458 / 498
第五章「盲愛の寺」
71
しおりを挟む
内蔵助がすっきりとした顔で戻ってくると、また酒を飲み飲み、赤子の自慢が始まった。
そこに、伝五や左馬助がちゃちゃを入れたりしている。
終始和やかな雰囲気であったが、庄兵衛が徐に口を開いた。
「十兵衛殿、何事がありましたか?」
庄兵衛だけ、沈んだような顔の十兵衛に気が付いていたようだ。
「ん? うむ……」
と、深刻そうな顔をする。
「どうした十兵衛?」
と、左馬助が訊ねると、十兵衛は重たい口を開いた。
「実のところ……、四国の一件は良い返事をもらえなんだ」
「なに?」、内蔵助は顔を曇らせる、「どういうことです?」
十兵衛が話づらそうだったので、代わりに太若丸が答えた。
こういことだ ―― 十兵衛が、元親の献上品を披露すると、殿は大層機嫌よくこれを受け取られた。
『それでは、双名洲は長宗我部殿に好きなように差配させまするが、よろしきや?』
との十兵衛の問いに、
『構わぬ』
と、殿は献上された鷹を嬉しそうに眺めながら答えた。
これで、四国は元親が好きに差配するというお墨付きを得た………………と、十兵衛も、太若丸も、その場にいた菅屋頼長ら近習らもそう思った。
『それでは次に……』
と、十兵衛が差配する坂本や丹後についての近況を話し、それではこれでと腰を上げようとしたところで、
『十兵衛、先ほど、何というたか?』
『先ほど?』
どのことだろうと、十兵衛が頭を捻る。
『坂本の一件? 亀山? 丹波ですかな? 違う?』
『四国じゃ、四国。長宗我部に、四国をどうとか?』
『はあ………………』、そんな前の話かと思いながらも答えた、『四国の差配は長宗我部殿に………………』
『ならん』
言われた意味が分からず、珍しく十兵衛がきょとんとしていた。
『ならん……とは?』
『長宗我部に任せるのは、ならん』
と、殿は首を左右に振った。
「何故?」、内蔵助がひどく驚いている、「〝四国切り取り〟を許すというたのは、大殿ではなかったですか?」
土佐を配下に置いた元親は、四国へと覇権を広げるにあたり、将軍家に代わって天下(畿内周辺)を抑えている信長に〝四国切り取り〟の一件を伺っている。
戦場では鬼若子とか、土佐の出来人とか呼ばれ、槍一本を持って先陣を馳せる豪胆の持ち主であるが、政事には細やかな配慮を見せている。
恐らくは、縁者となった内蔵助や十兵衛の進言もあったのだろう。
元親の配慮に対して殿は、『四国切り取りを許す』と返事をしたそうだ。
「世の趨勢は織田家にある、そのため重々な配慮をすべきという儂らの意見も聞き入れ、嫡男の千雄丸にも大殿から諱ももらっておるのだぞ(長宗我部信親)。そこまでしておるのに、何をいまさら〝四国切り取り〟を反故にするか!」
内蔵助が怒るのも無理はない。
騙された奴が悪いのよ………………などという世の中だとしても、これはいただけない。
縁者だから、怒るのはなおのこと。
これを元親にそのまま報せれば、内蔵助は顔を潰されたも同然、十兵衛も泥を塗られたも同然である。
流石に、これには十兵衛も怒り………………、しかし殿に対してそういった態度はできないので、ぐっとこらえながらも、
『それは、流石に長宗我部殿が納得はしなでしょう』
と、少々強めの口調で言った。
『何故?』
『いや、何故と申されましても……、〝四国切り取り〟を約されて、これを反故にするは如何ほどか?』
『儂が? 〝四国切り取り〟を約したと? いつじゃ? そんなことあったか?』
と、殿は空とぼける。
「もう耄碌したか?」
と、伝五も厳しい口調で言う。
「ご老体、それは……」
と、庄兵衛が窘めた。
殿と十兵衛の話は続き………………十兵衛が、以前のことを話すと、『そういうこともあったかの?』と、本当に忘れていたようだった。
それとも、演技なのか?
