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第1話
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「嫌です!」
由比は、炎天の小川のように涼しげであるが、雪風の氷柱のごとく冷たい声で言った。
「何がご不満なのです?」、男は当惑気味に訊いた、「この話、佐伯家には良いことと思いますが。むろん、由比殿にも」
「ええ、確かにそうでしょうね」
「さすれば、何故?」
「何故も、嫌なものは嫌なのです」
男は、幾分白髪混じりになった眉毛を寄せ、あからさまなため息を吐いた。
木場流の剣術道場である。
開け放たれた障子から、残暑の熱風とともに稽古に励む男たちの掛け声が聞こえてくる。
六畳間は、由比と男が静かに座して対峙する。
剣先を互いの眉間に添え、息を整え、間合いを図りながら、相手の出方を待つように。
佐伯流明道館主、佐伯左衛門尉隆景がひとり娘の由比は、数えの十六になったばかり。
相手を射るような鋭い眼差しはすでに大人のそれであったが、桜の蕾のようなふっくらとした小さな唇は、まだ幼さを残している。
ほっそりとした頬は熱さのせいか、うっすらと染まり、総髪にしたうなじからは、少女独特の若竹のような清々しい香りが立ち上がっている。
男は、領内で佐伯流と二分する木場流一心堂主木場宗右衛門経長であった。
由比が、父の隆景から縁談が決まったと聞いたのは、昨晩のことである。
知らないうちに自分の伴侶を勝手に決められたとこに驚き、腹が立った。
さらに相手が、経長の道場に通っている男で、剣の腕前は道場一、大手組三番組組長の次男で、男ぶりも良く、仲間からの信頼も厚い藩士であると聞いて、居ても立ってもいられなくなり、直接経長のもとに乗り込んできたのである。
「端内源太郎の、どこがご不満なのですか?」
経長は、困惑しながら、源太郎という藩士がどれほど良い男で、佐伯家にとっても、由比にとってもいい縁談だと、懇切丁寧に語った。
彼の話を聞きながらも、由比は益々腹が立ってきた。
「ですから、嫌なのです」
「何が嫌なのです? 端内ほどの男は、そうそうおりませんよ」
「そうでござりましょう。ですから、嫌なのです、何もかも出来すぎていて」
経長は、面食らったような顔をした。
「出来すぎの、どこが悪いのですか? 端内は剣もできる、学もある、佐伯家の婿養子にはもってこいだと思いますが。向こうの家も、次男ですから婿養子には依存なく、佐伯家の事情も理解しております。それ故の話なのですよ」
「家のことなら大丈夫です。私がやりますので」
「由比殿が? ご冗談を? 道場はともかく、あれまでやるのですか?」
由比は、当然だと頷いた。
「しかし......、あれは女がやることでは......」
「女の私がやることではないと?」、由比はムッと眉を寄せる、「お言葉ですが、私、その辺の男よりも上手くやる自信はあります」
「確かに、由比殿ほどの腕前ならばそうでしょうが......、しかしあれは不浄のことゆえ、女がやられてはお名に傷がつきますよ。それに、やられるほうもいい気はしますまい」
「相手は罪人です、いい気がするとか、しまいとか、関係ありません」
由比は、強い口調で言った。
経長は、少々不機嫌な顔になった。
怒らせてしまったか? だが、詫びるつもりはない。間違ったことは言っていないと、由比は思う。
罪人に容赦は無用なのだ。
佐伯家は、代々岩沼領の剣術指南役を務めてきた家柄である。
その剣の腕を見込まれ、首切りの役目もおっている。
本来、罪人の首を切るのは同心たちの持ち回りである。
が、これがなかなか技がいる。
頭と胴体をつなぐ太い骨である ―― これをバッサリとやるのは、相当の剣の腕前がなければ難しい。
一度にスッパとやってやらないと、罪人がもがき苦しむことになる。
作法としても見苦しい。
罪人に負担をかけることなく、いかに美しく首を落とすかが問われる。
