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第二章「性愛の山」
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お供に安覚を付け、久方ぶりに山を下りた。
その際、安寿から「あまり気負わないように」と言われた。
「そなたが交渉に失敗しても、それはそなたの責ではない。それもまた、仏の導き、御山の宿命ですから」
安寿は、手を合わせて、見送り出してくれた。
他の僧侶や、女子どもたちからは、何とか交渉に成功するようにという懇願するような目で見送られたが………………
下界の方が、妙に静かだった。
商人たちも、周辺の寺や山に上がっているようだ。
裏通りも死体が転がり、それに野犬や烏が群がっているだけで、人の姿は見えなかった。
老婆やおみよたちも、近くの山に上がっただろうか?
織田の陣に入ると、その辺の足軽を捕まえて、明智十兵衛光秀殿はいずれか、会いたいと告げた。
稚児が何の用かと、相手は訝しがったが、御山からの遣いである、訊かぬなら仏罰が下るぞと脅すと、慌てて足軽大将のもとに駆けていった。
仏の威光は、意外にも健在らしい。
太若丸の件は、足軽大将から更に侍大将に告げられ、出てくると、見知った顔だ。
相手は、明智左馬助秀満と名乗ったが、どう見ても三宅弥平次である。
名を変えたのだろう。
むかしの名で頭を下げると、
「権太……? 権太殿? まことに権太殿か? いやはや、これは驚いた」
懐かしそうに昔話を語りそうだったので、十兵衛殿に早急の話これあり、御山の一件であると、すぐに会わせてくれるように要求した。
弥平次こと左馬助は、戸惑いながらも十兵衛が陣を張る幕へと案内してくれた。
陣内には、太若丸だけが通された。
安覚は不安そうな顔をしていたが、大丈夫だと内に入った。
陣幕には、正面に甲冑を付けた武将が座り、左右に数人の侍が控えている。
太若丸の右側の先頭には左馬助が座り、左側の先頭には十兵衛の従弟である明智次右衛門がいた ―― これもまた、懐かしい顔である。
太若丸が頭を下げ、顔をあげると、正面の男はにこりと笑った。
―― ああ、会いたかった!
愛しい人だ。
立派な甲冑を付けてはいるが、あの女のような端正で、優しそうな顔つきは変わってはいない。
むしろ、男ぶりが上がって、見ていると胸が高鳴ってくる。
いまにも抱き着きたい衝動を抑え、挨拶をする。
「権太殿か? まことに久しい」
いまは太若丸だと名乗った。
「そうか、御山の稚児になられたか………………、して、村のほうは?」
これまでのいきさつを話すと、十兵衛は酷く驚いていた。
「左様でござったか、それはそれは………………、それで………………、おえい殿は?」
八郎が伴天連に売ると話していたと答えた。
十兵衛は、少々渋い顔をしている。
「うむ……、左様か……、まあ……、八郎なら大丈夫であろう」
何が大丈夫なのかは、尋ねなかった。
昔話はそこまでとなり、御山の話となった。
「それで、御山はそなたを遣いに寄越したのですか?」
頷く。
「稚児を? よりにもよって? 御山も気がふれましたか?」
十兵衛の言葉に、控えていた侍たちが笑った。
拙僧では不満かと問うと、十兵衛は困ったように笑う。
「太若丸殿が悪いわけではない。稚児に、そういった大事を背負わす御山の態度が気に食わないのです」
御山には恩義がある、これは己が言いだしたことだと伝えた。
「なるほど、殊勝な考えです。ですが、太若丸殿には悪いが、御山を焼き払うのは、殿のご命です。拙者がどうこうできる話ではありません」
ならば、弾正忠殿に会わせて欲しいという。
「それは出来かねまする」
十兵衛の顔が険しくなる。
そんな顔、今まで見たことがない。
「今更会ったところで、殿の心は変わらぬ。大体、このような事態を招いたのは、身から出た錆、御山側にある。さらに、稚児が遣いなどと分かれば、もっとご立腹されよう。今回のことは、女を山にあげたり、稚児と不埒な行為をしたり、肉や酒を食らって騒いだり、金儲けに走ったりと、そういった御山の乱れも、目に余るものがあり、酷くご立腹なされておられるのだ。それなのに、御山の遣いが稚児となれば、そなたの命もなかろうて。ここは、御山のことはあきらめなさい。太若丸殿は、拙者のほうで何とかお守りいたすので」
一瞬、十兵衛と一緒になれると思い、嬉しくなった。
が、首を振った。
十兵衛の傍にいることは夢だったが、御山にも義理がある。
己のことはどうでもいいので、織田信長に会わせて欲しいと強く言った。
そうしなければ、太若丸は安慈のような卑怯者になってしまう。
しばし、沈黙が続いたが、左馬助が口を開いた。
「十兵衛、一度殿に会わせてはどうだ? 見ると、権太……ではなく、太若丸殿の御山を思うお気持ち、なかなかご立派である。太若丸殿の話を聞けば、殿も気が変わるやもしれぬ。それに正直、拙者らも御山を焼くのは少々どころか、めっぽう気が引ける」
弥平次の部下の中には信心深い者も多く、寺を焼くと罰が当たると恐れている者が多いそうだ。
次右衛門も、
「拙者も、左馬助の通りだと思います。いくら殿の命だからといって、御山を焼くとは………………」
「気が小さい奴らだな」
と、十兵衛は苦笑いしていた。
しばし考えていたが、深いため息を吐き、「ならば一度会わせよう」と、約束してくれた。
「ただし、一度っきりですぞ」
その際、安寿から「あまり気負わないように」と言われた。
「そなたが交渉に失敗しても、それはそなたの責ではない。それもまた、仏の導き、御山の宿命ですから」
安寿は、手を合わせて、見送り出してくれた。
他の僧侶や、女子どもたちからは、何とか交渉に成功するようにという懇願するような目で見送られたが………………
下界の方が、妙に静かだった。
商人たちも、周辺の寺や山に上がっているようだ。
裏通りも死体が転がり、それに野犬や烏が群がっているだけで、人の姿は見えなかった。
老婆やおみよたちも、近くの山に上がっただろうか?
織田の陣に入ると、その辺の足軽を捕まえて、明智十兵衛光秀殿はいずれか、会いたいと告げた。
稚児が何の用かと、相手は訝しがったが、御山からの遣いである、訊かぬなら仏罰が下るぞと脅すと、慌てて足軽大将のもとに駆けていった。
仏の威光は、意外にも健在らしい。
太若丸の件は、足軽大将から更に侍大将に告げられ、出てくると、見知った顔だ。
相手は、明智左馬助秀満と名乗ったが、どう見ても三宅弥平次である。
名を変えたのだろう。
むかしの名で頭を下げると、
「権太……? 権太殿? まことに権太殿か? いやはや、これは驚いた」
懐かしそうに昔話を語りそうだったので、十兵衛殿に早急の話これあり、御山の一件であると、すぐに会わせてくれるように要求した。
弥平次こと左馬助は、戸惑いながらも十兵衛が陣を張る幕へと案内してくれた。
陣内には、太若丸だけが通された。
安覚は不安そうな顔をしていたが、大丈夫だと内に入った。
陣幕には、正面に甲冑を付けた武将が座り、左右に数人の侍が控えている。
太若丸の右側の先頭には左馬助が座り、左側の先頭には十兵衛の従弟である明智次右衛門がいた ―― これもまた、懐かしい顔である。
太若丸が頭を下げ、顔をあげると、正面の男はにこりと笑った。
―― ああ、会いたかった!
愛しい人だ。
立派な甲冑を付けてはいるが、あの女のような端正で、優しそうな顔つきは変わってはいない。
むしろ、男ぶりが上がって、見ていると胸が高鳴ってくる。
いまにも抱き着きたい衝動を抑え、挨拶をする。
「権太殿か? まことに久しい」
いまは太若丸だと名乗った。
「そうか、御山の稚児になられたか………………、して、村のほうは?」
これまでのいきさつを話すと、十兵衛は酷く驚いていた。
「左様でござったか、それはそれは………………、それで………………、おえい殿は?」
八郎が伴天連に売ると話していたと答えた。
十兵衛は、少々渋い顔をしている。
「うむ……、左様か……、まあ……、八郎なら大丈夫であろう」
何が大丈夫なのかは、尋ねなかった。
昔話はそこまでとなり、御山の話となった。
「それで、御山はそなたを遣いに寄越したのですか?」
頷く。
「稚児を? よりにもよって? 御山も気がふれましたか?」
十兵衛の言葉に、控えていた侍たちが笑った。
拙僧では不満かと問うと、十兵衛は困ったように笑う。
「太若丸殿が悪いわけではない。稚児に、そういった大事を背負わす御山の態度が気に食わないのです」
御山には恩義がある、これは己が言いだしたことだと伝えた。
「なるほど、殊勝な考えです。ですが、太若丸殿には悪いが、御山を焼き払うのは、殿のご命です。拙者がどうこうできる話ではありません」
ならば、弾正忠殿に会わせて欲しいという。
「それは出来かねまする」
十兵衛の顔が険しくなる。
そんな顔、今まで見たことがない。
「今更会ったところで、殿の心は変わらぬ。大体、このような事態を招いたのは、身から出た錆、御山側にある。さらに、稚児が遣いなどと分かれば、もっとご立腹されよう。今回のことは、女を山にあげたり、稚児と不埒な行為をしたり、肉や酒を食らって騒いだり、金儲けに走ったりと、そういった御山の乱れも、目に余るものがあり、酷くご立腹なされておられるのだ。それなのに、御山の遣いが稚児となれば、そなたの命もなかろうて。ここは、御山のことはあきらめなさい。太若丸殿は、拙者のほうで何とかお守りいたすので」
一瞬、十兵衛と一緒になれると思い、嬉しくなった。
が、首を振った。
十兵衛の傍にいることは夢だったが、御山にも義理がある。
己のことはどうでもいいので、織田信長に会わせて欲しいと強く言った。
そうしなければ、太若丸は安慈のような卑怯者になってしまう。
しばし、沈黙が続いたが、左馬助が口を開いた。
「十兵衛、一度殿に会わせてはどうだ? 見ると、権太……ではなく、太若丸殿の御山を思うお気持ち、なかなかご立派である。太若丸殿の話を聞けば、殿も気が変わるやもしれぬ。それに正直、拙者らも御山を焼くのは少々どころか、めっぽう気が引ける」
弥平次の部下の中には信心深い者も多く、寺を焼くと罰が当たると恐れている者が多いそうだ。
次右衛門も、
「拙者も、左馬助の通りだと思います。いくら殿の命だからといって、御山を焼くとは………………」
「気が小さい奴らだな」
と、十兵衛は苦笑いしていた。
しばし考えていたが、深いため息を吐き、「ならば一度会わせよう」と、約束してくれた。
「ただし、一度っきりですぞ」
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