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第三章 町のパン屋に求めるパン

17.もうひとつ

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 焼き上がったカルツォーネを持ってキッチンに上がった俺は、ドアの前でちょうどフロッカーさんと鉢合わせた。

「おお、もう焼けたのか。昨日もずいぶん遅かったろう、体は平気なのか?」
「エルダさんとリックがずっと付き合ってくれたので……それより、さっそく試食してもらっていいですか? 全種類焼いてあるので」

 テーブルの上に網台を置いて、俺はパン切りナイフを手に取った。

「切って食べるのか?」
「……どっちがいいと思いますか? 本当に焼きたての場合は手で持ちにくいと思うんですけど、子どもにとってわざわざナイフで切って食べるって面倒ですよね」
「……そうだな。だが……ディーナさんの家でこのパンを手に取ってかぶりつく食べ方はせんだろう。我々にとってはパンでも、料理だと思う人間がいればナイフとフォークで食べたいはずだ」

 本音を言えば手に持ってがぶっといってほしかったが、確かにお金持ちの家の人たちだとするとそういう食べ方は嫌がられるかもしれない。
 まして、今回の件ではスー君が野菜を食べるかどうかのジャッジを下すのは気難しそうな祖母(ディーナさんにとっての姑)だ。あまりジャンクっぽい食べ方はさせるべきではないだろう。

「じゃあ、ディーナさんにはそういうものだと伝えましょう。とりあえず今日は全部食べやすいように半分に切りますね、ミーティが起きたら残りを食べられるように」

 俺はすっかりコツを掴んでナイフを扱い、それぞれ断面を見せるようにフロッカーさんの前に並べた。

「なるほど、ベーコンは切り方を変えたか。おまえはどれが一番美味いと思う?」
「……迷いますね。ピザに近いのはトマトソースですが、やっぱりクミンを使ったほうれん草のこれかな……こんなもの食べたことない、って思えそうなので」
「そうか。では、それから食べよう」

 クミンを使ったカルツォーネを手に取ったフロッカーさんは、眼鏡を額にずらすとその断面を改めてじっと見つめた。
 挽肉がトマトソースと絡み、ほどよく塊になっている。

「パンの生地とクミンの風味が合うんですよ。スパイスがあんなに高いものだって知らなかったから、これは特別な日しか作れないかもしれませんね」

 すごく美味いパンだが、量産は難しいと思って言った。

 俺はフロッキースで働くようになるまで、パン屋ならどんなパンでも自由自在に作れて、発想さえ提供できればどんなパンでも売れるものだと思っていた。

 だが現実は、社会は、そんなに甘くない。
 普通のサラリーマンを数年やったことしかないので知らなかったが、ゼロから何かを生み出し、それを商売のステージに乗せることは結構難しい。
 このカルツォーネは美味いが、毎日それなりの量を作るためには高級なあのスパイス、クミンが必要だ。シチューのパンを作った時も、毎日ブロック肉を使うコストを考えれば商品化はできなかった。
 店で売るブールやバゲットの値段を考えると、一つがおよそ五倍ほどの値段になってしまうカルツォーネは現実的じゃない。

 味は最高なんだけどな、と思いながらフロッカーさんがカルツォーネを飲み込むのを見ていた。

「……ああ、美味いパンだな。具材自体も美味いが、本当にクミンがすごく良い。野菜を食べさせるためのパンだというにはもったいないくらいだ」
「ありがとうございます、これならスー君も……」

 オーナーであるフロッカーさんの賛辞は最高のもので、俺はそれだけで大いに満足した。
 した、のだが。

「……だが、これではダメだ。やはりもう一工夫必要だろう」

 フロッカーさんには、カルツォーネの美味さだけではない何かが見えているらしかった。
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