本能寺燃ゆ

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第三章「寵愛の帳」

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 わっと、ひと際大きな歓声が上がった。

 はっと我に返り、少年たちを見ると、決着がついたようだ。

 小姓のひとりが地べたに横たわっていた。

「ま、参りました!」

 奇妙は、全身に汗を掻き、荒々しい息をしていた。

「あっぱれ!」

 殿は、息子が勝って酷く喜んでいる。

 奇妙も、得意満面だ。

 小姓たちも、流石は奇妙様だと褒め称える。

 わざと負けたなと太若丸は思ったが………………

「さて、次は誰じゃ?」

 奇妙は、自信満々で見渡す。

 小姓たちは、次はお前だろうとお互いに目配せしている。

 負けるにも、なかなかコツがいるようで、下手にやると、信長からお叱りを受けるかもしれない。

 一方で、いま奇妙は疲れているので、間違えて勝ってしまうかもしれない。

 誰が、この難しい大役を受けるのか、小姓たちは互いにけん制し合っている。

 誰も名乗らないので、奇妙が、

「誰もおらぬのか? ならば、太若丸殿、いかがじゃ?」

 と、不意に振られて慌てた。

 ―― 吾が?

 相撲などとったことなどない。

 むしろ、体を使わない、傷をつけないような生活をしてきた。

 それに、人前で裸になるなど………………

 夜は、男たちと裸で戯れることがあっても ―― そのときも、着物はつけたままだ ―― 昼間に、人前で着物を脱ぐことなどありえない。

 というか、稚児としては、あるまじき行為である。

 躊躇っていると、

「太若丸、いけ!」

 と、信長も促す。

 殿の命は絶対だ。

 仕方がないと、諸肌を脱ぎ、奇妙の前に出た。

 他の小姓たちは、目を合わせて、くすくすと笑っている。

「なんだ、あの身体は」

「まるで女だな」

 と、ひそひそ声が聞こえてくる。

 恥ずかしい。

 仕方がないだろう、侍の子として生まれたわけでもなし、侍になるための修業をしてこなかった。

 百姓として生まれ、御山で観音菩薩の化身になるため、女になるために修業したのだから。

 一方の奇妙は、まるで山々を駆け巡る若鹿のような張りのある胸と腕である。

 腕には、稲妻のような筋が浮かび上がっており、男でも惚れするような身体だ。

 太若丸も、思わず見とれてしまった。

 奇妙は、しっかりと睨みつけてくる。

 それもまた、恥ずかしい。

「八卦よい! 残った!」

 奇妙が組み付いてくる。

 汗で滑った奇妙の肌が、しっとりと吸い付いてくる ―― 肉は固く、燃えるように熱い。

 奇妙の首筋からは、安仁や信長たちとは違った、若竹のような清々しい匂いが漂ってくる。

 ふうふうと、熱い鼻息が首筋に吹きかかる。

 擽ったい。

 恥ずかしさも相まって、身体をくねらせる。

「太若丸、しっかりと組め!」

「腰が引けてるぞ!」

「寝床のほうが良いか!」

 周囲の少年たちが声をあげ、笑いがおこる。

 そんなことを言われても、相撲などとったことがないのに………………

 奇妙は、太若丸を投げようとするのか、より身体を押し付けて、力を入れてくる。

 どうしていいか分からず、ただ身をくねらせる。

 と、不意に奇妙の身体ががくりと落ちた。

 片膝をついている。

 勝った………………ようだが、ありえないことで、太若丸だけでなく、周りの少年たちも唖然としていた。

「参った!」

 奇妙の情けなそうな声に、太若丸は思わず信長を見た。

 溺愛する息子に勝ってしまった。

 殿は、相当怒っているはずだ。

 だが、信長はけらけらと笑い、

「太若丸、見事!」

 と、褒められた。

「奇妙、まだまだ修行が足りんようじゃな、精進せい!」

 と、負けた奇妙にも優しく声をかける。

「それとも、早く女を貰うか?」

 信長は、怪しげに笑う。

 奇妙を見ると、少し腰を引いている。

 ああ、そいうことかと理解した。

 ともかく、機嫌が良くて、命拾いした。

 ほっと、安堵すると、

「よし、太若丸、今度は儂が相手をしよう」

 と、信長が諸肌を脱いで、庭に降りてきた。

 小姓たちは騒めいている。

 夜の相手ならともかく、相撲の相手をするなど、恐ろしさしかないのだが………………

 青ざめていると、ひとりの近習が駈けてきて、信長の耳元に何事が囁いた。

「なに?」

 信長の顔が急に厳しくなった。

 そのまま屋敷に入っていった。

 お陰で、命拾いした。
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