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第五章「盲愛の寺」
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そして二月一日、待ちに待った報せが入る。
木曾義昌が、人質として弟義豊を送ってきた ―― 義昌の寝返りが確実となった。
これに激怒した武田勝頼は、人質として預かっていた義昌の母、側室、嫡男千太郎、長女岩姫を処刑し、従弟の武田信豊を大将として一万の兵で討伐に向かわせる。
対して殿は、関東から北条氏政、駿河から徳川家康、飛騨から金森長近、そして伊那から信忠・信長で進軍するように陣触れを出す。
待ってましたとばかりに、信忠は森長可と団忠正を先陣として木曾・岩村口から信濃へと侵攻させた。
六日には、伊那の滝ガ沢を守っていた敵将下条信氏が、家臣下条氏長に追い出され、氏長は織田側に寝返り、河尻秀隆らを迎い入れた。
一方の雑賀では、織田信張の活躍が目覚しく、立て籠もっていた土橋守重の館を攻略、そのまま城代として入城した。
九日、殿は武田家討伐に際して、諸将に大号令をかける。
「此度は、織田家の行く末、いやこの大八洲島の行く末を決める大戦、一片たりとも油断はならぬ。織田が武田と戦をしているのをよいことに、貧乏公方らがまた何やら仕掛けてくるやもしれん。諸将には、ゆめゆめ怠りなく手柄に励めるように、儂から触れを出す。太若丸、よくよく書付けい!」
文机を持ち出し、殿の言うことを書きつけていく。
「まずは、ひとつ、儂の出陣にあっては、大和勢をもってする。陽舜房殿には、そのつもりでよくよく仕度をなせと。ただし、高野山に近い武将は残し、吉野口を警戒させよ。ひとつ、河内連判衆は、烏帽子形、高野山、雑賀を警戒せよ。ひとつ、和泉一国は、紀伊に警戒せよ。ひとつ、山城守を双名島に遣わす」
三好康長を四国に向かわせるということは、やはり長曾我部には四国をやらぬということか………………
「ひとつ……、どうした、太若丸、手が止まっておるぞ」
申し訳ございませぬと、筆を動かす。
「ひとつ、摂津は勝三郎(池田恒興)を留守居役とし、息子ら二人(元助・照政)を出陣させよ。あとは……、瀬兵衛(中川清秀)も出陣せよ、あと……、多田も出陣させよ。それから、上山城衆も、出陣の仕度を油断なく」
そのまま書きつけていく。
「儂らの目が東を向いておる間に、西国が動くやもしれぬ、〝猿〟には、その目ん玉をよくよく見開き、中国の警戒にあたるよう、もし怠れば、その首を掻き斬るぞと」
流石に、首云々は省略しよう。
「丹後からは、与一郎(長岡(細川)藤孝)の息子(忠興)を、また一色も出陣させ、留守居役として与一郎が備えよ」
そこまで言うと、殿はすっと息を吸って、
「十兵衛にも、出陣の仕度をせよと」
十兵衛にも、出陣の命が下った。
ただし、遠国のため、お供の数は少なめにとのことである。
戦をするというよりは、あくまで殿のお供のようだ。
けれども、いつ戦になってもいいように、精鋭を連れていけと、太若丸は書きしたためた。
殿は、滝川一益、河尻秀隆、毛利長秀、水野直盛、水野忠重らを信忠のもとに送ると、十二日、信忠はそれらを引き連れ、岐阜を出陣。
「三位中将様は、十二日には土田に、翌十三日には高野に、そして本日辺りには岩村に着陣されるとのことです」
使番の報せに、殿は嬉しそうに頷いた。
「また、信州松尾の小笠原掃部大夫(信嶺)にも内通するように働きかけており、早々に良き返事があるのではとのこと」
「上々、上々、敵方の抵抗もなく、順調に進んでおるようで何より。ただ、ゆめゆめ怠るなと、勘九郎には十分申し付けよ」
「承知いたしました」
「それと、逸る気持ちはあろうが、決して深入りはせず、伊予(滝川一益)らのいうことをようよう聞いて働くようにと」
「承りました」
と使番が出ていくと同時に、小姓が血相を変えて飛び込んできた。
「東の山が、何やらおかしゅうございます」
何事かと天守の窓から覗いてみれば、確かに東の山際に黒煙が棚引いていた。
「何事か? 戦か? 敵襲か? すぐに調べさせよ」
すぐさま馬廻りのもの数人が飛び出していったが、近隣で戦は起きていないようだし、敵の襲来でもないようだ。
