8 / 40
宝さがし8
しおりを挟む「申し訳ありません。私の読み違えでした」
両手をつがえて頭を下げる御様御用人山田浅右衛門に向井家の姫は同様に深く頭を下げ返した。
「謝るのは私の方です。この二日間、本当にありがとうございました」
さばさばした顔で安宅は言った。
「やるべきことは全てやりました。宝を探り当てられなかったのは私の力不足です。皆様のご協力に心から感謝しています。そして――」
凛々しい面差しで一同を見回す。
「楽しい体験でした。私は皆様と過ごした日々を生涯忘れることはないでしょう」
「俺たちも、貴重な体験をさせてもらったぜ。向井の姫様流に言うならよ」
帰り道、感慨深く呟く久馬だった。
「だったら、全てわっちのおかげですね! イテッ、殴らないでくださいよ、昨夜、姉貴にイヤって程叩かれたんだから。傷に響きます」
「フン、さてと、腹がすいたな。ここは皆の頑張りを労って打ち上げ会と行こう。振出しに戻って、お梅のとこで喰いそびれた鰻はどうだい、浅さん?」
「いいな」
今回は、鮮やかに謎を解き一件落着とはならなかった浅右衛門。心なしかしょげて見える。傍らで、殊更お道化て竹太郎が端唄を歌い出した。
「♪池は空っぽ、宝は出ずにドウショウ~ならば泥鰌のその代わり~昼は鰻でうさばらし~ハァぜひともぜひとも」
「美味い! やっぱり噂通りここの鰻は最高だな!」
お江戸一番と人気の日本橋は草加亭の座敷で舌鼓を打つ久馬、浅右衛門、竹太郎。
三人は一旦それぞれの自邸へ戻り町医者とその助手、そして池浚え人の装束を着替えて来た。久々に平生の自分の姿に戻って味わう鰻は格別の味だ。
「ほんとにね、美味いや! 人気の浮世絵師に宣伝の絵を描かせるだけのことはある――」
座敷に置いてあった団扇で胸元に風を送り、また一口、至福の顔で鰻を頬張る竹太郎。店が特注して作らせたその団扇には歌川国芳『春の虹蜺』とある。
「お、国芳か! 猫もいいが女人の絵もいいねぇ」
竹太郎から団扇を捥ぎ取って久馬、
「鰻の串を手にした美人の、ふっくらした唇がまた色っぽいったらない。でもよ、浅さん、どうしてこの絵の題は『鰻』じゃなくて小難しい『春の虹ナントカ』なんだい?」
いつも口数は少ないが今日は一層無口な友に久馬は問いかけた。その屈託のない声に思わず浅右衛門は顔を上げる。
思えば初めて出会った日の笑顔もこれだった。
小伝馬町の牢屋敷の仄暗い榎の下で待っていて、いきなり声を掛けて来た駆け出しの同心。
十三の歳から咎人の首を打って来た、それが生業の自分にわざわざ礼を言ったのはこの男が初めてだった。
あれ以来、照る日曇る日時雨れる日、一緒に歩いて来たがこの男の笑顔は変わらないのだなぁ……
その変わらぬ笑顔で久馬は言った。
「上手くいかないこともあるさ、浅さん。今回、一回くらい謎を外したからってくよくよしなさんな」
「まったくだ。黒沼の旦那なんて、人生上手くいかないことだらけなんだから」
「そうそう――って、なんだと!」
「虹のことさ」
いきなりの言葉に、拳を振り上げた同心も避けようと頭を抱えた戯作者見習いもそのまま動きを止めて吃驚して首打ち人を振り返る。
「この絵の題は春のコウゲイと読む、コウゲイとは虹のことさ。古来唐人は虹を竜と考えていた。牡は〈虹〉牝は〈蜺〉。二匹揃って虹となる」
鰻屋の座敷の窓から浅右衛門は真っ青に晴れあがった空を眺めた。
「夏に向かう七十二侯の今時分は〈虹始見〉に当たる日と言われている。どんどんお日様の光が強くなって虹がくっきり見え出すこの季節に、旬の物、鰻は縁起がいい。吉祥尽くしってことで、ほら、鰻に齧り付こうとした美人が振り向く先には虹が描かれているのだ。女は虹を見ているのさ」
「ほんとだ、目線の先に虹がある。美人は虹の射す方を見ているのか!」
「たった一枚の絵に込められた様々な意味……いやぁ、なんでもご存知ですねぇ、山田様は」
「待てよ」
見つめる目線の先……虹の射す方を見る……
――この時計いつの頃からか二時で止まっていて時刻は計れません。
「あ!」
浅右衛門は箸を置いて立ち上がった。
「行こう、久さん」
「行くって、何処へ? 俺は鰻をお代わりするつもりなんだが」
「向井邸へ戻ろう。今度こそ宝を見つけることができるかもしれない」
三人は海賊屋敷へ走った。やっと門が見えた、と思った矢先、そこから飛び出して来た一つの影があった。
「篠田さん?」
「これは、山田様、黒沼様、思惟竹殿まで?」
「宝の隠し場所の件で、気がついたことがあって戻って来たのですが――」
再訪の理由を告げる浅右衛門がここで言葉を切った。篠田の顔が尋常ではない。
「どうしました、篠田さん? 何かあったのですか?」
「姫が――安宅姫が拉致されましたっ」
「なんだと!」
叫んだのは久馬だ。声を荒げた同心に篠田は急き込んで詳細を告げる。
「皆さんが引き上げられた後、姫は大庭と道場に向かいました。私は後片付けや上役用人の加地様への報告を済ませてから後を追うつもりでいたところ、たった今、偶然その場を遠目に見たと云う道場仲間が知らせに来て――」
その道場仲間は駆けに駆けてこれを伝えた後、白目を剥いて卒倒し、今、家中の者が介抱しているとのこと。
「ともかく――私は現場へ向かいます」
「私たちも一緒に行きます」
「場所は何処でえ?」
「下谷広小路前の三橋――」
※作中の団扇絵は現存し、見ることができます。
興味のある方は〈歌川国芳 春の虹げい〉で画像検索してみてください。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す
矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。
はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき……
メイドと主の織りなす官能の世界です。
和ませ屋仇討ち始末
志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。
門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。
久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。
父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。
「目に焼き付けてください」
久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。
新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。
「江戸に向かいます」
同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。
父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。
他サイトでも掲載しています
表紙は写真ACより引用しています
R15は保険です
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。