最強英雄の異世界復活譚 ~寿命で一度死にましたが不死鳥の力で若い姿で蘇り、異世界で無双する~

季未

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第二十六話

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「さぁ、こちらへどうぞ」

市場の興奮冷めやらぬ中、カイが先導役を買って出た。
アドリアンの演出した魔族の姫お披露目ショーが大成功を収めた後、カイは魔族の奴隷たちが収容されている場所へと一行を案内することになった。
「奴隷を救う」という崇高な理想も、現実の前では少々お化粧直しが必要だ。いきなり全ての奴隷に自由をプレゼントすれば、奴隷の労働力で細々と動いている王国の歯車が一気に止まってしまう。

だが、カイは言った。

『全ての奴隷を解放するのは、国を転覆させる素敵なアイデアですが、それは避けましょう。しかし、魔族の奴隷だけなら、ね』

幸か不幸か、この市場にいる魔族の奴隷はそこまで多くない。故に魔族の奴隷だけならば解放しても問題ない。

『でも、それじゃあ残りの奴隷たちが寂しがるんじゃないかい?』
『その通り。だからこの街限定で、奴隷への虐待を禁止し、奴隷たちに過度な労働を押し付ける店には奴隷を売らないことにする」

魔族の奴隷は他種族から蔑まれている。それは覆しようのない事実だ。だからカイがやろうとしていることは、『理想論』でしかない。
それでもカイはやると決めたのだ。ならばアドリアンに出来ることはカイを全力でサポートするだけだ。
その道すがら、アドリアンは気になっていた事を尋ねた。

「ところであの強化薬はなんだったんだい?」
「最近裏市場に出回っている薬です。いつ、だれが、なんの為に作ったのかは不明ですが……飲めば闇の怪物に支配され、最後は自らも死に至る……知らなかったとはいえ、なんと恐ろしいものを飲んでしまったのか……」

尋常ならざる力を与える薬。そして、カイの身体から這い出てきたシャドリオス。
フリードウインドの街を襲った異変と、同じ匂いがする。
確たる因果関係は分からないが、アドリアンの直感がそう告げていた。

「ここに魔族の方々がおられます。暗いのでお気を付けて……」

その言葉に仮面を外したレオンがゴクリと唾を呑み込む。
元々ここに来たのはレオンの想い人を探す為だ。途中、キツネに化かされて色々と時間が掛かってしまったが……。
一行は狭い石段を慎重に降りていく。
そこには鉄格子に阻まれた魔族達が収容されていた。
皆、一様にボロボロの衣服を纏い、生気を失った目をしている。

しかし、その中に一人だけ異彩を放つ存在がいた。若い女性だ。二十代半ばほどの年齢に見える。

艶のある黒髪が腰まで美しく伸び、その姿は周囲の荒涼とした雰囲気とは不釣り合いなほど気品がある。
彼女の目がレオンと合った瞬間、その表情が劇的に変化した。

「……!」

レオンもまた、彼女を見て、やっと見つけたと安堵の笑みを浮かべる。
二人は鉄格子越しに手を伸ばし、指先を触れ合わせた。まるで、運命の恋人と再会を果たしたかのように。

「会いたかった、ずっと貴女に、会いたかった……」
「はい……私も……」

衆人が見守る中、気を利かせたのかカイが牢獄の扉を開け、レオンを中に通す。
そして、二人は抱き合い、互いの温もりを噛み締めるように、しっかりと身体を密着させた。

「本当に良かった。無事でいてくれて……ようやく、貴女と話すことができる」
「貴方を一目見た瞬間から、きっと来てくれると……思っていたの。初めて、貴方の声が聞けた……」

二人の声が、冷たい石壁に反響し、地下牢獄全体に広がっていく。
その声が静まり余韻が消えゆく頃、メーラが優しく温かな声でアドリアンに語りかけた。

「良かったね。二人が無事再会出来て……。あれ、再会だっけ?初めて声が聞けたって……」

メーラの声には疑問が混じっていた。レオンの話では道で見かけただけの奴隷に一目惚れしたはずだが、目の前の光景はそれとは全く異なる印象だった。
二人の間には長い歴史があるような、深い絆が感じられる。

「ねぇアド。レオンさんとあの女の人って……アド?」

反応がないアドリアンを怪訝に思い、メーラは彼に目を向ける。
そして、彼の表情を見て息を呑んだ。

「──そうか、そうだったのか」

彼からはいつもの軽い調子は消えていて。
その目はどこか遠くを見つめ、目の前の二人を見ているようで、見ていなくて……。
アドリアンは周囲の音も聞こえないかのように、自分の中の記憶の欠片を必死に繋ぎ合わせている。

