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1、東子と咲葉

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「もうすぐここともお別れだなんて――信じられない!」
 室内を見廻しながら東子とうこは言った。
「うん、ホントに。あの日から3年経ったなんて」
 咲葉さくはもうなずいた。
「初めてここへやって来た日を、私、昨日のことのように憶えてる……」
 二人がいるのは春日台かすがだい中学校・推理部の部室だ。北校舎3階の一番端。階段の踊り場をくるっと回ると見えてくる、設計上余ったから作ったとしか思えない小部屋で推理部が使用するまでずっと空き室だったらしい。
 咲葉が口にした3年前、入学したての春……

        *


 春は同じ匂いがする! 校門の脇の桜もこの匂いを嗅いでいるはず。まだ寒さの残るピリッとした風の中に確かに混ざる光の匂い。それはまた別れと出会い、喜びと悲しみ、不安と希望の匂いでもある。
 そんな春の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、入学もない午後、咲葉はひとり階段を上って行った。踊り場で足を止め、もう一度深呼吸をしようとしたとたん、上から声が降って来た。
「あなた、ひょっとして推理部入部希望者?」
 階段の上の人影に気づいて咲葉は小声で答えた。
「……はい、そうです」
 実は、咲葉は中学に入学するために海外赴任中の家族と別れ、一人だけで帰国して祖父母の家で暮らし始めたばかりなのだ。ずっと外国で生活していたので自分の日本語に自信がなくてついついこんな風に小さな声になってしまう。
「良かったぁ! 私もそうなんだ。でも、誰も来ないし、独りきりでスッゴク心細かったの!」
(心細い? とてもそうは見えないけど……)
 ショートカットの髪を揺らして駆け下りて来た少女は切れ長の目が涼しい、少年剣士のような凛とした容貌だ。身長も高くて真新しい海老茶のブレザーとチェックのスカートをピシッと着こなしていた。胸元のリボン、どうやったらあんな風にかっこよく結べるんだろう?
「私は柴田東子しばたとうこ。同じ新入部員として、これからヨロシクね!」
「私は左藤咲葉さとうさくはと言います。こちらこそよろしくお願いいたします」
 一方、丁寧に頭を下げた咲葉のほうは小柄で華奢だ。着慣れない制服の中で体が泳いでいるカンジ。長い髪を校則に従って黒いゴムで束ねて、一見おしとやかなお嬢様風に見える。でも、眼鏡の奥の瞳に要注意。可愛らしいだけじゃない、好奇心いっぱいでこの世の未だ解き明かされていない謎を求めてキラキラ輝いている。
 数回瞬きして、咲葉は言い添えた。
「私、外国に住んでいたのでしゃべり方がおかしいかもしれません。間違っていたら、教えてください」
「えー! 全然、変じゃないよ。でも、イジワルな先輩がいたら守ってあげる! 私、兄貴と一緒に合気道習ってたんだ。だから安心して、お船に乗ったつもりでいてね!」
「ぷ」
 吹き出す咲葉。
「何?」
「あのぅ、それを言うなら〝おお舟〟じゃないかな?」
「――」
 これが二人の出会いだった!

「どうも、ここらしいよ。入ってみようか?」
 上り切った階段の真ん前。その部屋は引き戸の扉が全開で中が丸見えだった。二人は恐る恐る足を踏み入れた。
 4畳くらいの狭い室内。中央に細長い机が一つ、パイプ椅子が4脚。向かって右側の壁は全面、棚になっていてそこにぎっしり本(ほぼ推理小説!)が並んでいる。突き当りの壁に窓がある。左側にも窓があって、その窓の下に教室にあるのと同じ机が二つ、スチール製のロッカーが一つ置かれていた。ロッカー横の机の上には電気ポットとお盆。お盆の中には紙コップや紅茶のティーバッグやステックタイプのコーヒーなどが入れてある。
 咲葉と東子はとりあえず椅子に腰を下ろして待った。
 5分……10分……15分……
 誰もやって来ない。
 咲葉が口を開く。
「あの、ひょっとして、新入部員だけじゃなく部員もいないのかも?」
「ってことは、イジワルな先輩もいない! ってことか」
 東子は腕を組んで天井を見つめた。
「まぁねぇ。部活するなら体育系はバスケとかバレーとかサッカー、テニス、野球、ソフトにブラスバンド部……文科系なら王道の美術とか書道とか将棋なんかを選ぶだろうからなー」
「え? ブラスバンドって体育系なの?」
「そうだよ! めっちやキツイんだよ。私の兄貴がソレだったから知ってる」
「へぇ、そうなんだ。それはともかく――でも、この推理部、部員はいなくても、顧問の先生はいるよね?」
「ちょっと、なにこれ!」
 最初にそれに気づいたのは東子だった。
 左壁際のもう一つの机の上。紙片が置いてある。飾りのつもりなのか、文鎮代わりなのか、小さなやっこさんや風船、折り鶴、蛙に金魚、千代紙で織ったオリガミが乗っていた。

 〈 ようこそ! 春日台中学校・推理部へ。
   では、歓迎の謎解きといこう!

