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第一章「純愛の村」
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『義景殿自らが戦に出る必要はない。この儂が、織田ごとき蹴散らしてくれようぞ。たかが、尾張の守護代の癖をしおって!』
と、景鏡は啖呵を切ったらしい。
それをいえば、守護代であった織田が、主君である斯波氏の領国を奪い取る形になったのは、朝倉氏も同じだ。
お互い、自らの力で周辺地域を抑え、領国を平定した。
が、それは越前が七代目孝景、八代目氏景のとき、五、六十年前のこと、それ以降周辺諸国と小競り合いがあっても、一乗谷は平穏である。
一方の織田は、いままさに尾張平定を終え、さらには美濃まで進出してきた。
常在戦場の織田と日々平安の朝倉、どちらが勢いに勝るか。
それは義景自身が良く分かっているのか、
『織田と戦をしても、勝ち目はないと申すか?』
と、訊いてきたので、ないわけではないと答えた。
『ないわけではない? では、そなたなら、なんとする?』
『織田が強いのは、もちろん銭もあり、兵もよく鍛錬されておるのもありますが、一番は信長自身によるところが大きいです。いま正面からまともに遣り合えば、勝てますまい。が、隙がないわけではない。先ほども申しましたが、信長は戦好きなのか、常に先陣を切り、前へ前へと出ようとします。それは拠点となる城も同じ』
初めは那古野城にいたが、清州をとると清州城に移り、小牧をとると、小牧山城へと移り住んだ。
『稲葉山城を落としたということは、必ず稲葉山へと居を移してきます。となると、尾張の守りが甘くなる』
織田は、いま勢いに乗っている。
が、それは最前線のこと、城が前に前に出過ぎて、後詰めが弱くなっている。
『織田の銭は、いまのところ本貫の津島、そして熱田です。ここを叩いてしまえば、織田の財力は落ち、窮する』
『しかし、越前から尾張まで兵を出せば、我らの方が一乗谷などの守りが甘くなるのでは?』
今度は吉家が訊いてきた。
『確かに、越前から兵を出せばそうです。が、無理にここから兵を出さずとも、他から出してもらえば良いのでは?』
『他から? 何れからか?』
『例えば、今川……、先代の逆襲の機会を虎視眈々と狙っているはず。または、甲斐の武田か……、それとも伊勢の北畠、いまは手を組んではおりますが、三河の徳川……、京の三好や大和の松永、近江の浅井、六角などと手を結び、信長包囲網を作れば、勢いだけの織田です、自ら崩れていきましょう。そのためには、上からのお墨付きというか、一致団結して織田を放逐せよという書面みたいなもんがほしいですな。例えば、将軍からのとか』
『しかし、将軍はいま……』
空席である。
『いらっしゃるではないですか、越前に』
『義秋殿か? しかし……』
十三代将軍義輝の弟、足利義秋は幼いころに寺に入り、覚慶と名乗っていたが、永楽の変で兄が憤死すると、次の将軍にと還俗して義秋と名乗り、有力な武将を頼って各地を転々とし、義景や越後の上杉氏を鼓舞して上洛の機会を狙っていた。
立場としては、三好三人衆が推す阿波の義栄よりも、宗家である義秋のほうが本筋であり、将軍に近い。
義景が義秋を推し立てて上洛すれば、三好三人衆も靡かないはずがない。
というのが、義秋の意見であるが、なぜか義景は腰を上げない。
もちろん、加賀の一向宗や美濃の斎藤氏が周囲にいて動きづらいというのはあったのだが、それにしても勿体ないことであるという声も、家臣団の中から出てきていた。
が、大半の一門衆、家臣団の考えは、自分たちの生活基盤である越前を守ることが重要で、そんなどこの馬の骨とも分からない ―― とは言っても、十三代将軍の弟なのだが、彼を将軍にするために畿内まで行って三好勢と戦をする気など毛頭なかった。
それは義景自身も同じで、彼からしてみれば、応仁の乱から続く戦乱で荒廃した京など何の魅力もない。
この一乗谷こそが、花の都なのだ。
それに、義景以下朝倉の連中が義秋に抱く印象は、必ずしも良くなかった。
血筋はいいかもしれないが、どうも上に立つ者としての素質にかける。
その癖、天下以外の地方や侍を下に見る。
誰もはっきりとは言わないが、そうであろうと顔を見れば分かった。
十兵衛は言った、『いえ、この際、誰が将軍になろうと関係はないのです。足利という名前が必要なのではなく、将軍という格式が必要なのです。ただ、義秋殿は足利宗家という血筋があるので、帝も他よりは将軍にしやすいというただそれだけです』
と、十兵衛の言葉を聞いて、いままで黙っていた男が烈火のごとく声をはりあげた。
『将軍になるのに、誰でもいいとはなにとぞぞ! 将軍は、我が足利家が務めるもの。何たる無礼か!』
鞍谷嗣知である。
鞍谷氏は、三代将軍義満の子、義嗣を祖とし、六代将軍義持と対立したことで、その子義俊が越前鞍谷に落ちたことから、鞍谷氏を名乗り、応仁の乱以後は朝倉氏の客将といて扱われ、嗣知の娘が義景の側室になるなど、一乗谷でもある程度の勢力を持っていた。
自分が足利の血筋を引いているという自負があるのだろう。
その名を、それこそどこの馬の骨とも分からない男に貶されたのだから、怒るのも当然である。
『吉延殿、こやつは何者ぞ! そなたは、こんな無礼な者を召し抱えておるのか? 義景殿も、こんな足軽風情の意見など聞いてどうするのじゃ!』
それを皮切りに、景鏡や他の家臣団からも激しく罵られ、
