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第三十二話

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「……っ!?」

アドリアンが鋭い直感に導かれるように空を見上げる。彼の瞳が上空からの予期せぬ来訪者を捉えた。
──陽光に反射し、まるで炎のように煌めく赤い髪。
他の戦士と比べて一回り小さいその影は空中で優雅に回転しながら地面へと降り立った。

「キミは」

快活な笑顔。太陽のように、あるいは向日葵のように明るいその笑顔。
見間違えるはずもない。その姿はかつてアドリアンが見た少女の……。

「我がドワーフの勇士たちを打ち倒したその圧倒的な力、見事ね!」

彼女の声が響き渡る。拡声魔法を使っていないというのに、平野全体に響き渡るような声量だ。
赤いツインテールが風になびく中、彼女は右手を高く掲げる。その手には、少女の体格からは想像もつかないほど巨大な戦槌が握られていた。

「だけどアンタの快進撃もここまでよ!我が軍の面目を失わせた不甲斐ない者どもに代わり、この戦士トルヴィアがアンタを打ち砕いてやるわ!」

トルヴィアの宣言と共に、周囲に布陣していた帝国軍が一斉に動く。先ほどまで怒号を上げていた兵士たちが、まるで別人のように規律正しく敬礼を捧げる。
その様子は、帝国軍の中での彼女の地位の高さを如実に物語っていた。

「……」

アドリアンは、目の前に立つ少女を見つめ、一瞬瞼を閉じた。
戦場で警戒を解くという、戦士として避けるべき行為。しかし彼の中で、遠い過去の記憶が鮮明に蘇る。
輝かしくも悲しい思い出が、彼の意識を現実から遠ざけようとしていた。
そのまま記憶の海に沈もうとしていたアドリアンだったが、トルヴィアの声が彼を現実に引き戻した。

「戦士を前にして、目を瞑るとはなんたる無礼な男か!神聖な決闘を汚すつもり気!?」

その声は懐かしく、同時に二度と聞けないと思っていた音色だった。
アドリアンはゆっくりと目を開き、改めてトルヴィアの姿を見つめる。
赤いツインテール、小柄ながらも力強い佇まい、そして燃えるような眼差し。それらすべてが、彼の記憶と重なり合う。

「いや、申し訳ない。あまりにも美しい、太陽のような女性を直視することが出来なかったんだ」
「──」

その言葉が空気を切り裂いた瞬間、周囲のドワーフたちの表情が一変する。彼らはまるで爆弾の導火線を目の当たりにしたかのように、一斉に後退りした。
「女性」「美しい」
その二つの言葉がトルヴィアに向けられたことを理解し、兵士たちの顔から血の気が引いていく。通常であれば、これらは賛辞となるはずの言葉。しかし、トルヴィアにとって、それは禁句だった。
帝国の姫として生を受けたドワーフの皇族、トルヴィア。彼女に対してこれらの言葉を口にすることは、暗黙の掟で固く禁じられていたのだ。

「ふ、ふふふ……あっははははは!」

トルヴィアが笑う。大口を開け、その場で腹を抱えて。

「このアタシを前に、美しい?あは、あははは……」

その笑顔もすぐに終わる。腹を抱えていたトルヴィアの動きが突然止まり、彼女の表情が一変する。
アドリアンを睨みつけながら低い声で言った。

「──その言葉、訂正させてから頭をぶち割ってやる。さあ、覚悟しなさい」

彼女の小さな身体から溢れ出る怒気が周囲を包み込む。
だが、その怒りを真正面から受けているアドリアンは、涼しげな顔でトルヴィアを見つめている。

「おっと、怒らせるつもりはなかったんだ。ごめんね。でも怒ると更に可愛くなるなんて、反則だよ。もしかして、怒って可愛い顔を浮かべる練習とかしてるのかい?」

その言葉を聞き、彼女の目に燃えるような激情が宿った。

「貴様っ!」

トルヴィアは巨大な戦槌を振り上げた。その動きは、彼女の小柄な体からは想像もつかないほどの速さと力強さを持っていた。
戦槌が空を切り裂きアドリアンに迫る瞬間、彼は軽やかに身をかわした

「おや、ダンスの誘いかい?ちょっと乱暴すぎるけど」
「……まだふざけたこと言うの!?その余裕、すぐに消し飛ばしてやるわ!」

猛攻は止まらない。目にも留まらぬ速さで戦槌を振り回し続けるが、アドリアンはそれを最小限の動きで躱していく。
攻撃が激しさを増す中、アドリアンの手が閃く。青白い光が彼の掌から放たれ、瞬時に巨大な氷の壁が出現した。

