人の心、クズ知らず。

木樫

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甘話 ショーゴとデート。

01(side翔瑚)

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「ま、待ってくれ、咲……っ」


 人々の隙間をスルリと滑り、まるで広場を散歩するかのように悠々と進んでいく自由な背中。

 俺の必死の静止の声はかくも儚く人の喧騒の中に消えてしまった。

 加えて俺は人混みを走るなんてこと、一人ならば絶対にしない。

 慣れない急ぎ足を駆使するものの、するすると風に舞う木の葉のように気ままな彼に追いつけずもがき、彼以外の他人を恨めしく思ってしまうのだ。

 ──ニ週間ぶりのデート(だと俺が思っているだけだ)だと言うのに、彼は会話もそこそこに「じゃ、行こっか」と目的地も告げず歩き始めた。

 長いカモシカのような足は俺なんていないみたいに一人でに進む。

 思春期の再来のごとく鏡の前であーだこーだと悩んでしまった髪型ももはや風でくしゃくしゃだ。

 こんなに歩くなら、車を持ってこればよかった。
 歩いている間は話せるからと、浮かれた下心を出すんじゃなかった。

 話なんてできやしない。
 並び立ってすらいないのだ。

 こと彼関係の物事では女子高生のシャツのボタンよりゆるい俺の涙腺は早くも水分を滲ませ、刷り込まれた雛鳥のようにプラチナブロンドを追い求める。

 ぐっと目元をこする。

 信号なんて嫌いだ。どうして俺を止めるんだ。彼が見えなくなってしまった。

 以前部屋に泊まった彼に朝からなかなかのイタズラをされて遅刻寸前だった時でもここまで恨んだことはないほど、内心で何度も信号を呪う。
 台風の日に金属疲労で折れてしまえばいい。とんでもない罵倒だが、許してくれ。我慢ならない。

 俺の至福の日は、まだ始まって三十分ほどしか経っていないのに、早くも閉幕してしまった。

 ──そんな時。


 カシャッ

「っ!?」


 突然すぐ隣から謎のシャッター音が聞こえて、じんわり滲む涙目を袖口で擦っていた俺は咄嗟に顔を上げる。


「お前いつも泣いてんね? なんでちゃんとついてこれねぇの? その足はハリボテなわけ? 道を歩くって、お前にとっちゃあそんなむずっちーんでちゅか」

「さっ、咲……っ!」


「安心しな? ちゃんとウサトに送ってあげたから」と掴み所のない薄い笑みを浮かべる作り物じみた美形。見覚えしかない髪色。必死に追った姿。

 そこにいたのはついさっき確かに横断歩道を渡ったはずの彼──息吹咲野、その人である。

 普段は聞き捨てならないセリフも俺の耳には届かなかった。終わったと思った至福の時が帰ってきたのだ。
 日頃の行いか? 俺が大手社に売り込んだ新商品の売上が好調だからか?

 ほっと一息を吐いて、泣き出しそうな顔を安堵の笑顔で埋める。

 呪った信号が青になると、咲が俺の尻を蹴って前へ促した。現実だ。俺はまだ生きている。


「ぁ……咲、おいて行かないでくれ。その、俺は人混みを早く抜けられないんだ」

「あぁ? ちゃんと車道渡って戻ってきてやっただろうが。つか今日はあんま混んでねーじゃん。だるいって言うならガードレールに乗ればスイスイ。落ちなきゃいい話。あはは」

「しゃっ、危ないからやめてくれ……」


 並び立って歩きながら、とんでも発言をたしなめる。

 夢じゃなかったのか。
 実際に信号で絶たれてた俺たちだが、咲は車道を横断して戻ってきたらしい。いやだからって当たり前のように気配なく隣に立たれても。



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