首の皮一枚を残してなんてよくいうが、なかなかできる芸当ではない。
一気に切り落とすのも、至難の技なのである。
幕府開闢の頃ならば、腕に覚えのある同心も多くいたが、平安なこの世の中、同心の腕も落ち、なまくら刀では大根を切るのもままならない。
なかには、罪人の首切りなど不浄だと断る者もいる。
それならまだマシなほうだ。
人を切るのが恐いといって、逃げる侍もいた。
そういった同心が金を出して、剣の腕の確かな者に頼むのである。
有名なのが、山田浅右衛門である。
立場は、幕府の御様御用という刀の試し斬りを担っているが、やはりその腕前を見込まれ、非公式で首切りもやる。
岩沼領では、佐伯家が非公式でありながら、それを代々受け継いできたのである。
すなわち、佐伯家を継ぐということは、佐伯流の流派や指南役といった大役を継ぐだけでなく、首切り役を継ぐことにもなるのである。
いまの佐伯家当主隆景には、由比以外に子はない。
女が家を継ぐことはできない。
となれば、婿養子を貰うしかない。
が、そんじょそこらの馬の骨を貰っても仕方がない。
末は佐伯流の当主、岩沼領の剣術指南役もおう。
首切りもしなければならない。
道場館主で、剣術指南役が約束された家を継ぐのである。
兎角、家柄を重んじる武士としては、胸を張ることができる。
将来の生活も約束され、『武士は食わねど……』なんとやら、といった状況だけは、何とか避けられる。
おまけに、由比は器量が良いと評判だ ―― 岩沼小町と言われるほどである。
由比目当てに、佐伯の道場に入門する者も多い。
婿のなり手は山ほどいるのだ。
が、おまけみたいについてくる首切りという役に、二の足を踏む侍も多かった。
それでも今回の端内のように、その役目を理解して、承知してくれる者もいる。
父としては、これで一安心と思いきや、肝心の由比がきっぱりと断る。
懇切丁寧に、男の家柄や才能、性格の良いところを説いても、
『嫌です!』
の一点張りである。
それで、また新しい男を探す ―― ここ一年、その繰り返しであった。
はじめは、道場内の男から何人か選んでいたが、由比が、これをすべて断った。
ならばと、父も伝手を頼って婿候補を紹介してもらったが、由比は父の苦労を省みることなく、あっさりと首を横に振った。
隆景は、最初の頃は娘可愛さにわがままを聞いていたが、最近ではさすがに焦りだしたようだ。
伝手もなくなったようで、普段は格下だと見下している木場流の道場主経長に嫌々ながら頭を下げ、由比にあいそうな男をと依頼したのだが………………
「あなたのそういうところを、お父上は心配なさっているのです」
「そういうところとは、どういうところですか?」
「その……、なんというか……、物事をはっきりというか、素直すぎるというか……」
「木場様、はっきりとおっしゃってくださいませ。奥歯にものが挟まった言い方など、男らしくありません」
「そういう喧嘩腰になるところもです」、経長はため息を吐いた、「もっと女らしくして欲しいと、父上は思っていらっしゃるのです」
「女らしいとはどういことですか?」、由比はキリリと眉を吊り上げる、「しおらしく男の後を三歩下がって歩くのが女らしいのですか? 男の言ったことに黙って頷くのが女らしいのですが? 黙って三従する女が女らしいというのですか?」
由比は、ことさら『三従』という言葉を強めた。
『女三従の教え』―― 由比は、この言葉が大嫌いである。
―― 生家では父に従い、嫁ぎ先では夫に従い、夫の死後は子に従い………………
誰が説いたかしらないが、まったくもって女を馬鹿にしていると思う。
これではまるで、何の意思も持たない人形ではないか!
由比にも、意思がある。
志がある。
やりたいことがある。
ときに、父にも意見したいことがある。
『女三従の教え』なんて、男が絶対正しいという偏見の上に成り立っている。
男だって間違ったことをするし、間違ったことを言う。
それに意見することが駄目だというのか?