『たとえそれを約したと言えども、いまは許さん』
『それは、あまりにもご無体な』
『何を言うか、四国が土佐(元親)のものになってみろ、面倒ではないか?』
『その際は、長宗我部殿に双名洲差配の御朱印を出されては………………』
『土佐に、四国全土を差配させる?』、殿はしばらく考えたのち、『いや、ひとりだけ力が強くなっては面倒だ。東と同様に ―― 北条、佐竹、宇都宮、武田に徳川と、それぞれが睨み合っておるほうが、織田家には都合が良かろう』
『いや、されど……』
『四国には、三好に河野がおったかの? そこで、お互いに睨み合わせておいた方が良い』
『恐れながら、三好は僅かに残った領地を維持するのが精いっぱいで、すでに長宗我部殿と対抗するほどの力はございませぬ。河野は毛利を後ろ盾として対抗しており、これを許すは毛利を許すも同様かと。やはり双名洲は、長宗我部殿に差配させたほうが宜しいかと』
殿は、しばらく考えていたが、『いや、やはり駄目じゃ』と首を振った。
そこに、伝五や左馬助がちゃちゃを入れたりしている。
終始和やかな雰囲気であったが、庄兵衛が徐に口を開いた。
「十兵衛殿、何事がありましたか?」
庄兵衛だけ、沈んだような顔の十兵衛に気が付いていたようだ。
「ん? うむ……」
と、深刻そうな顔をする。
「どうした十兵衛?」
と、左馬助が訊ねると、十兵衛は重たい口を開いた。
「実のところ……、四国の一件は良い返事をもらえなんだ」
「なに?」、内蔵助は顔を曇らせる、「どういうことです?」
十兵衛が話づらそうだったので、代わりに太若丸が答えた。
こういことだ ―― 十兵衛が、元親の献上品を披露すると、殿は大層機嫌よくこれを受け取られた。
『それでは、双名洲は長宗我部殿に好きなように差配させまするが、よろしきや?』
との十兵衛の問いに、
『構わぬ』
と、殿は献上された鷹を嬉しそうに眺めながら答えた。
これで、四国は元親が好きに差配するというお墨付きを得た………………と、十兵衛も、太若丸も、その場にいた菅屋頼長ら近習らもそう思った。
『それでは次に……』
と、十兵衛が差配する坂本や丹後についての近況を話し、それではこれでと腰を上げようとしたところで、
『十兵衛、先ほど、何というたか?』
『先ほど?』
どのことだろうと、十兵衛が頭を捻る。
『坂本の一件? 亀山? 丹波ですかな? 違う?』
『四国じゃ、四国。長宗我部に、四国をどうとか?』
『はあ………………』、そんな前の話かと思いながらも答えた、『四国の差配は長宗我部殿に………………』
『ならん』
言われた意味が分からず、珍しく十兵衛がきょとんとしていた。
『ならん……とは?』
『長宗我部に任せるのは、ならん』
と、殿は首を左右に振った。
「何故?」、内蔵助がひどく驚いている、「〝四国切り取り〟を許すというたのは、大殿ではなかったですか?」
土佐を配下に置いた元親は、四国へと覇権を広げるにあたり、将軍家に代わって天下(畿内周辺)を抑えている信長に〝四国切り取り〟の一件を伺っている。
戦場では鬼若子とか、土佐の出来人とか呼ばれ、槍一本を持って先陣を馳せる豪胆の持ち主であるが、政事には細やかな配慮を見せている。
恐らくは、縁者となった内蔵助や十兵衛の進言もあったのだろう。
元親の配慮に対して殿は、『四国切り取りを許す』と返事をしたそうだ。
「世の趨勢は織田家にある、そのため重々な配慮をすべきという儂らの意見も聞き入れ、嫡男の千雄丸にも大殿から諱ももらっておるのだぞ(長宗我部信親)。そこまでしておるのに、何をいまさら〝四国切り取り〟を反故にするか!」
内蔵助が怒るのも無理はない。
騙された奴が悪いのよ………………などという世の中だとしても、これはいただけない。
縁者だから、怒るのはなおのこと。
これを元親にそのまま報せれば、内蔵助は顔を潰されたも同然、十兵衛も泥を塗られたも同然である。
流石に、これには十兵衛も怒り………………、しかし殿に対してそういった態度はできないので、ぐっとこらえながらも、
『それは、流石に長宗我部殿が納得はしなでしょう』
と、少々強めの口調で言った。
『何故?』
『いや、何故と申されましても……、〝四国切り取り〟を約されて、これを反故にするは如何ほどか?』
『儂が? 〝四国切り取り〟を約したと? いつじゃ? そんなことあったか?』
と、殿は空とぼける。
「もう耄碌したか?」
と、伝五も厳しい口調で言う。
「ご老体、それは……」
と、庄兵衛が窘めた。
殿と十兵衛の話は続き………………十兵衛が、以前のことを話すと、『そういうこともあったかの?』と、本当に忘れていたようだった。
それとも、演技なのか?
『たとえそれを約したと言えども、いまは許さん』
『それは、あまりにもご無体な』
『何を言うか、四国が土佐(元親)のものになってみろ、面倒ではないか?』
『その際は、長宗我部殿に双名洲差配の御朱印を出されては………………』
『土佐に、四国全土を差配させる?』、殿はしばらく考えたのち、『いや、ひとりだけ力が強くなっては面倒だ。東と同様に ―― 北条、佐竹、宇都宮、武田に徳川と、それぞれが睨み合っておるほうが、織田家には都合が良かろう』
『いや、されど……』
『四国には、三好に河野がおったかの? そこで、お互いに睨み合わせておいた方が良い』
『恐れながら、三好は僅かに残った領地を維持するのが精いっぱいで、すでに長宗我部殿と対抗するほどの力はございませぬ。河野は毛利を後ろ盾として対抗しており、これを許すは毛利を許すも同様かと。やはり双名洲は、長宗我部殿に差配させたほうが宜しいかと』
殿は、しばらく考えていたが、『いや、やはり駄目じゃ』と首を振った。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる