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第三章 町のパン屋に求めるパン

2.店の看板

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「お待たせしました」
「あら、今日はリックちゃんいないの?」

 焼きたてのピザを店の外のテラス席に運ぶと、残念そうに言ったのはフロッキースの常連のクドゥスの奥さんである。

「あいにく今日は剣の訓練に出掛けていて……すみませんね、へへ……」

 こういうとき、ヘラヘラと答えてしまうのは、我ながら悪い癖だと思う。
 フロッキースはパン屋で、いくらリックが男前だろうとそういうサービスを売っているわけではない(おまけに彼はパン屋の仕事を手伝っているオーナーの息子というだけで、正式に言えば従業員でもない)のだから、リックの不在を謝る必要などないのだ。
 でも謝ってしまう。
 そりゃあマダムたちだってちんちくりんで愛想も特別良くないような俺にピザを運ばれるより、若くてシュッとしたリックに笑顔の一つでもサービスしてもらって受け取りたいんだろう。

「あらそうなの、残念だわ。リックちゃんがいるならもう二、三本バゲットを買おうかしらって思ってたのに」
「あははは……そんなに買い込んだら食べる前にカチカチになっちゃますよ……ただでさえ固いんだから……」

 聞こえるか聞こえないかくらいの声で言い、俺は逃げるように店舗内へと戻った。

「なんだ、またマダムたちにからかわれたのか?」

 カウンターのフロッカーさんは俺の顔を見て笑い、首を竦めるようにした。

「……リックがいればもう二、三本バゲット買ってくれたらしいです。リックが帰ってくるまで引き留めて、残りのバゲット全部買わせましょうか!」
「よせよせ、クドゥスの奥さんなんて敵に回したら町にいられなくなるぞ。町で王の次に偉いのは婦人会の連中だ」

 クドゥスの奥さんというのはフロッキースの常連の、この辺りでは有名な女性である。
 旦那さんはお城勤めで、奥さんの方は町の婦人会の会長をしている。見た目はいかにも「マダム」という感じで、年齢はもう六十近いと思うのだが、いつでもレースやフリルのひらひらしたブラウスを着ていた。

「最近、ああいうお客さん増えましたよね。みんなクドゥスの奥さんの友達なのかな」
「婦人会でも話題になったらしいからな。クドゥスの奥さんは手で持って食べるのを嫌がったらしいんだが、そこはまあ、リック様々というわけだ」

 昼下がりの時間帯にピザを食べに来るのは、家事を一仕事終えた主婦ばかりだった。

 ピザの販売を始めたその日にピザを買ったクドゥスの奥さんは、通りから丸見えのテラス席でピザを手で掴んで食べることに難色を示したという。
 具材の乗ったピザを、パンというより料理と捉えたのだろう。気持ちはわからないでもない。
 だが、その日はちょうど店に出ていたリックが応対し、あの気位の高そうなマダムをいとも簡単にその爽やかな笑顔の虜にしてしまった。
 それ以来、店に来てピザを食べる奥様方は後を断たない。

「フロッカーさんは嫌じゃないんですか? リックがこう……なんていうか、女性客からそういう対応を求められてるのが。パン屋の仕事じゃないですよね?」

 俺が素朴な疑問を口にすると、フロッカーさんは声をあげて笑った。

「はっはっは! なに、うちは昔からそういう店だ。わしの妻のアウロラはたいそう美人でな、店に立ってた頃は客は男ばかりだったぞ。もう数年も経てばミーティ目当てに男が並ぶだろ、リックがチヤホヤされるのなんて今だけじゃ」

 俺は少し考えて、確かに、と腑に落ちる。
 ミーティはまだ七歳とはいえ目鼻立ちはくっきりしていて、どう転んでも美人になる未来しか見えない。
 リックが男前とはいえ、あと数年すれば立派なおじさんになる(なってくれ)し、そもそも兵士団に入れば店に立つこともなくなるだろう。
 リックがいなくても奥様連中は食卓のためにパンを買わざるを得ないが、ミーティが男の客を呼び込めるようになったらそれは客層の拡大と言えるだろう。
 そして、その時に男が買いたがるパンを置いておくことこそ、最大の商機だ。

「なるほど……やっぱり新しいパンが必要ですね……」
「おまえは本当にパンのことばかりだな。レイはもう二十五だったか? 所帯を持ちたいなら相談しろよ、それなりに良い娘を探してきてやろう」

 フロッカーさんは呆れるように言い、俺の肩をぽんと叩いた。
 衣食住に加えて結婚の世話まで焼いてくれるというのだから、この店の福利厚生はなかなかのものである。

「あのぅ、ごめんください」

 結婚なんて今は想像できないけれど、と振り向いた俺の前で、店のドアがゆっくりと開いた。
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