だから、勘違いした男がますますのさぼるのだと、由比は腹立たしい。
「私、馬鹿な男に従って生きていくつもりはございません」
「端内は、なかなかの男ですよ。仲間内でも、まとめ役のようなことをしておりますし」
「そういう人だから駄目なのです。きっと家に入ったら、何かと仕切りたがるでしょう」
「それは、佐伯家の当主になるのだから……」
「家のことは、私が仕切ります」
「由比殿が? 道場や、指南役を?」
由比は、当然のごとく頷く。
「首切りもですか?」
「当然です。私、他の方よりも上手く首を落とします」
「まあ、由比殿の腕前があれば……」
剣術の腕前をみれば、おそらく佐伯道場一であろう。
もしくは、藩内でも、一、二を争う腕かもしれない。
父の隆景が、「お前が男ならば」と嘆くほどだ。
首切りも、小さい頃から父の所作を見てきた。
将来首切り役の妻になるのだ。
その役が何たるかを知っておいたほうが良かろうと、隆景が斬首の場に付き合わせたのがはじめだが、その日以来、由比は、その首切りという役目の虜になってしまった。
陽光に輝く刀が、優美な曲線を描きながら罪人の首へと落ちていく。
次の瞬間、まるで朝顔の花がぽとりと落ちるように、罪人の首が墓穴に落ちる。
罪人は、まるで首を切られたことに気がついてないのか、かっと目を見開いて、青い空を見上げている。
まったく恐怖は感じなかった。
むしろ、隆景の鮮やかな手つきと、覚悟を決めた罪人の潔さに見惚れてしまった。
武士の覚悟というのを、そこに見た。
もちろん、すべての罪人が、その男のように覚悟を持っていたという訳ではない。
以来由比は、毎回のように父に付き添い、介添えをした。
その中で、見るに耐えない最期を遂げる者がいた。
刑場に引き出されてもなお、必死で無実を訴える者や、死にたくないと暴れる者、母や妻、子の名前を叫ぶ者など様々である。
むしろ、見苦しい最期を遂げる者のほうが多い。
その中で、一番見苦しい最期だったのが、武士の切腹であった。
何の罪に問われたか忘れたが、父がその者の介錯を受け持ち、由比もその場に立ち会った。
侍は、実に優雅に切腹の所作を行った。
立派な最期になるだろうと、由比は期待した。
が、侍は刀を腹に突き刺す段になって、泣き出した。
まるで癇癪を起こした子どものようにワンワンと泣き出し、『死にたくない』と、逃げようとした。
父や、お付きの者、介添え人たちが男を取り押さえ、その侍の父親が『家名を汚すな! 立派に腹を切れ!』と、息子の腹に刀を突き刺した。
侍は、痛みにのた打ち回った。
早く楽にしてやろうと、父の隆景は首を切ろうとしたが、暴れるものだから、手元が狂う。
結局、二度、三度と刀で切りつけ、その度に侍が悲鳴をあげる。
最後は、ぐったりとなったところで、父が侍の胴体を足で踏みつけ、切り落とす始末であった。
あまりに無様で、悲惨な状況に、周りで見ていた大人たちでさえ、卒倒す者もいたが、由比はその惨たらしい死体をじっと見つめ、思った。
―― 私なら、もっと上手く首を斬れる!
由比は、内密で病死した罪人の首の試し切りをさせてもらうこともあった。
はじめて人の首を切ったときの感触 ―― 思ったよりも、すっぱりと切れたので、自分でも驚いたのだが ―― に、全身の血が沸きあがる思いだった。
そのときの『お前が男ならば』という隆景の言葉が、いまも耳に残っている。
褒められたという嬉しさよりも、女として生まれた悔しさのほうが、由比は勝っていた。
そのとき、由比は心に決めたのである。
―― お役目に、男も女もないはず。腕のいい者がそのお役を請けるのが、正道のはず。ならば、私が!