   まずは第一の謎
   『ツルの背の伝言を読み解け』

    推理部顧問・阿久虫涼あくむしりょう 〉

「面白い! 推理部らしくてイイじゃない! よっしゃ、受けて立つぞ!」
 奮い立つ東子。咲葉は人差し指を顎に当てて、
「……ツル、ツルって? この中学、鶴を飼っているのかしら?」
「いや、違う! 私、わかった!」
 パチンと指を鳴らしたのは東子だ。
「それ、私の担任のことだよ。頭がツルツルだからツル――じゃないわよ。一年一組、都留正明つるまさあき先生! 名前がツルなの」
「言われてみれば――そうだったわね!」
 ちなみに咲葉は三組だった。三組の担任は仲川千秋なかがわちあき先生。
「それにしても、素晴らしいわ! 東子ちゃんの推理力」
 心から感服して咲葉は褒めたたえる。
「私もミステリ小説が大好きで、謎を解いたり推理するのが趣味だけど、とてもかなわない!」
 頬を染めて東子は首を振った。
「兄貴がミステリマニアなんだ。私はモロその影響を受けたってだけ」
「えー、合気道をやってて、ブラスバンド部でミステリマニア……東子ちゃんのお兄さんってすごいのね!」
 すぐさま二人は都留先生を捜して職員室へ向かった。

「おう! 柴田だったな! おまえは三組の……左藤か。早速どうした? 悩み事か?」 
 20代半ばの都留先生はいかにも体育教師らしい豪快な笑顔を二人に向けた。机の前でくるっと椅子を回転させて柔道で鍛えた分厚い胸をドンと叩く。これじゃ、ツルでなくゴリラだよ。これは東子の心の声。
「いいとも! なんでも聞いてやるぞ、話してみろ!」
「あ、いえ、えーと」
 さすがに職員室は緊張する。東子といえど小声になる。
「悩みというか、そのぅ、ただ、ちょっと――」
 咲葉が後ろに下がってさりげなく先生の背中に視線を走らせるが、そこに張り紙などなかった。咲葉が首を振ったのを横目で見て東子は撤退の意思を固めた。
「都留先生の顔が見たくなっただけです。でも、顔を見て安心したので――帰りますっ」
「おお! 柴田っ! 嬉しいことを言ってくれるじゃないか!」
 感激のあまり立ち上がった先生。その瞬間、椅子の内側の背に貼ってある小さな紙片を二人は見逃さなかった。
 四角い紙には、ひとこと。〈ハズレ〉

「チェッ、違ったか」
 ガッカリしながら二人はまた部室へ戻った。
「でも、都留先生以外、他に考えられないじゃない。中学校にホンモノの鶴なんているはずないんだもん」
「うーん、もっと探してみましょうよ――」
 咲葉が部屋の端のロッカーを開けた。
 中にあったのは紙袋。その袋を覗いて咲葉は微笑んだ。
「あ、ひょっとして、これかも」
「?」
 中央の机に取りだして並べる。某お菓子メーカーのクッキーバーだ。味は2種類、クルミ味とクランベリー味。それぞれ五本づつ入っていた。咲葉はクランベリー味をより分けると一つ一つ裏側を確認した。
「――と思ったのに、残念、私の推理も間違ってた。ごめんなさい」
 お菓子の裏面には全て黒のマジックで〈ハズレ〉と記入してあった。都留先生の椅子に貼ってあったのと同じ筆跡だ。
「エー、私、全然わかんない。何がどうしたの? 最初から教えてよ」
 目をまん丸くしている東子に咲葉は解説する。
「鶴って英語でクランっていうのよ。クランベリーは鶴の実ってこと。だから、クランべリー味のお菓子のに伝言が記してあるかと私は推理したの」
 拍手喝采する東子。
「おお、さすが、これぞ帰国子女の底力! 私のこと褒めてくれたけど、咲葉の推理力も凄いよ!」
「でも、外れちゃったけどね」
 最初の謎で行き詰まっている二人だった。
「あーあ、こんなんじゃ私たち、推理部入部資格ないのかな――うん?」
 溜息をついたまま東子の動きが止まった。その視線の先には顧問の先生の残した紙片――
「なんてこと! 灯台もっと暗し。シンプルに考えればよかったのよ! 答えはここにあった!」
「それを言うなら〈灯台もと暗し〉よ、東子ちゃん。でも、見つけた〈答〉って何?」
「これよ!」
 東子は紙片の上に置かれたオリガミから一つ、つまみあげた。折り鶴――鶴だ!
 そぅっと開くと内側・・に第2の謎が記されていた。

 〈 お見事! でも謎はこれで終わりではない。
   次の謎はこれだ。
   
   『開くと見えなくなり、
    閉じると見える場所に隠された伝言を探し出せ』 〉

「なに、この手の込み方! さすが推理部の顧問だけのことはある」
 東子と咲葉、二人の謎解きは続く。

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