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第1章「夏」
1.わた雲ソフトクリーム(5)
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「ほら、これ見てくれ! すげえぞ!」
意気揚々とした表情で大地がタブレットを見せてくる。画面に映し出されているのは、発泡スチロールか何かで作られた球体――。木の根元に、まるで投げ捨てられたように置かれ、細い紐がぐちゃぐちゃと絡みついている。海に浮かぶブイか、崩れた漁具のようにも見えなくもない。
「これ、何なの?」
タブレットを覗き込むと、大地はわくわくした様子で答える。
「どうやら昔、理科部が打ち上げたものらしいぜ。ずっと行方不明になってたらしい」
なるほど、よく見ると球体の表面には色褪せたマーカーで高校名と理科部の文字が書かれている。
「理科部の気球だってことが分かったから、今度の日曜日に回収しに行くことになったんだ。副部長も一緒だ。……なあ澪も来ないか?」
「おもしろそう! 行きたい! ……って言いたいとこだけど、陽菜と2人っきりがいいでしょ? 邪魔しちゃ悪いからパス」
「は? なんでお前が来ると邪魔なんだよ?」
大地が不満そうに言う。何もわかってないなあーー。だんだんイライラしてきた。
「とにかく! 2人で行ってきなよ。理科部の活動なんだし、私は関係ないでしょ」
私がちょっと強く言うと、大地は坊主頭をポリポリ掻きながら、思案顔で呟いた。
「いや、そうでもないんだ。このカプセル、もしかしたら澪の姉さんが打ち上げたものかもしれない」
「えっ……」
大地の言葉に耳を疑った。すると、奥の方からガチャンと大きな物音が響いた。見れば、棚の整理をしながら会話に聞き耳を立てていた羽合先生が、何かを取り落としたようだ。それを拾うこともせず、先生は慌てて私たちの方へ駆け寄ってきた。
「風間、それ本当か!?」
「はい……たぶん……。先生、何か知ってるんですね? よかった。これを見てください」
大地は例の数字が並ぶ怪しげなメールを画面に映し出し、先生に説明し始めた。
「ほら、これは明らかに日付と時刻。そしてこっちはGPSの座標です。問題はその下。おそらく北緯と東経を示してると思います」
「へえ……」
大地の説明に思わず感心してしまう。すると大地が、にやりと意味ありげな笑みを浮かべてこう切り出した。
「で、澪。これがどこだと思う?」
「えっ……まさか」
「そう。このデータが示す場所は、今回発見されたカプセルの位置と、ぴったり一致してるんだ」
「ええっ!? マジで!?」
「そうなんだよ。この怪しいメールとカプセル、絶対に何かの繋がりがあるはずだ」
大地の言葉に、背筋がゾクリとするのを感じた。
「羽合先生。6年前、理科部は一体何をしていたんですか?」
まるで推理小説の名探偵さながらに、大地が真剣な面持ちで質問を投げかける。先生は一呼吸置いてから、大地を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「ーー間違いない。これは当時の理科部が打ち上げた、高高度気球だ」「高高度気球……? 初耳ですけど」
「簡単に言えば、宇宙の入り口『宇宙の渚』まで到達できる、特別な気球のことだよ」
羽合先生の説明は続く。
「高高度気球は、直径が1.5メートルくらいある大きなゴム製の風船なんだ。ヘリウムガスを入れて飛ばすと、地上から30キロ上空の成層圏まで到達するんだよ。打ち上げからわずか90分で、そこはもう宇宙の入り口。そう、『宇宙の渚』ってわけだ」
「えっ、高校生の理科部がこんなの作れるんですか?」
「ああ、気球本体は気象観測用の既製品を購入する。でもカプセルは理科部員たちの手作りさ」
「すごーい!」
私が感嘆の声を上げると、大地も身を乗り出す。目をキラキラと輝かせ、まるで小さな子供のようだ。
「ただ問題なのが、ヘリウムガスが結構高価なことなんだ。綾はーー霜連のお姉さんは、そのためにわざわざバイトして資金を稼いでたんだよ。本当に大変だったみたいだけど、それだけのことはあるよな。ははは……」