と。
「佐伯家のお役は、私がすべてやります。それは、父にも申しております。ただ、家を継ぐのはやはり男しかできません。ですから、私の意に添うような婿養子が欲しいのです」
「由比殿の意に添うような婿とは、どのよう男ですか?」
「ぼんくらです!」
由比は、躊躇いもなく言った。
経長は、細い目をこれでもかと開けて、由比を凝視した。
「私の伴侶は、何もしない、何もできない、何も考えない、ぼんくらがいいのです」
「ぼ、ぼんくらって、どういうことですか?」
「当主の名を継ぐだけで結構です。道場や指南役、首切り役のことは、一切私がやります。ただ座って、お茶を飲んでいらっしゃればいい。これ、すごくいいと思われませんか?」
「いや、それではあまりにも……、その……、馬鹿にされているようで、相手がいい気はしますまい」
「なぜですか? 別に蔑ろにしているわけではないのです。ただ、何もしなくていいと言っているのです。お殿様のような生活ができるのですよ?」
「いやいや、殿の生活はそんなに甘いものではございませよ。それに、男にも面子というものがありますし」
「大丈夫です。表向きは殿方を立てますので。ともかく、私はぼんくら以外を婿に貰うつもりはありません。どうですか、そんなぼんくら、いらっしゃいませんか?」
由比の突拍子もない提案に、経長は腕を組み、困り果てたように天上を見上げた。
実際、これは意地悪な問いだったかと、由比も思っている。
父も経長も、婿をとれ、婿をとれと煩い。
由比自身、婿をもらうつもりはない。
一生独り身でいいと思っている。
男と一生をともにするよりは、ずっと剣を振っていたほうが面白い。
道場主の娘として、また剣術指南役の娘として、はたまた首切り役の娘として生まれてきたことは、天命ではないかと、由比は喜んでいる。
が、武家の娘としては、家を守らねばならぬ。
賢しい婿を迎えれば、お役はすべてその男がやるだろう。
由比に対して、あれやこれやと指図するだろう。
それは、由比にとって、許しがたき苦痛である。
もし、どうしても婿をとれというのならば、剣の腕前も、頭のキレも、由比を圧倒するような男でなければならない。
正直、岩沼領内に、そんな男なんているとは思っていない。
中途半端な男ほど、役に立たない。
実力もないのに威張りくさい、間違ったことをしても謝りもせず、挙句は逆上して、『女の癖に』と捨て台詞を吐く。
そんな連中ばっかりだ。
であれば、少々見た目は悪くても、ぼんくらで、木偶の坊のようにただ座っているだけの男がいい。
なんとも自分勝手だと思うが、これが由比の妥協点である。
まあ、そんな都合のいい『ぼんくら』なんて、そう簡単にいないと思うが………………と、由比も思っていたのだが、
「まあ、いないことはないですが………………」
経長の言葉に、今度は由比のほうが目を見開いた。
「いらっしゃるのですか、そんな殿方が?」
経長は、いささか嫌々ながら首を縦に振った。
あまり期待していなかったのが、意外にあっさりといたものだから、由比は俄然興味がわいた。
「で、どのような人ですか?」
経長は、言いにくそうに口を開いた。
「まあ、本当にぼんくらですよ。当道場に属してますが、剣はまるで駄目、稽古もめったに来ない。仕事は勘定係りですが、上役に聞けば、始終ぼーっと外を見て呆けていると。仕事が終わればすぐに帰宅し、家でもぼーっとしているとか。お父上も、次男坊なのでどこか養子先はないかと探しておられるが、何度か先方から断られ、なかなか決まらないと嘆いておられましてね」
由比は、目を輝かせ、身を乗り出す。
「で、お名は?」
「槇田仁左衛門と申します」
「その方は、本日道場へは?」
「たぶん……、来てないと思いますよ。まあ、一応道場を見ていますか?」
是非に是非にと、由比は腰を上げた。
部屋を出る際、経長が付け加えた、「それから、顔はあんまり期待なされないように。いたって、平凡ですから」