目の前で抱き合う二人の姿が、ぼやけていく。

その光景に別の記憶が重なり始める。

かつての世界、過去の一幕が、鮮明に蘇ってきて──



♢   ♢   ♢



「がははは!ようやく、我が領地を取り戻せる時がきたなぁ!」

中年の男の高笑いが、冷たい風に乗って響き渡る。
ランドヴァール侯爵ガラフィドは、目の前に広がる街を貪るように見つめていた。
かつて彼の家が統治していたその街は、今や魔族の旗で埋め尽くされている。
国の栄華を象徴していた建物は今や魔族の拠点となり、かつての美しい景観は影を潜めていた。
しかし、ガラフィドの目には、それらは全て取り戻すべき宝物に見えていた。
彼の背後にはアルヴェリア王国軍の精鋭達が、決戦に備えて息を潜め、魔王軍に奪われた領地を奪還する為の聖戦を始めようとしていた。

「ガラフィド。前みたいに一人で突っ込まないようにね。キミは一応侯爵様なんだから」

ガラフィドの横から、そんな声が聞こえてきた。
絢爛な外套に身を包んだ青年、アドリアンである。
巨漢のガラフィドに物怖じせずに軽口を叩くその姿は、見る者に希望を与えてくれる本物の英雄だ。

「侯爵?あぁ、俺ゃ一応侯爵だったな!忘れてたぜ!がはは!」
「戦闘中に忘れるのだけはよしてくれよ。俺の剣がキミごと魔族を焼いちゃうかもしれないからね」

英雄アドリアン。対魔族連合軍の旗頭にして、切り札。
ガラフィドとは数多の死線を潜り抜けた仲で、こうして軽口を叩き合える数少ない同志である。

「そりゃ無理な相談だぜ!俺の息子があの街に、あの屋敷に閉じ込められてるんだからな!」
「ああ、知ってるさ。毎度聞かされる君の自慢の息子、君とは正反対の美男子だっけ?」
「その通りだ!はっはっは!」

ガラフィドは豪快に笑うと、再び街に目を向ける。
その瞳には、かつての情景が映っていた。かつてランドヴァール侯爵家が治めていた時の街並みと人々の笑顔の姿が……。
そして屋敷には彼の愛息子が囚われている。それこそが、ガラフィドが滾っている理由でああった。

「油断はしない方がいい。相手はあの魔侯爵イルマだ」

魔侯爵イルマ。その名は、人間たちの間で恐れられていた。魔王軍の精鋭部隊を率いる女将軍で、その魔力は計り知れない。
これまでの戦いで何度も現れては、人間たちに甚大な被害をもたらしてきた。

「おう!油断なんかするわけがねぇ!俺の大事な息子に指一本でも触れてみやがれ……あのアバズレをぶっ殺してやる!」
「そうかい。なら安心だ」

ガラフィドの怒りをそよ風の如く受け流し、アドリアンは優雅に微笑み、言った。

「じゃあ、行こう。キミの故郷と、王国の未来を救いに」
「おうよ!おい野郎ども、魔族共をぶっ潰すぞ!総員出撃!」

ガラフィドの号令で、王国軍は一斉に駆け出す。その先頭では英雄アドリアンが一際目立っていた。
希望の光を、王国軍が追う。彼の背中を追いながら、ガラフィドは一人呟く。

「待ってろよ……レオン……!」

そうしてアドリアン率いる王国軍と、街を占領している魔王軍の戦いが始まった。
アルヴェリアの総力を集結させたこの軍勢と、魔王軍との戦いは熾烈を極めた。
本来は魔族の侵攻に備えて築かれた巨大な城壁が、今や王国軍の進軍を阻んでいる。
空からは鱗の光る飛竜の群れが襲来し、地からは腐臭を放つ無数の死霊兵が湧き出てくる。戦場は混沌と化し、剣戟の音と魔法の轟音が入り混じっていた。

「ねぇガラフィド!なんか情報より魔族の数が多くないかい!?キミ、斥候にちゃんと算数を教えたのかい!?」
「算数だぁ?おいおい、アドリアン。斥候に教えるのは剣術だろ。数える暇があったら、敵を倒す方が大事だぜ!」

