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第四章「偏愛の城」
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太若丸は茶道具を片付け、濁酒の仕度をはじめた。
坊主なので濁酒は………………と、遠慮する順慶に、
『般若湯というありがたい水じゃぞ、飲めぬわけはあるまい?』
と、にやりと笑うので、順慶も苦笑するしかなかった。
太若丸は片付けながら、奇妙な視線に気が付く。
順慶を見ると、じっとこちらを見ている。
開いているのか、いないのか分からないほど細い目で、こちらをじっと見ている。
なんだか、幾分懐かしい。
そう、御山での視線………………あの頃向けられていた視線に似ている。
何か相手を蔑むような、己らとは違う生き物 ―― まるで知恵もない畜生を見るような、相手を卑下するような一種独特の視線である。
一見柔和な顔をしていた村の和尚も、御山の僧たちも、そしてこの順慶も、同じような目をしている。
見る人から見れば、慈愛の目らしいが………………
慣れているとはいえ、あまりにじっと見られているので、少々嫌な気分である。
この御仁、吾に何かあるのだろうかと思っていると、
「太若丸殿ですよね?」
声をかけてきた。
「惟任殿から聞いております」
不意に十兵衛の名が出てきたので不思議に思ったが、まあ十兵衛と順慶の仲を考えれば当然か。
十兵衛が放浪していたころ、順慶の父である順昭にはよく世話になったようだ。
一時期は、順昭の家来にという話もあったようだ。
その誼で、順慶が信長と接触したいと奔走していたとき、十兵衛自らその役を買ってくれ、斡旋しくれたとか。
「惟任殿には、ようようお世話になっております」
信長の命で十兵衛に出陣がかかると、たいていは順慶にも与力として参陣せよと命じられるらしく、互いに良き間柄らしい。
「惟任殿に云わせれば、裏切りなど武家の習わし、己が生き残るためならば、それもまた正義とか………………、大殿があれほど信を寄せていらっしゃる惟任殿ですから、まあ、云われることは分かるのですが………………、拙僧には聊か分かりえぬとこと、太若丸殿はそう思いになりませぬか?」
寺の稚児としての経験のある太若丸に、僧の考え方で共感を得ようと思ったのだろうが、如何せん、太若丸には僧の考えなど良く分からぬ。
むしろ、寺に籠り、厳しい戒律に生きると決心しながら、何かに理由をつけて女や稚児を抱き、酒を飲み、ときに肉も食らうのだから、僧の方がよっぽど分からぬ方々だと思う………………とは言えないので、吾にはそういったことは………………と、誤魔化した。
「まあ、何れにしろ、ようようお気を付けになったほうが宜しいかと………………」
やはり久秀をかなり警戒しているようだ。
承りました、御注進ありがとうございますと、殿の代わりに頭を下げた。
頃合いに、殿が戻ってきた。
すっきりしたのか、随分晴れやかな顔である。
「喜べ、陽舜房殿」
「何事かございましたか?」
「雑賀が頭を垂れてきよった」
「それは祝着至極にございます」
織田の大軍に囲まれた雑賀衆は、大坂や毛利からの助力もなく、進退窮まり、土橋守重、鈴木重秀、岡崎三郎大夫、松田源三大夫、宮本兵大夫、島本左衛門大夫、栗村二郎大夫の七名による連名で誓紙 ―― 今後本願寺には関わらず、織田に従う ―― を差し出してきた。
信長はこれを許し、佐野に砦を築かせ、城番として杉乃坊と織田信張を命じ、意気揚々と引き上げた。
坊主なので濁酒は………………と、遠慮する順慶に、
『般若湯というありがたい水じゃぞ、飲めぬわけはあるまい?』
と、にやりと笑うので、順慶も苦笑するしかなかった。
太若丸は片付けながら、奇妙な視線に気が付く。
順慶を見ると、じっとこちらを見ている。
開いているのか、いないのか分からないほど細い目で、こちらをじっと見ている。
なんだか、幾分懐かしい。
そう、御山での視線………………あの頃向けられていた視線に似ている。
何か相手を蔑むような、己らとは違う生き物 ―― まるで知恵もない畜生を見るような、相手を卑下するような一種独特の視線である。
一見柔和な顔をしていた村の和尚も、御山の僧たちも、そしてこの順慶も、同じような目をしている。
見る人から見れば、慈愛の目らしいが………………
慣れているとはいえ、あまりにじっと見られているので、少々嫌な気分である。
この御仁、吾に何かあるのだろうかと思っていると、
「太若丸殿ですよね?」
声をかけてきた。
「惟任殿から聞いております」
不意に十兵衛の名が出てきたので不思議に思ったが、まあ十兵衛と順慶の仲を考えれば当然か。
十兵衛が放浪していたころ、順慶の父である順昭にはよく世話になったようだ。
一時期は、順昭の家来にという話もあったようだ。
その誼で、順慶が信長と接触したいと奔走していたとき、十兵衛自らその役を買ってくれ、斡旋しくれたとか。
「惟任殿には、ようようお世話になっております」
信長の命で十兵衛に出陣がかかると、たいていは順慶にも与力として参陣せよと命じられるらしく、互いに良き間柄らしい。
「惟任殿に云わせれば、裏切りなど武家の習わし、己が生き残るためならば、それもまた正義とか………………、大殿があれほど信を寄せていらっしゃる惟任殿ですから、まあ、云われることは分かるのですが………………、拙僧には聊か分かりえぬとこと、太若丸殿はそう思いになりませぬか?」
寺の稚児としての経験のある太若丸に、僧の考え方で共感を得ようと思ったのだろうが、如何せん、太若丸には僧の考えなど良く分からぬ。
むしろ、寺に籠り、厳しい戒律に生きると決心しながら、何かに理由をつけて女や稚児を抱き、酒を飲み、ときに肉も食らうのだから、僧の方がよっぽど分からぬ方々だと思う………………とは言えないので、吾にはそういったことは………………と、誤魔化した。
「まあ、何れにしろ、ようようお気を付けになったほうが宜しいかと………………」
やはり久秀をかなり警戒しているようだ。
承りました、御注進ありがとうございますと、殿の代わりに頭を下げた。
頃合いに、殿が戻ってきた。
すっきりしたのか、随分晴れやかな顔である。
「喜べ、陽舜房殿」
「何事かございましたか?」
「雑賀が頭を垂れてきよった」
「それは祝着至極にございます」
織田の大軍に囲まれた雑賀衆は、大坂や毛利からの助力もなく、進退窮まり、土橋守重、鈴木重秀、岡崎三郎大夫、松田源三大夫、宮本兵大夫、島本左衛門大夫、栗村二郎大夫の七名による連名で誓紙 ―― 今後本願寺には関わらず、織田に従う ―― を差し出してきた。
信長はこれを許し、佐野に砦を築かせ、城番として杉乃坊と織田信張を命じ、意気揚々と引き上げた。
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