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第三章 町のパン屋に求めるパン
20.決意
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それは、皆が揃った夕食の場で発表された。
「カルツォーネだが……ディーナさんのところの件が片付く前に、店に出そうと思う」
「片付く前に……? 先に、新商品として売るってことですか?」
リックが尋ねると、フロッカーさんは大きく頷いた。
「そうだ。まあ、先にと言ってもほんの数日で良いんだ。ディーナさんのところには、店で誰でも買えるものとして持っていきたい」
「……今からというと、それでも数日で整えなきゃなりませんが」
エルダさんの声色は明らかに難色を示していた。
当然だ。
売るとなれば、俺がのんびり作っていても成り立つ試作ではなく、量と速さが必要になる。
そうなって一番負担がかかるのは、窯の前で仕事をしているエルダさんだ。
俺も意を決して口を開いた。
「あの、理由を教えてください。商品として置いてもらえるのは嬉しいですけど、少し急すぎるような……」
「まあ待て。まず、店に置くのは二種類だ。トマトソースと、それからクミンを使ったほうれん草と挽肉のもの。トマトソースはピザで馴染みがある、これは話題にもしやすいだろう。今まで店の前でしか食べられなかったあの味を持って帰れるようにしたと言えば、常連客は買ってくれる。一度買ってもらえば、その後も売れるはずだ。味に自信はあるよな、レイ」
「あっ、はい……」
フロッカーさんは続けた。
「……クミンの方だが、これは大通りのスパイス屋では買わん。いや、今しばらくは買ってもいいが、何せ高すぎる」
「どうするんです? クドゥスさんが言うように、他の町まで買いに行くんですか?」
リックは眉間に皺を寄せていた。
もし、町の外へ買いに行くとすれば、その役は当然リックが任されてしまう。
一日のうちに行き来ができる程度の場所ならともかく、数日かけて向かうような場所だとすると、これはそう簡単な話ではない。リックは大きく生活リズムを変えなければならなくなってしまうのだ。
「それは現実的ではないだろう……行商に頼むつもりじゃ。粉の仕入れと合わせて頼む」
フロッキースが小麦粉をどこから仕入れているかは、俺はまだよく知らなかった。
もちろん粉屋から仕入れているのだろうということはわかっているが、それがどんな相手で、どういう取り引きなのかまではわからない。
だが、問題はそこじゃない。
「あの……そこまでして、どうしてクミンを」
「……話を元に戻すぞ。色々考えたが、結局のところ特別なパンがあってもスー坊の問題は解決せんのだ。毎日買えて、自然に口に入るものとしてある野菜を食べられるパンでないなら、婆さんは納得しないと思わんか?」
要するに、フロッカーさんは、野菜の入ったパンを試しに作ってみるだけではダメだと言いたいのだった。
言われてみればディーナさんの義母、つまりスー君の祖母は、スー君が野菜を食べないなら母親と引き離すとまで言うような相手だ。
たまたまパン屋の協力を得て野菜の入ったパンを食べたとて、その一食で野菜を食べたからと納得するだろうか。
野菜の入ったパンを売る。いつでも誰でも買える形で、そういうものがこの町にある、という状況がなければ、スー君は翌日にはまた野菜を食べなくなるかもしれない。そういうパンがあれば、それで野菜を食べれば良い、と言える。その状況まで作ることが、フロッカーさんの考える、カルツォーネの“完成”だった。
「……だけど、スー君のためだけにそこまで……俺は嬉しいけど、本当にいいんですか? 一人の少年のためだけに、そこまで」
俺は正直に言った。
今回の件は、もちろん俺が引き受けたことだしやり遂げたい気持ちはある。
けれど、そのために店に新しい商品を増やし、材料であるスパイスを手に入れるためには様々なコストがかかってしまうことは、申し訳なくもあった。
「なんだ、気乗りせんのか? おまえが作ったんだろう、自信がないと言うならやめるぞ」
「っ、いえ、その……!」
「……よし。オーナー、それじゃあさっそく、明日からの仕事の流れを考えましょう。カルツォーネの成形はレイにやらせるとして、焼きは俺が見る必要がある。ピザとの兼ね合いもあるし、ブールやバゲットの量を減らすか、あるいは坊ちゃんにどの程度入ってもらえるかも考えなきゃなりません」
俺が答えあぐねている間に、答えたのはエルダさんだった。
「そうだな。午前中は今まで通り、ブールとバゲットだ。カルツォーネは味も濃いし何と言ってもパンとメインディッシュが一度に済ませられるのが魅力だ、昼過ぎのピザが終わってから、夕食用にどうかと売ってみよう」
「それなら、フィリングの方は午前中に作る必要がありますね。レイさんがキッチンにいる間は僕が工房に入りますよ」
結局、俺が口を挟む余地などないまま、話は進んでしまった。
不安がある。自分の思い付きが多くの人の人生に関わってしまって、何か起きたらどう責任を取ればいいのかもわからない。