先生の笑顔には、どこか影が差していた。
「気球の打ち上げ自体は簡単なんだ。風の弱い日に上空に解き放つだけ。90分もすれば、もう宇宙の入り口まで到達できるんだから」
「へえ、ロケットを使わなくても宇宙に行けるなんて! 知らなかった!」
私がしきりに感心していると、大地が人差し指を立てて得意げにこう切り出した。
「なるほど。ってことは怪しいメールの正体は、その気球の飛行記録か。本来は宇宙から帰ってきた気球を回収するのに使うはずが、何らかの理由で送信されなかった。それが今になって、突然送られてきた」
「ああ。そうだろう」
大地の推理に先生が感心したように頷いている。
「ねえ霜連。お姉さんはなんで気球を打ち上げたと思う?」
不意に、先生が顔を寄せて尋ねる。あまりの近さに、ドキリとしてしまう。
「そ、そこに宇宙があるから、とか……?」
精一杯明るく振る舞ってみるが、先生の真剣な眼差しに、言葉が出てこない。
「ーー卒業式のジンクスだよ」
先生は真顔で即答した。
「えっ……?」
大地が目を丸くする。これには私も驚いてしまった。
お姉ちゃんが、そんな子供じみたおまじないを信じるなんてーー。
卒業式の最後に全校生徒で風船を飛ばすのが恒例行事になっていて、一番高く風船を上げた生徒の願いは必ず叶うという言い伝えがあるのだ。
理科部のみんなと一緒に、せーので高高度気球を飛ばすお姉ちゃんの姿が脳裏をよぎる。そんなおまじないを信じるなんて……子供っぽいけど、お姉ちゃんらしい。先生の言葉を聞いて、なんとなく合点がいった。
風にのって、気球は大空へ舞い上がっていく。もしそのまま宇宙の渚に到達していたなら、間違いなくその年一番高く飛んだ風船だったはずだ。お姉ちゃんは一体、何を願って気球を飛ばしたんだろう?
「ねえ先生も一緒に気球の回収に行こうよ」
「え……」
先生は戸惑っているみたいだったけれど、私は大地に向かって叫んだ。
「いいよね、大地?」
「も、もちろん! じゃあ決定ね。日曜日の朝9時、駅南口集合ってことで!」
意気揚々とした表情で大地がタブレットを見せてくる。画面に映し出されているのは、発泡スチロールか何かで作られた球体――。木の根元に、まるで投げ捨てられたように置かれ、細い紐がぐちゃぐちゃと絡みついている。海に浮かぶブイか、崩れた漁具のようにも見えなくもない。
「これ、何なの?」
タブレットを覗き込むと、大地はわくわくした様子で答える。
「どうやら昔、理科部が打ち上げたものらしいぜ。ずっと行方不明になってたらしい」
なるほど、よく見ると球体の表面には色褪せたマーカーで高校名と理科部の文字が書かれている。
「理科部の気球だってことが分かったから、今度の日曜日に回収しに行くことになったんだ。副部長も一緒だ。……なあ澪も来ないか?」
「おもしろそう! 行きたい! ……って言いたいとこだけど、陽菜と2人っきりがいいでしょ? 邪魔しちゃ悪いからパス」
「は? なんでお前が来ると邪魔なんだよ?」
大地が不満そうに言う。何もわかってないなあーー。だんだんイライラしてきた。
「とにかく! 2人で行ってきなよ。理科部の活動なんだし、私は関係ないでしょ」
私がちょっと強く言うと、大地は坊主頭をポリポリ掻きながら、思案顔で呟いた。
「いや、そうでもないんだ。このカプセル、もしかしたら澪の姉さんが打ち上げたものかもしれない」
「えっ……」
大地の言葉に耳を疑った。すると、奥の方からガチャンと大きな物音が響いた。見れば、棚の整理をしながら会話に聞き耳を立てていた羽合先生が、何かを取り落としたようだ。それを拾うこともせず、先生は慌てて私たちの方へ駆け寄ってきた。
「風間、それ本当か!?」
「はい……たぶん……。先生、何か知ってるんですね? よかった。これを見てください」
大地は例の数字が並ぶ怪しげなメールを画面に映し出し、先生に説明し始めた。
「ほら、これは明らかに日付と時刻。そしてこっちはGPSの座標です。問題はその下。おそらく北緯と東経を示してると思います」
