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第4章「春」

12.淡雲ウェンズデー(3)

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 先生の言葉に、血の気が引くのを感じた。先生は私の顔をまじまじと確認して満足げに息を吸うと、くくっといたずらっぽい笑みを浮かべた。

「だって、4月からはもう、君の『先生』じゃないからね」
「あ……えっ? ちょ、ちょっと待って!」
「ハハハッ!」
「もう、びっくりさせないでくださいよ!」

 目をうるませる私には、さすがに先生も慌てた様子。すぐに駆け寄ってきて

「ごめん、ごめん。驚かせちゃって」

 と優しく背中をさすって謝ってくれた。

「俺、甘えてたんだ。先生と生徒っていう関係に。君が無条件に側にいてくれるってころにーーごめん、ズルかったよね」
「そんなことないです……私だって」

 そう、私も、先生が先生であることに甘えていたのだからーー。

「実は、早く卒業したいなんて思ってたんです。ほら、いつか言ったでしょ? 先生が高校生の頃に出会いたかったなーって」「ああ、あれね。覚えてるよ」
「でも、怖かったんです。水曜日。天文ドームに行けば、先生に会える。そんな当たり前な関係を失うのはやだなって……」

 いつものようにフェンスに並んで西の空を見上げた。茜色に染まるグラデーションに、思わずうっとりとため息が漏れる。

「でも、今日で、ぜーんぶ、おしまいっ」

 伸びをする私の影を、オレンジと濃紺のグラデーションが優しく包み込む。昼と夜の狭間。何かが終わり、また何かが始まる瞬間。

「せんせ、」

 言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。

「昴くん!」

 初めて呼び捨てで言ってみる。どうだ、って自慢したいくらいにお姉ちゃんに似た、自信に満ちた声が出た。先生の方が驚いたようで、照れくさそうに口元を緩めた。

「ありがとう! 全部、ぜんぶね、昴くんが、教えてくれたの」

 ぎゅっと握りこぶしに力を込め、先生の瞳をまっすぐに見つめた。

「自分の気持ちに素直になることも、好きなものを好きって言うことも怖くないって、教えてもらっちゃったーーやっぱ先生は……先生なんだね。えへへへ」

 その言葉に、先生は優しく目を細めてうなずいた。
 くるりと踵を返し、先生に背中を向けた。すっかり暗くなった東の空に向かって、歩き出す。

「誰かに必要とされたい、愛されたいなんて、歪んだ願望も、もういらない」

 一歩踏み出す。

「私を縛り付けていたのは、お姉ちゃんじゃなかったんだ」

 もう一歩。

「先生と生徒が、なんていう道徳心も、足枷じゃなかった」

 最後の一歩を踏み出す。

「私自身が、自分を縛っていたんだ!」

 先生の長く伸びた影の先まで来て、私はくるりと振り返った。

「私、昴くんと出会って、気球になれたんだ!」
「えっ?」

 オレンジ色した先生が聞き返す。

「うん。どこにでも行ける、自由な気球に」

 夕陽に溶ける笑顔。
 私たちは気球なんだーー。たくさんの優しさを注いでもらって、大きく膨らんでいく。一人ひとりの夢と願いを乗せて、大空高く舞い上がる。風に吹かれるまま、宇宙だって行ける。

「私、もうどこへだって飛んでいけるよ。だから、だからね……」

 自由になりたいって願いながら、本当の自由を目の前にすると、ちょっと怖くなる。

「諦めなかったね、頑張ったね、そう言ってもらえる、帰ってくる場所がほしいの」

 震える手を差し出すと、先生はすぐにそっと握り返してくれた。

「大丈夫ーーここにいるから。もう君の先生じゃないけど……」
「うん、わかってる。えへへ…」
「え? 俺、何か変なこと言った?」
「ううん。そういう、ときどき真面目なとこ、好きですよ」

 恥ずかしさと嬉しさで火照った頬は、夕陽を浴びてさらに熱を帯びた。

「ねえ、昴くん……」

 先生の手を引いて、そのまま走り出した。たんっ、とフェンスに手をつく。見れば東の空に、大きな満月が登り始めている。恥ずかしそうに顔を出した金メダルみたいな月が、鉄塔の影からこちらをのぞいていた。

「ねえ、この間、言ってましたよね。青春は高校生だけのものじゃないって」
「え? ああ、うん」
「だったら、先生。一緒に、イケナイこと、しません?」

 わざとらしく先生の肩をもみもみしながら「ね、ね」と甘えるような目線を送る。そして、階下の暗がりに向かって大きく手を振った。

「みんなー、こっちこっち!」
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