百姓連中が、野焼きをしているわけでもなさそうである。
ことは、遥か東のほうで起こっているようだ ―― 真相が分かったのは、翌日である。
「聞き及びまするに、浅間山より火や煙が立ち上がっているとのこと」
「まことか?」
「響談の探りによりますると、浅間山の斯様な有様に、甲斐では上も下も、我が主が天から見捨てられたのではないかと大騒ぎとのこと」
「しめた!」
と、殿は嬉しそうに、膝を叩いた。
「恐らく、この様子を見たのでござりましょう。小笠原掃部大夫も、松尾を明け渡すとのこと、団、森の両名が接収に向かいました」
「上出来、上出来! 見たか、太若丸、乱丸、天も儂に味方したぞ! やはり、儂は神じゃ」
殿は、安土に響き渡るほど高らかに笑った。
天が殿に味方したかどうかは、吾には分からない。
だが、明らかにこのときより、潮流が変わった。
先陣の団忠直、森長可両名は、妻子口から晴南寺へ進軍、木曾峠から梨子野峠へと進むと、寝返った小笠原信嶺と合流し、先へ先へと進んだ。
息子のことが心配なのか、様子を見てこいと殿が放っていた聟と犬という二人の小者が戻ってきて話すには………………、
「これを見た飯田の城将坂西(坂西織部)、保科(保科正直)は夜半に退去、森殿がこれを三里も追撃し、敵方十騎ほど討ち取りました」
「うむ、天晴じゃ! 流石は鬼武蔵! 此度の戦で先鋒に添えただけはある、よくよく活躍してくれる。のう、乱丸」
兄の活躍を聞いた乱は、ひどく嬉しそうだ。
「続いて十六日には、鳥居峠で木曾殿、遠山殿(遠山友忠・友政親子)らが今福(今福昌和)を総大将とする敵方と交戦、織田源五様(のちの有楽斎)率いる連枝衆や稲葉殿(貞通)らが加勢し、これを撃破、四十余りの首を討ち取りました」
「上々!」
「木曾殿らは、鳥居峠に布陣したまま、深志に立て籠もる馬場(馬場昌房)と対峙しておりまする」
「うむ、して……、勘九郎の様子はどうか?」
「はっ、殿(信忠)率いる本隊は、岩村から平谷へと陣を進め、翌日には飯田に入城。近くの大島には日向(日向宗栄)、小原(小原継忠)、武田(信廉)、安中(安中景繁)らが籠っておりましたが、殿のご威光に恐れ、退去。殿は、大島に河尻殿、毛利殿を入れ、団殿、森殿、小笠原殿にはさらに奥の飯島へと進み出るよう命を下されました」
殿は、嬉しそうに、うんうんと頷いている。
「うむ、勘九郎のやつ、なかなか良き次第である」
東海、関東からも喜ばしい報せが続々と届く。
徳川家康は、宿敵武田家とのこれが最後の決戦と出陣、このころには敵方も続々と寝返り、家康は難なく南信濃まで侵出した。
なかでも一番の功績は、武田家の重臣梅雪斎不白(穴山信君)を懐柔したことである。
遠江の警護として駿河の江尻にいた梅雪は、甲斐の府中に人質として送っていた妻子を救い出すと、そのまま徳川方へ寝返ったそうだ。
さらに、如月の終わりには北条氏政も進み出て、駿河の戸倉、三枚橋を次々と落ちしていった。
弥生に月が変わって初日、信忠は飯島から出馬、天竜川を越えて貝沼原まで進み出て、武田勝頼の異母弟である仁科盛信が立て籠る高遠に対峙するように着陣した。
ちなみに仁科信盛は、信忠の婚儀を約して反故になった松姫とは母を同じくする兄である。
その同情があったのか、それとも高遠が堅牢な山城で、これを落とすには多大なる犠牲がでると思ったのか、信忠は、近くの僧侶に城を明け渡せば命は取らぬという書状とともに黄金も持たせ、盛信のもとへ送ったらしい。
だが、盛信はこれを拒否し、僧侶の耳と鼻を削いで送り返してきたとか。
ならばと、信忠は小笠原信嶺を道案内に、夜陰に紛れて森長可、団忠直、河尻秀隆、毛利長秀を城の大手門まで進ませ、明けて早朝、総攻撃を開始した。
大手口からの攻撃に加え、信忠も自ら搦手口へと駆け上がり、柵を破って塀に上ると、『一気に突き崩せ!』と大号令を下し、自ら敵陣へ、これに遅れまいと小姓や馬廻りも我先にと飛び込み、敵味方入り乱れての大激戦となった。
織田勢が数と勢いにものをいわせて押し寄せると、一方の城方は、ここが死に地と自らの妻子を刺し殺し、戦場へと飛び出てくる。
諏訪頼辰の妻などは抜き身をふるっての大立ち回り、若衆らも弓を射かけてくるが、それが尽きると刀を抜いて切り込んでくる。
まさに、城を挙げての大戦となった。
木曾義昌が、人質として弟義豊を送ってきた ―― 義昌の寝返りが確実となった。
これに激怒した武田勝頼は、人質として預かっていた義昌の母、側室、嫡男千太郎、長女岩姫を処刑し、従弟の武田信豊を大将として一万の兵で討伐に向かわせる。
対して殿は、関東から北条氏政、駿河から徳川家康、飛騨から金森長近、そして伊那から信忠・信長で進軍するように陣触れを出す。
待ってましたとばかりに、信忠は森長可と団忠正を先陣として木曾・岩村口から信濃へと侵攻させた。
六日には、伊那の滝ガ沢を守っていた敵将下条信氏が、家臣下条氏長に追い出され、氏長は織田側に寝返り、河尻秀隆らを迎い入れた。
一方の雑賀では、織田信張の活躍が目覚しく、立て籠もっていた土橋守重の館を攻略、そのまま城代として入城した。
九日、殿は武田家討伐に際して、諸将に大号令をかける。
「此度は、織田家の行く末、いやこの大八洲島の行く末を決める大戦、一片たりとも油断はならぬ。織田が武田と戦をしているのをよいことに、貧乏公方らがまた何やら仕掛けてくるやもしれん。諸将には、ゆめゆめ怠りなく手柄に励めるように、儂から触れを出す。太若丸、よくよく書付けい!」
文机を持ち出し、殿の言うことを書きつけていく。
「まずは、ひとつ、儂の出陣にあっては、大和勢をもってする。陽舜房殿には、そのつもりでよくよく仕度をなせと。ただし、高野山に近い武将は残し、吉野口を警戒させよ。ひとつ、河内連判衆は、烏帽子形、高野山、雑賀を警戒せよ。ひとつ、和泉一国は、紀伊に警戒せよ。ひとつ、山城守を双名島に遣わす」
三好康長を四国に向かわせるということは、やはり長曾我部には四国をやらぬということか………………
「ひとつ……、どうした、太若丸、手が止まっておるぞ」
申し訳ございませぬと、筆を動かす。
「ひとつ、摂津は勝三郎(池田恒興)を留守居役とし、息子ら二人(元助・照政)を出陣させよ。あとは……、瀬兵衛(中川清秀)も出陣せよ、あと……、多田も出陣させよ。それから、上山城衆も、出陣の仕度を油断なく」
そのまま書きつけていく。
「儂らの目が東を向いておる間に、西国が動くやもしれぬ、〝猿〟には、その目ん玉をよくよく見開き、中国の警戒にあたるよう、もし怠れば、その首を掻き斬るぞと」
流石に、首云々は省略しよう。
「丹後からは、与一郎(長岡(細川)藤孝)の息子(忠興)を、また一色も出陣させ、留守居役として与一郎が備えよ」
そこまで言うと、殿はすっと息を吸って、
「十兵衛にも、出陣の仕度をせよと」
十兵衛にも、出陣の命が下った。
ただし、遠国のため、お供の数は少なめにとのことである。
戦をするというよりは、あくまで殿のお供のようだ。
けれども、いつ戦になってもいいように、精鋭を連れていけと、太若丸は書きしたためた。
殿は、滝川一益、河尻秀隆、毛利長秀、水野直盛、水野忠重らを信忠のもとに送ると、十二日、信忠はそれらを引き連れ、岐阜を出陣。
「三位中将様は、十二日には土田に、翌十三日には高野に、そして本日辺りには岩村に着陣されるとのことです」
使番の報せに、殿は嬉しそうに頷いた。
「また、信州松尾の小笠原掃部大夫(信嶺)にも内通するように働きかけており、早々に良き返事があるのではとのこと」
「上々、上々、敵方の抵抗もなく、順調に進んでおるようで何より。ただ、ゆめゆめ怠るなと、勘九郎には十分申し付けよ」
「承知いたしました」
「それと、逸る気持ちはあろうが、決して深入りはせず、伊予(滝川一益)らのいうことをようよう聞いて働くようにと」
「承りました」
と使番が出ていくと同時に、小姓が血相を変えて飛び込んできた。
「東の山が、何やらおかしゅうございます」
何事かと天守の窓から覗いてみれば、確かに東の山際に黒煙が棚引いていた。
「何事か? 戦か? 敵襲か? すぐに調べさせよ」
すぐさま馬廻りのもの数人が飛び出していったが、近隣で戦は起きていないようだし、敵の襲来でもないようだ。
百姓連中が、野焼きをしているわけでもなさそうである。
ことは、遥か東のほうで起こっているようだ ―― 真相が分かったのは、翌日である。
