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第九話 サキと夢。
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しおりを挟む付き合っていた時、いいや、それよりも前から、俺は誰にも一番深いところの話をしたことはない。
(なぁ、ショーゴ)
それは今後も同じだろう。
求められない限り話す理由がない。
伝える必要もなければ生まれたことすら知る由もなく知る意味もない、とあるぼやけた思考の話だ。
両手をポケットに突っ込んで、靴底を擦りつけるように足を動かす。
(ショーゴ)
確かに俺は、恐怖を恐怖と知らない心の感度がバグッた人形だよ。
自分が感じている感情の名前すら教えてもらわないと分類できないバカだ。
痛みや快感なんかの外部刺激も喜怒哀楽という感情のベーシックプランも本当に鈍いから、ちょっとやそっとじゃ傷つかないしうっかりで誰しもを惨殺するクズで間違いない。
厚顔無恥にもほどがある恥知らずの利己主義な生き物な自覚がある。
わかろうとしたってわかんないくらいには、本気でノロマの神経回路。
全て真実で異論なし。
だってそうだろ、俺はわからない。
好きな人がいて、その人を好きだと気がついたとしても、相手からの〝愛してる〟を継続する方法すらわからない。
だけど、わかることもあってさ。
わかってしまうことも、あってさ。
(ショーゴ、俺さ。……俺は、さ)
消えていく過程も、そのきっかけも、引き止め方も、継続方法も、巻き返し方も、手放し方も、それらに付随するもののほとんどがただの一つもわからないから簡単に失う、バカな俺だけど。
「……ショーゴ……」
──そのひとに自分が要らなくなった瞬間だけは、鮮麗にわかってしまうように作られたんだよ。
一歩が小さい掠れた歩みで部屋への道を進みながら、女々しくほんの小声で名前を呼ぶ。
まぁ、弱虫毛虫だこと。
わかる前に、ビビって逃げた。
何度呼んでも返事のないショーゴが次に口を開くなら、きっとしつこい俺を追い返す言葉だと思って。
つくづく、サクヤって人形は愛を素材に組まれてんなぁ、と呆れた。
恋も愛も抱いたが最後、その対象にアンテナの全てが振られる。
相手に愛されているかは関係ない。相手のために存在していると当然に感じ、生命力がそれと連携してしまう。
自分じゃコントロールできない。
でも、俺は相手の期待を裏切る。
裏切ってから気づいて、応える術もわからなくて、なのにどれほど頑張っても自分に向けられる愛情の量が減っていく現実だけは、リアルに理解できる。
目の前の相手が俺を見てるかどうかくらい、感情がなくてもわかるんだよ。
理由がわからないのに変化に敏感だなんて、酷い機能をつけられたもんだ。
対応ミスに解釈違いばっか起こすから、時限爆弾を背負わされたみてぇ。
目減りしていく心の砂を震える手でかきあつめたって、俺にはその流出を止めるすべがわからず、消失の瞬間まで間違い続けるだけ。
恐怖と後悔を知って、もう二度とショーゴを喪失するわけにはいかない。
今の俺じゃあ全部致命傷だ。
それだってちゃんと理解してる。
だから俺はとんでもないワガママを言うと決めたはず。
けれど結局、俺はショーゴの名前を呼ぶだけでせいいっぱい。
ショーゴが出てきたくないのに引きずり出そうとどうしても思えなかった。なんだ、愚かしいのは俺自身かよ。ははは。笑えねぇ。ごめんね。
愛してるよ、翔瑚。
「ふ……」
声を出さずにこっそり、あと一回だけ往生際悪く呼んだ。
所詮イイコのフリに過ぎないのだ。
体力が枯渇したのか、息切れしそうな倦怠感に襲われる。
粛々と足を進めることに尽力しなければ歩けないほど、足が重い。
疲れたと思った──その時。
「──咲、野……っ」
「っ……!」
突然背後からタックルじみた抱擁が襲い、脱力していた俺は衝撃によって廊下に倒れ込んだ。
ゴンッ、と硬い音がする。
顔面から無防備に倒れ込んだから当然だ。鼻が潰れてるかも。
だがそれによって感じるはずの痛みとやらを、何一つ感知できない。
「咲野、咲野、咲野っさくや……っ」
「あ、りゃ」
俺の神経は全て自分の腰に回った腕と、押し倒すように背中から覆いかぶさる男の体温へ注がれていた。
「ダメだろ、ショーゴ」
押し倒したのは──ショーゴ。
サヨナラしたはずのショーゴだ。
打って変わって、ショーゴが俺の名前を繰り返している。
あの日のホテルでのやり取りと同じで、ショーゴは俺がわからないのに、俺がショーゴを呼んだ分だけ、たくさん俺を呼んでくれる。
だけど俺の項に熱い吐息と雫が降りそそぐものだから、俺は強引にショーゴを押しやって、体を仰向けに反転させた。
「ショーゴ、泣かないで、ショーゴ。なんで泣くの? 泣かせたいわけじゃねんだ、さっきの、そんなんじゃなくて」
「ぅ、ふ……っさき、咲……っ」
「俺、ヘーキだよ。泣いてねーよ。元気にしてるし、長生きするよ。だから泣かねーで、ショーゴ。怖いんだろ? 聞き分けよくなんかしなくていい。同情も贖罪も義理も、お前を不幸にするものの名前だぜ。な、ショーゴ」
泣きじゃくって俺の胸に顔を埋めて動かないショーゴに、絵本を読み聞かせるような声で囁いてみる。
繰り返し言い聞かせた。
上手に無視したんだからそれを貫かないとダメだ、と。
ショーゴがいないと、ショーゴじゃないとダメだけど、俺はショーゴが傷つく姿を見たくねーんだ。ショーゴを傷つけてまでしたいことなんかない。
そう言い聞かせているのに、ショーゴは首を左右に振って泣き続ける。
「違う? ごめん。たぶんミスった。ごめん。名前もう、呼ばない。呼んじゃダメだった。俺が呼んだから変な勘違いしてんのよな、ごめん。泣くな? お願い、泣かないで。オマエ、なんもしなくていんだよ。俺が呼んだの意味ねーの。未練がましい、ただの自己中なんだ。自己愛ばっかうまいのかな。ごめん。オマエの気持ちとかわかんなくて、いや、考えれてねーのかも。ほら、もう呼ばないから。ダイジョウブ。怖くねーよ。ごめんな。……ね、なんで泣いてんの? ……泣かねーで」
かける言葉がなくなってきて、どうしていいかわからなくなった。
キョースケを参考になるべく優しい声を出したのに、ショーゴは泣き止まずに俺の名前を呼んでしがみつき、一向に俺の上から降りようとしない。
そろ、と背中に腕を回してみる。
添える程度に手のひらを置く。
みんな、小さくなっていた。
やっぱりショーゴも削れてしまっていて、強く抱くと折れてしまうかもしれないとすら思った。
か弱いショーゴ、死んでしまいそう。それは、ちょっと困る。
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