ガラフィドの言葉を聞いたアドリアンはやれやれと肩をすくめる。

「なるほど、だからこんなに情報よりも多いわけか。この戦いが終わったら、彼らに『引き算』くらいは教えてあげた方がいいよ」
「何言ってやがる!引き算なら俺も斥候も、大得意だぜ!要は『頭数の減らし方』だろ?」

二人は息を合わせて突進し、魔族の群れに斬り込んでいく。アドリアンの剣が風を切り、ガラフィドの斧が大地を揺らした。
突如、空から巨大な影が二人に覆いかぶさる。見上げると、巨大な飛竜が襲来してきた。

「ガラフィド。上空からの足し算だよ。この計算、どう解くつもりかな?」
「簡単さ。奴を地上に引きずり降ろして、俺たちの引き算に巻き込むだけだ!」

ガラフィドの巨大な斧が空を切り裂き、飛竜の翼を切り落とす。
羽ばたきが乱れ、高度を失った飛竜に向かって、アドリアンが剣に青白い魔力を纏わせる。一瞬の閃光と共に、アドリアンの剣が飛竜の巨体を貫いた。

「これでマイナス1だ!がははは!」
「良く出来ました。ところで、この調子じゃこの魔族の大軍を倒すのに100年かかるんじゃないかな?」
「100年だと?冗談言うな!俺の計算じゃ、せいぜい99年で片付くさ!」
「そうか、1年も違うのか。流石はガラフィド、計算が正確だね」

二人の会話は、戦場の喧騒の中でも不思議と明るく響いていた。
周囲の兵士たちは、二人のやり取りに時折笑みを浮かべながら、そして希望を見出しながら必死に戦い続ける。

空から轟音と共に雷撃が降り注いだ。一瞬の閃光の後、数百人もの兵士が灰と化してしまう。悲鳴も上げられないほどの速さだった。
別の場所では、巨大な炎の柱が立ち上がった。渦を巻く火球が膨張し、数千の兵士を飲み込んでいく。焦げた匂いと悲痛な叫び声が、戦場に充満する。

そんな地獄のような光景の中で王国軍は一歩も引かずに戦い続けた。
ここで討ち死にしても、英雄が魔王を倒してくれる。無駄死にではない。
そう信じているから、戦い続けることが出来るのだ。

──そして、遂に大壁が崩れた。何万もの犠牲を出して、敵の防衛線を突破することに成功した。
王国軍の兵士たちが歓声を上げた。彼らはアドリアンとガラフィドを先頭に、門の中へと雪崩れ込む。

「おぉ、我が故郷よ。ようやく帰ってきたぞ……!」

ガラフィドの声は感情に震えていた。荒れ果てた街並みを目にして、彼の目から涙が零れ落ちる。
既に魔王軍の大半は討ち取られ、街の大部分は王国軍が取り返していた。
残るは敵の大将とその護衛のみ。魔侯爵イルマは旧ランドヴァール邸に籠もり、最後の抵抗を試みている。

「ガラフィド。キミの屋敷で、魔族の淑女が待ち構えてるようだよ。死神の鎌を手に、優雅にお茶会の準備をしているんじゃないかな」
「望むところだ……!俺の街を荒らし、息子を攫ったその罪を償わせてやる!」

ガラフィドはボロボロになった王国軍の鎧を煌めかせ、アドリアンはマントを翻して屋敷に向かう。
魔侯爵への怒りを胸に、ガラフィドとアドリアンは屋敷の中に足を踏み入れた。

「……誰も、いない?」

屋敷に入ると、違和感がアドリアンを襲う。
戦の真っ只中にあって、あまりにも静か過ぎるのだ。
ガラフィドも警戒して斧を構え、屋敷の中を慎重に進んでいく。
そして二人が応接間へと足を踏み入れた時であった。

部屋の中央に、魔族の女が佇んでいた。
美しい女であった。艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、豊満な肢体を漆黒のドレスで覆っている。

──魔族の将軍、イルマ。

その圧倒的な魔力は、二人の肌を突き刺すように感じられる。

「来たか……アドリアン。そして、ランドヴァールの長」
「おう、来たぜ。テメェをぶっ殺して、俺の息子を救いにな……。それと、勝手に俺の屋敷を占拠した家賃も払ってもらうぜ。高級ワインの在庫、減ってないよな?」
「やぁイルマ。久しぶり。最近、肌の手入れでもしたのかい?前より若く見えるよ」

