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閑話 水底から見た夜明け

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 そんな周りが魔物だけの環境が故郷。

 ならばアゼルが耳にする言語は、魔物語だけなのが道理だった。

 まず人語を知らないアゼルにとって、魔族は普段使わない魔物語を普通の言葉として認識するのは、当然の理である。

 だから、魔王となって惹かれるままに魔王城へ向かった時──初めて人語で語りかけられたアゼルは、自分の意志を伝えられなかったのだ。


 ◇


 ──ガタン、と机と自分の額がぶつかる音がした。

 もう何日も寝ていないせいで、抗えない眠気の波がやって来たのだろう。

 効率を考えて明かりを消すと、室内は惨めな自分を包み込む闇に侵される。

 背後にある大きな窓からの月明かりだけが、書類だらけの書斎机に突っ伏したアゼルを、優しく照らしてくれた。

 ──物語の世界に憧れた。

 魔物として生きていた彼が紋章の本能に従い魔王城へ駆けてきたのは、そんな幼稚な理由なのだ。

 馬鹿らしいだろう?
 百年もの月日が経たないと、寂しいという自分の気持ちに気づかなかったのだ。

 蓋を開けてみれば、出迎えの魔族達の言葉がわからない。
 それ以前に、観察するような視線に戸惑ってならない。

 人に見られて初めて、自分の姿や振る舞いの見栄えが気がかりになった。

 見栄っ張りな自分はたった一度笑われたことが恥ずかしくて、恐ろしくて、ほんの一瞬だけ漏らした言葉を噤んだきり、黙りこくる。

 どうしていいかわからずに黙り込むと、訝しげな視線で埋め尽くされる。
 それがよりいっそうの戸惑いを連れてきた。

 そんな彼の戸惑いに気がつき、魔物語で案内をしたのは、今代宰相であるライゼンだけであった。

 気遣ってくれたライゼンに迷惑をかけたくないと思ったから、アゼルは自分の不出来を一刻も早く正すため、今は黙ることにしたのだ。

 それからの日々は、未知との遭遇ばかりだった。

 襲い来る不慣れと知らない物事の連続で、不安になった心が感情に揺さぶられ、無意識に目の力を使ってしまう。

 アゼルの知らないことだが、常に威圧するスキルがあったことも起因した。

 恐怖を煽る魔眼に当てられた城の魔族達は、アゼルに畏怖の目線で突き刺される痛みを教えてしまったのだ。

 幸い、アゼルは器用な男だった。

 話を聞いて行動と照らし合わせ、魔族の言葉を理解した。

 国の歴史や成り立ち、常識、感情についても密かに本を読み、寝る間を惜しんで勉強した。

 だが、怯えられ、遠巻きにされる恐怖が、初めてうけた他者からの複雑な感情だったことに変わりはない。

 それは見かけと違い酷く幼いままの情緒を持つ彼を、どんどん丸め込んでいく。

 怒らず、従順。
 物静かで笑わない。

 どうにか生活に慣れた頃には、アゼルはすっかり穏和な魔王──裏では無能な魔王と揶揄されていたのだ。

「…………」

 カタン、とペンを置いた。

 他者からもたらされる言葉と視線の痛みに彩られ、アゼルはついに仕事の手を止め、やるせない気持ちで机に張り付く。

 魔境で見つけた物語──本の中では、主人公は最後に、必ず幸せになった。

 黙って耐えれば見出され、努力を認められ、悲しんでいれば必ず誰かが慰めてくれる。

 優しい世界に憧れた。
 他人は優しい。他人がいるとあたたかい。

 個人ではなく他人と寄り添えれば、それは仲間になる。仲間がいれば幸せになれる。

「……なんで、できないんだ」

 なのに──どうしてまだ、一人なんだ。


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