由比は、炎天の小川のように涼しげであるが、雪風の氷柱のごとく冷たい声で言った。
「何がご不満なのです?」、男は当惑気味に訊いた、「この話、佐伯家には良いことと思いますが。むろん、由比殿にも」
「ええ、確かにそうでしょうね」
「さすれば、何故?」
「何故も、嫌なものは嫌なのです」
男は、幾分白髪混じりになった眉毛を寄せ、あからさまなため息を吐いた。
木場流の剣術道場である。
開け放たれた障子から、残暑の熱風とともに稽古に励む男たちの掛け声が聞こえてくる。
六畳間は、由比と男が静かに座して対峙する。
剣先を互いの眉間に添え、息を整え、間合いを図りながら、相手の出方を待つように。
佐伯流明道館主、佐伯左衛門尉隆景がひとり娘の由比は、数えの十六になったばかり。
相手を射るような鋭い眼差しはすでに大人のそれであったが、桜の蕾のようなふっくらとした小さな唇は、まだ幼さを残している。
ほっそりとした頬は熱さのせいか、うっすらと染まり、総髪にしたうなじからは、少女独特の若竹のような清々しい香りが立ち上がっている。
男は、領内で佐伯流と二分する木場流一心堂主木場宗右衛門経長であった。
由比が、父の隆景から縁談が決まったと聞いたのは、昨晩のことである。
知らないうちに自分の伴侶を勝手に決められたとこに驚き、腹が立った。
さらに相手が、経長の道場に通っている男で、剣の腕前は道場一、大手組三番組組長の次男で、男ぶりも良く、仲間からの信頼も厚い藩士であると聞いて、居ても立ってもいられなくなり、直接経長のもとに乗り込んできたのである。
「端内源太郎の、どこがご不満なのですか?」
経長は、困惑しながら、源太郎という藩士がどれほど良い男で、佐伯家にとっても、由比にとってもいい縁談だと、懇切丁寧に語った。
彼の話を聞きながらも、由比は益々腹が立ってきた。
「ですから、嫌なのです」
「何が嫌なのです? 端内ほどの男は、そうそうおりませんよ」
「そうでござりましょう。ですから、嫌なのです、何もかも出来すぎていて」
経長は、面食らったような顔をした。
「出来すぎの、どこが悪いのですか? 端内は剣もできる、学もある、佐伯家の婿養子にはもってこいだと思いますが。向こうの家も、次男ですから婿養子には依存なく、佐伯家の事情も理解しております。それ故の話なのですよ」
「家のことなら大丈夫です。私がやりますので」
「由比殿が? ご冗談を? 道場はともかく、あれまでやるのですか?」
由比は、当然だと頷いた。
「しかし......、あれは女がやることでは......」
「女の私がやることではないと?」、由比はムッと眉を寄せる、「お言葉ですが、私、その辺の男よりも上手くやる自信はあります」
「確かに、由比殿ほどの腕前ならばそうでしょうが......、しかしあれは不浄のことゆえ、女がやられてはお名に傷がつきますよ。それに、やられるほうもいい気はしますまい」
「相手は罪人です、いい気がするとか、しまいとか、関係ありません」
由比は、強い口調で言った。
経長は、少々不機嫌な顔になった。
怒らせてしまったか? だが、詫びるつもりはない。間違ったことは言っていないと、由比は思う。
罪人に容赦は無用なのだ。
佐伯家は、代々岩沼領の剣術指南役を務めてきた家柄である。
その剣の腕を見込まれ、首切りの役目もおっている。
本来、罪人の首を切るのは同心たちの持ち回りである。
が、これがなかなか技がいる。
頭と胴体をつなぐ太い骨である ―― これをバッサリとやるのは、相当の剣の腕前がなければ難しい。
一度にスッパとやってやらないと、罪人がもがき苦しむことになる。
作法としても見苦しい。
罪人に負担をかけることなく、いかに美しく首を落とすかが問われる。
首の皮一枚を残してなんてよくいうが、なかなかできる芸当ではない。