アドリアンとガラフィドはまるで旧友に挨拶をするように、気さくに声をかける。
イルマは口を開かず、ただ鋭い視線で二人を睨む。
二人とイルマは戦場で幾度となく殺し合った仲だ。こうして顔を合わせるのも、もう何度目か分からない。

「俺の屋敷にあった化粧品でも使ったんだろう?化粧品くらい自分で買え。それともお前の給料じゃ高級化粧品は買えないのか?」

イルマはようやく口を開いた。その声は低く、冷たかった。

「お前たちは相変わらず愚かだな。死の間際まで冗談を言うとは」
「冗談くらい言わせて欲しいね。これが最後の会話になるかもしれないんだからさ。どっちにとってかは分からないけどね」
「そうだぜ、イルマ。せめて最後くらい、楽しく過ごそうじゃねぇか。テメェの送別会みたいなもんだ」

因縁の相手に、軽口を叩き合う。それは彼らにとっての挨拶代わりのようなものだった。
幾度繰り返したか、分からない軽口の挨拶。
だがこれが最後になると、二人の直感は告げていた。

「……そうだな。愚かな戯言を聞くのも、これで最後だ」

イルマが低い声で呟いた。
次の瞬間、女の周囲に黒い霧が発生したかと思うと、それが凝縮して剣へと姿を変える。彼女はそれを目にも留まらぬ速さで振るった。
空気を切り裂く音が遅れて聞こえ、ガラフィドの体が吹き飛んだ。

「がはっ……!」

ガラフィドは壁へと叩きつけられ、力なく崩れ落ちる。
イルマの一撃はあまりにも鋭利で、速過ぎたのだ。王国軍の英雄と謳われたガラフィドでさえ、反応出来ない。

「無事かい!?」
「大丈夫だ!だがあの野郎、速過ぎる……!」

アドリアンはガラフィドを庇うように前に立ち、剣を構える。対してイルマはただ佇むのみだ。
突如イルマが動いた。まるで黒い蝶が舞うかのようにアドリアンに肉薄する。
アドリアンは瞬時に反応し、剣でイルマの斬撃を防いだ。金属がぶつかり合う甲高い音が、屋敷の中に響き渡る。
イルマの魔法が飛び交う。アドリアンは巧みにそれらを避け、時には剣で弾き返している。
戦いが激しさを増すにつれイルマの魔力が部屋中に満ちていき、まるで濃霧のように視界を曇らせる。しかし、アドリアンの剣は、その霧を切り裂くように輝きを増していっていた。

「流石イルマ将軍だ。でも、なんだか剣の動きが鈍いな。もしかして屋敷で豪勢な食事でもして太ったんじゃないか?」
「……」

アドリアンの攻撃が徐々にイルマを追い詰めていく。彼の剣は、イルマの防御を少しずつ崩していった。まるで堅固な城壁を削るかのように、着実に、そして容赦なく。
イルマの動きが次第に乱れ始める。彼女の魔法は依然として強力だったが、アドリアンの前では徐々にその効力を失っていった。

──いける。

もう少しで、彼女を倒せる。
アドリアンの剣が閃き、イルマの黒いドレスを裂いた。彼女の柔肌にうっすらと血が滲む。
しかし、彼女が怯む様子はなかった。イルマは相変わらず無表情のまま、アドリアンを睨みつけるのみだ。

「さぁ、これで終わりだ!」

アドリアンは叫び、止めを刺すべく剣を振りかざした。この距離では最早避けきれぬはず……そう確信し、剣を振り切ろうとした時だった。
だが、その瞬間。アドリアンの直感が鋭く警告を発した。
そのまま剣を振り下ろせばイルマを倒せるだろう。だが……何か、おかしい。
彼は咄嗟に攻撃を中断し、後退しようとする。

だが、その時だった。

「後ろがガラ空きだぁ!貰ったァ!」

ガラフィドの声が響き渡る。彼の巨大な斧が、イルマの背後から迫った。
イルマの隙を突いた、渾身の一撃。この距離では避けられまい──

「駄目だ、ガラフィド!」

アドリアンの警告の声が響く。しかし、それは遅すぎた。
突如、閃光のように。一つの影がイルマの前に飛び出した。
時間が止まったかのような瞬間。ガラフィドの巨大な斧はそのまま飛び出してきた影を斬り裂いた。