『これは大変出過ぎた真似を、平にご容赦を』
と、十兵衛は平謝りし、評定から退出させられたらしい。
なので、後の事は分からないが、吉延から聞いた話では、結局何も決まらず、しばらく織田の様子を見ようということになったらしい。
と、景鏡は啖呵を切ったらしい。
それをいえば、守護代であった織田が、主君である斯波氏の領国を奪い取る形になったのは、朝倉氏も同じだ。
お互い、自らの力で周辺地域を抑え、領国を平定した。
が、それは越前が七代目孝景、八代目氏景のとき、五、六十年前のこと、それ以降周辺諸国と小競り合いがあっても、一乗谷は平穏である。
一方の織田は、いままさに尾張平定を終え、さらには美濃まで進出してきた。
常在戦場の織田と日々平安の朝倉、どちらが勢いに勝るか。
それは義景自身が良く分かっているのか、
『織田と戦をしても、勝ち目はないと申すか?』
と、訊いてきたので、ないわけではないと答えた。
『ないわけではない? では、そなたなら、なんとする?』
『織田が強いのは、もちろん銭もあり、兵もよく鍛錬されておるのもありますが、一番は信長自身によるところが大きいです。いま正面からまともに遣り合えば、勝てますまい。が、隙がないわけではない。先ほども申しましたが、信長は戦好きなのか、常に先陣を切り、前へ前へと出ようとします。それは拠点となる城も同じ』
初めは那古野城にいたが、清州をとると清州城に移り、小牧をとると、小牧山城へと移り住んだ。
『稲葉山城を落としたということは、必ず稲葉山へと居を移してきます。となると、尾張の守りが甘くなる』
織田は、いま勢いに乗っている。
が、それは最前線のこと、城が前に前に出過ぎて、後詰めが弱くなっている。
『織田の銭は、いまのところ本貫の津島、そして熱田です。ここを叩いてしまえば、織田の財力は落ち、窮する』
『しかし、越前から尾張まで兵を出せば、我らの方が一乗谷などの守りが甘くなるのでは?』
今度は吉家が訊いてきた。
『確かに、越前から兵を出せばそうです。が、無理にここから兵を出さずとも、他から出してもらえば良いのでは?』
『他から? 何れからか?』
『例えば、今川……、先代の逆襲の機会を虎視眈々と狙っているはず。または、甲斐の武田か……、それとも伊勢の北畠、いまは手を組んではおりますが、三河の徳川……、京の三好や大和の松永、近江の浅井、六角などと手を結び、信長包囲網を作れば、勢いだけの織田です、自ら崩れていきましょう。そのためには、上からのお墨付きというか、一致団結して織田を放逐せよという書面みたいなもんがほしいですな。例えば、将軍からのとか』
『しかし、将軍はいま……』
空席である。
『いらっしゃるではないですか、越前に』
『義秋殿か? しかし……』
十三代将軍義輝の弟、足利義秋は幼いころに寺に入り、覚慶と名乗っていたが、永楽の変で兄が憤死すると、次の将軍にと還俗して義秋と名乗り、有力な武将を頼って各地を転々とし、義景や越後の上杉氏を鼓舞して上洛の機会を狙っていた。
立場としては、三好三人衆が推す阿波の義栄よりも、宗家である義秋のほうが本筋であり、将軍に近い。
義景が義秋を推し立てて上洛すれば、三好三人衆も靡かないはずがない。
というのが、義秋の意見であるが、なぜか義景は腰を上げない。
もちろん、加賀の一向宗や美濃の斎藤氏が周囲にいて動きづらいというのはあったのだが、それにしても勿体ないことであるという声も、家臣団の中から出てきていた。
が、大半の一門衆、家臣団の考えは、自分たちの生活基盤である越前を守ることが重要で、そんなどこの馬の骨とも分からない ―― とは言っても、十三代将軍の弟なのだが、彼を将軍にするために畿内まで行って三好勢と戦をする気など毛頭なかった。
それは義景自身も同じで、彼からしてみれば、応仁の乱から続く戦乱で荒廃した京など何の魅力もない。
この一乗谷こそが、花の都なのだ。
それに、義景以下朝倉の連中が義秋に抱く印象は、必ずしも良くなかった。
血筋はいいかもしれないが、どうも上に立つ者としての素質にかける。
その癖、天下以外の地方や侍を下に見る。
誰もはっきりとは言わないが、そうであろうと顔を見れば分かった。
十兵衛は言った、『いえ、この際、誰が将軍になろうと関係はないのです。足利という名前が必要なのではなく、将軍という格式が必要なのです。ただ、義秋殿は足利宗家という血筋があるので、帝も他よりは将軍にしやすいというただそれだけです』
と、十兵衛の言葉を聞いて、いままで黙っていた男が烈火のごとく声をはりあげた。
『将軍になるのに、誰でもいいとはなにとぞぞ! 将軍は、我が足利家が務めるもの。何たる無礼か!』
鞍谷嗣知である。
鞍谷氏は、三代将軍義満の子、義嗣を祖とし、六代将軍義持と対立したことで、その子義俊が越前鞍谷に落ちたことから、鞍谷氏を名乗り、応仁の乱以後は朝倉氏の客将といて扱われ、嗣知の娘が義景の側室になるなど、一乗谷でもある程度の勢力を持っていた。
自分が足利の血筋を引いているという自負があるのだろう。
その名を、それこそどこの馬の骨とも分からない男に貶されたのだから、怒るのも当然である。
『吉延殿、こやつは何者ぞ! そなたは、こんな無礼な者を召し抱えておるのか? 義景殿も、こんな足軽風情の意見など聞いてどうするのじゃ!』
それを皮切りに、景鏡や他の家臣団からも激しく罵られ、
『これは大変出過ぎた真似を、平にご容赦を』
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