本能寺燃ゆ

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第三章「寵愛の帳」

119(了)

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 岐阜に戻られた早々、殿は自ら出馬の仕度をされていたのだが………………

「此度の戦は、某にお任せ下され」

 信忠が、しつこく言い寄ってきた。

「ならぬ、おぬしは当分戦場にでるな!」

「何故にござりまするか?」

「分からぬか!」、信長は使っていた脇息をどんと叩いた、「そういうところじゃぞ、おぬしの!」

「分かりませぬ!」

「分からぬじゃと? ならば、猶の事、戦場に出すわけにはいかん! 下がれ!」

「下がりませぬ!」

 珍しく信忠が反発する。

「おのれ! 儂の命に逆らうか! 太若丸、刀じゃ!」

 もしや、信忠を切るつもりでは?

 殿の命だが、流石にそればかりはと躊躇う。

 他の家臣たちも、「殿、そればかりは!」「しばらく、しばらくお待ちを!」と、止めに入った。

 家臣に促され、しばらくして落ち着いたのか、殿は深いため息を吐いた。

「奇妙よ、何故それほど戦に出たがる? 何を焦っておる? 儂は、おぬしがいつか死ぬのではないかと心配しておる。この親心が分からぬか?」

「某は、武士でございます。織田右大将の子でござりまする。戦場で死んで、何を恥じましょうぞ! むしろ、畳の上で死ぬことが恥!」

「おぬしは、織田の跡目ぞ」

「弟たちがおりまする、七兵衛も……」

 信忠の目じりが、うっすらと滲んでいる。

 もしや、己が殿に疎んじられていると思っているのか?

「うつけが!」、殿の声が城中に響き渡る、「そのような狭い料簡で、織田家をまとめることができると思うてか!」

「織田を継ぐつもりはございません」

「な、なにを?」

「某、松姫を嫁に迎えられねば、織田を継ぐつもりはございません」

「なにを………………」

 松姫とは、武田晴信の娘 ―― 織田が武田と同盟を結ぶ際に、信忠の嫁にすると約したが、これは晴信の西進で反故となった。

 信忠は、まだ松姫のことを想っていたのか………………一度も逢ったことがないのに………………

 殿も、家臣たちも、あまりのことに唖然としている。

「武田との和睦がならねば、を倒して、松姫を奪うまで!」

 信忠は、両目を滲ませ、頬を紅潮させてまでして訴える。

「ならぬ! おぬしには、儂が責任を以て良き家柄の嫁をとらせる!」

「己の嫁ぐらい! 己で決めまする!」

「ならぬ! そなたは織田の跡取りじゃ!」、殿は大声で言う、「よいか、みなの者、聞け! 織田の跡取りは、この奇妙……、いや、勘九郎である! 今日を限りに儂は隠居し、家督を勘九郎に譲る! よいな、みなの者、変わらず誠心誠意仕えよ!」

 家臣たちは、「ははぁ……」と頭を下げる。

 今度は、信忠の方が唖然としている。

 殿はしゃがみ込み、信忠の顔を覗き込むようにして優しい声で、

「勘九郎よ、儂は己の欲しいものは、己の力で奪ってきた、織田家の家督もな。女とて同じ。別に、嫁はひとりだけとは言っておらん。欲しくば、己で奪ってみよ。じゃが、何事も慎重でならねばならぬ、そちはもう、織田家の当主なのじゃからな」

 信忠は、しっかりと頷いた。

 ふと見ると、殿は父親の顔をされていた。

「それで殿、岩槻城は如何いたしょうぞ?」

 信長に促され、信忠は上座へとあがった。

「みなの者、出陣じゃ!」

 信忠は大将として岩村へと出撃。

 勝頼が援軍として駆け付ける前に、岩村城を攻略、河尻秀隆を城代としていれた。

 勝頼は、そのまま兵を退いたらしい。

 信忠は、意気揚々と岐阜へと凱旋した。

 この功績により、信忠は帝より秋田城介を賜る。

 十一月二十八日、信長は正式に家督を嫡男信忠に譲り、岐阜城を出た。

 それまで信長は様々な名物を貰っていたが、それさえも信忠に譲り、さらに尾張・美濃二国も譲って、己は茶道具だけを持って、佐久間信盛の屋敷へと移っていった。

 もちろん、小姓として太若丸も付き添った。

「ようやく、遊んで暮らせるわい」

 と、久しぶりに殿は、のんびりとした様子であった。

 太若丸も、屋敷に生える大きな桜の枝越しに曇り空を見上げながら、うんと背中を伸ばす。

 信長のもとに来て、三年余り。

 信長も隠居したので、これで太若丸もお役御免である。

 ようやく、十兵衛のもとに戻れる。

 寒々しい空ではあるが、実に清々しい気分だ。

 近々雪も降り始めるだろう。

 ただ、春が来るのが待ち遠し………………
  
   (第三章・了)
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