「聞き及びまするに、浅間山より火や煙が立ち上がっているとのこと」
「まことか?」
「響談の探りによりますると、浅間山の斯様な有様に、甲斐では上も下も、我が主が天から見捨てられたのではないかと大騒ぎとのこと」
「しめた!」
と、殿は嬉しそうに、膝を叩いた。
「恐らく、この様子を見たのでござりましょう。小笠原掃部大夫も、松尾を明け渡すとのこと、団、森の両名が接収に向かいました」
「上出来、上出来! 見たか、太若丸、乱丸、天も儂に味方したぞ! やはり、儂は神じゃ」
殿は、安土に響き渡るほど高らかに笑った。
天が殿に味方したかどうかは、吾には分からない。
だが、明らかにこのときより、潮流が変わった。
先陣の団忠直、森長可両名は、妻子口から晴南寺へ進軍、木曾峠から梨子野峠へと進むと、寝返った小笠原信嶺と合流し、先へ先へと進んだ。
息子のことが心配なのか、様子を見てこいと殿が放っていた聟と犬という二人の小者が戻ってきて話すには………………、
「これを見た飯田の城将坂西(坂西織部)、保科(保科正直)は夜半に退去、森殿がこれを三里も追撃し、敵方十騎ほど討ち取りました」
「うむ、天晴じゃ! 流石は鬼武蔵! 此度の戦で先鋒に添えただけはある、よくよく活躍してくれる。のう、乱丸」
兄の活躍を聞いた乱は、ひどく嬉しそうだ。
「続いて十六日には、鳥居峠で木曾殿、遠山殿(遠山友忠・友政親子)らが今福(今福昌和)を総大将とする敵方と交戦、織田源五様(のちの有楽斎)率いる連枝衆や稲葉殿(貞通)らが加勢し、これを撃破、四十余りの首を討ち取りました」
「上々!」
「木曾殿らは、鳥居峠に布陣したまま、深志に立て籠もる馬場(馬場昌房)と対峙しておりまする」
「うむ、して……、勘九郎の様子はどうか?」
「はっ、殿(信忠)率いる本隊は、岩村から平谷へと陣を進め、翌日には飯田に入城。近くの大島には日向(日向宗栄)、小原(小原継忠)、武田(信廉)、安中(安中景繁)らが籠っておりましたが、殿のご威光に恐れ、退去。殿は、大島に河尻殿、毛利殿を入れ、団殿、森殿、小笠原殿にはさらに奥の飯島へと進み出るよう命を下されました」
殿は、嬉しそうに、うんうんと頷いている。
「うむ、勘九郎のやつ、なかなか良き次第である」
東海、関東からも喜ばしい報せが続々と届く。
徳川家康は、宿敵武田家とのこれが最後の決戦と出陣、このころには敵方も続々と寝返り、家康は難なく南信濃まで侵出した。
なかでも一番の功績は、武田家の重臣梅雪斎不白(穴山信君)を懐柔したことである。
遠江の警護として駿河の江尻にいた梅雪は、甲斐の府中に人質として送っていた妻子を救い出すと、そのまま徳川方へ寝返ったそうだ。
さらに、如月の終わりには北条氏政も進み出て、駿河の戸倉、三枚橋を次々と落ちしていった。
弥生に月が変わって初日、信忠は飯島から出馬、天竜川を越えて貝沼原まで進み出て、武田勝頼の異母弟である仁科盛信が立て籠る高遠に対峙するように着陣した。
ちなみに仁科信盛は、信忠の婚儀を約して反故になった松姫とは母を同じくする兄である。
その同情があったのか、それとも高遠が堅牢な山城で、これを落とすには多大なる犠牲がでると思ったのか、信忠は、近くの僧侶に城を明け渡せば命は取らぬという書状とともに黄金も持たせ、盛信のもとへ送ったらしい。
だが、盛信はこれを拒否し、僧侶の耳と鼻を削いで送り返してきたとか。
ならばと、信忠は小笠原信嶺を道案内に、夜陰に紛れて森長可、団忠直、河尻秀隆、毛利長秀を城の大手門まで進ませ、明けて早朝、総攻撃を開始した。
大手口からの攻撃に加え、信忠も自ら搦手口へと駆け上がり、柵を破って塀に上ると、『一気に突き崩せ!』と大号令を下し、自ら敵陣へ、これに遅れまいと小姓や馬廻りも我先にと飛び込み、敵味方入り乱れての大激戦となった。
織田勢が数と勢いにものをいわせて押し寄せると、一方の城方は、ここが死に地と自らの妻子を刺し殺し、戦場へと飛び出てくる。
諏訪頼辰の妻などは抜き身をふるっての大立ち回り、若衆らも弓を射かけてくるが、それが尽きると刀を抜いて切り込んでくる。
まさに、城を挙げての大戦となった。
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