「冷静になって欲しいから、ちょっと冷やしてみたよ。効果はどうかな?」

アドリアンの軽口にトルヴィアは言葉で返すことはなかった。代わりに、彼女の戦槌が突如として紅い炎に包まれる。
炎の武器の加護──武器に炎を纏わせ、攻撃力を高める特殊な能力が発動した。その苛烈な輝きは、トルヴィアの激しい性格を体現するかのように煌めいている。
轟音と共に、燃え盛る戦槌が氷の壁を粉砕した。氷の結晶が降り注ぐ中、紅蓮の髪をなびかせながら炎に包まれたトルヴィアの姿が現れる。

「──アタシに小細工は効かない。こんな子供騙しいくら使っても無駄よ」

トルヴィアの声が、凛として戦場に響き渡る。その言葉に、その姿に戦場全体が彼女の姿に釘付けになる。

「アンタの口から出る言葉も、その見せかけの態度も、全部がチャチな見世物にしか見えないわ。戦士の名を語るなら、もっとマシな芝居を見せなさい」

彼女の武勇はアルヴェリア王国にも鳴り響いている。彼女の姿を一目見ただけで戦意を失い、逃げ惑う者も少なくはない。
見た目は可憐な少女だが、その本質は誇り高き戦士。彼女の眼差しには幾多の戦場を駆け抜けてきた者だけが持つ鋭さがあった。

「相変わらず眩しいね、トルヴィア。──君の炎は、昔と変わらず美しい」

アドリアンの言葉が響いた瞬間、彼の全身から青白い魔力が溢れ出した。
帝国兵たちがアドリアンの強大な気配に慄く中、アドリアンは先程逆さに掲げた戦槌──ただの戦槌だが、地面に落ちていたそれを手に取り、構えた。

「そうだ、そうだった」

アドリアンの声に懐かしさが滲む。

「キミは誰よりも誇り高く、そして誰よりも勇敢な戦士だった。最後まで皆を導く、戦場の光だった」

アドリアンが戦槌を空高く掲げた。今度は逆さではなく、しっかりと天を指し示すように。

「戦士トルヴィアよ!貴殿の誇りを軽んじたことを心から詫びよう!そして貴殿の炎に敬意を表し、俺の力を見せよう!」

アドリアンの高らかな宣言に、トルヴィアは一瞬呆気にとられる。
今まで軽口を叩いていた男とは思えぬ気迫と、その溢れんばかりの魔力。それはまるで彼の身体を炎が包み込んでいるかのように錯覚させた。

「──付与魔法(エンチャント)。雷鳴。火炎。氷結。風刃。地裂」

アドリアンが戦槌に魔法を付与する。青白く光る氷と紅い炎を纏い、その表面には稲妻が走る。
戦槌に膨大な魔力が集中していく。彼の周囲に五つの属性の魔力光が輝き、それはやがて戦槌へと集束した。

「なっ……」

トルヴィアの瞳が、驚愕で大きく見開かれる。
付与魔法は属性魔法を武器や防具に宿らせる技術だ。しかし熟練の魔導師でも属性を同時に付与することは難しい。
だがアドリアンはそれをやってのけた。それも、たった一本の戦槌に五つの属性を付与するという離れ業を。

「トルヴィア。キミが誇りを懸けるというのなら、俺もまた武人として応えよう」

アドリアンが戦槌を振りかぶった瞬間、空気が震え大地が鳴動する。
対するトルヴィアも、炎を纏った戦槌を高く掲げた。彼女の全身から溢れ出す炎が周囲の景色をゆらゆらと歪ませる。

「……面白い、面白いわアンタ!いいわ、どっちが強いか白黒つけようじゃないの!」

トルヴィアの咆哮が戦場に響き渡る。彼女の周りを取り巻く灼熱の炎が、まるで生きているかのように渦を巻いた。

瞬間、二人が同時に動いた。
トルヴィアの炎を纏った戦槌とアドリアンの光輝く武器が激しく衝突する。その衝撃で、周囲に眩い閃光が走った。

「やぁぁぁ!!!」

戦槌がぶつかり合う度に轟音が響き渡る。その音波が地面を震わせ周囲の兵士たちを後退させる。
トルヴィアの炎が舞い上がり、アドリアンの周りを取り巻く。しかし、彼の放つ青い光がその炎を押し返す。二つの力が拮抗し、まるで美しい舞のように交錯する。
二人の姿はもはや肉眼では捉えられないほどの速さで動いていた。彼らの姿が残像となって空中に描かれ、まるで光の軌跡のように煌めく。

