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第3章「冬」

7.うね雲シグナリング(5)

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 嬉しいニュースが一つだけあった。2ヶ月前に申請していた気球の飛行許可が、ついに航空局から下りたのだ。すぐに天気予報をチェックし、絶好の晴天が予報された日に、屋上から気球を打ち上げることにした。カメラや無線機器を全て搭載した、初めての本番飛行だ。

「よーし、いくぞ!」

 声を張り上げてみたものの、一緒に喜んでくれる仲間は誰もいない。カウントダウンも、高度の読み上げもなく、ひとり寂しく気球の行方を見守った。

 打ち上げ自体は無事成功し、搭載した機器も完璧に作動した。だが、気球とカプセルをつなぐワイヤーが切れてしまった。記念すべき初飛行は、町はずれの田んぼへの不時着という残念な結果に終わった。GPSのおかげでカプセルは難なく回収できたけれど、肝心のカメラは設定ミスで何も撮影されていなかった。理科室で乾いた笑い声を上げる私の隣に、落胆を分かち合ってくれる仲間の姿はない。

「あはは……はは……」

 笑い声には、どうにも隠せない虚しさが滲んでいた。もう二度と、天文ドームであの頃のように無邪気に笑い合える日々は戻らないのだ。孤独感にさいなまれながら、羽合先生のことを思った。

 先生は、私に会いたいと思ってくれている時があるのかなーー。皮肉にも、つきあう前の方がもっと何でも話せていたような気がする。会いたくてもなかなか会えない日々は、冬休みが始まるまでずっと続いた。

 待ちに待った冬休み。羽合先生からデートに誘われたのは、休みに入ってすぐのことだった。

「そろそろ、ほとぼりも冷めただろ?」

 なんて軽やかに誘ってくる先生。私は、誰にも見つからない場所がいいと提案し、二人で海へ向かうことに。1時間ほどのドライブの間、私は助手席で終始ニコニコしていた。この特別な席は、夏に来た時には大地に占領されてしまったっけ。二人を乗せた車は、夏の思い出の渚近くの駐車場に静かに滑り込んだ。

 車内は幸せなぬくもりに包まれている。隣には大好きな人がいて、窓の外にはどこまでも澄み渡った青空。私は心の中でつぶやいた。ーーこれって天国? ほかに何もいらないと、心から思えた。

「歩こっか」

 と、羽合先生がハンドルに頬杖をついて言う。強風で荒れた浜を見やり、明らかに外に出たくなさそうな様子。思わず吹き出しそうになる。

「寒そー」と文句を言ってみれば、「高校生のくせに、なに老人みたいなこと言ってんの」なんて冷やかされた。

「だってぇ……」

 と拗ねていると、羽合先生は「これは放射冷却を体感できる絶好のチャンスだぞ」なんて理科の先生らしい小難しいことをつぶやき、コートを羽織ってさっさと車を降りてしまう。置いていかれた私は、伸びをしながら海を眺める先生の姿をしばらく眺めていたが、我慢できなくなって車から飛び出した。

「せんせー、待ってよー!」

 小走りで先生を追いかける。
 冬の太平洋は大波が押し寄せ、夏とはだいぶ表情の違う景色が広がっている。

「さむさむ……」

 と身震いしながら、砂浜へと続くコンクリートの階段を慎重に下りていく。

「ハハハ、そんなにキョロキョロしなくても大丈夫だって。ほら、早くこっちにおいで!」

 羽合先生が呼ぶ。

「だって、バレたら大変なんだもん……」

 今日は変装というわけではないが、先生とだいたい同い年に見えるよう、いつもより大人っぽい服装を選んだ。真っ白なダッフルコートにカーキ色のニットワンピース。首元にはチェック柄のストールを巻いて、ワンポイントにしている。

「これなら、大学生くらいには、見えますかね……?」
「んー、どうだろ。まぁ、似合ってるから、それでいいんじゃない?」

 えへへと照れ笑いをすると、先生は八重歯を見せて笑った。訳あり年の差カップルだとバレないよう、自然体を装うのが今日の目標だ。

「はい」彼の差し伸べる手に「うん」とはにかみながら指を絡めた。

「大学、決まったって? 合格、おめでとう」
「えへへ。ご存知でしたか……。まだ陽菜にも内緒だったんです」

 大人になる日は、あと少し。追いつけない歳の差へのもどかしさから、私は羽合先生の手をぎゅっと強く握りしめた。

「ねぇ先生、会いたかった……すごく」
「ごめんね。君を不安にさせてばかりで」

 砂浜を抜ける冷たい風に立ち止まると、先生の胸に頭を預けた。

「ううん。大丈夫。ただ、会いたかっただけ。それが言いたかったの」
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