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第2章「秋」

5.すじ雲サスペンス(5)

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 学校に着くと、先生は天文部の活動拠点である第2理科室に月城さんを案内した。彼女は部屋に一歩足を踏み入れるなり、「わぁ、すっごい懐かしい!」と子供のようにはしゃぎ始め、机や棚に触れては昔を思い出すかのように目を細めた。教壇近くの実験テーブルにつき、先生が淹れた紅茶を飲む。

「う~ん、どのお菓子にしようかな」

 差し出された紅茶受けのクッキーを前に、真剣に悩む彼女の姿は微笑ましくてたまらない。飾り気のないその人柄に、私は一瞬で彼女のことが好きになってしまった。

「月城さんは、お姉ちゃんのことをよくご存知なんですね」
「もちろん。私が入部したとき、綾ちゃんが部長をしていてね。本当に輝いていたんだ」

 月城さんが羽合先生の後輩だというのは、私と結ちゃんの推理の通りだった。でも私たちが思っていたのは大学の後輩。まさか、高校の先輩後輩だったなんて! 月城さんはこの高校の卒業生で、先生の1つ下の学年。つまり、お姉ちゃんと同級生。それに驚いたのは、彼女が当時、理科部に所属していたということだった。

 回収したカプセルを陽菜と大地が持ってきて見せると、月城さんはまるで自分の子供を見るかのように、愛おしそうに眺めた。
 それから、発泡スチロールの選び方、ワイヤーの結び方、打ち上げに関わる航空法や電波法まで。月城さんは惜しげもなく、いろいろなことを私たちに教えてくれた。

 気球から撮影された映像を一緒に見ていると、ふと屋上で空を見上げるお姉ちゃんの姿が映し出された。その瞬間、月城さんの瞳に涙が浮かんだ。懐かしさと喜びが入り混じったような、複雑な表情だった。

「お姉ちゃんの高校時代のことって、あまりよく知らなかったんです。だから今日、月城さんからお話が聞けて本当に嬉しかったです」
「そう言ってもらえて良かったわ。ここに来た甲斐があったってもんね」

 実は先生も、ここ最近ずっと月城さんに気球のことを教えてもらっていたらしい。

「俺、天文部だったから、正直理科部の活動についてはよく分かってなくてさ。気球を打ち上げた頃には、俺はもう卒業しちゃってたしね」

「ふふふ。でも先生、なんで、こそこそと?」

 私が首を傾げると先生は

「いやぁ、ハハハ。霜連に聞かれた時に、何も知らないなんて言えなくてさぁ」

 と、言葉を濁した。

「アハハ。羽合先輩、相変わらず子供みたい」

 そんな月城さんのコメントに、先生は「合理的ライフスタイルと呼んでもらおうか」なんて言い出した。思わず
「でたよ、またそれ」と私がツッコミを入れる。私たちのやり取りを見ていた月城さんは、昔を思い出すかのように優しい目をした。

「霜連、ワイヤーの素材選びで悩んでただろう? あれ実はね、釣り糸が良いらしいぞ」

 先生がそう言うと、結ちゃんが驚いた様子で私を見た。そうか、だから釣具屋に行ってたんだ!

「なんだよ。先生も『過去問』を頼りにしてたのか……。ガハハハ」

 大地が腕を組んで言うと、先生は「まあ、そういうことだね」と悪びれた様子もなく言って、袋からある物を取り出した。釣り糸の糸巻きだ。

「当時の理科部で、低温下での強度もチェック済みよ。きっとうまくいくわ」

 月城さんが優しく微笑む。その笑顔に、私も勇気づけられる思いだった。

「宇宙の渚を1人で目指す子がいるって、羽合先輩から聞いた時はビックリしちゃったわ」
「えへへ……」

 先輩に認められたことが嬉しくて、私は少し照れくさそうに微笑んだ。

「それに、その子が綾ちゃんの妹さんだって聞いて、もう2度びっくりしちゃった」

 月城さんはそう言うなり、いきなり立ち上がって私に近づいてきた。そして、優しく私の頭を抱きしめる。その突然の行動に、私は思わず体を強張らせてしまった。

「ごめんね……。あなたが綾ちゃんじゃないのは分かってるのに……でも、本当に、ごめんね」

 月城さんは涙を流しながら、何度も言葉を繰り返す。私の頭に頬を寄せ、優しくなでてくれた。月城さんの柔らかな花の香りに包まれ、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ、安心感すら覚えた。

「あの……私、お姉ちゃんに似てるんでしょうか? ……っていうか、私、お姉ちゃんが同い年の頃なんて知らないし、実際に会ったこともないから、自分じゃよく分からなくて……」

 私は月城さんの胸に顔を埋めたまま、恐る恐る尋ねてみた。

「ふふふ。そうよねーー」

 そう言いながら、月城さんは手の甲で涙を拭った。ふと視線を感じて周りを見ると、陽菜と結ちゃんが黙って私たちを見守っていた。優しく穏やかな眼差しだった。

「綾ちゃんを亡くして、大切なことに気づいたの」

 月城さんは一呼吸置いてから、真っ直ぐに私の瞳を見つめた。

「人は死んでも、この世界から完全に消え去るわけじゃないのよ。その人の〈かたち〉が残るの」
「かたち……? どういうことですか?」

 私は怪訝な表情を浮かべながら、尋ねた。

「そう。ぽっかり抜けたあとの、かたち。家族、友達、恋人……。あやちゃんのまわりにたくさんの人が居て、今も彼女を形作ってる。時間の流れに抗いながら、私たちはその形を必死に留めているのよ」

 そう言いながら、月城さんは古ぼけたノートを私に手渡した。表紙には〈Aya Shimotsure〉と書かれている。卒業の際、どうしても欲しいとねだって譲り受けたものだという。

「こんな大事なもの、私にくれるんですか?」
「もちろん。これ、あなたが持っていた方が綾ちゃんも喜ぶはず」

 そのノートは、カフェで月城さんが先生に見せていたもの。お姉ちゃんが理科部時代、実験日誌の代わりに書いていたものらしい。ページを捲ると、気球の型番からワイヤーの強度計算まで、びっしりと書き込まれている。余白には、「今日のドジ澪」と題した落書きのようなコラムが。私のことについて書いてある。そこに添えられた手書きイラストがかわいい。

 実は月城さん、ずっと昔から私のことを知っていたらしい。そう打ち明けられた私は、どんな表情をすればいいのか分からず、ただ黙ってノートのページを捲り続けた。

「安心して。あなた、綾ちゃんにそっくりよ。少なくとも、私の記憶の中に残る綾ちゃんの〈かたち〉に」

 月城さんはそう言うと、優しく微笑んで理科室を後にした。お姉ちゃんへの思いが込み上げてきて、涙がノートに雫となって落ちた。陽菜が傍に寄り、優しく私の肩を抱いた。結ちゃんは、そっとティッシュを差し出してくれた。
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