「まさか人間の戦士に、私を本気にさせる奴がいるだなんて思ってなかったわ!」
「俺も今、心臓が踊るような感覚なんだ。これが噂の恋煩いというやつかな?」

彼の冗談めいた返答に、トルヴィアは思わず吹き出しそうになる。

「戦いの興奮と恋を間違えるなんて、人間はみんなそんなにバカなの?」
「いや、俺だけの特殊能力さ。戦いも恋も、心躍るものは同じだからね」

そんな会話を繰り広げながらトルヴィアが跳躍し、空中で優雅に回転する。彼女の赤いツインテールが、まるで燃え盛る炎のように広がる。
アドリアンもまた、重力を無視するかのように軽やかに身をかわす。彼の外套が風になびき、光の軌跡を描く。

二人の姿が空中で交差する。その瞬間、時が止まったかのような静寂が訪れた。
互いの息遣いが聞こえるほどの距離で二人の視線が交わる。
その一瞬の邂逅の中、アドリアンの口から静かな言葉が漏れる。

「──あぁ、楽しい。キミとこうして舞えるだなんて、夢のようだ」

その言葉に、トルヴィアの瞳に一瞬の戸惑いが浮かぶ。

「アンタ、何処かで会ったことあった?」
「どうだろうね。夢の中で会ったのかも」

その言葉が空気に溶けていく中二人の体が再び離れていく。赤い炎と青い光が再び激しく交錯し始めた。

『ねぇアドリアン。私ね、一度でいいから──』

遥か遠い記憶の彼方から、一人の少女の声が響いてくる。
その声色はとても儚くて。でも、とても強い意志を秘めていて。
アドリアンの心の目に、その少女の笑顔が鮮明に浮かび上がる。

「キミにとってはここが夢の世界なのかな。トルヴィア」

彼は小さく呟くと、トルヴィアに向かって駆け出した。
その目には迷いがない。彼の身体から溢れ出す青白い光が一層輝きを増していく。

「さぁ、トルヴィア!!英雄の一撃、受けてみろ!」
「っ!?」

アドリアンは戦槌を高く掲げ、渾身の力を込める。大気が震え、彼の身体から魔力が溢れ出す。
轟音と共に大地が揺れ、衝撃波が四方八方に広がる。その凄まじい一撃をトルヴィアは真正面から受け止めた。彼女の巨大な戦槌がアドリアンの渾身の一撃と激突する。

(わ、私が……押し負ける……っ!?)

最高峰の技術で作られた戦槌に、細かな亀裂が走り始める。
炎を纏うその武器は、通常ならば魔力が尽きるまで決して壊れることはない。
しかしアドリアンの圧倒的な一撃の前に、その不壊の誇りさえも揺らぎ始めていた。

「はぁぁぁぁっ!!」

アドリアンの雄叫びが、戦場全体を震わせる。その声と共に、青白い光が爆発的に広がる。

──その瞬間、トルヴィアの戦槌が砕け散った。

破片が無数の流星のように四散し、一瞬にして戦場を赤と青の光で彩る。
衝撃波が彼女を後方へと吹き飛ばす。トルヴィアは地面に尻餅をつき、呆然とアドリアンを見上げていた。

「……」

彼女の瞳がアドリアンをじっと見つめる。その目には、敗北の悔しさよりも、何か別の感情が宿っているようだ。
辺りは一瞬、深い静寂に包まれる。戦場の喧騒が嘘のように消え、時が止まったかのようだ。
その静寂を破るように、トルヴィアの声が響いた。

「──見事」

その一言が、静寂を破る。
突如として、周囲の兵士たちからざわめきが上がる。その声は、まるで堰を切ったように帝国軍全体に広がっていく。

『姫様を倒しやがった!なんて奴だ!』
『信じられん!人間が皇姫様に勝つなんて!』

帝国兵の間に動揺が広がる中、アドリアンはトルヴィアに向かって手を差し伸べた。

「立てるかい?それともお姫様抱っこで運んであげようか?」
「あ……ふん、調子に乗るんじゃないわよ。次は絶対に負けないんだから」

そののやりとりに、周囲の兵士たちが驚いた表情を浮かべる。
そして二人の手が触れ合った瞬間、帝国軍から張り裂けんばかりの歓声が上がった。

『おい、誰か素晴らしい戦いを見せてくれた二人に酒でも出してやれ!』
『いや、この際だ!宴会を開こうぜ!』

兵士たちの声が次々と上がる。まるで戦争を忘れたかのような祝祭ムードが戦場を包み始める。
歓声は波となって広がり、エルム平野全体を覆い尽くしていく。

そして、王国軍はその光景を困惑と驚愕の表情で見つめていたのだった──。
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