「──え?」

それは誰の声だっただろうか。
アドリアン、ガラフィド、イルマ。
誰もが同時に発した驚きの声が、空間に溶け込んでいく。鈍い音と共に、鮮血が舞った。

「なん、で」

飛び出したのは他でもない。ガラフィドの息子、レオンだった。
レオンの体が、ゆっくりと地面に崩れ落ちる。血が床に広がっていく。

「レ、レオン……?なんで、お前が」
「……ちち……うえ……」

肩から大きく裂かれた傷。その出血は、レオンの命の灯火を急速に奪っていく。
アドリアンは呆然とした表情で、その光景を眺めていた。
治癒魔法?いや、駄目だ。彼の傷は致命傷を通り越して、もう……。

「申し訳、ありません……」

戦いの喧騒は遠のき、ただレオンの苦しそうな呼吸音だけが響いていた。
ガラフィドは膝をつき、息子に近づこうとする。しかし、自分の手で息子を傷つけたという現実に、彼の動きは鈍く、おぼつかない。

そして、突然の静寂が訪れる。
レオンの動きが止まった。彼の目は開いたまま、虚空を見つめている。
その瞳に宿っていた生命の輝きが、完全に消え去ってしまった。

「レオン……なんでだ。なんで……」

アドリアンはその光景から、目を離すことが出来なかった。
不意に。
傍らでその光景を見ていたイルマが動いた。

「!」

そうだ。まだ、倒すべき敵は残っている!
アドリアンは反射的に剣を構え、イルマに向き合う。

だが──

「……はは、そうか。こう、なるのか……」

イルマはフッと寂しげに笑った。まるで何かを諦めたかのように。まるで何かを悟ったかのように。
刹那、彼女は剣の切っ先を自らの首へと向けた。
アドリアンの瞳が驚愕に見開かれる。頭の中で、状況を理解しようとする思考と、それを止めようとする衝動が激しくぶつかり合った。

待て──

アドリアンの口からその言葉が紡がれる前に、剣がイルマの首を貫いた。

「──」

鮮血が噴き出し、その赤い雫が空中に舞う。イルマの体がゆっくりと倒れていく。
レオンの亡骸に折り重なるようにして、イルマの体が地面に横たわる。二人の血が混ざり合い、床に広がっていく。

「何故だ」

息子と、敵将の亡骸を見てガラフィドが呟く。

「何故、レオンは死んだ。何故、イルマも後を追った」

彼は呆然とした表情で、二人の亡骸を見つめている。
瞳から一筋の涙が零れ落ちると同時に、アドリアンの手から剣が滑り落ちた。

「何故だ。何故……」

ガラフィドの嗚咽は、やがて慟哭へと変わり、応接間を包み込んだ。

「ガラフィド……」

彼はただ息子と仇敵の亡骸の前に跪き、慟哭し続けた。
ふと、イルマの亡骸に目を向けた。その死に顔は、あまりにも穏やかだった。まるで自らの運命を受け入れているかのように。
アドリアンの胸に痛みが走った。それは後悔か、それとも別の何かなのか。彼には分からなかった。

「何故だぁー!!!」

ガラフィドの慟哭は、いつまでも止むことはなかった。



♢   ♢   ♢



アドリアンの視界には、レオンとイルマが愛おしそうに抱き合う姿が映っていた。
二人は涙を流しながら抱きしめ合っている。その光景はまるで絵画のように美しく、そして儚く感じられた。

「キミたちは。愛し合っていたんだね」

アドリアンの目に、真実が映る。
レオンとイルマ。二人は互いに惹かれ合っていた。
彼らが結ばれることは決してなかった。人間の貴族と魔族の将軍。それは決して許されるものではなかったから。
しかし、世界が違っても二人は惹かれ合い、こうして再会を果たした。

アドリアンの脳裏に、二人の亡骸が過ぎる。血に染まった床の上で、まるで眠るかのように寄り添う二人の姿。
彼らは最期の瞬間まで、愛し合っていたのだ。

「アド?どうしたの?」
「いや、なんでもないさ。『俺がいる限り、悲劇なんて起こさせやしない』なんて言った自分が恥ずかしくてね……」
「?」

アドリアンは再び、レオンとイルマの姿に目を向ける。二人の愛おしそうに抱き合う姿が、彼の心に深く刻まれていく。

アドリアンは拳を握りしめる。その目から一筋の涙が零れ落ちた。



──それは贖罪か、それとも自己満足か。彼は誰にも見えないように、ひっそりと涙を拭った。

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