「へえ……」
大地の説明に思わず感心してしまう。すると大地が、にやりと意味ありげな笑みを浮かべてこう切り出した。
「で、澪。これがどこだと思う?」
「えっ……まさか」
「そう。このデータが示す場所は、今回発見されたカプセルの位置と、ぴったり一致してるんだ」
「ええっ!? マジで!?」
「そうなんだよ。この怪しいメールとカプセル、絶対に何かの繋がりがあるはずだ」
大地の言葉に、背筋がゾクリとするのを感じた。
「羽合先生。6年前、理科部は一体何をしていたんですか?」
まるで推理小説の名探偵さながらに、大地が真剣な面持ちで質問を投げかける。先生は一呼吸置いてから、大地を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「ーー間違いない。これは当時の理科部が打ち上げた、高高度気球だ」「高高度気球……? 初耳ですけど」
「簡単に言えば、宇宙の入り口『宇宙の渚』まで到達できる、特別な気球のことだよ」
羽合先生の説明は続く。
「高高度気球は、直径が1.5メートルくらいある大きなゴム製の風船なんだ。ヘリウムガスを入れて飛ばすと、地上から30キロ上空の成層圏まで到達するんだよ。打ち上げからわずか90分で、そこはもう宇宙の入り口。そう、『宇宙の渚』ってわけだ」
「えっ、高校生の理科部がこんなの作れるんですか?」
「ああ、気球本体は気象観測用の既製品を購入する。でもカプセルは理科部員たちの手作りさ」
「すごーい!」
私が感嘆の声を上げると、大地も身を乗り出す。目をキラキラと輝かせ、まるで小さな子供のようだ。
「ただ問題なのが、ヘリウムガスが結構高価なことなんだ。綾はーー霜連のお姉さんは、そのためにわざわざバイトして資金を稼いでたんだよ。本当に大変だったみたいだけど、それだけのことはあるよな。ははは……」
先生の笑顔には、どこか影が差していた。
「気球の打ち上げ自体は簡単なんだ。風の弱い日に上空に解き放つだけ。90分もすれば、もう宇宙の入り口まで到達できるんだから」
「へえ、ロケットを使わなくても宇宙に行けるなんて! 知らなかった!」
私がしきりに感心していると、大地が人差し指を立てて得意げにこう切り出した。
「なるほど。ってことは怪しいメールの正体は、その気球の飛行記録か。本来は宇宙から帰ってきた気球を回収するのに使うはずが、何らかの理由で送信されなかった。それが今になって、突然送られてきた」
「ああ。そうだろう」
大地の推理に先生が感心したように頷いている。
「ねえ霜連。お姉さんはなんで気球を打ち上げたと思う?」
不意に、先生が顔を寄せて尋ねる。あまりの近さに、ドキリとしてしまう。
「そ、そこに宇宙があるから、とか……?」
精一杯明るく振る舞ってみるが、先生の真剣な眼差しに、言葉が出てこない。
「ーー卒業式のジンクスだよ」
先生は真顔で即答した。
「えっ……?」
大地が目を丸くする。これには私も驚いてしまった。
お姉ちゃんが、そんな子供じみたおまじないを信じるなんてーー。
卒業式の最後に全校生徒で風船を飛ばすのが恒例行事になっていて、一番高く風船を上げた生徒の願いは必ず叶うという言い伝えがあるのだ。
理科部のみんなと一緒に、せーので高高度気球を飛ばすお姉ちゃんの姿が脳裏をよぎる。そんなおまじないを信じるなんて……子供っぽいけど、お姉ちゃんらしい。先生の言葉を聞いて、なんとなく合点がいった。
風にのって、気球は大空へ舞い上がっていく。もしそのまま宇宙の渚に到達していたなら、間違いなくその年一番高く飛んだ風船だったはずだ。お姉ちゃんは一体、何を願って気球を飛ばしたんだろう?
「ねえ先生も一緒に気球の回収に行こうよ」
「え……」
先生は戸惑っているみたいだったけれど、私は大地に向かって叫んだ。
「いいよね、大地?」
「も、もちろん! じゃあ決定ね。日曜日の朝9時、駅南口集合ってことで!」
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