一気に切り落とすのも、至難の技なのである。
幕府開闢の頃ならば、腕に覚えのある同心も多くいたが、平安なこの世の中、同心の腕も落ち、なまくら刀では大根を切るのもままならない。
なかには、罪人の首切りなど不浄だと断る者もいる。
それならまだマシなほうだ。
人を切るのが恐いといって、逃げる侍もいた。
そういった同心が金を出して、剣の腕の確かな者に頼むのである。
有名なのが、山田浅右衛門である。
立場は、幕府の御様御用という刀の試し斬りを担っているが、やはりその腕前を見込まれ、非公式で首切りもやる。
岩沼領では、佐伯家が非公式でありながら、それを代々受け継いできたのである。
すなわち、佐伯家を継ぐということは、佐伯流の流派や指南役といった大役を継ぐだけでなく、首切り役を継ぐことにもなるのである。
いまの佐伯家当主隆景には、由比以外に子はない。
女が家を継ぐことはできない。
となれば、婿養子を貰うしかない。
が、そんじょそこらの馬の骨を貰っても仕方がない。
末は佐伯流の当主、岩沼領の剣術指南役もおう。
首切りもしなければならない。
道場館主で、剣術指南役が約束された家を継ぐのである。
兎角、家柄を重んじる武士としては、胸を張ることができる。
将来の生活も約束され、『武士は食わねど……』なんとやら、といった状況だけは、何とか避けられる。
おまけに、由比は器量が良いと評判だ ―― 岩沼小町と言われるほどである。
由比目当てに、佐伯の道場に入門する者も多い。
婿のなり手は山ほどいるのだ。
が、おまけみたいについてくる首切りという役に、二の足を踏む侍も多かった。
それでも今回の端内のように、その役目を理解して、承知してくれる者もいる。
父としては、これで一安心と思いきや、肝心の由比がきっぱりと断る。
懇切丁寧に、男の家柄や才能、性格の良いところを説いても、
『嫌です!』
の一点張りである。
それで、また新しい男を探す ―― ここ一年、その繰り返しであった。
はじめは、道場内の男から何人か選んでいたが、由比が、これをすべて断った。
ならばと、父も伝手を頼って婿候補を紹介してもらったが、由比は父の苦労を省みることなく、あっさりと首を横に振った。
隆景は、最初の頃は娘可愛さにわがままを聞いていたが、最近ではさすがに焦りだしたようだ。
伝手もなくなったようで、普段は格下だと見下している木場流の道場主経長に嫌々ながら頭を下げ、由比にあいそうな男をと依頼したのだが………………
「あなたのそういうところを、お父上は心配なさっているのです」
「そういうところとは、どういうところですか?」
「その……、なんというか……、物事をはっきりというか、素直すぎるというか……」
「木場様、はっきりとおっしゃってくださいませ。奥歯にものが挟まった言い方など、男らしくありません」
「そういう喧嘩腰になるところもです」、経長はため息を吐いた、「もっと女らしくして欲しいと、父上は思っていらっしゃるのです」
「女らしいとはどういことですか?」、由比はキリリと眉を吊り上げる、「しおらしく男の後を三歩下がって歩くのが女らしいのですか? 男の言ったことに黙って頷くのが女らしいのですが? 黙って三従する女が女らしいというのですか?」
由比は、ことさら『三従』という言葉を強めた。
『女三従の教え』―― 由比は、この言葉が大嫌いである。
―― 生家では父に従い、嫁ぎ先では夫に従い、夫の死後は子に従い………………
誰が説いたかしらないが、まったくもって女を馬鹿にしていると思う。
これではまるで、何の意思も持たない人形ではないか!
由比にも、意思がある。
志がある。
やりたいことがある。
ときに、父にも意見したいことがある。
『女三従の教え』なんて、男が絶対正しいという偏見の上に成り立っている。
男だって間違ったことをするし、間違ったことを言う。
それに意見することが駄目だというのか?