けれどもう、進むしかなかった。
やってみるしかないのだ。
俺は下唇を噛み、両頬を叩いて気合いを入れた。
「カルツォーネだが……ディーナさんのところの件が片付く前に、店に出そうと思う」
「片付く前に……? 先に、新商品として売るってことですか?」
リックが尋ねると、フロッカーさんは大きく頷いた。
「そうだ。まあ、先にと言ってもほんの数日で良いんだ。ディーナさんのところには、店で誰でも買えるものとして持っていきたい」
「……今からというと、それでも数日で整えなきゃなりませんが」
エルダさんの声色は明らかに難色を示していた。
当然だ。
売るとなれば、俺がのんびり作っていても成り立つ試作ではなく、量と速さが必要になる。
そうなって一番負担がかかるのは、窯の前で仕事をしているエルダさんだ。
俺も意を決して口を開いた。
「あの、理由を教えてください。商品として置いてもらえるのは嬉しいですけど、少し急すぎるような……」
「まあ待て。まず、店に置くのは二種類だ。トマトソースと、それからクミンを使ったほうれん草と挽肉のもの。トマトソースはピザで馴染みがある、これは話題にもしやすいだろう。今まで店の前でしか食べられなかったあの味を持って帰れるようにしたと言えば、常連客は買ってくれる。一度買ってもらえば、その後も売れるはずだ。味に自信はあるよな、レイ」
「あっ、はい……」
フロッカーさんは続けた。
「……クミンの方だが、これは大通りのスパイス屋では買わん。いや、今しばらくは買ってもいいが、何せ高すぎる」
「どうするんです? クドゥスさんが言うように、他の町まで買いに行くんですか?」
リックは眉間に皺を寄せていた。
もし、町の外へ買いに行くとすれば、その役は当然リックが任されてしまう。
一日のうちに行き来ができる程度の場所ならともかく、数日かけて向かうような場所だとすると、これはそう簡単な話ではない。リックは大きく生活リズムを変えなければならなくなってしまうのだ。
「それは現実的ではないだろう……行商に頼むつもりじゃ。粉の仕入れと合わせて頼む」
フロッキースが小麦粉をどこから仕入れているかは、俺はまだよく知らなかった。
もちろん粉屋から仕入れているのだろうということはわかっているが、それがどんな相手で、どういう取り引きなのかまではわからない。
だが、問題はそこじゃない。
「あの……そこまでして、どうしてクミンを」
「……話を元に戻すぞ。色々考えたが、結局のところ特別なパンがあってもスー坊の問題は解決せんのだ。毎日買えて、自然に口に入るものとしてある野菜を食べられるパンでないなら、婆さんは納得しないと思わんか?」
要するに、フロッカーさんは、野菜の入ったパンを試しに作ってみるだけではダメだと言いたいのだった。
言われてみればディーナさんの義母、つまりスー君の祖母は、スー君が野菜を食べないなら母親と引き離すとまで言うような相手だ。
たまたまパン屋の協力を得て野菜の入ったパンを食べたとて、その一食で野菜を食べたからと納得するだろうか。
野菜の入ったパンを売る。いつでも誰でも買える形で、そういうものがこの町にある、という状況がなければ、スー君は翌日にはまた野菜を食べなくなるかもしれない。そういうパンがあれば、それで野菜を食べれば良い、と言える。その状況まで作ることが、フロッカーさんの考える、カルツォーネの“完成”だった。
「……だけど、スー君のためだけにそこまで……俺は嬉しいけど、本当にいいんですか? 一人の少年のためだけに、そこまで」
俺は正直に言った。
今回の件は、もちろん俺が引き受けたことだしやり遂げたい気持ちはある。
けれど、そのために店に新しい商品を増やし、材料であるスパイスを手に入れるためには様々なコストがかかってしまうことは、申し訳なくもあった。
「なんだ、気乗りせんのか? おまえが作ったんだろう、自信がないと言うならやめるぞ」
「っ、いえ、その……!」
「……よし。オーナー、それじゃあさっそく、明日からの仕事の流れを考えましょう。カルツォーネの成形はレイにやらせるとして、焼きは俺が見る必要がある。ピザとの兼ね合いもあるし、ブールやバゲットの量を減らすか、あるいは坊ちゃんにどの程度入ってもらえるかも考えなきゃなりません」
俺が答えあぐねている間に、答えたのはエルダさんだった。
「そうだな。午前中は今まで通り、ブールとバゲットだ。カルツォーネは味も濃いし何と言ってもパンとメインディッシュが一度に済ませられるのが魅力だ、昼過ぎのピザが終わってから、夕食用にどうかと売ってみよう」
「それなら、フィリングの方は午前中に作る必要がありますね。レイさんがキッチンにいる間は僕が工房に入りますよ」
結局、俺が口を挟む余地などないまま、話は進んでしまった。
不安がある。自分の思い付きが多くの人の人生に関わってしまって、何か起きたらどう責任を取ればいいのかもわからない。
けれどもう、進むしかなかった。
やってみるしかないのだ。
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