大兇の妻

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第8話

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「この大馬鹿者!」

 義母の声が、雷のごとく轟いた。

「おのれは、大郎の子を殺すつもりか! 蘇我家の大切な跡取りを殺すつもりか! 蘇我一族を滅ぼすつもりか!」

「め、滅相もございません。ただ私は、この子にも、ひと目お父さまのお姿をと思いまして」

「喧しいわ、この馬鹿女が!」

 義母は、宇音美から赤子を無理やり引き剥がした。

「何て、酷い熱だろう。ああ、かわいそうに、馬鹿な女が母親だと、お前はこんなにも苦労するなんてね」

 義母が頬ずりをすると、赤子は怪鳥のようにぎゃっと泣き出した。

「なんだい、親に似て可愛くない子だね。乳母に任せないから、我儘な子に育つんだよ」

 宇音美は、周囲が反対しても乳母を置かず、自分の手で赤子を育てていた。

「誰か、誰か、この子を屋敷の中へ」

 義母は、侍女たちに赤子を放り投げるようにして手渡した。

 赤子は、侍女に抱きかかえられて屋敷に消えた。

 宇音美も屋敷にあがろうとした。

 が、義母に肩を小突かれ、水溜りの中に尻から落ちた。

「ここは蘇我本家の屋敷だよ。お前のような身分の低い女をあげるわけにはいかないよ」

「そ、そんな……、せ、せめて大郎さまのお顔だけでも。ひと目だけでも」

 再三に渡って頼み込んだが、義母は首を縦に振らなかった。

「あんたは禍だ。この蘇我に禍をもたらす女だよ。そんな女に、一歩たりとも敷居は跨がせないよ」

 義母は、宇音美に冷たい視線を浴びせると、裾を翻した。

 ―― こんなときまで、お義母さまは大郎さまにも会わせてくれないなんて。

 見かねた義弟が、大広間へとあげてくれた。

「兄上があのようになって、母は気が立っているのです、許してやってください」

「ええ、それはもう……、私も母親ですから、お義母さまの気持ちは分かります。でも、お義母さまも人の妃ならば、最後にひと目、夫に会いたいという私の気持ちも分かるはずでは?」

「ええ、それはもちろん」

 義弟は、宇音美が入鹿と会えるように、頃合を見て義母を説得すると約束した。

「いつですか?」

「それは分かりませんが、必ず」

 従者が飛び込んできて、話が途切れた。

 従者の顔は、ひどく青ざめていた。

 義弟に耳打ちした。

 義弟の顔も、見る見るうちに血の気が引いていった。

「まことか!」と、目を見開き、慌てて出て行った。

 しばらくして戻ってくると、今度は顔を真っ赤にして憤怒の形相であった。

「飛鳥寺を取られました。やつら、徹底的にやるつもりです」

 飛鳥寺は、蘇我馬子が創建した寺院であり、蘇我氏の氏寺だ。

 四方が回廊で囲まれ、なおかつ武器庫も設置されていたので、軍事拠点ともなった。

 寺院を摂取することは、宣戦を布告したのと同じである。

 飛鳥寺には、大王家の御旗が立っていた。

 他の豪族たちも、ぞくぞくと参集しているという。

「そっちがそのつもりなら、こちらも遠慮はしません」

 殺気だった弟を見て、宇音美は不安に駆られた。

「何をなさるの?」

「古人大兄を奉じ、女王軍と戦います」

「戦をするのですか?」

「蘇我の力を見せてやりますよ」

 義弟は勇んで出て行った。
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