だから、勘違いした男がますますのさぼるのだと、由比は腹立たしい。
「私、馬鹿な男に従って生きていくつもりはございません」
「端内は、なかなかの男ですよ。仲間内でも、まとめ役のようなことをしておりますし」
「そういう人だから駄目なのです。きっと家に入ったら、何かと仕切りたがるでしょう」
「それは、佐伯家の当主になるのだから……」
「家のことは、私が仕切ります」
「由比殿が? 道場や、指南役を?」
由比は、当然のごとく頷く。
「首切りもですか?」
「当然です。私、他の方よりも上手く首を落とします」
「まあ、由比殿の腕前があれば……」
剣術の腕前をみれば、おそらく佐伯道場一であろう。
もしくは、藩内でも、一、二を争う腕かもしれない。
父の隆景が、「お前が男ならば」と嘆くほどだ。
首切りも、小さい頃から父の所作を見てきた。
将来首切り役の妻になるのだ。
その役が何たるかを知っておいたほうが良かろうと、隆景が斬首の場に付き合わせたのがはじめだが、その日以来、由比は、その首切りという役目の虜になってしまった。
陽光に輝く刀が、優美な曲線を描きながら罪人の首へと落ちていく。
次の瞬間、まるで朝顔の花がぽとりと落ちるように、罪人の首が墓穴に落ちる。
罪人は、まるで首を切られたことに気がついてないのか、かっと目を見開いて、青い空を見上げている。
まったく恐怖は感じなかった。
むしろ、隆景の鮮やかな手つきと、覚悟を決めた罪人の潔さに見惚れてしまった。
武士の覚悟というのを、そこに見た。
もちろん、すべての罪人が、その男のように覚悟を持っていたという訳ではない。
以来由比は、毎回のように父に付き添い、介添えをした。
その中で、見るに耐えない最期を遂げる者がいた。
刑場に引き出されてもなお、必死で無実を訴える者や、死にたくないと暴れる者、母や妻、子の名前を叫ぶ者など様々である。
むしろ、見苦しい最期を遂げる者のほうが多い。
その中で、一番見苦しい最期だったのが、武士の切腹であった。
何の罪に問われたか忘れたが、父がその者の介錯を受け持ち、由比もその場に立ち会った。
侍は、実に優雅に切腹の所作を行った。
立派な最期になるだろうと、由比は期待した。
が、侍は刀を腹に突き刺す段になって、泣き出した。
まるで癇癪を起こした子どものようにワンワンと泣き出し、『死にたくない』と、逃げようとした。
父や、お付きの者、介添え人たちが男を取り押さえ、その侍の父親が『家名を汚すな! 立派に腹を切れ!』と、息子の腹に刀を突き刺した。
侍は、痛みにのた打ち回った。
早く楽にしてやろうと、父の隆景は首を切ろうとしたが、暴れるものだから、手元が狂う。
結局、二度、三度と刀で切りつけ、その度に侍が悲鳴をあげる。
最後は、ぐったりとなったところで、父が侍の胴体を足で踏みつけ、切り落とす始末であった。
あまりに無様で、悲惨な状況に、周りで見ていた大人たちでさえ、卒倒す者もいたが、由比はその惨たらしい死体をじっと見つめ、思った。
―― 私なら、もっと上手く首を斬れる!
由比は、内密で病死した罪人の首の試し切りをさせてもらうこともあった。
はじめて人の首を切ったときの感触 ―― 思ったよりも、すっぱりと切れたので、自分でも驚いたのだが ―― に、全身の血が沸きあがる思いだった。
そのときの『お前が男ならば』という隆景の言葉が、いまも耳に残っている。
褒められたという嬉しさよりも、女として生まれた悔しさのほうが、由比は勝っていた。
そのとき、由比は心に決めたのである。
―― お役目に、男も女もないはず。腕のいい者がそのお役を請けるのが、正道のはず。ならば、私が!
