喫茶つぐないは今日も甘噛み

木樫

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第一生 子猫とジャガーとドリンク無双

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 ベチャベチャとスライム液を塗りたくられて粘着質な水音が響く浴室で、二足歩行のジャガーにされるがままと洗われる。


「こうして、足の指の間から首の後ろもキチンと洗え。怠慢にすると叱るぞ。過保護にはせん」

「ン……わかった」


 耳障りのいいジェゾの声を聴きながら、目を閉じてうつらうつらと浸った。

 誰かにこうして体を洗ってもらうなんて、いつぶりだろうか。
 大人のたいていは幼児の頃以来だろう。あまり身に覚えのない安らぎだ。

 このまま眠りたい。
 全身の力を抜いてくたりと身を預け、濡れた毛皮に頬を擦り寄せる。


「イッサイ、これはなんだ?」

「あ……?」


 ふと、ジェゾの手が動きを止めた。
 見上げると、不思議そうに首を傾げたジェゾが肉厚の舌で頬を舐める。


「肌に描くにはあまりに緻密な絵だが……改めて見ると、こうして絡みつく様が、まるで誰かに呪われているように見えるな」

「そ……、……それは」


 ──あの人の犬だって、証、だ。

 言葉と共にむき出しの左腕を握られ、一斉は微かに瞳を揺らした。

 褐色の肌を飛ぶ優雅な鳳凰の刺青。
 胸から左肩、手首までみっちりと描かれたそれは、惚れた男に言われるがまま刻み込んだ後戻りを絶つ所有の印である。

 死んでなお消えない鳳凰に、心臓がドクッ、と不規則に軋んだ。

 心はもう、そこにはない。

 濁流に呑まれ体ごとバラバラの死体になった。未練など抱く余地のないほど明確な終わりを迎えている。

 これはただの死骸だ。
 あの日死んだ一斉の成れの果て。

 男の望むがままに裏稼業の使い走りを始め、望むがままに体を開き、されど焦がれても焦がれても届かなかった淡い恋心の末路。


「……あぁ。呪い、だな。大したもんじゃねぇから、気にしなくていい……」

「そうか。誰に呪われた?」

「っ」


 乾いた声でやっと返事をすると、ジェゾは鋭くまっすぐな視線で一斉の濁った眼をじっと見つめた。

 少し戸惑う。
 まさか、当然のように答えを求められるとは思わなかったのだ。

 生前のことなんて、わざわざ話すようなことじゃない。話したってどうしようもない。自分は利用価値という愛の対価を払う勇気もなく死に、あの人は手に入らなかった。

 もう過ぎたこと。
 今更なんでもないし、ジェゾにも一斉にもなにもできない。

 わかっているから目を逸らそうとしたが、うまくいかなかった。

 ジェゾの知らない誰かだよ、と答えればそれで終わるはずが、不器用なこの口はそう動かない。

 いっそ焦れて急かしてくれればいいものを、ジェゾは一斉の返事を、ただ黙って待っている。


「……俺、の……」

「ん」

「す……すげぇ、好きだった人が……似合うから、入れろって言った……」


 そうされると、よせばいいのに、いやしい唇が寂しい自分の心の形で、勝手を囀り始めてしまった。


「好みになりてぇから、入れて、そんで……でも……ダメだったんだ」

「そうか」

「たまに、抱かれて……たまに、なでてもらって……どんな役目でも、触れてくれるなら……俺はそれで、幸せだったのに、よ……」

「あぁ」

「好きだって言われた、あの日……浮かれて、あの人のとこなんか、行かなきゃよかった……」


 ──裏稼業の男に恋をした。

 長い長い片想い。
 それが実り、都合よく使われるだけだった恋しい相手に〝好きだ〟と言われた。

 だからあの日、浮かれた一斉は男の住処である事務所へ向かったのだ。

 たいそうな目的はない。
 キスを……ねだりに行っただけ。

 触れるだけのそれを貰えればまた、大人しくボロのアパートでいつまでも呼ばれるまで待てをする気で、この一度くらいはと、初めてのワガママを抱えて走った。

 走って、走って、疾く走って。
 幸せだ。やっと愛された。自分はあの人に好いてもらえた。そばにいていいのだ。

 だから──優しいキスを。


『そんじゃ、一斉を佐藤の替え玉にできそうなんスか?』

『おう』


 そうしてフワフワと浮かれた足が事務所のドアの前にたどり着いた時、恋しい男と仲間たちの話声が聞こえてしまった。




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