって事情を説明すると、月城さんは明るい声で励ましてくれた。

「大丈夫よ、絶対なんとかなるから!」

 どうやら月城さんは、学校の天文ドームにいるらしい。天体望遠鏡を昼の空に向けて、気球に取り付けた反射板の光を頼りに、自動探索を続けているという。

「え、そんなことできるんですか!?」
『私さ、こう見えて天文部の部長やってたの。1年だけだけど。羽合先輩から役目引き継いだんだよね』

 月城さんの弾むような明るい声に、とても勇気づけられた。

『気球までの直線距離は50キロ。望遠鏡の分解能ギリギリかなぁ』

 彼女は誰に言うでもなく、楽しそうにつぶやいている。

『澪ちゃんが普段からメンテナンスしてくれてたおかげかな。望遠鏡の調子、すごく良いわ』

 電話越しに、自動望遠鏡の架台を動かすモーターの低い音が聞こえてくる。
 天文部としての活動から引退した後も、私は天文ドームに通い続け、望遠鏡のメンテナンスを欠かさなかった。先生以外に知る人のなかった私の努力。それが今、こうして形になって報われたのだ。たった一人でも、頑張りに気づいてくれた人がいる。そう分かっただけで、とても温かい気持ちになった。

 月城さんの説明によると、CCDカメラの画像を解析し、雲でも星でもない光の点を自動で探知するプログラムを使っているのだという。

『ほら! そう言ってる間にーービンゴ!! 見つけた!』
「本当ですか!?」

 スマホをハンズフリーモードにして、双眼鏡を覗く羽合先生に呼びかけた。

「先生ぇ、大変! 月城さんが気球を見つけたって!」
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