と。
「佐伯家のお役は、私がすべてやります。それは、父にも申しております。ただ、家を継ぐのはやはり男しかできません。ですから、私の意に添うような婿養子が欲しいのです」
「由比殿の意に添うような婿とは、どのよう男ですか?」
「ぼんくらです!」
由比は、躊躇いもなく言った。
経長は、細い目をこれでもかと開けて、由比を凝視した。
「私の伴侶は、何もしない、何もできない、何も考えない、ぼんくらがいいのです」
「ぼ、ぼんくらって、どういうことですか?」
「当主の名を継ぐだけで結構です。道場や指南役、首切り役のことは、一切私がやります。ただ座って、お茶を飲んでいらっしゃればいい。これ、すごくいいと思われませんか?」
「いや、それではあまりにも……、その……、馬鹿にされているようで、相手がいい気はしますまい」
「なぜですか? 別に蔑ろにしているわけではないのです。ただ、何もしなくていいと言っているのです。お殿様のような生活ができるのですよ?」
「いやいや、殿の生活はそんなに甘いものではございませよ。それに、男にも面子というものがありますし」
「大丈夫です。表向きは殿方を立てますので。ともかく、私はぼんくら以外を婿に貰うつもりはありません。どうですか、そんなぼんくら、いらっしゃいませんか?」
由比の突拍子もない提案に、経長は腕を組み、困り果てたように天上を見上げた。
実際、これは意地悪な問いだったかと、由比も思っている。
父も経長も、婿をとれ、婿をとれと煩い。
由比自身、婿をもらうつもりはない。
一生独り身でいいと思っている。
男と一生をともにするよりは、ずっと剣を振っていたほうが面白い。
道場主の娘として、また剣術指南役の娘として、はたまた首切り役の娘として生まれてきたことは、天命ではないかと、由比は喜んでいる。
が、武家の娘としては、家を守らねばならぬ。
賢しい婿を迎えれば、お役はすべてその男がやるだろう。
由比に対して、あれやこれやと指図するだろう。
それは、由比にとって、許しがたき苦痛である。
もし、どうしても婿をとれというのならば、剣の腕前も、頭のキレも、由比を圧倒するような男でなければならない。
正直、岩沼領内に、そんな男なんているとは思っていない。
中途半端な男ほど、役に立たない。
実力もないのに威張りくさい、間違ったことをしても謝りもせず、挙句は逆上して、『女の癖に』と捨て台詞を吐く。
そんな連中ばっかりだ。
であれば、少々見た目は悪くても、ぼんくらで、木偶の坊のようにただ座っているだけの男がいい。
なんとも自分勝手だと思うが、これが由比の妥協点である。
まあ、そんな都合のいい『ぼんくら』なんて、そう簡単にいないと思うが………………と、由比も思っていたのだが、
「まあ、いないことはないですが………………」
経長の言葉に、今度は由比のほうが目を見開いた。
「いらっしゃるのですか、そんな殿方が?」
経長は、いささか嫌々ながら首を縦に振った。
あまり期待していなかったのが、意外にあっさりといたものだから、由比は俄然興味がわいた。
「で、どのような人ですか?」
経長は、言いにくそうに口を開いた。
「まあ、本当にぼんくらですよ。当道場に属してますが、剣はまるで駄目、稽古もめったに来ない。仕事は勘定係りですが、上役に聞けば、始終ぼーっと外を見て呆けていると。仕事が終わればすぐに帰宅し、家でもぼーっとしているとか。お父上も、次男坊なのでどこか養子先はないかと探しておられるが、何度か先方から断られ、なかなか決まらないと嘆いておられましてね」
由比は、目を輝かせ、身を乗り出す。
「で、お名は?」
「槇田仁左衛門と申します」
「その方は、本日道場へは?」
「たぶん……、来てないと思いますよ。まあ、一応道場を見ていますか?」
是非に是非にと、由比は腰を上げた。
部屋を出る際、経長が付け加えた、「それから、顔はあんまり期待なされないように。いたって、平凡ですから」
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